「信号機BOX」に投書した、歩車分離式信号設置の要請について、千葉県警より返事を頂いた。
①浦安市当代島1丁目 : 現地調査のうえ検討
②市川市相之川3丁目 : さらなる渋滞を引き起こすため却下
③市川市島尻1丁目 : 現地調査のうえ検討 (これは通常の信号)
とのことだ。
①③は期待したいし、その後の検討内容についても確認するつもりだ。
一方、②の理由がよくわからない。道路の渋滞と、交差点の歩行者の安全性は、そもそも比較するものではないのに。
ところで、市川市は交通安全についての「ハザードマップ」を作成し、公表している。
http://www.trafficplus.co.jp/ichikawa/infomenu.asp
これを見ると、②の交差点は「事故発生件数が上位30位以内」には入っていない。
また、事故ではなく「ヒヤリとした」集計結果にも入っていない。
感覚と合わないが、これは私個人が利用するところだけを問題視しているためだと考えることにしよう。
しかし、「ヒヤリ」の調査件数や、調査対象はどのようなものだったのだろうか。
もし調査の母集団が少なかったり、対象が偏っていたりしたら、逆に「ここは誰もヒヤリとしていないから安全」とする、間違ったメッセージを送る可能性はないのだろうか?
また、私が数年前に島尻地域で町内会協力のもと実施したアンケートに基づいて作成したハザードマップは、おそらくは、よくて参考にされる程度だったと思う(調査の一貫性を保つためには、それが普通)。幸いにも、それで危ないとわかったところは、市川市のハザードマップ調査でも誰かが「ヒヤリ」としていた。
地域のアンケートは、町内会を通じて「全戸回収」を目指したものであるから、市全体の調査に比べれば、実態をより反映したものであったはずだ。それに対して、市川市のハザードマップ作成調査は、インターネット上で市民自ら上申するアンケートであり、おそらく回答数には限りがある。それは予算と時間の制約があるから仕方ないが、市から町内会に協力を要請し、町内会が自分達の地域のためにアンケートを実施すれば、内容も充実し、予算節減にもなったのではないだろうか。
ちょっとハザードマップのことは気になるので、市川市に確認してみようと考えている。
1曲目の「Untitled Tango」では、コールマン・ホーキンスばりに塩辛いテナーの音。それからタイトル曲「Air Song」では、悠然と(幽然と)、止めては進むフルートの曲で、時間の流れを管理してみせている。どこかで聴いたような感じだと記憶を辿ったら、それはマヤ・デレンによる実験的な映画、『午後の網目』(1943~59年)におけるテイジ・イトーの音楽だった。悪夢のリフレインも、雰囲気が似ている。

『AIR SONG』をプロデュースしたレーベル、Whynot は悠雅彦氏によってシカゴAACMのメンバーを中心に録音したシリーズである。翌76年にはチコ・フリーマンの処女リーダー作『Morning Prayer』をも製作しており、先見の明があったと言えるだろう。
きっかけは、1975年5月、悠氏がシカゴのサウスサイドで開催された「AACMジャズ・フェスティヴァル」にムハール・リチャード・エイブラムスの招きで参加した折、スレッギルとフリーマンとに注目したことであったという(油井正一によるチコ・フリーマン『Morning Prayer』解説)。そのフェスティヴァルのメンバーは、メールスやニッティング・ファクトリーなみの豪華さだ。
■第10回AACMジャズ・フェスティヴァル出演メンバー
▼チコ・フリーマン・ユニティ・マインド・アンサンブル
チコ・フリーマン、ヘンリー・スレッギル(reeds)、フランク・ゴードン(tp)、Adegoke(p)、レナード・ジョーンズ(b)、ベン・モンゴメリー(ds)、ドン・モイエ(perc)、エド・グリーン(vl)、G'Ra(vo)
▼ムハール・リチャード・エイブラムス・ビッグバンド
エイブラムス(comp, cond)、モーリス・マッキンタイアー、チコ・フリーマン、他3人(reeds)、不明5人(tp)、レスター・ラシュレー他3人(tb)、アミナ・クローディン・マイアーズ(p)、ドン・モイエ(perc)、他
▼ジョゼフ・ジャーマン・リターン・フロム・イクザイル
ジョゼフ・ジャーマン、チコ・フリーマン、ジェームス・ジョンソン、ヴァンディ・ハリス(reeds)、ヴェラ・セングスタック(harp)、マラカイ・フェイヴァース(b)、アイ・エートン(ds)、Iqua(vo)
▼アミナ&カンパニー
アミナ・クローディン・マイアーズ(p)、ヘンリー・スレッギル(reeds)、ラムリー・マイケル・デイヴィス(tp, p,vo)、マリリン・ロジャース(el-b)、Ajaramu(ds)、カヒル・エルザバー(perc)、不明3人(chorus)
▼フレッド・アンダーソン・セクステット
フレッド・アンダーソン、ダグラス・エワート(reeds)、ジョージ・ルイス(tb)、Salim(p)、フェリックス・ブラックマン(b, el-b)、ハンク・ドレイク(perc)、Iqua(vo)
▼ムハール・リチャード・エイブラムス・セクステット<エスカレーションズ>+3
エイブラムス(p)、モーリス・マッキンタイアー、ヘンリー・スレッギル、ウォランス・マクミラン、ヴァンディ・ハリス(reeds)、マラカイ・フェイヴァース(b)、Ajaramu(ds)+ビル・ブリムフィールド(tp)、ジョージ・ルイス(tb)、ドン・モイエ(perc)
▼ザ・ブラック・アーティスト・グループ・イン・シカゴ
▼AACMビッグバンド
1975年5月8~11日 トランジション・イースト(シカゴ)
(「ジャズ批評」27、1977 による)
チコ・フリーマンによる『Morning Prayer』(Whynot)にもスレッギルは参加している。それまでの間、エアーとしては、『Wildflowers』(Douglas)で1曲のみ参加、『Live Air』(Black Saint)、『Air Raid』(Whynot)を吹き込んでいる。
『Morning Prayer』のメンバーは、チコ・フリーマン(ts, ss, fl, pan-pipe, perc)、ヘンリー・スレッギル(as, bs, fl, perc)、ムハール・リチャード・エイブラムス(p)、セシル・マクビー(b, cello)、スティーヴ・マッコール(perc)、ベン・モンゴメリー(ds, perc)、ダグラス・エワート(b-fl, bamboo-fl, perc)。ここでもエイブラムスが独特の匂い漂うピアノで存在感を発揮している。チコは1949年7月17日生まれ、スレッギルより5歳半年下である。シカゴ出身ではないマクビーは「特別参加」であったが、これをきっかけに、チコと頻繁に共演することになる。
マルチリード奏者が2人参加したことにより、チコ・フリーマンとヘンリー・スレッギルの資質の違いがはっきり見えてくるようだ。チコはあくまでコード内で端正な(しかし、激しい)ソロをとる。スレッギルはコードからのアウト・インを繰り返すアナーキーさが持ち味である(特に「Like The Kind of Peace It Is」)。
また、ほかの聴きどころは「Pepe's Samba」。チコ自身もエルヴィン・ジョーンズをゲストに再演しているが(『Beyond The Rain』)、マクビーの『Compassion』でも演奏している。
これ以降、2人のインタラクションは、少なくとも録音上はない。資質の違いによるものだろうか。ただ、1986年のチコの『Live At The Ronnie Scott's』では、スレッギルの曲を1つ演奏している。
ともかく、チコ、スレッギル、それからエイブラムスという強烈な個性が揃った『Morning Prayer』は、その熱気と違和感とで特筆すべきものだと思う。

100円のワゴン本、『シバ 謀略の神殿』(ジャック・ヒギンズ著、早川書房)を、気晴らしに読んだ。私はこのジャック・ヒギンズも知らないし、まったく期待もしていなかったのだが、ひどい話だった。
戦前のナチと古代ミステリー(シバの王国、定説ではイエメン)とを組み合わせた冒険譚であり、主人公はタフでクールなアメリカ人。まあそれは楽しければいいのだが、気になったのは、全体に通底するアラブ人への差別意識、柔らかにいうならオリエンタリズムである。
それからひっかかったこと。イエメン人の殺し屋に対し、 「この男、カートの常習者ね。雇われの殺し屋よ」(略)「それにその、カートって何だ?」ケインは煙草に火をつけた。「薬物の名前だ。この辺の土地に生えてる低木の葉に含まれてる。葉を噛むと、機敏になって、度胸がつく。常用すると、顔つきに特徴が現れるんだ」 とのくだり。
実際のところ、カートは葉そのものだし、「機敏になって度胸がつく」というより、少し気分を高揚させ、眠気覚ましになり、大人同士の付き合いを円滑にするものである。噛んだ葉は、頬をふくらませてその裏側にためこんでおき、エキスのみを水で流し込む。確かに、頬を丸く膨らませる芸当はなかなかできないし、顔つきの特徴と言えなくもない。しかし、ここでの表現は明らかに異なる。
もともとイスラム神秘主義・スーフィーの行者が13世紀ころに眠気覚ましのために使い始め(これはコーヒーの歴史と同じ)、1962年までのイエメン鎖国時代には上流階級の占有物であったらしい(『イエメンものづくし』佐藤寛著、アジア経済研究所)。また、庶民に手の届くようになった現在でも、やっぱり高所得者の方がカートを噛んでいるようだ(ちょっと調べて作成してみた)。
イエメンにおけるカート消費 "Qat Expenditures in Yemen and Djibouti: An Empirical Analysis" (Branko Milanovic, 世界銀行) より作成
カートは、イエメンの庶民から高所得者まで日常的に噛み、社交の潤滑油とするものなのだ。われわれだって気分を高揚させるビールを飲むではないか。(なお、イエメンには酒を全く売っていない。海岸近くは40度くらいになるのに。)それに、主人公のケインは、カートなど問題にならない毒物である煙草を吸いながら解説しているではないか。 この本は歴史考証にも怪しいところがあった(というか考証していないのだろう)。他国の歴史も文化も、粗雑に扱ってはいけない。なんだか欧米のイスラームへの態度が透けて見えるようだ。
ところで、私も、イエメンでカートを試したことがある。生鮮食品であるから、朝早くカートだけの市場(スーク)に赴いて購入し、昼過ぎから人の家ではじめるのだ。
さて、まず、頬の裏側に噛み滓を溜めることができない。つまり噛んだ物が水とともに腹に吸い込まれる。 その結果、ひどい下痢をした。怪我の功名で、トイレを意味するアラビア語「ハンマーム」を覚えた。英語の「バスルーム」がトイレも意味するのと同様、街の中にサウナ風呂「ハンマーム」がある。 サボテンの間で何度も用を足した体験は、たぶん時々思い出して、情けない思いをし、話のネタにするのだろう。
1962~63年、リチャード・エイブラムスの「エクスペリメンタル・バンド」(1961~)に加入、ジャズに全面的に身を投じることになる。エイブラムスは、このバンドを手段として、「精神拡大」による現実の破壊、美の発展、自分自身の支配者たること、スピリチュアルな平面への到達を目指していた(清水俊彦『ジャズ・アヴァンギャルド』)。
●エクスペリメンタル・バンド初期のメンバー(1963年頃)
フレッド・ベリー(tp)、レスター・ラシュレー(tb)、モーリス・マッキンタイアー、ギーン・ディンウィディ、ヘンリー・スレッギル(ts)、ロスコー・ミッチェル、ジョゼフ・ジャーマン(as)、ドナルド・ギャレット、チャールズ・クラーク(b)、ジャック・デジョネット、スティーヴ・マッコール(ds)
※こののちにマッコール、デジョネットはNYCに進出し、後者は65年7月、チャールズ・ロイドのグループに加入する。(「ジャズ批評」27、1977)
1965年、エイブラムス達によって、このバンドを母胎としたAACM(創造的音楽家の前進のための協会)が設立される。エイブラムスとの繋がりはあったが、スレッギルとAACMとの初めての直接的な接点は、アンソニー・ブラクストンがスレッギル作曲のサックス・ソロ曲をコンサートで演奏したことであった(ジョン・リトワイラーによるエイブラムス『Young At Heart/Wise In Time』解説)。
そしてスレッギルのデビュー吹き込みは、1969年、リチャード・エイブラムス(Muhal Richard Abrams)の2作目『Young At Heart/Wise In Time』(Delmark)である。タイトルの「Young At Heart」がエイブラムスのソロピアノ、「Wise In Time」がレオ・スミス(tp, flh, etc.)、ヘンリー・スレッギル(as)、レスター・ラシュレー(b)、サーマン・バーカー(perc)を加えた演奏である。エイブラムスは、このときから、首長という意味の「ムハール」を名のるようになった。スレッギルの演奏自体は、緊張していたのか、まだ独自の個性を出すに至っていない。
この後に「エアー」の結成がなされるわけである。
何作も発表した後の1977年、スレッギルは、エイブラムスのリーダー作に再び参加する。このときには、一発でそれとわかるソロが聴かれる。『1-OQA+19』(BlackSaint)である。
メンバーはムハール・リチャード・エイブラムス(p, voice, syn)、アンソニー・ブラクストン(as, ss, fl, cl, voice)【左チャンネル】、レナード・ジョーンズ(b, voice)、スティーヴ・マッコール(ds, perc, voice)、ヘンリー・スレッギル(as, ts, fl, voice)【右チャンネル】という、相当ユニークなものである。特に、スレッギルとAACMとの接点となった巨魁ブラクストンと左右でフロントを張っているところが凄い。とはいえ、両者のインタラクションは少ない。
1曲目「Charlie in the Parker」(変なタイトル!)と、最終曲「Ritob」での、スレッギルのソロは、エイブラムスと有機的に絡み合い、アナーキーで、かつ、構成主義的である。比較すると、ブラクストンは微分的・構成主義的に過ぎて(彼の持ち味だと思うが)、同類エイブラムスとの組み合わせで一段上に昇華してはいないと感じる。エネルギッシュで知的なこの作品は、何度聴いても飽きないものだと思う。

明治の廃仏毀釈を経ても、津々浦々の地域では神社と寺がくっついていることが多い。
この、神仏習合がなぜ起きたのかについて、歴史という大きなベクトルから説明を試みた本である。
奈良時代末から、まるで神々が仏教に帰依したがるようになり、さらにのち、それぞれの神が何かの仏の化身であるとする本地垂迹思想に至る。最終的には、アマテラスさえも仏教のストーリーに飲み込まれる様は、とてもエキサイティングである。これは、義江氏によれば、次の動きを嚆矢とする。
●王権や地方豪族が「所有・支配の罪」を自覚しはじめ、それを許してくれる仏教にすり寄った。
●支配層が変われば社会構造も変わる。
●それまで租庸調は民衆には理解できないシステムであり、実際の租税徴収のスキームは、神の恩恵を与える代わりに神社を通して得る初穂料であった。
●これが機能しなくなり、代わりの支配システムが仏教であった。
そのような説明のベクトルは論理的過ぎて、本当にその説明で全てなのか、という疑問がときどきよぎる感はある。
『読み替えられた日本神話』(講談社)の斎藤英喜氏は、「マルクス主義歴史学の立場から中世日本紀を説明するとこうなる」と評しているが、確かにわかりやすすぎるのである。歴史はステップ・バイ・ステップだろうか。また、岸田秀氏がどこかで言っていたと思うが、本当に「群集の動きはひとりの人格として見てもよい」のだろうか。しかし、とても面白い。
本書はこれだけにとどまらず、支配層の意識の次には一般民衆の意識についても説明を行う(そちらは少し納得に至らない)。
また、平将門へのシンパシーに象徴される民衆の意識の背後に、菅原道真(観自在天神、つまり帝釈天=インドラと梵天=ブラフマーの弟子)と八幡大菩薩がいる、その理由を説いてもいる。八幡は神仏習合の典型であるというが、柴又帝釈天が日蓮宗の寺であることなども思い出される。

南無妙法蓮華経、帝釈天 KONICA FT-1 MOTOR, Hexanon 50mm/f1.8, シンビ200
帰途、アスクエアで「オーライタロー展」も覗いてみた。建物単独で、ミニチュアのように描く小品ばかりで楽しい。いつも前を通るばかりの、神田錦町の「ジローズカフェ」も描いてあったので、さらについでに、その「ジローズカフェ」にコーヒーを飲みに行った。カフェのマスターに展覧会の話をしたところ、「そうらしいけど直接きいていないんだ」とのことだった。

イエメンでは、コーヒーの木(本家モカマタリ)を見た。しかし、ほとんど外資獲得用の輸出用作物であり、現地では豆の周りの部分(普通は捨てる部分)を煎じて「ギシルコーヒー」と称して飲んでいる。

イエメン、バニーマタル地方 PENTAX MZ-3, FA 28mm/f2.8, Provia 100
いまは京都議定書が発効しているので、議定書の締約国会合COP/MOPも兼ねている。
COP11・COP/MOP1(モントリオール)では、ブッシュ退陣のカウントダウンバッジが配られていた。昨年11月のCOP12・COP/MOP2(ナイロビ)では、カリフォルニア州知事としてかなりのイノベーションを行っているシュワルツェネッガーバッジが配られていた(こっちはお土産)。こんな粋なNGOがある。
今年末はたぶんインドネシア開催。次のバッジは、また存在感を示しているゴアだろうか。次期大統領の本命ヒラリーだろうか。
もしもまた共和党だとしても、マケインやパタキNY知事、シュワルツェネッガーなど環境派が多い(シュワちゃんは移民なので大統領にはなれないが)。アメリカが、温暖化問題についても主導権を握る日が近い可能性は充分にある。

筒井康隆や大江健三郎が、どこかで樹木への偏愛について書いていたが、確かに樹木というものはおかしな存在である。見れば見るほど変なものが、そこに屹立している。
一方、海外でもそうだが、日本でも、樹木は不幸なところに追いやられている。林業はコストと生産構造のために衰退しているし、精力的に植えられた杉林は確実に日本人のやる気を失わせている。こういった歪んだ状況は戦後の話かと思っていたら、どうやらそうではない。
『木を植えよ』(宮脇昭著、新潮社)と、その著者の人生を描いた『魂の森を行け-3000万本の木を植えた男』(一志治夫著、新潮文庫)が、まとめて出された。
宮脇氏の述べる「本来の森林」の姿によると、
●どの土地にも「潜在自然植生」がある。
●関東以西の「潜在自然植生」は常緑広葉樹(照葉樹)、東北・北海道は落葉広葉樹または針葉樹である。
●ただ、現在は多かれ少なかれ人の手が入っているから、「潜在自然植生」が生き残っている場所はごくわずか。
●生き残っている場所の典型は、誰もが手をつけないできた神社などの鎮守の森である。
●「潜在自然植生」に合う樹木を植えると、一定期間世話をすれば、恒久的に森として保たれる。
●照葉樹には防災効果があるから、都市にも適している。
私も照葉樹は好きであるから、従来の「照葉樹林文化説」を含め、面白い話だと思った。しかしよく考えてみると、これは相当に過激な思想なのではないか。いまは目に見えない力が、その土地に呪縛としてある、というのだから。
最近では、過去の反省から、海外での単層林(ユーカリやパームやし)の植林に弊害があること、国内でも複層林が望ましいことなど、考え方が変わってきていることは事実である。ただ、森林や樹木が「何のための存在」なのかについて、まだわれわれの社会は未熟であると言ってよいのではないか。
仕事上、植林に伴うCO2の吸収・固定効果などを計算することがあるが、だいたいは「思ったより小さい」との反応がある。そういうものではないのだ。
ところで、本説に関連してなお残る疑問としては、何故近所の神社には、欅や銀杏など落葉樹が多いのだろうか、というものだ。土地の歴史の違いだろうか。

おなか Pentax Espio Mini、Venus 400、同時プリント