Sightsong

自縄自縛日記

ラルフ・ピーターソン『Triangular III』

2016-09-30 16:22:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラルフ・ピーターソン『Triangular III』(Onyx、2015年)を聴く。

Ralph Peterson (ds)
Zaccai Curtis (p)
Luques Curtis (b)

『Outer Reaches』(2010年)のあまりのコピーバンドぶりに愕然として、ピーターソンを追いかけるのがバカバカしくなっていたのだが、これはなかなかの盤である。

ピーターソンは「Triangular」というシリーズでピアノトリオ物を出していて、1枚目がジェリ・アレン、2枚目がデイヴィッド・キコスキ。そして今回の3枚目がザッカイ・カーティス。なおベースはザッカイの弟である。以前にテナー吹きのレイモンド・マクモーリンさんが、好きなピアニストはデイヴィッド・ブライアントとザッカイ・カーティスだと話していて、いつかちゃんと聴こうと思っていたのだ。

このザッカイ・カーティスのピアノがスマートで尖ってもいて確かに素晴らしい。才気煥発という感じである。ピーターソンは、相変わらず、不要な土煙をたてながら爆走する無駄にハイスペックなクルマのようで(『マッドマックス』を思い出した)、やはりトマソン=人間扇風機たるものこうでなくては。

曲がまたいい。サム・リヴァース「Beatrice」、ジョー・ヘンダーソン「Inner Urge」、それにウォルター・デイヴィス・ジュニアのオリジナルが3曲(渋い)。こういうのが好きなんだろうね。ワイルドな爆走に知的なメロディ、悪いわけがない。

ピーターソンの好きなユニットは「Fotet」なのだが、ピアノトリオも追いかける価値大。この人にはシンプルな編成が合っているに違いない。

●ラルフ・ピーターソン
ウェイン・エスコフェリー『Live at Smalls』(2014年)
レイモンド・マクモーリン『RayMack』、ジョシュ・エヴァンス『Portrait』(2011、12年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)
ベキ・ムセレク『Beauty of Sunrise』(1995年)


三上智恵・島洋子『女子力で読み解く基地神話』

2016-09-30 13:29:24 | 沖縄

三上智恵・島洋子『女子力で読み解く基地神話 在京メディアが伝えない沖縄問題の深層』(かもがわ出版、2016年)を読む。

QABのアナウンサーなどを経て『標的の村』を撮った三上智恵さんと、琉球新報で基地問題に切り込み『ひずみの構造―基地と沖縄経済』の連載を手掛けた島洋子さんとの対談。タイトルはなんだかよくわからないが、ふたりが話す内容はさすがである。

沖縄は基地経済で成り立っているという神話がもはや崩壊していること。基地関連収入は沖縄における収入の5%に過ぎず、その7割ほどは日本の「思いやり予算」から出された軍用地料と従業員収入であり、北谷、新都心、小禄などで返還後のほうがはるかに経済的な効果がある。

辺野古の埋め立てと代執行に対する政府と沖縄県との和解について(2016年3月)。これが政府の選挙対策であったことは言うまでもないが、さらに言えば、福岡高裁が政府にヒントを与えたのだとする解釈には納得させられる。つまり、いくら何でも地方自治を破壊する代執行については、司法はお墨付きを与えられない。それよりも勝てる方法はこうなのだ、と示唆したという見方である。

1996年のSACO合意に基づく普天間の返還。あくまで当時は負担を強いている沖縄への返還であり、移設などではなかった。また危険性の除去がもっともらしい理由とされてもいなかった。これがパッケージであることを批判的に報道したメディアはなかった。従って、長い滑走路が2本あり、強襲揚陸艦が停泊でき、弾薬庫もあるような基地は「辺野古新基地」と呼ぶべきであり、「普天間移設」と呼ぶことはおかしい(その意味で、「本土」メディアでも東京新聞は正しく「辺野古新基地」と書いているように思う)。

など、など。丹念に沖縄の動向をウォッチしていれば当たり前の見方なのだが、それらの判断材料ができるにあたっても、このふたりの貢献はきっと大きかったに違いない。

●参照
島洋子『女性記者が見る基地・沖縄』(2016年)
島洋子さん・宮城栄作さん講演「沖縄県紙への権力の圧力と本土メディア」(2014年)
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』(2012年)
三上智恵『標的の村』映画版(2013年)
『標的の村 ~国に訴えられた東村・高江の住民たち~』(2012年)


生活向上委員会大管弦楽団『This Is Music Is This?』

2016-09-29 23:03:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

生活向上委員会大管弦楽団『This Is Music Is This?』(Teichiku Records、1979年)を聴く。

生活向上委員会大管弦楽団:
Kazutoki "KAPPO" Umezu 梅津和時 (as, ss, Japanese fl, bcl)
Hiroaki Katayama 片山広明 (ts, bs)
Masami Shinoda 篠田昌巳 (as, fl)
Junji Mori 森順治 (as)
Shinji Yasuda 安田伸二 (tp)
Tetsuji Yoshida 吉田哲治 (tp)
Hiroshi Itaya 板谷博 (tb)
Haruki Sato 佐藤春樹 (tb)
Yoriyuki "LEO" Harada 原田依幸 (p, conga, whistle, cond)
Tsutomu Numagami 沼上励 (b, eb)
Takeharu Hayakawa 早川岳晴 (b, eb, cello)
Kenichi Kameyama 亀山賢一 (ds)
Takashi Kikuchi 菊池隆 (ds, perc)

これまで、半ばおふざけのように見ていた盤なのだ。それというのも、ジャケットがふざけているからだ。以前に森順治さんに誰が誰ですかと訊いたところ、森さんは首をひねっていた。

実は聴き所満載。「安田節」における片山さんのぎゅわぎゅわと吠えるテナー。「A列車で行こう」での原田さんの鋼鉄のような強靭なピアノソロ。「アフリカ象」においては、佐藤・板谷トロンボーン競演があって、いまの私の耳には板谷さんのよじれる音が素晴らしく聴こえる。

いやしかし、やはりふざけている。この有象無象のエネルギーがあってこその剛球の冗談である。

●参照
『生活向上委員会ニューヨーク支部』(1975年)


『生活向上委員会ニューヨーク支部』

2016-09-29 07:56:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

『生活向上委員会ニューヨーク支部』(Off Note、1975年)を聴く。

Kazutoki 'Kappo' Umezu 梅津和時 (as)
Yoriyuki Harada 原田依幸 (p)
Ahmed Abdullah (tp)
William Parker (b)
Rashid Suzan (ds)

ぐしゃぐしゃのぶつかり合いの中から原田さんのピアノが動く結晶となって析出し、音楽を駆動せんとしてウィリアム・パーカーの弓が唸り煽る1曲目。そして2曲目では、原田さんのピアノ、梅津さんのアルトがソロで全員を高みへと持ち上げる(すごい強度だ!)。3曲目は肝胆相照らす仲となったかのような宴。圧倒的な圧力である。

梅津・原田両名が当時を回顧する解説によると、まずは梅津さんが74年にバックパッカーのように渡米し、翌年、原田さんも「NYにビールを飲みにこないか」との誘いに応えて渡米。これが録音されたスタジオ・ウィーや、サム・リヴァースのスタジオ・リヴビー、ラシッド・アリのアリズ・アレーなどのロフトで活動している。デイヴィッド・マレイも同じ頃に出てきてその後名を成してゆくし、他にもサニー・マレイ、オリヴァー・レイク、アーサー・ブライス、ビリー・バング、ジェミール・ムーンドック、デイヴィッド・S・ウェアなどの名前が出てくる。もの凄い時代と活動の断面なのだな。

笑ったのは、ふたりが渡米したあとに松風鉱一さんが「生活向上委員会」を受け継いだことになっているが、それは原田さんによれば「良い名前がないから貸してくれよと松風が言うんで、いいよ。と普通そんなことしないですけどね(笑)」だそうである。このユルさがまた好きである。なお、松風さんと原田さんは、2003年に『無明』という素晴らしいデュオを吹き込んでいる。

(ご恵贈いただきました。ありがとうございます。)

●梅津和時
くにおんジャズ(2008年)
『鬼太郎が見た玉砕』(2007年)
金石出『East Wind』、『Final Say』(1993、1997年)
梅津和時+トム・コラ『Abandon』(1987年)
梅津和時『竹の村』(1980年)

●原田依幸
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)
くにおんジャズ(2008年)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)


ラシッド・アリ+アーサー・レイムス『The Dynamic Duo / Remembering Trane and Bird』

2016-09-28 21:22:29 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラシッド・アリ+アーサー・レイムス『The Dynamic Duo / Remembering Trane and Bird』(Ayler Records、1981年)を聴く。

Rashid Ali (ds, vo)
Arthur Rhames (ts, p)

アーサー・レイムスといえば、32歳の若さで夭折した「幻のテナー奏者」であり、この2枚組CDを中古棚で見つけるまでは、ただ1枚の録音『Live from Soundscape』(DIW、1981年)しか残していないのかと思っていた。そのDIW盤は、同じシリーズのフランク・ロウの録音がそうであるように音がこもっていてよい録音ではない。

そんなわけで大した印象も残っていなかったのだが、この同じ年のラシッド・アリとのデュオは、まったく違う。音も臨場感のあるものだし、何しろ、「Giant Steps」(これはDIW盤でも)や、「至上の愛」の3曲などをためらうことなく吹きまくっていて、アリとの間で煽りあっているのだ。「I Want To Talk About You」やチャーリー・パーカー・メドレーでは深くじっくりと塩辛い音で吹いていて、これもまた良い。

アリも愉しかったのか、明らかにはしゃいでいる。なぜかこのグループ名「Dynamic Duo」を何度もハイになって叫び、「至上の愛」に突入しても深刻さのかけらもなく「A Love Supreme, a love supreme...」と唄っている。それにアリのトレードマークのような昇竜ドラムスを聴くと嬉しくなる。

思い出せばアリはデュオの名手でもあって、コルトレーンとの『Interstellar Space』、ロウとの『Duo Exchange』は両方とも素晴らしい(ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ)。それらが60年代と70年代の名盤だとすれば、これは80年代の名盤。

Arthur Rhames (ts)
Jeff Esposito (p)
Jeff Siegel (ds)

●ラシッド・アリ
ラシッド・アリ+ペーター・コヴァルト+アシフ・ツアハー『Deals, Ideas & Ideals』(2000年)
プリマ・マテリア『Peace on Earth』、ルイ・ベロジナス『Tiresias』(1994、2008年)
By Any Means『Live at Crescendo』、チャールズ・ゲイル『Kingdom Come』(1994、2007年)
ジェフ・パルマー『Island Universe』(1994年)
ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』(1991年)
アリス・コルトレーン『Universal Consciousness』、『Lord of Lords』(1971、1972年)
アリス・コルトレーン『Huntington Ashram Monastery』、『World Galaxy』(1969、1972年)
ラシッド・アリとテナーサックスとのデュオ(1967、1972年)
ロヴァ・サクソフォン・カルテットとジョン・コルトレーンの『Ascension』(1965年、1995年)


島洋子『女性記者が見る基地・沖縄』

2016-09-28 07:38:52 | 沖縄

島洋子『女性記者が見る基地・沖縄』(高文研、2016年)を読む。

女性記者だからどうだというような理屈は付けたくない。しかし、ひとりひとりの生活や、米兵による女性への性暴力について書かれた文章を読むと、その丁寧さが実感される気がする。

著者の島洋子さんが東京勤務だったときに、お話を聴きに行ったことがある。表現上の差し障りに対する遠慮だとか空気の調整への配慮だとかいったものがなく、はっきりと発言されているのが印象的だった。

本書に収録された菅官房長官へのインタビューでは、それにより、すれ違いがはっきり見えるという意味で必読。

●参照
島洋子さん・宮城栄作さん講演「沖縄県紙への権力の圧力と本土メディア」(2014年)


津波古勝子『大嶺岬』

2016-09-27 07:09:20 | 沖縄

津波古勝子『大嶺岬』(短歌研究社、2014年)を読む。

津波古さんはフィリピン生まれ、沖縄育ち。琉球放送のアナウンサーもつとめた方である。以前に『けーし風』の読者会に参加され、そのときにこの歌集をもとめた。

わたしは普段短歌などを読む習慣がないので、痒いところやくすぐるところが判断できない。それでもときどき、あっという歌がある。

原発を護りし力いかなりや他力本願の大和男子(やまとおのこ)の

ヴァイオリンの弦いく筋の切れぎれにいたく縮れていのちはかなし

何を見ることになろうか訝しみ合点なきまま時は過ぎゆく

冬枯れのひまわり雪に溺るるを見て過ぐわれも何にか溺る

若者の抱くギターに貼りつけし「基地反対」のシールそれぞれ

憤りやがて悲しみ寡黙なる上原成信に泡盛を注ぐ
上原成信・編著『那覇軍港に沈んだふるさと』

指笛の空耳なるや波の穂の戯れながら押し寄せてくる

戦死せし父たちも加害者と識るまでの幾たびの夏おのもおのもに

ひめゆりの傷みを裡に生きて来し美しき千代姉の背丸みおぶ
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会(2011年)

思惑を見抜き得ぬままふるさとのことばによりて家うばわれぬ


宇沢弘文『「成田」とは何か』

2016-09-26 19:45:55 | 関東

宇沢弘文『「成田」とは何か―戦後日本の悲劇―』(岩波新書、1992年)を読む。

1991年4月、政府は成田空港問題に関する公開シンポジウムの開催を決定した。その翌月には、村岡運輸大臣が、「いかなる状況においても強制的手段を用いない」という声明を出した。このときに、著者(故人)は、有識者として参加を請われている。

しかし、ここにはさまざまな問題があった。反対同盟のうち参加するのは熱田派だけだった(80年代に反対同盟は既に熱田派、北原派、小川派に分裂していた)。また、さらなる開発を前提としてシンポジウムが開かれるような報道がなされた。著者はこれを、開発をストップしたくない運輸省(当時)の意図的なリークであったと示唆している。そして村岡大臣に引き続き運輸大臣に就任した奥田大臣が、強制収用の可能性を否定しなかった。

ここに成田問題の本質が露呈した。著者はこのように書いている。「これは、統治機構としての国家が、一般大衆よりすぐれた知識と大局的観点をもって、一般大衆にとって望ましい政策を選択して、実行に移してゆくという考え方」だが、それは「日本の政治権力の腐敗」であり、「国家権力は本来ならば、国民の一人一人が、市民の基本的権利を享受し、人間的尊厳を保つことができるような条件をつくり、それを維持することが、その機能であるはずである」と。

現在の沖縄についての批判とまったく異ならないことは、いまや驚くべきことでも何でもない。成田問題に当初中途半端に介入してしまったという自己反省を踏まえて問題を歴史的経緯から確実に認識したからこそ、宇沢氏は、日本の全土から米軍基地はすべて撤退すべきだと明言していたのだろう(シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)、2010年)。


故・宇沢弘文氏(2010年、法政大学にて)

●参照
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)
小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線・三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)


コリン・ウィルソン『覚醒への戦い』

2016-09-25 07:32:55 | 思想・文学

コリン・ウィルソン『覚醒への戦い』(紀伊国屋書店、原著1980年)を読む。

19-20世紀の神秘思想家G.I.グルジェフの評伝である。

コリン・ウィルソンはなるべく客観的に書こうとしてはいる。たとえば、砂嵐を避けるために、ものすごく背の高い竹馬で砂漠を越えたなどという記述が『注目すべき人々との出会い』にあるものの、それは嘘だろうとばっさり結論付けるなど(というか、当たり前だ)。グルジェフをいま読めばときどきネタかと思ってしまうような奇天烈なことが書かれているのだが、それは同時代人にとってもそうであったようだ。新作の朗読会では、それを書いたグルジェフ以外は、皆が壮大な冗談だと思ってしまったとのエピソードがある。

しかしその一方で、ウィルソンはグルジェフに傾倒していたことがあるようで、どうしてもかれへの心酔が筆から流れ出している。かれによれば、グルジェフには、自分の持つエネルギーを目の前の相手に注ぎ込む超能力があった(と信じ込んでいる)。そうか、『宇宙ヴァンパイアー』のアイデアはグルジェフから取ったものだったのか。誰もトビー・フーパー『スペースバンパイア』の映画評においてグルジェフなんて言っていないと思うがどうか。

グルジェフの思想は、機械のように惰性で動かしている肉体を緊張感を持ってとらえ、制御を意識の中に持ち込むところにあった。あるいは、心身を活性化させるエネルギーを放出させることを意識して行うところにあった(疲れていても嬉しいニュースがあれば元気になる、なんてこと)。その「覚醒」のために、人を敢えて挑発して怒らせたり、消耗してしまうほどの作業を強制したりといったことが頻繁にあったようだ。つまり、大きなお世話の迷惑おじさんであり、現代では存在しえない人である。

●参照
G.I.グルジェフ『注目すべき人々との出会い』
ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』、クリストのドキュ、キース・ジャレットのグルジェフ集
小森健太朗『グルジェフの残影』を読んで、デレク・ジャーマン『ヴィトゲンシュタイン』を思い出した
コリン・ウィルソン『宇宙ヴァンパイアー』
トビー・フーパー『スペースバンパイア』


カミラ・メザ+シャイ・マエストロ@新宿ピットイン

2016-09-25 06:56:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインに足を運び、カミラ・メザとシャイ・マエストロとのデュオ(2016/9/24)。

Camila Meza (vo, g)
Shai Maestro (p)

カミラ・メザは想像したよりも可愛らしく愛嬌のある人で、ステージ上でも笑顔で観客に語りかけた。はじめての日本を堪能していて、毎日寿司を食べているとのこと。また、イスラエルのテルアビブ近くで生まれたシャイ・マエストロとチリのサンチャゴで生まれた自身とが、もうNYで知り合って7年以上にもなり、そのふたりが日本に来ているなんて!とか。感傷的だなあ。

メザの透明感のある歌声にも、太い音のギターにも魅せられた。『Traces』に収録された南米の歌を中心にして、アントニオ・カルロス・ジョビンのラヴソング「Olha Maria」、そしてアンコールではジャズ・スタンダード「I Fall in Love Too Easily」も歌った。

しかしそれ以上に技術的に飛びぬけた水準のプレイを披露したのがマエストロ。品があって、低音も効果的に使った演奏は素晴らしいものだった。メザに合わせ、メザを立てているような余裕があった。

休憩を除いても、2時間半くらいは演奏してくれたのではないか。

●参照
カミラ・メザ『Traces』(2015年)
ライアン・ケベール&カタルシス『Into the Zone』(2014年)(カミラ・メザ参加)
マーク・ジュリアナ@Cotton Club(2016年)(シャイ・マエストロ参加)
シャイ・マエストロ@Body & Soul(2015年)
マーク・ジュリアナ『Family First』(2015年)(シャイ・マエストロ参加)


『HMT』

2016-09-24 09:35:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

『HMT』(doubt music、2016年)を聴く。

Junji Hirose 広瀬淳二 (sax)
Yoshinori Mochizuki 望月芳哲 (b)
IRONFIST Tatsushima IRONFIST辰嶋 (ds)

いやこれは苛烈なんてものではない。脚も折れんばかりというよりも、脛の骨がばきばきに折れて周囲に裂傷を負わせながらも勢いを失うことなく爆音で爆走する。

1曲目はトリオ、2曲目は広瀬・望月デュオで少々雌伏のときを経てまた爆走をはじめ、3曲目は広瀬・辰嶋デュオでそのままゴールへと向かう。ベースとドラムスの絶えざる繰り返しによるうねりが大変なことになっている。擾乱というよりも上に立つ者にとっては剣山である。しかしその上で、広瀬さんのサックスは気と念とを放出しまくっている。

レーベルのサイトに、足立正生監督が寄せた文章には、「センチメンタルな奔流」とある。誰がなんと言おうと爆走する音楽は確かにセンチメンタルかもしれない。

●広瀬淳二
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
広瀬淳二『SSI-5』(2014年)
広瀬淳二+大沼志朗@七針(2012年)
広瀬淳二『the elements』(2009-10年)


イロウピング・ウィズ・ザ・サン『Counteract This Turmoil Like Trees And Birds』

2016-09-24 07:25:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

イロウピング・ウィズ・ザ・サン『Counteract This Turmoil Like Trees And Birds』(RogueArt、2015年)を聴く。

William Parker (b, 尺八, sintir, n’goni kemlah n’goni, thumb p)
Joe Morris (g, banjouke, banjo, b, fiddle, pocket tp, whistles)
Hamid Drake (ds, frame drum, cymbals, gongs)

グループ「Eloping with the Sun」(太陽とともに逃げる?)は、ウィリアム・パーカー、ジョー・モリス、ハミッド・ドレイクによるトリオである。

断っておくがこれは「ジャズ」ではない。かろうじてドレイクのドラミングがそのように聴こえるのではあるが、パーカーもモリスも思い思いに様々な楽器に手を出す。パーカーの親指ピアノや尺八、モリスのフィドルやポケット・トランペット。民族音楽的でもある。

かれらの戯れは見事、さすがの音楽マスターだ。パーカーの重くて軽やかなベース、モリスのシングルトーンによるうねうねしたギターが聴けるわけではないのだが(実は最初落胆した)、繰り返し再生していると宙ぶらりんのテンションが得られてくる。聞き流す音楽としてのBGMではなく、自然でいてかつ巧みな音楽家たちによる心地良いBGMである。

2015年にウィリアム・パーカーが来日したとき(エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール)、ベースではなく他の楽器に手を出すパーカーに不満を感じたファンは多かったに違いないのだが(わたしもそのひとり)、しかし、この音楽世界も広大で豊穣なのだった。

調べてみると、実は2001年に、グループ名を冠した最初のアルバムを出していた。それもいつか聴いてみるとしよう。

●ウィリアム・パーカー
スティーヴ・スウェル『Soul Travelers』(2016年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、2013年)
Farmers by Nature『Love and Ghosts』(2011年)
ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』(2010年)
DJスプーキー+マシュー・シップの映像(2009年)
アンダース・ガーノルド『Live at Glenn Miller Cafe』(2008年)
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』(2008年)
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集(2007年)
ロブ・ブラウン『Crown Trunk Root Funk』(2007年)
ダニエル・カーター『The Dream』、ウィリアム・パーカー『Fractured Dimensions』(2006、2003年)
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』(2005年)
ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』(2005年)
By Any Means『Live at Crescendo』、チャールズ・ゲイル『Kingdom Come』(1994、2007年)
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色(1994、2004年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』(2001年)
アレン/ドレイク/ジョーダン/パーカー/シルヴァ『The All-Star Game』(2000年)
ウィリアム・パーカー『... and William Danced』(2000年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
ウェイン・ホーヴィッツ+ブッチ・モリス+ウィリアム・パーカー『Some Order, Long Understood』(1982年)

●ジョー・モリス
ジョー・モリス@スーパーデラックス(2015年)
ジョー・モリス+ヤスミン・アザイエズ@Arts for Art(2015年)
『Plymouth』(2014年)(モリス参加)
ジョー・モリス『solos bimhuis』(2013-14年)
ジョー・モリス+アグスティ・フェルナンデス+ネイト・ウーリー『From the Discrete to the Particular』(2011年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)
ジョー・モリス w/ DKVトリオ『deep telling』(1998年)

●ハミッド・ドレイク
ジョージ・フリーマン+チコ・フリーマン『All in the Family』(2014-15年)
マット・ウォレリアン+マシュー・シップ+ハミッド・ドレイク(Jungle)『Live at Okuden』(2012年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
サインホ・ナムチラックの映像(2008年)
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』(2008、10年)
デイヴィッド・マレイ『Live at the Edinburgh Jazz Festival』(2008年)
デイヴィッド・マレイ『Live in Berlin』(2007年)
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集(2007年)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(2006年)
フレッド・アンダーソンの映像『TIMELESS』(2005年)
ヘンリー・グライムス『Live at the Kerava Jazz Festival』(2004年)
ウィリアム・パーカー『... and William Danced』(2002年)
アレン/ドレイク/ジョーダン/パーカー/シルヴァ『The All-Star Game』(2000年)
ペーター・ブロッツマン『Hyperion』(1995年)


小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』

2016-09-23 07:14:59 | 関東

小川紳介『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)を観る。

小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)の続編。前作では、1971年2-3月の土地収用に係る第一次強制代執行に伴う激しい攻防が描かれた。

本作では、1971年9月16日に行われた第二次強制代執行からはじまる。砦や穴(地下壕)がこわされ、反対同盟(三里塚芝山連合空港反対同盟)の面々は、とりあえずは機動隊に囲まれて団結小屋や穴を明け渡す。その前にということで、暗い穴の中で、懐中電灯でお互いの顔を照らしながらの酒盛りが行われる。農民の老人は意気軒高だ。曰く、6年間の戦いがあって、砦がユンボでこわされたが、胸の砦はこわせない。そこまでしなければ空港建設を進められない公団の限界である、と。

ここで時間が1972年3月8日までジャンプする。なぜか、9月16日に機動隊員が亡くなったこと(東峰十字路事件)にはまったく触れられない。

次の反対同盟の行動は、滑走路予定地に離着陸を阻止する鉄塔を建設することだった。集会場で反対同盟が議論している。中には法に抵触するために鉄塔建設をやめようとする声があったようで、それを察知した男が、これまで頑張ってきたのになぜやめるのかとほとんど泣き叫んで抗議している。その姿を延々ととらえるカメラは意地悪だと言えなくもない。

弁護士が発言する。違法なのは明らかであって、おそらく、工事中止の仮処分が出されることだろう(撤去の仮処分にはもう少し時間を要する)。そうなれば機動隊が出動できる事態となる。つまり仮処分までにどれだけ建設できるかだ、と。

とび職の支援者たちによる工事がはじまる。手持ちのクレーンではある程度の高さまでしか鉄骨を上げることができない。ここで丸太を使って力学的なバランスを取るなど工夫を重ね、ついに飛行機が飛ぶ高さにまで鉄塔を組み上げることに成功した。ここでもカメラは議論と工事の様子をとらえることに、異常なまでに固執する。編集したプロットや重大な出来事や結論ではなく、ひとつひとつの過程の手触り感こそが重要なのだと言わんばかりである。

全体感としての解釈に対する疑問は、映画作りにおいてだけ見られるものではない。鉄塔を作ったメンバーのひとりが、娘がまわりで遊ぶ中で、自分の想いを呟き続ける。かれは6年間の戦いの全貌や、反対同盟の中での議論について、ほとんど認識してはいなかった。これは抵抗の正当性に疑いの目を向けるものというよりも、戦いが続き組織化してゆく場合に起きてしまう現象として、提示されたものではないか。

●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線・三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)


ケヴィン・ノートン『Intuitive Structures』

2016-09-22 19:59:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

ケヴィン・ノートン『Intuitive Structures』(Cadence Jazz Records、2002年)を聴く。

Kevin Norton (ds, perc, vib)
Louie Belogenis (ts, ss)
Tomas Ulrich (cello)
John Lindberg (b)

ケヴィン・ノートンというドラマーは知らないのだけど、調べてみると、Leo、Clean Feed、CIMPとCadenceなどからリーダー作を出している人だった。オーソドックスでありながらヴァイブも使ってカラフルな印象である。

それはそれとして、目当てはルイ・ベロジナス。念とか情とかいった精神的なものも、唾や舌や喉など肉体的なものも、すべてテナーに吹き込むような印象がある。ここでも、ノートンの煌くドラムスと、チェロ・ベースによる下からの擾乱のサウンドの中で、ノッてくると、いよいよ身体を表裏ひっくり返してマウスピースから異音とともに入っていくような・・・(化け物か)。いちどはナマで観てみたいサックス奏者である。

●ルイ・ベロジナス
『Blue Buddha』(2015年)
プリマ・マテリア『Peace on Earth』、ルイ・ベロジナス『Tiresias』(1994年、2008年)
サニー・マレイ『Perles Noires Vol. I & II』(2002、04年)


小川紳介『三里塚 第二砦の人々』

2016-09-22 16:30:20 | 関東

小川紳介『三里塚 第二砦の人々』(1971年)を観る。

前年の『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)に続く作品。住民の反対により用地取得が進まず、土地収用法に基づく行政代執行が政府により実行され、公団(新東京国際空港公団)と機動隊とによる強制的な乗り込みをとらえている。

この作品から完全な同録をはじめており、そのためかカメラが回る音が聞こえる。また、映像と音とがスムーズにつながり、粗削りさが少し姿を消して普通のドキュメンタリー映画に近づいた感がある。前作までは同録可能なナグラを買うオカネがなく、ボリューに工夫して録音機をくっつけていたような使い方だったようだ。

1971年2月24日。農民(住民)たちが戦略を練っている。いくつもの砦が日々補強されてゆき(そのうち第二砦の人々に焦点を当てた作品ということである)、自分たちを鎖でそこにくくりつけるという方針を決めている。なぜか妙に愉しそうだ。ヘルメットについて「命が惜しけりゃこれかぶっだ」、子供と一緒に鎖でくくるときには「子犬ができた」と、軽口まで叩いている。

2月25日。支援部隊の学生らしき者が、なるべく穴に入って長期戦を戦うようにと、また、異を唱えられても「決定だから」「こういう戦いもあるんですよ」などと、上から滔々と述べている。それに対して婦人行動体(農民)の女性は「学生は、よお」と不満そうでもあり、また、「社会党がうろちょろしてんのは、おれらのためじゃないんだよ、幹部説得だよ」と言い放ったりもして、外部からの支援部隊との多少の軋轢も感じさせる。ただ、このときはそれ以上のものではないことが、映画全体を通じて感じられる。

3月3日。第一砦が狙われた。公団はなんと、全国から日当2万円で臨時職員を雇っている(いまでは抵抗側が根拠なく揶揄されるような手法である)。被害が大きく、総括として、無抵抗に近い守りではもう戦えないのだという理解となった。

3月5日。いつも目立つ農民女性が、無抵抗ではなくどのように抵抗しようかと話す後ろに、石牟礼道子さんの姿が見える(研究者のTさんに教えていただいた)。今回は、逮捕者を出さないよう、支援者の抵抗に対して公団と機動隊が退いたときに、婦人行動隊が前面に出てくるという作戦になった。逮捕者は非常に少なかった。

3月6日。第四砦で支援部隊が狙いうちにあった。反対同盟の住民たちは近づけず、第二砦の山の上から「やめろ!」と口々に叫ぶことしかできない。ある農民の男性は、「かわいそうでかわいそうで見てらんねえな」と呟く。そしていくつかの砦がこわされた。

戦いのない時間に、農民たちが集まって、考えを述べ合っている。実質的な審議なく国策として土地が取り上げようとされてきたこと、権力は怖ろしいものだということ、世論に直接ぶつけられないはがゆさ、相手が同じ人間だと思えないこと、それらが自民党の政策によるものであること、社会党はあてにならず頼る政党がないこと。内省し、考え、興奮し、話す老人の顔を凝視するカメラは実に粘っこい。

粘っこいといえば、このあとの展開こそ粘っこい。「穴に入ってみよう」とのキャプションのあと、抵抗のため掘られた穴に入り、じっくりと観察するかのような時間が続くのである。トイレの臭さ、通風孔の風、暑さと湿気、出てくる虫やネズミのこと、敵の侵入を阻むための格子。後年の『ニッポン国古屋敷村』『1000年刻みの日時計-牧野村物語』における、自然と社会のなかに我が身を置いて観察する過激なスタイルの萌芽が、すでにここに見られるわけである。

穴を掘った農民は得意気に語る。そもそも入ることができるのは選抜した同盟員のみ、学生は入れない、と。ここには、「自分で掘った穴にしか怖くて入れない」という心理の他にも、大地の下とまで一体化できるのは住民だけだという意識もあったのだろうか。

3月25日。いくつかの穴がこわされた。

4月下旬。穴はまた同盟員により横に掘り進められている。やはり、笑いながら。そして公団は、近いうちに残った穴と放送塔を強制撤去すると公表した。

●参照
小川紳介『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986年)
小川紳介『牧野物語・峠』、『ニッポン国古屋敷村』(1977、82年)
小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止闘争』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線・三里塚』(1970年)
小川紳介『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)
『neoneo』の原発と小川紳介特集
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』(2008年)
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま(2007年)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』(1995年)
前田俊彦編著『ええじゃないかドブロク』(1986年)
三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(1974年)