Sightsong

自縄自縛日記

「米軍統治下の「島ぐるみ闘争」から現在の沖縄を逆照射する」@神保町月花舎

2024-10-30 04:19:37 | 沖縄

「米軍統治下の「島ぐるみ闘争」から現在の沖縄を逆照射する」と題したイベントを開催しました(2024/10/27、神保町月花舎)。

『米軍統治下での「島ぐるみ闘争」における沖縄住民の意識の変容』を上梓した村岡敬明さん(大和大学准教授)による研究内容の紹介。特定のスタンスに依ることなく膨大な一次資料を分析し「ナマの声」を蘇らせるアプローチです。それから西脇尚人さん(沖縄オルタナティブメディア)と自分を交えたトーク。たとえば次のような話題が興味深いものでした。

● 沖縄の「反復帰派」は決して少数ではなかったこと。現在の独立派へとつながる流れがあること。
●沖縄問題を語るときの当事者性。「~から問う」とのテーマ設定には主語も目的語も不在であり、「沖縄に寄り添う」という常套句には欺瞞があること。生活権・生存権を脅かされる者以外の当事者とは何者なのか。アイデンティティ・ポリティクスとは。
●「オール沖縄」という組織化に対する評価、それをめぐる言説。
●辺野古から高江に運動がどのように受け継がれていったか。
●米軍基地返還を妨げる台湾問題というアキレス腱。

【参照した資料】
川名晋史『在日米軍基地 米軍と国連軍、「2つの顔」の80年史』(中公新書、2024年)
金成隆一『ルポ トランプ王国2——ラストベルト再訪』(岩波新書、2019年)
古波藏契『ポスト島ぐるみの沖縄戦後史』(有志舎、2023年)
駒込武・編『台湾と沖縄 帝国の狭間からの問い——「台湾有事」論の地平を越えて』(みすず書房、2024年)
西脇尚人「沖縄の新聞を読む◆中 代表制の矛盾を突く」(『沖縄タイムス』、2015年4月8日)
西脇尚人「高橋哲哉氏への応答—県外移設を考える」(上、中、下)(『沖縄タイムス』、2016年3月15~17日)
村岡敬明『米軍統治下での「島ぐるみ闘争」における沖縄住民の意識の変容』(大学教育出版、2024年)
森啓輔『沖縄山原/統治と抵抗 戦後北部東海岸をめぐる軍政・開発・社会運動』(ナカニシヤ出版、2023年)

専門家・有識者と素人(これは自分)とがことばを同じテーブル上に広げる試み、頼りにするのはことばへの誠実さと知性。ちょっと続けてみたいと思っています。


岡田一男『沖縄久高島のイラブー』

2024-08-18 16:21:10 | 沖縄

シネマ・チュプキ・タバタにて、岡田一男『沖縄久高島のイラブー』(2024年)。

沖縄開闢神話の地・久高島では、住民を神女として相互承認させるためにイザイホーという祭祀が12年にいちど行われていた。だが人口減少もあり、最後に行われたのは1978年のこと。その貴重な記録映画が『沖縄久高島のイザイホー』(岡田一男監督)だが、そのときイラブー(エラブウミヘビ)の燻製作りも撮影されていた。そして21世紀になり、途絶えていたイラブーの捕獲と燻製が復活してきた。映画はかつてのフィルムと最近の様子を対照させて示している。

20年近く前、僕が久高島を訪れた日がちょうどイラブー獲りの復活というタイミングだった。もちろん島内でイラブーを食べられる店などなかったし、那覇の市場にぶらさがっている乾物はほかの場所から運ばれてきたものだった。映画によれば、伝統が断絶している間に外の漁民が近くにイラブーを獲りにきたり、質の悪い燻製を作ったりといった動きがあったらしい。おもしろいのは、復活にあたり製造技術を学ぶため鹿児島や静岡やモルディブに行ったということ。

伝統といってもずっと変わらないものがあるわけではない。宮内泰介・藤林泰『かつお節と日本人』によれば、かつお節はかならずしも日本料理の伝統というわけではなかった。状況が大きく変わったのは戦争。栄養と携行性にすぐれたかつお節の生産は国策となり、インドネシアや南洋群島などへの「南進」が繰り広げられた。それを担った働き手の多くは沖縄の漁民だった。だから、映画でも「新しいやり方でよい」といった発言があるけれど、それも当然か。それではイラブーの燻製技術に沖縄のかつお節製造がどのように影響したのか、そのあたりは映画ではわからずなお興味津々。

ところでモルディブにはかつお節のようなモルディブ・フィッシュというものがあり(『美味しんぼ』で有名になった)、スリランカでよく使われている。僕も20世紀の終わりころにスリランカを旅したとき、市場でモルディブ・フィッシュを買って帰ってきたのだけど、どうも出汁を取るのではなく砕いて入れるもののようで、うまく使えなかった記憶がある。久高島の人はモルディブでどのような知見を得たのだろう、これもまた興味津々。

さてどこに行けばイラブー料理を食べることができるのだろう。


旅する語り@東京琉球館

2023-10-29 09:37:31 | 沖縄

駒込の東京琉球館(2023/10/28)。

旅するカタリ=渡部八太夫(説経祭文語り)+姜信子(作家)
ケセランぱさらん=太田てじゅん+深田純子

「百年芸能祭」。関東大震災から100年が経ち、近代というものによって生の舞台から排除されていった者たちに想いを馳せ、また次の100年を見据えてちがうありようを目指してゆくコンセプトのようである。メンバーシップや機会は限られておらず広く開かれている。

朴正煕時代の韓大洙(ハン・デス)の<水をくれ>、朴槿恵時代のろうそくデモでも歌われたハン・ヨンエの<調律>、沖縄の標準語励行運動(1939年)、石垣島の<請来節>や<酋長の娘>、<デンサー節>、それにネーネーズも歌ったボブ・マーリーの<No Woman No Cry>にちなんで<No Human No Cry>。姜信子さんが解説し、それを語りと音楽として花開かせる。

いい時間だった。それにしても、関東大震災時に標準語を流暢に喋れない者たちが殺された事件が沖縄でも語り継がれ、標準語励行運動につながったのだとは。

●関東大震災
『オフショア』第三号に「プンムルと追悼」を寄稿
辻野弥生『福田村事件』
関東大震災99周年/韓国・朝鮮人犠牲者追悼式
関東大震災97周年/韓国・朝鮮人犠牲者追悼式
呉充功『隠された爪跡』、関東大震災96周年/韓国・朝鮮人犠牲者追悼式
伊藤ルイ『海の歌う日』
藤原智子『ルイズその旅立ち』
『ルイズその絆は、』
亀戸事件と伊勢元酒場
加藤直樹『九月、東京の路上で』
藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』
南喜一『ガマの闘争』
田原洋『関東大震災と中国人』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
山之口貘のドキュメンタリー(沖縄人の被害)
平井玄『彗星的思考』(南貴一)
道岸勝一『ある日』(朝鮮人虐殺の慰霊の写真)
『弁護士 布施辰治』(関東大震災朝鮮人虐殺に弁護士として抵抗)
野村進『コリアン世界の旅』(阪神大震災のときに関東大震災朝鮮人虐殺の恐怖が蘇った)


世良利和『外伝 沖縄映画史 幻に終わった作品たち』

2023-09-29 07:55:32 | 沖縄

世良利和『外伝 沖縄映画史 幻に終わった作品たち』(ボーダー新書、2020年)

大島渚は沖縄で傑作『夏の妹』を撮るわけだけれど、その前に沖縄のミュージカル映画の構想があったなんて知らなかった。

それよりも驚いたのは、ベトナム戦争の時代に、ジョン・ウェインが『グリーンベレー』の中で沖縄ロケを行おうとしていたこと。かれはやんばるの森をベトナムに見立てて撮影するつもりだった。言うまでもなく、やんばるの北部訓練場には「ベトナム村」が作られ、住民を敵のベトナム人に見立てた演習も、枯葉剤散布もなされていた。なんて破廉恥な。

それから、中島貞夫の『沖縄やくざ戦争』のもとになった脚本『沖縄進撃作戦』(笠原和夫)があったということ。ホンはあの傑作映画をを遥かに上回るスケールだったらしい。やはり抗争や興行の関係者(両者は重なる)に配慮したものだという。もう時間が経っているわけだし誰かオリジナルの脚本で撮らないかなと想像するけれど、だとしても、ヒットマンのチンピラに撃たれる千葉真一の演技を超えるのは無理だろうね。


仲里効『沖縄戦後世代の精神史』

2023-01-30 22:50:34 | 沖縄

仲里効『沖縄戦後世代の精神史』(未來社、2022年)。

50年ほど前の「復帰」あるいは「施政権返還」とは何だったのか。日の丸を振って大歓迎する機運が高まった一方で、新川明が「反復帰論」を、また岡本恵徳が「水平軸の発想」を唱えた。だが国家やルーツという物語から距離を置き、個や社会をとらえなおそうとする思想は、決してかれらだけのものではなかった。いかに自らを解放するかという手がかりは、ひとつふたつの思想からのみ得られるものではない。

自分としては、写真家・島尾伸三についての分析が、取り上げられている人たちの中でひときわ興味深い。かれの写真には、たとえば、次のような宙ぶらりんのキャプションが添えられていることが多い。

[香港/覚醒など夢のまた夢なのに、]
[台北/靴の泥が主人面して気持ちに居座っていて、]

著者はこのような特性が「統辞を脱臼させ問いかけを重ねていく<読点>に、入口と出口を謎にかけるような文体の異風にあった」と、さらには「<読点>とはほかならぬ写真という光学の自我でもある」とする。慧眼というべきだろう。そしてこの極私的な表現は、かけがえのない人への「恋文」として発展していった。島尾伸三の作品が魅力的な理由はこのあたりにもある。

●仲里効
仲宗根勇・仲里効編『沖縄思想のラディックス』(2017年)
仲里効『眼は巡歴する』(2015年)
仲里効『悲しき亜言語帯』(2012年)
仲里効『フォトネシア』(2009年)
仲里効『オキナワ、イメージの縁』(2007年)


『沖縄の“眼”になった男 〜写真家・平良孝七とその時代〜』

2023-01-08 17:29:05 | 沖縄

NHKの『沖縄の“眼”になった男 〜写真家・平良孝七とその時代〜』は力作だった。

「武器としての写真」による社会的な告発をねらった平良孝七は、自身の職業スタンスとの矛盾に苦しんでもいた。その相克は、実は屋良朝苗琉球政府主席を背後から捉えた写真や、施政権返還時のかれらしくないアレ・ブレ・ボケ写真としてかたちになってもいたということが納得できる。 だから、告発に「むなしさ」を感じてから「ただ視る」ことを実践してきたということが実感できる写真群(番組にも登場する仲里効さんが『フォトネシア』で書いている)や、アイコンとして利用されてきた少女の写真などは、平良の世界のすべてではない。

番組の最後に、山城知佳子さんが自身と戦争体験者との顔を重ね合わせ、体験談を同じ口から語らしめる動画作品《あなたの声は私の喉を通った》について話している。現代のわたしたちは戦争体験者と同じ怒りや感情を持つことはできない。それを表現としたものでもあった、と。これは平良の感じた「むなしさ」と表裏一体のものかもしれない。ちょっと驚いた。 

沖縄の“眼”になった男 〜写真家・平良孝七とその時代〜 - ETV特集 - NHK

手元にある『沖縄カンカラ三線』(三一書房、1982年)

●参照
琉球弧の写真、石元泰博
コザ暴動プロジェクト in 東京
平良孝七『沖縄カンカラ三線』
『山城知佳子 リフレーミング』@東京都写真美術館
仲里効『フォトネシア』


大石始『南洋のソングラインー幻の屋久島古謡を追って』

2022-12-22 20:46:40 | 沖縄

大石始『南洋のソングラインー幻の屋久島古謡を追って』(キルティブックス、2022年)がおもしろい。

レラ抜きの琉球音階はいまの沖縄が中心で、たとえば奄美大島の民謡などはずいぶん雰囲気が異なっている。だが、それは1か0かではない。沖縄よりもかなり北の屋久島にも琉球音階が伝わっていた。

薩摩から先島までを行き来する官吏、漁民、あるいは商人がマージナルマンであった。人は移動とともにうたを持ってくる。


ウルトラマンと沖縄

2022-06-19 12:25:01 | 沖縄

沖縄の天才・金城哲夫と上原正三の若いころを再現したドラマ『ふたりのウルトラマン』。かれらは施政権返還前の沖縄からパスポートを持って日本に渡り、特撮ドラマのパイオニアになった。

https://www.nhk.jp/p/ts/PN3P16XW6Y/

金城が沖縄で作った映画『吉屋チルー物語』(1963年)を観ると、かれが沖縄独自の歴史に並々ならぬ誇りをもっていたことが伝わってくる。ウチナーグチがまるで解らないので(知念ウシさんによる字幕版があるそうだ)、せめて、チルーが遊女になった境界たる比謝川の唄を聴いてみる。むかし那覇の高良レコードで100円で買った。

それにしても、この世界から「ニライカナイ」=「光の国」=「ウルトラの星」を創造した金城の凄さに、あらためて驚かされる。ずいぶん前、沖縄に戻ってからの金城の仕事場を見せてもらったことがある。酒浸りになったかれがそこの屋根から転落死した経緯は不明だったはずで、たぶん、上原正三『ウルトラマン島唄』における想像がドラマにも活かされている(上原さんはやさしい)。

『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』が放送されていた当時、日本の子どもたちは沖縄との関連にはまったく気づかなかった。だが、たとえば『帰ってきたウルトラマン』において上原が脚本を手掛けた「怪獣使いと少年」を観て、社会の差別構造にショックを受けた子どもは少なくなかったにちがいない。その背景には沖縄人・上原のココロザシがあった。『万引き家族』の是枝裕和監督もテレビドキュメンタリー『シリーズ憲法 〜第9条・戦争放棄「忘却」〜』においてそのことを語っていた。

沖縄という観点でのウルトラシリーズの語りなおしはまだまだこれからだ。

●参照
上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』
怪獣は反体制のシンボルだった
『OHの肖像 大伴昌司とその時代』
『怪獣と美術』 貴重な成田亨の作品
佐野眞一『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』
『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』 これはもう宗教(2009年)
ウルトラマンの新しい映画(2008年)


特別展『琉球』@東京国立博物館

2022-06-05 08:43:59 | 沖縄

東京国立博物館の特別展「琉球」。

やはりアジアとの関係に焦点が当てられている。18世紀の清国の官僚・徐葆光は冊封使として琉球王国に赴いた人で(本郷義明『徐葆光が見た琉球』という数年前のドキュメンタリー映画はおもしろかった)、かれの書が展示されている。「為」や「芳」なんかの字はふわっと丸くバランスが取れていて、また上品でユーモラスなものもあったりして、すごく知的で大きな人だったんだろうなと思わせられる。

驚いたのはノロのトップにいた聞得大君の金の簪。大きくて、蛇の模様が彫られている(コレ付けたら動けないだろう!)。国王からの任命状も展示されていて、ノロは国家権力の一部だったのだなと再認識。久高島や斎場御嶽は民間信仰のパワースポットのように語られるし、それには祭のイザイホーや吉本隆明が『共同幻想論』で語ったことなども影響しているのかもしれないのだけれど、これはあくまで「正史」に過ぎないのだということ。

御玉貫(うたまぬち)の現物ははじめて見た。ガラス玉がぎっしりと瓶の表面を覆っていて、長い時が経ってもすごく鮮やか。


熊本博之『辺野古入門』

2022-05-05 09:39:29 | 沖縄

熊本博之『辺野古入門』(ちくま新書、2022年)。

環境アセスメントのプロセスにどれだけ問題があったかについてもっと触れてほしかったけれど、さすがの良書。選挙運動においてスピーカーにおカネをかけられるのが保守陣営の強さだとする指摘なんて、フィールドワークを行ってきた人ならではである。

本書で実感できることは、基地建設に対する政府の補助金が歪んだ「報奨金」であり続けてきたこと。

それから、基地経済について語るべきは数字だけではないこと。経済的な基地依存度は50年代の3割近くから5%程度にまで下がっているとはよく言われてきたことだ。一方本書で指摘されるのは、住民が寂れた「辺野古社交街」に過去の繁栄を幻視していること。つまり実現しないことがわかっている生活者の夢を利用する政治。

●参照
辺野古


『山城知佳子 リフレーミング』@東京都写真美術館

2021-09-12 14:22:04 | 沖縄
東京都写真美術館で『山城知佳子 リフレーミング』展。
この人の《アーサ女》を観てあまりのなまなまなしさに驚いたのは、国立近代美術館の『沖縄・プリズム 1872-2008』展(2008年)だった。シンディ・シャーマンのように女性がなにものかに「なる」表現との共通点も考えたのだけれど、山城さんのそれは異なる。暑さ、眩しさ、痛さ、苦しさを引き受けるためにその場に我が身を置く表現であり、より切実で、身体感覚とともに感情移入せざるを得ないものだった。(顔を無条件に世界に晒すことが倫理だというエマニュエル・レヴィナスの思想のように。)
今回も展示された《アーサ女》からの荒い息遣いが聞こえる部屋で、戦争体験者の語りを引き受ける《あなたの声は私の喉を通った》の前に立つ。他者の声は私の声、身体を通過したうえで共有される記憶。
そしてさらに鮮烈だった作品は、3つの並んだスクリーンに投影される動画作品《土の人》。皮膚的な暑さや痛さから、内部的な土や内奥への移行のように思えた。そこには天からの視線も自分の顔を見つめる視線もあった。2008年にオーストラリアのPICAで観た、ジュリー・ドーリングによるやはり3スクリーンの動画作品《OOTTHEROONGOO (YOUR COUNTRY)》を思い出した。ジュリーもまたアイデンティティをもとめ(アボリジニとしての)、土に接近し、同時に宇宙から見た地球や自身がカメラを見つめる顔をみごとに組み合わせたのだった。
10月10日まで。行ける人は行ったほうがよいです。
 
 

生存権、生存思想

2020-11-23 10:56:56 | 沖縄

沖縄の金武湾闘争を引っ張った崎原盛秀氏が先日亡くなったと聞いて、思い出して、上原こずえ『共同の力』(世織書房)を紐解いた。買って積みっぱなしだった。

施政権返還前、1960年代の終わりころから、金武湾に大規模な石油備蓄基地を造る計画が持ち上がった。それに抵抗する住民の運動が高まってゆき、計画縮小という成果を得た。

・・・というくらいの認識だったのだけれど、本書を読むと、この運動には別の大きな意義があったことがわかる。つまり、運動を通じて、「生存権」という思想を抽象的なものから血肉化していったということ。そこからは、地域主義、コモンズ、エコロジー、非暴力、ヤポネシア思想など、多くのものにつながる考えも発展した。この問題の情報誌としてスタートした『琉球弧の住民運動』の復刻版(800ページ超、1万うん千円!)のあとがきには、故・新崎盛暉氏が、沖縄の反基地運動も反環境破壊運動もこれがモデルケースになったのだと書いている。(大したことはしていませんが、僕もこの復刻版の編集委員に名を連ねています。図書館ででも読んでみてください。)

●参照
東陽一『沖縄列島』、『やさしいにっぽん人』(1969年、1971年)
宮本常一『私の日本地図・沖縄』(1970年)
日本ドキュメンタリストユニオン『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』(1971年)
唖蝉坊と沖縄@韓国YMCA(2017年)
嘉手苅林昌「屋慶名クワデサー」、屋慶名闘牛場


琉球弧の写真、石元泰博

2020-11-17 07:18:18 | 沖縄
琉球弧の写真、石元泰博
 
このふたつの写真展が終わってしまいそうなので、半休を取ったついでに東京都写真美術館に行ってきた(せっかく改称されたのに誰もTOPミュージアムって呼ばないね)。
 
沖縄の写真家が7人。こんな形で都内でまとまって展示されるのは2008年の『沖縄・プリズム』展以来久しぶりかな。今回おもしろかったのは、白黒フィルムの露出やプリントのちがいは、単なる方法論や技術のちがいではなく、写真家の意識のちがいをかなり反映しているように思えたこと。だから同じ写真を何度も観ることには大きな意味がある。
 
山田實は意外にハイコントラストでオリエンタリズムを強調する結果になっていて、ヤマトからの窓口という機能を思い出させる。比嘉康雄の極度な焼き込みは本人が規制側から観察側に転じたことと無縁ではないだろう。平良孝七の露出オーバーのフィルムを焼いたプリントは、炎天下を歩き続けた時間のせめぎあいを感じさせる。比嘉豊光のアレブレボケのあざとさについては、そこに身を置いた者を外から評価するとはどういうことなのかという視線を持たなければ誠実でなくなること(いやまあ、実にあざといんだけど)。伊志嶺隆の落ち着いた目線と柔らかな露出・プリント。平敷兼七の弱さというアイデンティティ。それから、石川真生さん。湿った空気がもろに伝わってくる。まおさんやっぱり最高。
 
階段を降りて石元泰博。『シカゴ、シカゴ』は構成の眼でつらぬかれた作品群で、わかってはいても眼が驚く(たしか、作品を酷評されたあとにモホイ=ナジの本を読んでやってみたら絶賛されるようになった、と本人がカメラ雑誌に書いていた)。その後の東京もすべてその視線によるもので、構成主義的でない街とのたたかいが逆にすさまじい緊張感をもたらしていることがよくわかる。だからノーファインダーで信号待ちする人の背中ばかりを撮った『シブヤ、シブヤ』は晩年の過激な挑戦だったのだな、と、しみじみ。大判カメラを持ち込んでの桂離宮なんて、むかし印刷物で観てなんてつまんないんだろうと思っていたのに、実は本人にとっては藤川球児のど直球を投げられる場だったことも実感。

山田實〈道遠し 宜野座〉

比嘉康雄〈人頭税石 平良市〉

平良孝七〈72・10 黒島〉

伊志嶺隆〈御神崎〉

平敷兼七〈勝連半島の食堂 屋ヶ名〉

比嘉豊光〈天願桟橋〉

石元泰博

●参照
『山田實が見た戦後沖縄』
豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明
平良孝七『沖縄カンカラ三線』
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
「日曜美術館」の平敷兼七特集
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
比嘉豊光『赤いゴーヤー』
比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』
伊志嶺隆『島の陰、光の海』
石川真生『日の丸を視る目』、『FENCES, OKINAWA』、『港町エレジー』
石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
コザ暴動プロジェクト in 東京
沖縄・プリズム1872-2008
仲里効『フォトネシア』
仲里効『眼は巡歴する』
須田一政と石元泰博
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』


『封印~沖縄戦に秘められた鉄道事故~』

2020-06-26 07:17:32 | 沖縄

NNNドキュメント'20の『封印~沖縄戦に秘められた鉄道事故~』(2020/6/21放送)を観る。

この鉄道とは、1914年から44年まで運営されたケービンこと沖縄県営鉄道の軽便鉄道である(番組では日本語読みを意識したのか主に「けいべん」と発音されていた)。起点はいまの県庁前の那覇バスターミナルにあり、北への嘉手納線、東への与那原線、南への糸満線の3本が走っていた。当時からあった「仲島の大石」は5年前のバスターミナル改築時に撤去されているのだが、その工事の際に、鉄道の向きを回転して変える「転車台」跡が出てきたという。ここで当時を知る方として登場するのが金城功さん。『ケービンの跡を歩く』(ひるぎ社おきなわ文庫、1997年)の著者である(なぜ金城さんも「けいべん」と発音するのだろう)。

ここから何人もの方が登場し、1944年12月11日に起きた鉄道爆発事故について貴重な記憶を証言する。公式な記録は『那覇市史』にしか残されておらず(新聞にも書かれなかった)、それは事故直後から日本軍によって箝口令が敷かれたからだった。同年8月に対馬丸が、また前年12月に湖南丸が米軍により撃沈され、戦争遂行のため情報が出ないよう強制されたように(大城立裕『対馬丸』)。

このドキュメンタリーによれば事故は以下の通りであった。

○犠牲者は221人(『那覇市史』)。うち軍人210人、女学生8人(生存2人)、県鉄職員3人(生存1人)。これは過去最多の犠牲者を出した鉄道事故とみなされてきた西成線脱線火災事故(1940年)の189人を上回る。
○軽便は1943年頃から軍事利用が優先され、一般人はほとんど乗ることができなかった。
○事故が起きた場所は糸満線の稲嶺駅近く、1944年12月11日の15時半~16時半頃。
○6両編成で150人の兵隊を乗せ、嘉手納駅を出発して嘉手納線で南下。那覇駅近くの古波蔵駅で2両が追加され、糸満線に乗り入れてさらに南下する途中のこと。
○煙突から火の粉が出て、それが無蓋車のドラム缶のガソリンに引火し、それが弾薬にも燃え移り、一気に爆発が連鎖した。沿線のさとうきび畑には沖縄戦に備えて弾薬が野積みしてあり、それらも爆発した。積んであった医療品は吹き飛ばされ、巨樹が真っ白になった。なお無蓋車に弾薬を積むことは軍の規制に違反していた。
○100メートルほど先の集落(南風原町神里地区)に人の肉や骨が吹き飛んできた。「戦争が始まった」と勘違いした住民もいた。なお同集落の駐車場には今にいたるまで錆びたレールが放置してあった。
○事故により弾薬等が激減し、「玉砕する他はなき現状」と言った軍の司令官がいた。だがかれも牛島中将と同時(1945年6月22日または23日)に自決した。
○1944年8月の対馬丸撃沈、10月の10・10空襲、1945年4月からの沖縄戦(地上戦)の間に起きた事故であった。
○1983年7月に工事現場から軽便の台車が発見された(説明はなされないが宜野湾市立博物館に展示してあるものだろう)。嘉手納線は今も米空軍嘉手納基地の地下にある。

事実が明らかにされていれば、戦争の行方も世論も変わったかもしれない事故である。このことは今に通じる側面を持っている。

●軽便鉄道
辻真先『沖縄軽便鉄道は死せず』(2005年)
金城功『ケービンの跡を歩く』(1997年)

●NNNドキュメント
『南京事件 II』(2018年)
『南京事件 兵士たちの遺言』(2015年)
『ガマフヤー 遺骨を家族に 沖縄戦を掘る』(2015年)
『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(2015年)
『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015年)
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)


佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』

2020-06-25 10:39:21 | 沖縄

佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(上下巻)(集英社文庫、2008/11年)。出てからかなりの時間が経ってしまったが、ようやく読んだ。

沖縄ヤクザの戦後史も、それが沖縄空手や実業家たちとかなり密接にかかわっていたことも、ほとんど知られていない。また、沖縄現代史といえば沖縄戦や施政権復帰や基地負担に偏っており、「沖縄財界四天王」(大城組の大城鎌吉、國場組の国場幸太郎、琉球セメントの宮城仁四郎、オリオンビールの具志堅宗精)について「本土」の者が言及することが少ないのもその通りである。知らないことが多く勉強になった。

「大文字」ではなく「小文字」で語る歴史を重視することは良い。また「清濁併せ吞む」ように立場の異なる者との関係を深めていった者たちに「人間らしさ」を見出すのも良い。だが、その結果、なんであれ談合的な政治を行ってきた者たちばかりを評価していることはダメだろう。辺野古についていま読んでみると、著者の見立てが実に甘かったことがよくわかる。

●佐野眞一
佐野眞一『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』(2013年)