Sightsong

自縄自縛日記

ジョン・マグレガー『This isn't the sort of thing that happens to someone like you』

2013-04-30 20:27:13 | ヨーロッパ

ジョン・マグレガー『This isn't the sort of thing that happens to someone like you』(Bloomsbury、原著2012年)を読む。『これは、あなたみたいな人に起きるたぐいの事件ではない』とでも訳すのかな。

ジョン・マグレガー(Jon McGregor)は、1976年、英国領バミューダ諸島生まれの若い小説家である。作品を読むのははじめてだ。

裏表紙の謳い文句に、「洪水を心配する余りに、川沿いの樹の上に家を建てた男・・・」などとあって、てっきり、イタロ・カルヴィーノ『木のぼり男爵』のような奇想天外な長編小説だと勘違いして、買ってしまった。実際には、奇妙な物語を集めた短編集だった。

奇妙さは、ただのおかしなプロットによるものではない。ひとつひとつの物語に登場する人物たちは、決して論理ではなく、慢性的な偏執や、おそらく自分自身にも説明がつかぬような緩やかな衝動といったようなものによって、動かされている。ただひたすらに、徹底的に、屈折しているのである。彼ら・彼女たちの行動や思考につきあっていると、こちらの無駄な人生の時間や懊悩にも、仲間がいるのだなという気にさえさせられてしまうのだ。

樹上生活者は、毎朝、家の前で放尿し、川を往来する人々がなぜ手を振るのかを考える(とは言えないように、考える)。思春期、深夜、女性との逢瀬のあとに人を轢き殺してしまった男は、死体を埋めた場所の近くに老いるまで住み続ける。ある男は、卵から、ありえないほど低い確率で、生育した鶏が出てくる可能性が頭にこびりついて離れない。ある女性は、自動車の運転中に、突然、甜菜が窓ガラスに激突し、おかしな男たちにつきまとわれる。

そのようなプロットは、それぞれの短編を紹介したことにはならない。なぜなら、その状況下での登場人物たちの言動と思考回路こそが、説明できないほど奇怪であるから。

もうどうでもいいだろうと言いたくなるほどの屈折ぶりは、英国人作家のひとつのアイデンティティか。ジュリアン・バーンズだって・・・。

短編によっては1行だけだったり、空白だらけだったり(筒井康隆『虚人たち』のように)、伏字があったりと、実験精神というか、何かヘンなことをやってやろうという意欲が溢れている。しかもそれらが上滑りしており、それすら平気の平左という感覚である。何なんだ、この人は。

●参照
ジュリアン・バーンズ『Pulse』
ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』


ワイ・カーファイ『再生號/Written by』

2013-04-29 13:26:01 | 香港

ワイ・カーファイ『再生號/Written by』(2009年)を観る。広州の書店で、20元くらいだった。

香港。家族が乗った自動車が、交通事故に遭う。父(ラウ・チンワン)が亡くなり、娘は視力を失う。母(ケリー・リン)は泣いて暮らす日々。息子はどうすることもできない。ある日、母を慰めようと、娘は「父だけが生き残ったパラレル・ワールドで、フィリピン人メイドとともに暮らす」小説を書き始める。しかし、その母と息子も、不意に落ちてきたベランダの下敷きになり、即死する。一方、パラレル・ワールドでは、視力を失った父が、絶望しながらも生きていた。世話をしてくれたフィリピン人メイドも、ベランダの下敷きになり、即死する。

ふたつの世界は、お互いに重なりあい、時には幽霊となって行き来する。それも、すべて物語世界が干渉し、創出したからである。やがて、片方の世界では、ひとり残された娘が絶望し、自殺しようとする。いくつもの世界で、自殺を選び、あるいは回避する。

死者も生者にとってともに生きる存在だ、というメッセージ性が強い小品。おとぎ話でもあり、さほど錬度が高いものとも思えないのだが、さて、これは絶望した者にとって救いになるだろうか。自分の心には届かなかった。

ラウ・チンワンは、複雑な感情をいくつも併せ持つ表現が実に上手い。ケリー・リンとともに、ジョニー・トー作品の常連でもある。それというのも、監督のワイ・カーファイは、ふたりが出演する『MAD探偵』をはじめ、ジョニー・トーとの共同監督作品や脚本参加作品を何本も製作している。

●参照
ジョニー・トー+ワイ・カーファイ『MAD探偵』(ラウ・チンワン主演、ケリー・リン出演)
ジョニー・トー+ワイ・カーファイ『フルタイム・キラー』(ケリー・リン出演)
ジョニー・トー+ワイ・カーファイ『ターンレフト・ターンライト』
ジョニー・トー『奪命金』(ラウ・チンワン主演)
ジョニー・トー『暗戦/デッドエンド』(ラウ・チンワン主演)
ジョニー・トー『デッドエンド/暗戦リターンズ』(ラウ・チンワン主演)
ジョニー・トー『文雀』(邦題『スリ』)(ケリー・リン出演)
ダニー・パン『追凶』(ラウ・チンワン主演)


『ミッション:インポッシブル』の3本

2013-04-29 00:45:08 | 北米

妙に疲れて引きこもり。何をいまさら、『ミッション:インポッシブル』シリーズの3作品を続けて観る(ブックオフでは安い棚にいつも並んでいる)。それでも、まだ第4作が残っている。

●ブライアン・デ・パルマ『ミッション:インポッシブル』(1996年)
●ジョン・ウー『ミッション:インポッシブル2』(2000年)
●J・J・エイブラムス『ミッション:インポッシブル3』(2006年)



まあ、物語がどうこうではない。

それにしても、ブライアン・デ・パルマの魔力はやっぱり超個性的。くだらないと言いつつ、この人ならではである。禍々しい影も、モノに何かが憑依したようなパラノイアぶりも。

ジョン・ウーのコントラスト鮮やかな演出も良い。アクションの中に平和の象徴のような鳩を組み合わせたり、海辺の波濤と格闘とのクロスカッティングを使ってみたり。『フェイス/オフ』もそんなノリだった。

●ブライアン・デ・パルマ
『キャリー』『殺しのドレス』
『ミッドナイトクロス』『ブラック・ダリア』
『ミッション・トゥ・マーズ』『ファム・ファタール』
『リダクテッド 真実の価値』
●ジョン・ウー
『レッドクリフ』
●J・J・エイブラムス
『SUPER 8』


『けーし風』読者の集い(20) 島々の未来に軍事的緊張はいらない

2013-04-28 10:26:46 | 沖縄

『けーし風』第78号(2013.3、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2013/4/27、麹町区民館)。参加者は11人。

なお、表紙写真はOAM(沖縄オルタナティブメディア)の西脇尚人氏による。

普天間へのオスプレイ配備のみならず、尖閣諸島問題、宮古島や与那国島への自衛隊配備問題など、なお沖縄の島々というマージナルな地が、軍備強化のターゲットとなっている。国政レベルでの自衛隊・憲法改正の論議は、しばしば、脅威や威信などといった抽象的なものに終始する。しかし、このような現実的な動きに目を向けることの意義は大きい。

敗戦直前の1945年7月、疎開船が米軍に攻撃され、無人島の尖閣諸島に漂着、50日後に救出された事件があった(尖閣諸島戦時遭難事件)。乗客のほとんどは女性、子ども、高齢者で、遭難中に、200人前後のうち約50人が亡くなった。

本誌には、遭難者遺族会の方へのインタビューが収録されている。2010年に、石垣島に慰霊碑が建立されたが、これを尖閣に作らせようとする政治的利用の策動があったという。もし尖閣をめぐる対立が激化したとして、「真っ先に被害を受けるのは、八重山群民」だとする意見はしごく真っ当なものだ。島の外、あるいは「ヤマトゥ」から、抽象的な国防を指揮するとは、そのようなことである。

なお、このときの疎開船は、石垣島から台湾に向かうものだった。当時この流れは多く、棄民政策の性質を持っていたという(松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』 >> リンク)。今回の参加者の中にも、台湾のご出身で、戦後沖縄に引き揚げてきた方がいて、沖縄からの疎開者は多かったと言っておられた。(ところで、一般住民の引き揚げはやや遅れて1946年終わりころだったため、1947年の「二・二八事件」とは重なっていないものの、既に子どもながら「不穏な雰囲気」を感じていたと教えてくださった。)

与那国島の自衛隊配備問題について。報道によると、自衛隊による町有地の借り上げの場合にはたったの年500万円、買い上げた場合にはたったの1億円ということが判明し、町長は「迷惑料」10億円を要求したという。本誌でも書かれているように(イソバの会)、住民投票条例の制定を求める町民の署名簿の一部が外部に流出するという事件が起こっている。この問題の行方はまだわからない。

宮古島でも自衛隊配備の動きがあるが、よく足を運ぶ方の話によると、地元の興味はさほどないという。

さらに、新城郁夫氏の寄稿に端を発して、沖縄に関する言説のあり方について。隠語化・常套句化した「ことば」への問い直し、沖縄の文化ナショナリズム、言論空間への参加の是非について、など。

終わった後、新崎盛暉氏を囲んで懇親会。

●会で紹介の本・映画など
○『琉球弧の住民運動』(合同出版) >> リンク
○新城俊昭『琉球・沖縄歴史人物伝』(沖縄時事出版)
○松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(南山舎)>> リンク
○ガバン・マコーマック、乗松聡子『沖縄の〈怒〉: 日米への抵抗』(法律文化社)
○新城郁夫『沖縄を聞く』(みすず書房)
○ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(台湾映画)

●けーし風
『けーし風』読者の集い(19) 新しい地平をひらく―「復帰40年」の沖縄から
『けーし風』読者の集い(18) 抑圧とたたかう ― ジェンダーの視点から
『けーし風』読者の集い(17) 歴史の書き換えに抗する
けーし風』読者の集い(16) 新自由主義と軍事主義に抗する視点
『けーし風』2011.12 新自由主義と軍事主義に抗する視点
『けーし風』読者の集い(15) 上江田千代さん講演会
『けーし風』読者の集い(14) 放射能汚染時代に向き合う
『けーし風』読者の集い(13) 東アジアをむすぶ・つなぐ
『けーし風』読者の集い(12) 県知事選挙をふりかえる
『けーし風』2010.9 元海兵隊員の言葉から考える
『けーし風』読者の集い(11) 国連勧告をめぐって
『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄


中川淳司『WTO』

2013-04-26 23:49:50 | 政治

中川淳司『WTO 貿易自由化を超えて』(岩波新書、2013年)を読む。

WTO(世界貿易機関)は1995年に設立され、いまや加盟国・地域は158を数える。本書は、その成り立ちと全体像を描くものであり、とてもわかりやすい。

いうまでもなく、WTOの前身組織はGATTだった。これは、戦後の国際経済体制を形作るIMF(国際通貨基金)、世界銀行と並ぶものであり、実は、当初、ITO(国際貿易機関)として構想されていた。主導した国は米国だが、その米国自身が批准できず、結局は流れてしまった。各国の保護主義的な力を突き崩すことができなかったからだというが、さて、それではなぜ貿易自由化が是という前提なのか、そのあたりは問われてはいない。

建前の理想も、発生する問題点についての解決の努力も、一応は理解する。しかし、それは「いたちごっこ」的なものであり、問題を後追い的に不十分にしか解決できないことが、そもそもの構造的な問題ではないのかと思ってしまう。

備忘録と思いつき。

○自由貿易によって、よく批判されるように、地域ごとの農業が単なる財の生産プロセスとして扱われ、最適化の名のもとに滅びてしまう。自国の環境保護、食料自給率の確保、文化といった側面について、価値を認める言説があって然るべきだが、ここにはその答えはない。
○自由貿易によって環境が悪化する場合、それを科学的に証明できれば、保護対象とできる。しかし、環境問題は、活動の結果として悪化するものだけでもなく、また、科学的に証明することが難しいものもある。エネルギー問題や地球温暖化問題は、むしろ、予防原則により動く性質が強く、なじまない。さらに、この原則では、環境への悪影響を回避する方法ではなく、環境保護を積極的に進める方法をとることが難しい。
○自由貿易による労働条件の悪化に関しては、先進国においては、「途上国の安い労働力の影響で自国の労働条件が悪化」するものと捉えるものである。一方、途上国においては、支配層の論理として、「自国の安い労働力で製品を安く輸出」したいと捉える。ここには大きな認識のずれがあり、分けて考える必要がある。
輸出補助金は自由貿易の精神に背くものとして位置づけられている。もしこれが損害をもたらすと認められれば、輸入国は、その製品について補助金相殺関税を課すことになる。そのために、日本政府も、輸出補助金をWTOに抵触するものとしてとらえることが多い。しかし、そのような類のものばかりではないはずである。ならば、輸入国と話をつけておけば済むことではないのか。(※そうではなく、第三国から提訴されてしまうのである。)
○輸出金相殺措置協定において、輸出補助金の撤廃については、途上国は8年の猶予を与えられる(後発途上国は恒久的に免除)。やがて製品価格の途上国優位は変化していくのだろうか。
○WTO交渉において、アクターの増加が交渉の膠着を招いている(温暖化交渉と似ている)。そのため二国間・多国間のFTA(自由貿易協定)が増加しており、TPPもその流れにある。TPPの是非はともかく、WTOのような大きな中央集権的な制約は、もはや、実効的でない面が目立っているのではないか。


『なぜ日本人が・・・ ~アルジェリア 人質事件の真相~』

2013-04-25 08:04:50 | 中東・アフリカ

今年(2013年)の1月に、アルジェリアの天然ガス精製プラントにおいて起きた人質拘束事件について、「NHKスペシャル」枠で、『なぜ日本人が・・・ ~アルジェリア 人質事件の真相~』(2013/2/17)というドキュメンタリーが放送されていた。(なぜ今頃観ているのかといえば、「痛い」からだ。)

イスラーム系の武装集団による攻撃であり、日揮の日本人職員(派遣社員を含む)10人をあわせて、37人が亡くなっている。武装集団も、30人くらいがアルジェリア軍によって殺害されている。

番組によれば、武装集団のリーダーはモフタール・ベルモフタールというアルジェリア人。親族がアルジェリア戦争(1954-62年)に参加し、その功績により、「ベルモフタール通り」なる道も存在する。そのため、支配国のフランス、ひいては欧米に対する憎悪を、幼少時から持っていたのだ、というわけである。

実際に、ベルモフタールは、アル・カーイダにも参加し、このような戦いを聖戦(ジハード)だと外部に発信していた。資金源は、外国人の誘拐によるものであった。50人程を誘拐し、80億円もの身代金を得ており、これはオサマ・ビン・ラディンを超える活動費であったという。そして、カダフィ政権の崩壊(2011年)以来、リビアにおいて余剰となった武器を運ぶ「密輸のネットワーク」を構築していた。

活動の参加者は、貧困な若者である。おそらくは、タリバンやアル・カーイダでも見られる共通の構造的なものだろう。番組では、武装集団のひとりの両親をチュニジアに訪ね、貧しい家を写し、「なぜ善良な息子があのようなことをしたのかわからない」とのコメントを引き出している。下品なやり方である。それだけで、「テロリスト」が「テロ活動」に至った背景を示し、ドキュメンタリーとしてのバランスを取ったつもりなのだろうか。

武装集団は、「日本人」ではなく、「外国人」を標的にしていたのだという。それでは、なぜ「外国人」、あるいは、日本も含む西側が狙われたのか。番組はそこにまったく踏み込もうとしない。アルジェリア戦争も、「9・11」に至った経緯も、アフガニスタン紛争も、イラク戦争も、何も取り上げない。勿論、「テロリスト」は「テロリスト」であり、逆側の立場から視ようとすることはない。

番組の最後では、アナウンサーが、深刻な顔を装って、重要なことは「目をそむけることなく、見続けることではないでしょうか」といった発言を行う。何が問題か、ではなく、誠実に向き合うポーズを取ることのほうが重要なわけである。まるで贖罪のような映画を乱発するアメリカ帝国だ。

思考停止、知的後退、欺瞞に満ちた日本を象徴するような番組だった。 

●参照
番組サイト 


長谷川修一『聖書考古学』

2013-04-23 07:22:00 | 中東・アフリカ

長谷川修一『聖書考古学 遺跡が語る史実』(中公新書、2013年)を読む。

著者は、『旧約聖書』を二次史料、遺跡の発掘調査結果を一次史料とする。それにより、無批判に信仰する対象としての聖書から、史実のみならず、多くの人の信仰を集めるに至った歴史的な経緯までを視ることになる。また、日本の記紀神話がそうであったように、聖書も、それが書かれたときの権力の正統性主張に用いられてもいる。

これが面白いうえに、あらためて歴史の勉強にもなる。

アブラハムは実在したのか、そして、いつの人だったのか?たとえば、聖書に基づいて、ダビデ、ソロモンらのイスラエル王国時代(紀元前10世紀ころ)から遡っていくと、紀元前22世紀ころという計算になる。しかし、アブラハムら族長の年齢は一様に長いことになっている。アブラハムは175歳、イサクは180歳、ヤコブは147歳まで生きた。これはとても事実とは考えられない。それだけではなく、シュメールのウル第三王朝の遺跡、当時ラクダがいたかどうか、といった検証から、この大きすぎる命題に迫っていく。結論はまだない。

アブラハムらの族長だけではない。ヨセフ以降拠点としたエジプトで、モーセが生まれ、やがてユダヤ人を率いてエジプトからパレスチナへと導くわけだが(出エジプト)、これさえも、まだ史実とは断言できないという。ただ、もしモーセが実在したとすれば、紀元前13世紀、エジプトのラメセス2世の時代だとしている。セシル・B・デミルの映画『十戒』(1956年)でも、そのように描かれていた。

モーセがユダヤ人をパレスチナの外部から導いたのではないとすれば、どうなるのか。彼らは山地に定着したが、パレスチナ内部で平野部から移り住み、独自のアイデンティティと歴史とを持つにいたった可能性もあるのだという。

そういえば、ジグムント・フロイト『モーセと一神教』では、精神分析的に、モーセをエジプト人だとみなしていた。これだってトンデモ本かもしれないが、そのような揺れ動きを許す歴史的な位置づけだということだ。

史実がどうあれ、つまるところ、精神的遺産としての歴史の共有という点が重要だということになるのだろう。著者の言うように、批判と否定とは異なるのである。

●参照
ジャック・デリダ『死を与える』


2013年4月、広州

2013-04-21 21:26:38 | 中国・台湾

2年ぶりの中国。何しろ空き時間がなくて、広東料理と、中国映画のDVD漁りと、ほんのちょっとの散歩だけ。

※すべてミノルタTC-1、Fuji Pro 400

●参照 中国の古いまち
孫周『秋喜』 1949年の広州
北京の散歩(1)
北京の散歩(2)
北京の散歩(3) 春雨胡同から外交部街へ
北京の散歩(4) 大菊胡同から石雀胡同へ
北京の散歩(5) 王府井
北京の散歩(6) 天安門広場
北京の冬、エスピオミニ
牛街の散歩
盧溝橋
2005年、紫禁城
上海の夜と朝
上海、77mm
2010年5月、上海の社交ダンス
平遥
寧波の湖畔の村
杭州の西湖と雷峰塔、浄慈寺


ベルナルド・ベルトルッチ『魅せられて』

2013-04-21 08:15:48 | ヨーロッパ

ベルナルド・ベルトルッチ『魅せられて』(1996年)を観る。

劇場公開時に足を運び(誰と観たんだっけ)、がっかりした記憶がある。久しぶりに観ると、さらに退屈。何これ。

リヴ・タイラーの美しさと、トスカーナ地方の風景と、開放されたエロスとを愉しむだけの映画。

●参照
ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』


文京洙『済州島四・三事件』

2013-04-20 23:01:50 | 韓国・朝鮮

文京洙『済州島四・三事件 「島のくに」の死と再生の物語』(平凡社、2008年)を読む。

1948年。済州島では、朝鮮を南北に分断することになる韓国単独選挙に反対する運動が盛り上がりを見せる。それに対し、米軍の意を汲んだ韓国の軍・警察は、三万人もの無差別虐殺を行う。いわゆる白色テロである。このことは軍政韓国では長いことタブーであった。

―――単純にまとめれば以上のような事件も、実際には、さまざまな側面を持っていたことが、本書に示されている。

あらたな発見も含めて。

○古くより、済州島は、朝鮮と日本との間での交流が絶えないマージナルな地であった。その文化は独自性が極めて高いものであった。
○日本軍は、済州島を、沖縄の次に本土防衛の地とするよう準備していた。仮に敗戦が遅れたならば、済州島でも、沖縄戦と同じような悲劇が起きた可能性がある。
○第二次世界大戦終結の前後、米国の連邦政府は、統一朝鮮を信託統治する意向であった。その一方、米軍政は、共産主義との対決姿勢を過激化していった。同じ米国のなかで、両者の方向性に乖離があった。しかし、やがて、後者の方向性に収斂していくことになった。
○虐殺を含めた弾圧は、韓国の軍・警察の暴走でもあったが、明らかに米国の意向でもあった。
○済州島における左派の運動は、イデオロギー偏重のものではなく、下から発生したものだった。
○当初は、あまりにも過激な弾圧に対する、済州島での自己防衛・反撃であった。
○しかし、済州島の左派リーダーが北朝鮮に渡り連携するに至り、問題が冷戦の対決に回収されていくことになった。
○米国は、この時期に、大阪の在日コリアンが済州島と共鳴して運動を行うことを警戒していた。(いうまでもなく、1920年代以降、「君が代丸」によって、あるいは密航によって、済州島出身者が大阪に多数生活するようになっていたからである。)
○韓国の軍・警察による虐殺活動は、赤子や老人の残虐な殺害など凄惨を極めた。一方で、済州島の武装隊も、敵対する村での殺戮を行うなど、加害の側にも立った。このことが、四・三事件という歴史を複雑かつ多義的なものにしている。
○事件後、済州島は、軍政保守の票田となった。事件が住民のトラウマとなり、少しでも「アカ」とみられることを極度に恐れ、権力に従順に従うようになっていたのである。

ところで、済州島は、自然環境が豊かな島として世界遺産にも認定され、生活の糧が農業・漁業からサービスへとシフトしている。しかし、空港の下には、多くの名前を特定できない遺骨が眠っている。現在でも、米軍の戦略拠点として位置づけられ、あらたな基地建設も進められている。まさに、沖縄と重なってくるわけである。そして、両者の交流は続けられている。

●参照
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『新編「在日」の思想』
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』(詩人は、四・三事件に関わり、大阪に来た)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(鶴橋のコリアンタウン形成史)
鶴橋でホルモン 
野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
『けーし風』沖縄戦教育特集(金東柱による済州島のルポ)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」(李静和は済州島出身)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(練塀のルーツは済州島にある)


降旗康男『地獄の掟に明日はない』

2013-04-20 06:44:29 | 九州

降旗康男『地獄の掟に明日はない』(1966年)を観る。この作品で、降旗康男は、はじめて高倉健を起用している。

長崎。競艇を巡り暴力団同士が抗争する。健さんは、原爆投下で孤児になった自分を父親のように育ててくれた組長のため、対立する暴力団の組長(佐藤慶!)を刺す。しかし、それはすべて、顧問弁護士(三国連太郎!)によるシナリオだった。弁護士を斬る健さん、弁護士は「君はそれしか出来ないのか」と呟いて絶命。その健さんも、路上で犬のようにのたうち回って死ぬ。

ロケ地・長崎の坂や海や平和祈念像(北村西望)が登場する。長崎の観光映画であると同時に、原爆の影響が色濃く残る場所であることを示した映画でもある。健さんは原爆の後遺症に苦しみ、慕う組長を「三国人が占領しそうになった街を盛りたてた」などと口にするのである。そして、義理のためなら人を殺め、そのまま恋人と沖永良部島に逃亡しようとする。何という歪んだ人物造形!

八木正生が音楽を担当しており、テーマ曲はフラメンコ風のトランペット演奏。明らかに、マイルス・デイヴィス『Sketches of Spain』(1960年)の影響だろうね。それでも、キャバレーでのサックスとトランペットの二管の演奏はなかなかの格好よさである。誰がトランペットを吹いていたのだろう。

●参照
降旗康男『あなたへ』
蔵原惟繕『南極物語』
健さんの海外映画
青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために
原爆詩集 八月


リョン・ロックマン+サニー・ロック『Cold War / 寒戦』

2013-04-19 21:18:31 | 香港

広州からの帰路、リョン・ロックマン+サニー・ロック『Cold War / 寒戦』(2012年)を観る。

まずは、レオン・カーフェイ、アーロン・クオック、アンディ・ラウという豪華な面子が良い。レオン・カーフェイは、人相が変わりすぎていて、配役を見るまでそれと気づかなかった。

とは言え、それほど練られた脚本でもなく、観ながら激しい物語展開を期待していたのだがそれもなく、さしたる傑作でもない。ジョニー・トーを観てしまったあとでは、ストレート過ぎて、物足りなくなってしまうのだ。管理部門と現場とのつばぜり合いというテーマも、ステレオタイプ。


ミヒャエル・ハネケ『愛、アムール』

2013-04-19 20:56:39 | ヨーロッパ

広州行きの機内で、ミヒャエル・ハネケ『愛、アムール』(2012年)を観る。

フランスの老夫婦。妻が突然半身不随になり、妻を愛する夫は、日常生活の中で、介護を行う。妻は、そのような己の姿に耐えられない。身体能力は着実に失われてゆき、言語能力もまた失われた結果、やがて妻は赤子のようになってしまう。夫は、そのような妻と運命共同体だった。

『ヒロシマ・モナムール』エマニュエル・リヴァが、広島から50年以上を経て、生をぼろぼろと崩れさせていく妻を演じる。迫真性というよりは、淡々とした凄みがある。同じことは、夫を演じるジャン・ルイ・トランティニャンにも言うことができる。

身体が崩壊していくこととは何だろう、と、言葉以上に、こちらのまだ崩壊していない身体に、アウラで訴えかけてくる映画である。いまだ怖くて、傑作だったのかどうかよくわからない。

●参照
アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』


クリストファー・マッカリー『アウトロー』

2013-04-16 00:44:05 | 北米

いま広州に来ている。飛行機の中では、クリストファー・マッカリー『アウトロー』(2012年)を観た。

原題の『Jack Reacher』を用いなかったのは、カタカナにしたときの安っぽさゆえだろうか。それにしても、『アウトロー』とは、クリント・イーストウッド作品への敬意が足りないのではないか。

映画はパルプ・フィクションそのものだ。というよりも、このようなアメリカへの憧れを絵にしたような感覚である。しかも、それらアイコンへのフェティシズム満開。

退役軍人。一匹狼。流れ者。やけに強い。場末の飲み屋。チンピラ。気高い女性(しかも、最後にはワイルドな主人公になびく)。銃の肯定。悪徳警官。権力に楯突く者をかばいあう大衆社会。

あほくさ~。(面白かったけど)