Sightsong

自縄自縛日記

『ゴーゴーミッフィー展』、デ・ステイル

2010-04-29 22:41:19 | ヨーロッパ

子どもたちを連れて、松屋銀座で『ゴーゴーミッフィー展』を観る。というのは方便で、実は自分が行きたいのだった。ミッフィー生誕55年だからゴーゴー。

2004年に、『ディック・ブルーナ展』(横浜そごう美術館)(>> リンク)を観るまで、迂闊にも、ミッフィーは自分にとっては子ども向けのキャラクターに過ぎなかった。あのシンプルな絵は、実は何枚もの候補から選びだされたものであり、ちょっとした眼、口の位置によってまるで印象が異なったものとなる。そして、線は均一の太さではなく、ブルーナが筆で少しずつ描いたものだ。ブルーナは、これを「魂のビート」と呼んでいる。かなりのラディカルさを秘めた作品群なのだ。

今回は、最近の絵本作品を含め、多くの下書きや未発表作品が展示されている。たとえば『うさこちゃんのだんす』(福音館から出ているシリーズは「うさこちゃん」名)では、後ろから見たミッフィーが上げた右手の角度が微妙に異なるものが、何点もある。着色こそされていないものの、1枚1枚で「魂のビート」が鳴っている。吃驚である。

肌の色が異なるメラニーやボリスを登場させているのは、「違う人がいるのは当たり前のこと」だと子どもたちに伝えたいブルーナの思いがあるためだと知られている。今回は、『うさこちゃんとたれみみくん』(2006年)の原画も展示されている。片方の耳が前に折れ曲がっている「たれみみくん」は、障害のある子どもである。読みきかせのときにも、そのような思いをうまく伝えることが大事なのだろうか。

売店で、娘に欲しいと言われて、ミッフィーの顔をした灰色の兎のぬいぐるみを買ってしまった。見たことがないが何という名前だろう。さっそく一緒に寝ているみたいだ。

『美術手帖』(2010年4月)は、今回の展示にあわせて、ディック・ブルーナ特集を組んでいる。面白いのは、同じオランダの美術運動デ・ステイルとの共通点を指摘している点だ。確かに、『うさこちゃんびじゅつかんへいく』では、ミッフィーはモンドリアンの作品を観賞しているし、実際に、「ブルーナ・カラー」は、デ・ステイルの色と並べても何の違和感もない。


『デ・ステイル1917-1932』(セゾン美術館、1997年)の図録と並べてみる

ヘリット・トーマス・リートフェルトの椅子はデ・ステイルの生み出した作品として有名だが、これも、複数製作され、各々の椅子の形や色やマテリアルはすべて異なっていたという。なんとなく、ブルーナ作品が生み出されるプロセスと共通するものを感じてしまう。『美術手帖』によれば、2000年に、オランダでブルーナとリートフェルトの2人展が開催されたことがあったようだ。



リートフェルト「レッド/ブルー・チェア」の諸ヴァージョン(『デ・ステイル1917-1932』による

展示を観たあと、ホコ天でパンを食べ、昔住んでいた千駄木に足をのばした。友人が「一箱古本市」に出品しているところを覗き、ついでに隣で(!)武田泰淳の古本を1冊買って帰った。


朴三石『海外コリアン』、ラウレンティー・ソン『フルンゼ実験農場』『コレサラム』

2010-04-29 08:41:46 | 韓国・朝鮮

朴三石『海外コリアン パワーの源泉に迫る』(中公新書、2002年)を読む。海外朝鮮人や海外韓国人と呼ばないのは、朝鮮統一への思いがこめられている。朝鮮史上最初の統一国家・高麗がなまってコリアになったからだ。

本書によると、海外コリアンは米国・中国(それぞれ200万人以上)に多く、次いで日本に90万人、旧ソ連に50万人程度が居住している。この4地域について、それぞれ章を設けて解説がなされている。全体的に、統計データを文章で延々と書くなどこなれておらず、また、「艱難辛苦に耐えてこのような学者や実業家を輩出した」といったような具合であり、白書のような印象だ。

それでも、あまり知られていない分野であり、日本とは対極にあると思われるような、非常に興味深い指摘がなされている。例えば、フランスや英国など過去に植民地支配をした国は、旧植民地出身者に対して就業、教育、社会保障において優遇しているという点である(なお、朝鮮はこれらの国の旧植民地ではなかったので対象外)。また、米国では、移民の言語と英語の両方に堪能な教師による二言語での課外補助教育は税金によってまかなわれるべきだとの最高裁判決が出されているという。一方、今の日本では、民族教育が悪であるかのように決めつけられている。しかし、これは「子どもの権利条約」で保障されているはずの権利にも関わらず、である。

違和感が大きいのは、中国における少数民族政策に対する評価だ。他民族との同化でなく共存(確かに紙幣には各民族が印刷されているが)、異文化の尊重、格差の是正など、ここで書かれている話はまるで悪い冗談にしか受け止めることができない。

日本における無理解や差別に関しては、在日コリアンの「通名」である日本名を使う割合が多いことを示している。朝鮮植民地時代の「創氏改名」(1939年)が背景にあり、それ以降、通名を使わざるを得ない特異な状況にある。神奈川県で1999年に行われた調査によれば、在日のうち「本名使用」と答えた割合は23%に過ぎず、「通名使用」と答えた割合は77%にも達していたという。

「人間にとって自分の名前は、個人の人格の象徴である。名前は、自分自身の存在そのものを表す大事なものであり、コリアンとして生きる第一歩である。しかし、在日コリアンは本名と通名の二つの名前を名乗らざるを得ない現実のなかで暮らしている。」

ゴダイゴだってこんな風に歌っていた。懐かしいな。「Every child has a beautiful name / A beautiful name, a beautiful name.」(「ビューティフル・ネーム」)

はじめて知る話は、コリアンが中央アジアへと流れていった歴史である。韓国併合(1910年)以降、農民は生活を圧迫され、ロシアへと移動していった。ところが、1937年、スターリンは、朝鮮との国境近くに居住するコリアン17万人を、中央アジアへと強制移住させる。この背景には、満州の緊張があったようだ。つまり、国防と管理のしやすさということだ。突然列車から投げ出された地、カザフスタンやウズベキスタンは獄寒の荒地だった。日本により追われ、さらにロシアにより追われたというわけである。

この歴史に関するドキュメンタリーが、科学映像館により無料で配信されている。以下の2本は、強制移住させられたコリアンの子孫、ラウレンティー・ソンによって撮られたカザフスタンの映画だ。

■『フルンゼ実験農場』(1991年)

実験農場とは、塩気混じりの砂漠を水田に変えるという意味であり、慄然としてしまう。『海外コリアン』では17万人とあるが、ここでは18万人(30万人中!)が強制移住させられ、多くが飢餓、寒さ、チフスなどで死んでいったとしている。ここで仕事を信仰とするくらい働き、その一方で、NKVDの秘密警察に常に監視されていたという。

この地に集められたのはコリアンだけでなく、クルド人、チェチェン人、イングーシ人などもいた。しかし多かったのはコリアンであり、そのため、朝鮮半島北部(もともと北部からロシアに逃れたため)の言葉「コレマル」が、共通語のようになっている。なんと、今でも広く「コレマル」が使われている。

■『コレサレム』(1993年)

『海外コリアン』にも紹介されている。文字通りコリアンの意味だ。

『フルンゼ実験農場』よりも、住民との距離が近い映画だ。登場するウクライナ人やカザフ人やクルド人はカメラ(の横にいるソン)に親しげに話をする。「コレサレム」が多く、友達にも家族にもなったから、誰もが当然のように「コレマル」を話している。多くの家庭で、味噌や醤油やキムチを作っている。ここでは色んな民族がいるが諍いなどない、私の死ぬのはこの地だ、と語る老人の姿が強い印象を残す。


太田昌国『「拉致」異論』

2010-04-25 23:23:11 | 韓国・朝鮮

太田昌国『「拉致」異論 日朝関係をどう考えるか』(河出文庫、2008年)。拉致被害が国家犯罪であることは当然だとして、あまりにもアンバランスな1億総ヒステリーを考え直すこと。日本が過去に加害側となったことは、拉致被害と「相殺」されるべきものではないこと。北朝鮮という国家を「金正日」で代表させないこと。メディアによる肥大化した感性への扇動を見つめるための書である。

以下、変にまとめるよりは、太田節を引用するにとどめる。

「植民地化は、そこに生きる人びとの生活のあらゆる側面に変化を強いる、暴力的な過程である。歴史を偽造しようとする者たちは、たとえば「強制連行」の史実を否定し、朝鮮人は任意で日本へ来たなどと主張する。」

「在日朝鮮人に対して、「そんなに日本がいやなら、帰れ」という言葉が、いまなお、陰に陽に投げつけられることは、よく知られている。だが、日常生活の何たるかを知っている者なら誰だって思いつくだろう、いかに自己の意志とは関わりのない、不本意な形で、ある土地に住むことになったとしても、そこでの生活が長年にわたり、生活基盤が確立し、とりわけそこで配偶者を得た場合には、帰るべき故郷を失うことを。」

「(略)歴史をさかのぼって総括だ、謝罪だ、というのでは、世界は収拾のつかない混乱に陥ってしまう、と悲鳴をあげている。しかし、植民地化された地域の民衆は、その時点で「収拾のつかない」混乱に陥ってしまったのではなかったか。(中略) 他者の存在を意識さえすれば、即座に崩れ落ちるしかない自己中心的な論理を、この連中は恥じらいもなく弄んでいるのである。」

「もはや、家族会の人びとの痛切な心情を尊重し、慮って、私たちが言葉を慎むべき段階は終わったと思う。なぜなら、個人としては当然の怒りが、この社会の政治・外交・軍事政策総体を、向かうべきではない方向へと突き動かす運動へ、それは転換しつつあるからである。」

「歴史的な公正さを何ら考慮しようとせず、既得権を得た自国の国家犯罪には蓋をする、これらの悪意に満ちた扇動がこの社会には充満している。」

「日本にあって、「テロ国家=北朝鮮」と感情的に言いつのる者たちが、つい半世紀前までは自分の国こそが「テロ国家」であったことを忘れており(あるいは忘れたふりをしており)、その対外的な責任をいまだ果たしていないことによって、「過去」は「現在」であり続けていることに無自覚なことも、片腹痛いことだ。これは、金正日が拉致に対してとるべき責任と相殺する論理ではない。」

●参照
『情況』の、「中南米の現在」特集
太田昌国『暴力批判論』を読む


『けーし風』読者の集い(10) 名護市民の選択、県民大会

2010-04-25 15:18:02 | 沖縄

『けーし風』第66号(2010.3、新沖縄フォーラム刊行会議)の特集は「名護市民の選択」と題されている。その勉強会に参加した(4/24)。

一夜明けて今日、沖縄の読谷村で「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」が開かれた。その様子はFMよみたんにより、USTREAMを使って実況中継された(>> リンク)。勿論後でも観ることができる。

参加者は9万人余りだったそうだが、ツイッターの書き込みを読むと、会場に向かう車で渋滞となり、間に合わなかった人も多かったようだ。このあたりも、教科書検定の際の県民大会と似ているのかな。

なお、海外でも積極的に報道されたようだ。
○オーストラリア:主要紙
○イラン国営テレビ:「沖縄の基地問題は、日本で最重要の政策課題で、米国との関係悪化をもたらしている」と報道(cafebaghdadさんによる)
イラン国営通信:「沖縄住民は、米軍駐留に疲弊している」と報道(cafebaghdadさんによる)
○アルジャジーラ:「島民の多くは米軍の存在に不満を持っている。日本の二次世界大戦の敗北の遺産 、環境汚染、米軍との摩擦」(Arataさんによる)(>> リンク)   など

それにしても、USTREAMやツイッターなど、インターネットによって情報の形が確実に変貌してきていることは確かだ。

◇ ◇ ◇

『けーし風』読者会については、やはり参加された編集者のSさんがブログに書いている(>> リンク)。同じようなことを書くのは避けるとして、他にいくつか。

■汚れたカネを使わない

安次富浩氏(ヘリ基地反対協)がこのように書いている。名護市の前島袋市政では、ドクターヘリの運営や汚水処理場建設を米軍再編交付金でまかなうとしたが、地域住民の生活や命に関わるものを、「命を奪う米軍再編交付金」で援助することは間違っている、と。

2010年3月20日に法政大学で行われた「シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える」においても、川瀬光義・京都府立大学教授が同様の主張を行っている。そして、2月に選出された稲嶺・名護市長は、来年度予算にその種の予算を計上しないと決定、隣の宜野座市も追随したことを画期的なことだと評価している。金額規模で言えば、名護市は10億円程度、宜野座市は4億円程度だ。名護市の一般会計予算規模は200億円程度ということで、5%もの金額ということになる。

■強迫的な対米追従

米国の意向を至上のものとするのは、除け者にされたくない、一人だけ違うことを言いたくないという面と共通する日本文化なのかという指摘。平岡前広島市長が「核の傘をなくす」という発言をしたところ、橋本元首相に、「あなたは米国の本当の恐ろしさを知らないのだ」と言われたという。しかし、何の恐ろしさなのか、それをこそ明らかにすべきだという意見があった。

■上原成信・編著『那覇軍港に沈んだふるさと』

ご本人による宣伝(>> リンク)。曰く、瀬長亀次郎の右腕と呼ばれた国場幸太郎という人物のこと、また、米国がCIAによって如何に酷いことをしてきたかということを伝えたかった。

終わった後、近くの居酒屋で飲んで帰った。大メディアには乗ってこない生の情報が得られる貴重な場だと思う。「読者会」とは言っても、『けーし風』を持っていなくても何とかなるので、興味のある方は話だけでも聴きませんか。

●参照
『けーし風』読者の集い(9) 新政権下で<抵抗>を考える
『けーし風』読者の集い(8) 辺野古・環境アセスはいま
『けーし風』2009.3 オバマ政権と沖縄
『けーし風』読者の集い(7) 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
『けーし風』読者の集い(6) 沖縄の18歳、<当事者>のまなざし、依存型経済
『けーし風』2008.6 沖縄の18歳に伝えたいオキナワ
『けーし風』読者の集い(5) 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊
『けーし風』読者の集い(4) ここからすすめる民主主義
『けーし風』2007.12 ここからすすめる民主主義、佐喜真美術館
『けーし風』読者の集い(3) 沖縄戦特集
『けーし風』2007.9 沖縄戦教育特集
『けーし風』読者の集い(2) 沖縄がつながる
『けーし風』2007.6 特集・沖縄がつながる
『けーし風』読者の集い(1) 検証・SACO 10年の沖縄
『けーし風』2007.3 特集・検証・SACO 10年の沖縄


森山大道「NAGISA」、沢渡朔「Cigar - 三國連太郎」、「カメラとデザイン」、丸尾末広

2010-04-25 10:20:37 | 写真

所用で出かけるついでに、観たかった写真展に立ち寄った。

■森山大道「NAGISA」 @BLDギャラリー

森山大道渚ようこを1年間追った作品群だ。すべて銀塩のモノクロであり、いつものように粒子がざらついている。

かなり期待していたのだが、ここに焼きつけられた渚ようこは女性としてさほど魅力的ではない。新宿や大阪の雑踏で見知らぬ人を隠し撮りした森山のスナップと同じアウラが漂っているのだ。崇拝の対象として撮られた女性像でないことは確かなように思える。おそらく、森山大道にとっては、すべてが滅びゆくモノなのだろう。

勿論、目を見開かされる作品は多い。渋谷の「青い部屋」だろうか、渚ようこがトイレに座り、背後には戸川昌子のポスターがある。熱海なのか伊東なのか、あの辺りの海岸で撮られたやさぐれ写真も良い。

■沢渡朔「Cigar - 三國連太郎」 @JICC PHOTO SALON

女性ばかりを撮ってきた沢渡朔による異色の作品群。すべて同名の写真集(パルコ出版、1998年)に収められている。オリジナルプリントを観ることができる嬉しい機会だった。

やさぐれた風景を撮ってきた森山大道の女性写真と、女性ばかりを撮ってきた沢渡朔の男性写真。比べてみるとその違いは強烈だ。ここに登場する三國は、老いた男性のフェロモンをムンムンと発散しており、本質的に女性と変わらないのだろう、少なくとも写真家にとっては。廃墟でワインを飲む三國、海辺を散策する三國、歌舞伎町を歩く三國、中華料理屋に座る三國、ペンタックスのAuto 110を楽しそうに使う三國。こんな風に近い人間を撮ることができたならどんなにいいだろう。

帰宅して写真集と比べてみると、写真集の印刷は優れているもののコントラストが強すぎるきらいがある。船尾に佇む三國の顔は黒くつぶれているし、顔の前を半分弱覆うスクリーンは向こうが透けているはずだが、写真集では真っ白だ。


『Cigar』(パルコ出版、1998年)

撮影に利用したカメラも展示してあって、それはペンタックスの6×7とMZ-5だった。しかし、『季刊クラシックカメラ No.8』(双葉社、2000年)ではペンタックスLXだと本人が語っている。また『ナチュラル・グロウ No.34』(ソシム、2004年)では、最初「カチンときちんと撮っておきたいみたいな気持ち」があって6×7で入ったものの、途中から35に変えて、28mmと標準で「バンバンバンバン」撮っていたのだとある。そんなわけでLX説を採りたいがどうか。

■「カメラとデザイン」、直井浩明氏の手作りカメラ @日本カメラ博物館

ジュージアーロ、ローウィ―、ポルシェ、亀倉などデザイナー別にカメラを展示している。一眼レフカメラ創世記の「ズノー」なんて、現物を初めて眼にした。しかも元箱付き、中古屋に出たらはたしていくらの値が付くことか。

ナオイカメラサービスで修理名人として名を馳せた直井浩明氏による手作りカメラの展示コーナーもあった。ふたつのカメラをくっつけたステレオカメラが有名だが、たとえばミノルタA2とミノルタコードを組み合わせ、レンズをフジノン45mmF1.9(記憶では)とした35mm二眼レフカメラなどという素晴らしいカメラがあった。欲しい!

昔、このミノルタA2が壊れて自分で修理しそこね、ナオイカメラサービスに持ち込んだことがある。コダック・シグネット35やアイレスIII-Lといったカメラのシャッターも修理してもらったこともある。いまはシグネット35しか手元にないが、大事に使わなければならない。

■丸尾末広展 @スパンアートギャラリー

変態趣味、エログロ、少年少女、猟奇。キーワードで言ってしまえばどうしようもないのだが、まあ相変わらずその世界である。たまたま通りがかったギャラリーで展示していたので覗いただけのことだ。自分にとって丸尾末広は、ジョン・ゾーン『Naked City』(1990年)の裏ジャケットに使われていた印象が大きく、いかにも日本のそのような文化のマニアであるゾーンのやりそうなことだ。

会場には、日野日出志(!)と一緒に作った豆本2冊セットなどというものもあった。乱歩世界のサイン入りポスターには触手が動いたが、自宅に持ち帰ると張り倒されること必至なので、やめた。


ポストカードはまだまとも

●参照
森山大道「Light & Shadow 光と影」
森山大道「レトロスペクティヴ1965-2005」、「ハワイ
森山大道「SOLITUDE DE L'OEIL 眼の孤独」
渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』
沢渡朔「Kinky」
沢渡朔「Kinky」と「昭和」(伊佐山ひろ子)
沢渡朔「シビラの四季」(真行寺君枝)
沢渡朔Cigar』(三國連太郎)


渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』、若松孝二『天使の恍惚』

2010-04-23 23:52:06 | ポップス

中村高寛『ヨコハマメリー』(2005年)のエンディング曲として、渚ようこが「伊勢佐木町ブルース」を歌っていた。しばらく気にしていたが、ある日、沢渡朔の写真展の記名帖に名前を書こうとしたところ、自分の直前に「渚ようこ」の名前があった。ちょっとでも早めに来たなら、すれ違うことができたのに!

そんなわけで、ここのところ、『あなたにあげる歌謡曲 其の一』(VOLT-AGE records、2005年)を時々聴いている。

昨日などは、ツマに何だその音痴は、ヤメロ!と罵られてしまった。確かに声量があるわけでもないし、歌唱力が絶大なわけでもない。しかし音痴というのとは違う。時にちょっとヨレッとするのがとてもいいのである。

行ったことはないが、渚ようこは新宿ゴールデン街に店を開いている。シラムレンとはしごしたら頭が溶けるだろうな。この盤では、高橋ピエールのギターとデュオで歌っており、もう気分は新宿放浪の夜なのだ。「どうぞこのまま」も、「ここは静かな最前線」も、「昔の名前で出ています」も、「小心者」も、山口百恵の「夜へ・・・」も、かなり沁みる。酒でも買いにいくか(笑)。

特に、「ここは静かな最前線」。解説は先ごろ亡くなった平岡正明である。この選曲にはかなり驚いたようで、なぜなら、若松孝二『天使の恍惚』(1971年)の主題歌だからだ。どういうわけでこんな曲を、というわけである。作曲の出口出は足立正生のペンネームであり、渚ようこが歌ったときには既にパレスチナから日本に戻ってきていた。ひょっとしたら足立正生がゴールデン街で教えたのかもしれない。何しろ、かつての「新宿の三天才」のひとりである。

『天使の恍惚』では、この歌を、横山リエが歌っている。当初はジャズ歌手の安田南が出演し、歌う予定であったという。足立正生『映画/革命』(河出書房新社、2003年)によると、安田南は芝居ができないので降りてもらったという事情があった。しかし、横山リエは大島渚『新宿泥棒日記』のウメ子役より凄みを増していて、大正解だったのではないか。上映時は連合赤軍のあさま山荘事件の後で、上映館のATG新宿文化はクリスマスツリー爆弾事件があった交番の真横だったこともあり、警察からの圧力が物凄かったようだ。そんなセンセーショナルな歴史は置いておいても(いや置くことはできないか)、傑作である。第一次山下洋輔トリオ(森山威男、中村誠一)の演奏、国会議事堂に車で突っ込んでいく横山リエ。「本気で孤立できる奴!個的な闘いを個的に闘える本気の奴らが十月組なんだ!」という叫び声が奇妙に印象に残る。

●参照
『ヨコハマメリー』
新宿という街 「どん底」と「ナルシス」


『沖縄・43年目のクラス会』、『OKINAWA 1948-49』、『南北の塔 沖縄のアイヌ兵士』

2010-04-22 23:50:39 | 沖縄

沖縄戦・基地に関する新旧テレビドキュメンタリー。

■『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)

長寿番組「NNNドキュメント'10」において放送された。1972年の施政権返還前に、ある高校ではその是非に関するクラス討論が行われた。森口豁がかつて同じ番組枠で制作した『沖縄の十八歳』(1966年)にも、その姿が記録されている(>> リンク)。今の高校生とは比較できないほど切実で自分の問題として考えた意見が、文字通り叫ばれている。なぜ沖縄に基地を集中させるのか、差別ではないか、と。

そこで訴えかけられた点は、悲しいことに、今でもさほど変わっていない。43年経って、当時の高校生たちは還暦の年となっている。振り返ってみて、いくばくかの期待は、施政権返還後まもなくして裏切られたと感じたという。

幼稚園の保母になっている女性は、宮森小学校に米軍機が墜落し11人の子どもたちが亡くなった事件(1959年)を、いまの子どもたちに伝えようとしている。また、高校の校長先生となり定年を迎えた男性は、「あの18歳の正義感が今試される。自由人としてどう行動するかだという別の声が聞こえる」と決意を示している。

不覚にも少し泣いてしまった。

■『OKINAWA 1948-49』(2008年)

NHKで放送された。戦後、弾薬処理のため沖縄に駐在したハートフォード・チューンは、当時の様子を8ミリフィルムに記録していた。最初は自分の家族だけをおさめていた氏だが、ビーチで遊ぶ子どもたちの後ろに、貧しい沖縄の子どもたちがいることに気が付いたのだという。氏の娘が、これらのリールを、記録映像を収集するNPOがあると聴いて送ってきたというわけである。

さとうきびを絞るサーター車、泡瀬干潟での塩づくり、石川市(現・うるま市)での祭り、米軍による戦災復興住宅である規格家(キカクヤー)などがうつし出されている。そうか、泡瀬は塩田になっていたのか。


泡瀬干潟での塩づくり

■『南北の塔 沖縄のアイヌ兵士』(1985年)

以前に、一坪反戦地主会のYさんにいただいた。

沖縄戦に召集されたアイヌの兵士がいた。糸満市真栄平は住民の3分の2もが亡くなった場所で、戦後、住民とアイヌ有志により、慰霊碑「南北の塔」が建てられている。その中心となった弟子(てし)豊治氏について、「息子のようにかわいがった」という住民の家族がこう語っている。旧日本兵と仲良くしていると、周囲からは住民を虐殺した者たちではないかと批判される。しかし、アイヌは沖縄同様にヤマトから差別されてきた存在なのだ、だから当時もシンパシーを抱いたに違いないのだ、と。

弟子さんの配属された部隊は、真栄平から運玉森(運玉義留で知られている >> リンク)を敵中突破しようとするが敗れ、南岸の大度浜(>> リンク)を経て再度北上したのだという。


大度浜

アイヌの口琴・ムックリの音が印象的である。沖縄在住の画家・宮良瑛子がアイヌ兵士(ムックリを弾いている)に捧げた絵も紹介される。


シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像

2010-04-22 21:59:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

シャーリー・クラークは米国のインディペンデント映画作家であり、フレディ・レッドやジャッキー・マクリーンを登場させた舞台劇の映画化『The Connection』(1961年)が知られている。ジョナス・メカスの日記なんかにはよく名前が出てくるが、広く知られた存在ではない。調べてみると、1997年に亡くなるまでアルツハイマー病に苦しんでいたようで、そのためか、『Ornette: Made in America』(1985年)が最後に手掛けた映画である。文字通り、オーネット・コールマンのための映画だ。

支離滅裂とまでは言えないが、優れた映画でないことははっきりしている(そのため、ヴィデオを観るたびに新鮮だ)。オーネットの少年時代の回想に役者を使っている以外は、ドキュメンタリーである。オーネットの貴重な映像が出てきて、これだけで映画の出来などどうでもよくなる。

映画は、オーネットの故郷テキサス州フォートワースに建設されたパフォーミング・アーツ・センター「キャラヴァン・オブ・ドリームス」の完成記念コンサート(1983年)のシーンから始まる。オーネットは、息子デナードやバーン・ニックス、ジャマラディーン・タクマらからなるプライム・タイムを率いて、地元のフォートワース交響楽団と、「アメリカの空」を演奏する。

この演奏も、1998年・渋谷オーチャードホールでの演奏も、オーケストラとの融合も化学変化もあったものではなく、ほとんど「全く違う世界のものを同じ場所に配置する」といった意味でのシュルレアリスムであった(渋谷でも居眠りしている人が結構いた)。しかし、オーネットのサックスの音さえあればいいのだ。恐らくそういうものである。レコード作品としての『アメリカの空』(1972年)では、オーネット以外のバンドメンバーが参加できなかったため、ロンドン交響楽団とオーネットとの共演という形になっている。こちらのほうがハチャメチャではなく、緊張感があって私は好きだ。

この演奏だけでなく、映画にはさまざまな記録が盛り込まれている。1968年ニューヨーク、オーネットは12歳の息子デナードに、音楽における自由や関係性などを説き、デナードはそうしようとしているんだけど・・・と真剣に応える。1984年、フォートワースの生家に座り、母親から逃げ出した昔話を息子に語る。1980年、ミラノのテレビ放送で、デナードともう一人のドラマー(カルヴィン・ウェストンか?)をバックにアルトを吹く。1972年、ニューヨークのアーティスツ・ハウス(オーネットが持っていたロフト)で、ドン・チェリー、エド・ブラックウェル、デューイ・レッドマン、チャーリー・ヘイデンと共演する(この映像がもっとも嬉しい)。1972年、ナイジェリアで、現地ミュージシャンらと共演する。


フォートワースの生家で、オーネットとデナード


アーティスツ・ハウスで、黄金メンバー

インタビューも面白い。ジョージ・ラッセルがオーネットの天才性を説く。ウィリアム・バロウズ(映画『チャパクァ』で近づいた!)は、飲んでいるビールの泡を鼻先に付けている。妻ジェーン・コルテスは何やら詩を読む。

批評家マーティン・ウィリアムスは、オーネットがチャーリー・パーカーのようにブルースを突然吹いたのを聴いて驚愕したという。多くのパーカーのフォロワーやイミテイターとは違って、そんなふうに吹いたのはオーネットだけだったというのだ。何だこれをやれば人気が出て成功するのに、と振ったところ、オーネットは「好きだからやっているんだ」などと答えたという。

映画の後半は妙にサイケデリックとなり、観ていてちょっと辛い。スペースシャトル内の映像に、オーネットが自転車を漕ぐパーツを重ね合わせたり、バックミンスター・フラーのジオデシック・ドーム内にあるサボテンを延々と撮ってみたり。さらには、オーネットが「世の中には2種類の人間がいる。男と女だ」と言い放ったかと思うと(デューク・エリントンのパクリか?)、女性の喘ぎ声が充満する始末。女性にはモテモテだったのかもね。

エンディング曲は、オオクボ・マリという女性が歌う。2006年の来日公演でも突然出てきた歌手である(私は東京芸術劇場と渋谷オーチャードホールに足を運んだが、両方で登場した)。おそらくその場では、その歌手が誰なのか知っている人はほとんどいなかった。後日、『ジャズライフ』だったかに、あれはオーネットの「彼女」らしいと書いてあった。

この映画、DVDでも出ていないようだし、何しろオーネットの英語はわかりにくいので、どこかで公開するかまともなDVDにして出してくれることを切望する。それより、また来日しないかな。ギャラはワンステージ最低8万ドルだとか?

●参照
オーネット・コールマンの最初期ライヴ
コンラッド・ルークス『チャパクァ』


沼正三+石ノ森章太郎『家畜人ヤプー』

2010-04-21 23:30:00 | 思想・文学

沼正三の原作を石ノ森章太郎が漫画化した『家畜人ヤプー』(初版1971年)。「禁断の書」とのコピーを裏切らない、とんでもない物語だ。

粘着質に、執拗に提示され続ける様々なエログロのクリーチャーたち。しかし、明らかに、内なる「何ものか」と闘い、耐えながらにして想像力を萎えさせず生み出された存在なのである。仮に自分が作者であったなら、それは狂気との闘いであろうなと想像する。つまり、天才の所業だということだ。

この破天荒で奇天烈な物語に、石ノ森章太郎が挑んだ。彼の漫画には(そしてテレビにおいて石ノ森が演出した回の『仮面ライダー』などでも)、常に映画的なセンスが横溢している。この作品でも見られる、「動」でありながらコマ割りのような「静」。俯瞰ショット。闇。そして人間の情念の表現。

惜しむらくは、エログロの設定を、沼正三の原文を長々と引用する形にしてしまったことだ。ここで、恐怖の世界への没入からこの世に呼び戻されてしまうのだ。少々長くなっても、まるで科学映画のように、ひとつひとつを(やはり執拗に)漫画によって説明してくれていたなら、この奇書はさらなる傑作になったことだろう。

特筆すべき点は強靭な想像力の持続だけではない。それは差別への視線だ。恋人を家畜人とされながら、やがて支配者へと変貌する女性の姿を追う私たちは、差別という人間の業の恐ろしさに震えるのだ。

>> 「WebDice」のクロスレビュー


野村進『コリアン世界の旅』

2010-04-20 22:02:23 | 韓国・朝鮮

ロングセラー、野村進『コリアン世界の旅』(講談社、1996年)を読む。当方の問題意識は、朝鮮学校高校授業料無償化の対象外となってよいのか、という点である。

ここに示されているのは、日常の社会生活において、また結婚、就職、住宅の賃貸といった機会に、いわれなき差別を受ける人々の姿である。露わに見える差別は減ったかもしれないが、本質のところは決して変わっていない。思いもよらない瞬間に、日常の澱みから姿を現す差別に驚かされることは稀ではない。そう感じない人がいるとしたら、余程めぐまれた環境にいるか、あまりにも鈍感かのいずれかである。『東京新聞』など一部の新聞を除き、石原都知事の度し難い差別発言をまともに取り上げた新聞がなかったことからも、差別というものに対する嫌悪感が社会的に鈍磨していることがわかる。

朝鮮学校は、在日二世たちが、日本社会に染みついている差別から逃れる場所としても機能していたのだと、著者は指摘する。そうでなければ、日本の通名に変えて、出自をひた隠しにした。そして、足を踏む者はその痛みを感じないし、踏んでいることすら忘れてしまう。

総聯系の朝鮮学校は、祖国志向と思想教育の色合いが濃いものだった(あるいは民団系の韓国学校だが、数が少ない)。しかし、その点のみを捉えて、日本に住むなら日本の教育を受けよと言うのは歴史を無視した態度である。

「一世たちは戦後まもなく、植民地時代に奪われた民族の名前や言葉を取り返し次の世代に伝えるために、日本の各地に朝鮮学校を開いた。朝鮮学校をはじめとする民族教育に対する日本政府の対応は、朝鮮戦争を引き起こした米ソ冷戦の時代背景を考慮に入れても一貫して弾圧的で、在日は膝を屈する形での帰化か、南北に分断された祖国への帰国か、二者択一の選択肢しか与えられなかった。」
「踏みにじられた人間としての誇りと尊厳を取り戻すため、それは親たちにとっても心の癒しとなる行為だったろう。つまり、戦後の出発点に、日帝三十六年で奪われた民族性をどうやって取り戻すかという大命題があったのである。そのとき、朝鮮民族の理想的なシンボルとして金日成ほどわかりやすい存在は、ほかにはいなかった。」

在日がなぜパチンコ業界やシューズ・鞄業界に集まったのか、加害者として韓国軍がベトナムで行った残虐行為、韓国内での全羅道や済州島に対する差別構造、阪神大震災での受苦についても、多くの取材がなされている(ところで、つげ義春『李さん一家』に出てくる李さんの妻が済州島出身だという指摘は興味深い)。関東大震災のとき、流言蜚語によって多くの朝鮮人が殺傷された。阪神大震災でも、その恐怖が在日の間で蘇ったという。歴史はそれほどに根深い。つまり、現在、朝鮮学校で思想教育を行っていることをもって、北朝鮮の拉致問題や核開発問題と結びつけるのは、あまりにもバランスを欠いているということだ。

著者は、マイノリティの子どもたちが、民族の言葉や文化を公教育の場で学ぶ権利は「子どもの権利条約」で保障されているはずだと指摘する。日本は1994年にこれを批准している。

第30条
 種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。


牛乳(4) 想いやりファームの無殺菌牛乳

2010-04-19 23:55:28 | 食べ物飲み物

ふとツイッターで知った無殺菌牛乳。いまでは北海道の想いやりファーム(>> リンク)だけで製造しているらしい。15年くらい前に農水省での展示を見たときには、いくつか無殺菌牛乳を作ることを許可された特別な牧場があるのだ、ということだったが。

ずいぶん前から、群馬県・東毛酪農ノンホモジナイズド・パスチャライズド牛乳「みんなの牛乳」の大ファンであり、自分にとっての究極の牛乳である。それと無殺菌牛乳がどう違うのか。ちょうど所用で札幌に足を運ぶ機会があり、大通り公園地下街の店で小瓶を買って飲んでみた。

ノンホモ・パス乳よりもさらりとしている。味は最初薄いように感じるが、上品で自然な甘みがある。「みんなの牛乳」のほうが好みだが、毎日飲んでいたらこちらが好きになるかもしれない。コスト度外視の商品だから、次に北海道に行くときまで飲む機会はないだろう。しかし旨いものは旨い。


狸小路にある「喜来登」のラーメン。ねぎラーメンではない


オーディオが凄いジャズ喫茶「ジャマイカ」

●参照
○牛乳(1) 低温殺菌のノンホモ牛乳と環境
       - 平澤正夫『日本の牛乳はなぜまずいのか』(草思社)
       - 中洞正『幸せな牛からおいしい牛乳』(コモンズ)
○牛乳(2) 小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』
       - 小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』(農文協)
牛乳(3) 森まゆみ『自主独立農民という仕事』
沖縄のパスチャライズド牛乳


アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』

2010-04-18 22:00:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハが、ピアノソロ、トリオ、グローブ・ユニティと3種類の編成で行ったライヴ(2008年、ベルリン)が、『ライヴ・イン・ベルリン』(jazzwerkstatt)と題された映像となって出ている。なかなか感涙ものである。

ピアノソロは4曲。抒情を排したようなインプロヴィゼーションが硬く響く。乗ってくると、口の中で舌を左右に高速で動かすのが彼の癖だ。

エヴァン・パーカー(サックス)、パウル・ローフェンス(ドラムス)とのトリオも4曲。これが観たかった。それぞれの演奏は観たことがあるものの、シュリッペンバッハ・トリオとしての演奏はまだ目の当たりにしたことがないのだ。90年代後半に来日したとき、いまはない六本木ロマーニッシェス・カフェに出かけたら、パーカーのかわりにバスクラを持ったルディ・マハールがいた。妻の手術で来られなくなったとのメッセージがあった。そして、サックス・ソロやエレクトロ・アコースティック・アンサンブル(これはあまり好きになれない)などでのパーカーを観たときは、唖然とさせられた。

この映像での演奏はやはり凄い。パーカーは得意の循環呼吸奏法のみならず、小鳥のような声から金属音までを音塊として吐き続ける。ローフェンスのドラミングはヴァイタルなだけではなくとても多彩で、「Amorpha」ではシンバルをパルスのように響かせるサニー・マレイのようなアプローチさえ見せる。ぜひいつか、この長寿グループを実際に観たいものだ。

最後に、47分強のグローブ・ユニティによる演奏がある。メンバーには、ゲルト・デュデック(サックス)、ポール・リットン(ドラムス)、マンフレッド・ショーフ(トランペット)らの古参も、ルディ・マハール(バスクラ)、アクセル・ドゥナー(トランペット)らの若手もいる。この総勢14名が、微妙に円を描くようにステージ中央を向き、コレクティヴ・インプロヴィゼーションを繰り広げる。

順次プレイヤーが前に出ると、各人がこれでもかと言わんばかりに吐きだした結果としての音圧が弱まり、ソロ演奏が聴こえるようになる。その間隙で、個々のプレイヤーが自分というものを提示する。やがて周囲の音圧は強まっていき、音は集団のものと化す。

最初はルディ・マハールである。長身をくねくねと曲げてはバスクラらしからぬハイテクな音を繰り出す。マンフレッド・ショーフは場違いに堂々とロングトーンを吹き始め、そこにマハールの奇妙な音が混じると笑ってしまう。ヨハネス・バウアーのトロンボーンは踊るようでも茶化すようでもある(いつだったか、ペーター・ブロッツマンとのデュオを観たが、奇妙にマッチするのだった)。アクセル・ドゥナーはトロンボーンのようなU字管が付いたトランペットで、異常なほどに存在感のある擦音を披露する。ゲルト・デュデックの魅力が何なのか未だに判然としないが、これはこれで良い。

個性と集団とがせめぎあい、かつ、矛盾するようだが、協調している。素晴らしいグループである。

DVDの解説には、シュリッペンバッハへのインタビューが掲載されていて、これがまた面白い。インタビュアーが「アドルノはジャズに否定的だった」などと挑発するのがヨーロッパ的(?)ではあるが、シュリッペンバッハの答えは一貫して「ジャズは自由だ」なのだ!

●参照
シュリッペンバッハ・トリオの新作、『黄金はあなたが見つけるところだ』
『失望』の新作(ルディ・マハール、アクセル・ドゥナー)
アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbeständige Zeit』
リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』


市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』

2010-04-17 16:38:50 | 環境・自然

所用で市川塩浜まで出かけたついでに、三番瀬の様子を眺めにうろうろ。距離的には近いが、海辺の運送会社や産業廃棄物処理会社などが集まっているエリアで、歩く人はほとんどいない。そのためか、歩道の真ん中に育っているタンポポやオオイヌノフグリが全く踏まれていなかった。ごみの散乱は昔ほどひどくもない。海辺ゆえ松が多く、その下にはホームレスのテントがある。

近づいたところで、老朽化した垂直護岸が崩れる事故があったため、どこもかしこもフェンスで近づくことができなくなっている。昔は護岸まではともかくも行くことができた。


ここも(運送会社の横で、フェンス越しに)


ここも(フェンス越しに。向こうに小さい人工干潟と壊れた橋が見える)


ここも(スポーツセンターの横)

千葉県が「砂付け試験」というものを実施しているようで、砂を投入してその変化と生物の加入状況を調べている。垂直護岸は、安全性の問題がなくても、親水性が皆無であり(干潟だと気が付かない人もいる)、水や酸素の循環といった点でも劣悪であることは間違いないだろう。この試験は、垂直護岸から人工干潟を造成することを想定したものなのだろうか。この是非については、市民団体の間で意見がふたつに分かれている。

市川塩浜駅前には、NPO三番瀬が管理する「三番瀬案内所」がある。久しぶりに入ってみると、丁寧に説明してくれた。

目立つのは展示室の真ん中にある大きな水槽。この中に、アメフラシナマコがいた。一説には、水中で紫色の液を吹きだすのがアメフラシの名前の由来。体内には薄い貝殻があるという。「太りすぎて、貝から体がはみ出したのでしょうか・・・。」(屋比久壮実『磯の生き物』)

隣の水槽には、メリベウミウシというウミウシが、大きな口を開けて漂っている。アメフラシといいウミウシといいナマコといい、つくづく奇妙な生き物である。


アメフラシ


メリベウミウシ

また別の水槽では、アマモを育てている。希少な寿司だねのギンポがアマモの間を縫うように泳いでいた。訊ねてみると、今年も富津干潟からアマモをもらってきて、三番瀬で生育実験を行っている。何年か前、何ものかによってアマモが取り去られたことがあった。

垂直護岸や猫実川河口あたりを貴重な生態系とみなすかどうか(牡蠣礁など)については、この団体は否定的だ。それよりも三番瀬本来の砂干潟を再生させることを重要視している。


アマモとギンポ

ところで、科学映像館が教育映画『潮だまりの生物』(1950年代、学研)を配信している(>> リンク)。フィルムが劣化してはいるが、干潮時の岩礁の潮だまりにいる生き物が次々と登場し、とても親しみがわく。ただし、魚や海老の映像は、水槽で撮ったものだろう。場所は特定されていないが、おそらくは関東から九州の太平洋岸のどこかだろう。

ここにもアメフラシやウミウシが登場する。最初に見た人は肝を潰しただろうな。他にも次のような生き物が登場する。

●フクロノリ(今では「キシリトールガム」などに抽出物が利用され、歯の再石灰化に役立つ)
●イワヒゲ(海藻)
●ヒジキ(海藻)
●ケガキ(貝)
●イシゲ(海藻)
●アラレタマキビ(貝)
●キクノハナ(平たい菊の花のような形でへばりついた貝)
●ウノアシ(鳥の足のような形でへばりついた貝)
●ヨメガカサ(傘のような形でへばりついた貝)
●カラマツガイ(やはり傘のような形)、その卵
●クロフジツボ(最後に潮が満ちてくると蓋を開けて蔓脚を出す)
●カメノテ(フジツボと同じく固着生物)
●イワガニ
●ショウジガニ
●トゲアシガニ
●ヒライソガニ
●イソクズガニ(甲羅が海藻で覆われている。糸満で見たケブカガニを思い出す)
●イソスジエビ
●ヤドカリ
●ヨロイイソギンチャク(鎧のように小石や貝殻が付いている)
●モエギイソギンチャク
●ケヤリムシ(ゴカイの仲間。花のようにゆらゆらしている)
●メジナ(魚)
●キヌベラ(赤、青、緑の魚だが、勿論、白黒映画)
●アゴハゼ(魚)
●カエルウオ(底に棲む魚)
●ゴンズイ(ナマズの仲間)
●ウツボ
●タコ
●ヤツデヒトデ
●アカウニ(棘の間から管足を出し、岩に吸いつかせて歩く様子)
●ウミウシ
●アメフラシとその卵(紫色の駅を出す様子) 

これでも17分間の映画に登場する生き物のすべてではない。まさに生物多様性、岩礁干潟ならではだ。

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』

●三番瀬
日韓NGO湿地フォーラム
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い

●岩礁干潟
糸満のイノー、大度海岸


2010年と1995年のルートヴィヒ美術館所蔵品展

2010-04-17 09:37:57 | ヨーロッパ

所用で横浜に出かけた帰りに、そごう美術館「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」を観た。ドイツ・ケルンにあるルートヴィヒ美術館の所蔵品の展示である。今年ケルンの美術館近くまで足を運んだのだが、立ち寄る時間はなかった。

ピカソ、ノルデ、エルンスト、シャガール、クレーといった天才たちの作品であり、もはや手法的な新鮮さはなくても素晴らしい作品群だ。ジャズ・ドラマーでもあったA・R・ペンクの作品も1枚ある(ペンクを観る機会は多くない)。

特に大好きなマックス・エルンスト「月にむかってバッタが歌う」はフロッタージュによる終末的な作品で、つい駆け寄ってしまう。1995年に東武美術館で開かれた「20世紀美術の挑戦―ルートヴィヒ美術館展」で観て以来だ。もちろん、何度観ても嬉しい。旧東ドイツの批評家たちは、核爆発後、最初の生き物として無数の蟻や蠅が満ち溢れるというヴィジョンを読み取っていたという。


前回図録では「月にむかってきりぎりすが歌う」となっている。バッタ?きりぎりす?

帰宅して、前回図録を棚から出して眺める。ピカソ、クレー、シャガールなどの作品は、前回のときと共通するものが多い。ただ、今回は、マレーヴィチ、ロドチェンコ、フィローノフといったロシア・アヴァンギャルドの作品がほとんど来ていない。特に長らく幻の画家と言われたパーヴェル・フィローノフの絵はほとんど観る機会がないだけに、ひたすら残念だ。私はこれを含め、2008年に開かれた『青春のロシア・アヴァンギャルド』(Bunkamura ザ・ミュージアム)(>> 記事)との2回しかフィローノフ作品の現物を観たことがない。


前回図録より、フィローノフ「顔」

それにしても15年前か。池袋は、西武、東武と美術館が両方消えてしまい、かなり親しみのない街になってしまった。


チラシをとってあった