村上春樹 編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』(新潮社、2014年)を読む。
村上春樹の小説が苦手で、エッセイが割と好きである。とは言っても、ジャズに関するものとなると微妙だ。ほとんど印象批評による、かれの私的領域に引き込まれてしまい、そんなものに影響されてもつまらないと思うからである。そんなわけで、和田誠のイラストとセットになった『ポートレイト・イン・ジャズ』も愉しんで読んだのだが、第2集には手を出さなかった(文庫では合本となっている)。
このアンソロジーでは、村上春樹自身の文章は、序文、レコード案内、あとがきだけであり、ほぼ翻訳に徹している。この巧さはさすがである。
さまざまな立場と、セロニアス・モンクとの関わりを持った人たちによる、文章。ひとつひとつが本当に面白い。モンクは紛れもない天才であったが、それがどのような天才であったかを言わなければあまり意味がないかもしれない。そのことを、天才ぶりだけでなく変人ぶりも含めて、皆が思いを込めて文章にしている。しかしそれでも、コアの部分は巨大なブラックホールである。
スティーヴ・レイシーにとって、モンクはたいへんな憧れであり、かつ、吸収すべき音楽であった。初のリーダー作『Soprano Sax』(1957年)を聴いたとき、わたしには、セロニアス・モンク曲となると突然うきうきとしはじめるように感じた。実は、それにはそれなりの理由があったことがわかる。
「五七年に出した私の最初のリーダー作『ソプラノ・サックス』(プレスティッジ)の中で、私は私なりに編曲した「ワーク」(間違いだらけだった)を演奏した。私はそのことをずいぶん誇りに思っていたのだが、自分がその曲をまったく正確に解釈していなかったことがあとになって判明した。それでもモンクは私の演奏を賞賛してくれた(その頃には私は彼と顔見知りになっていた)。」
もちろんレイシーだけでなく、ナット・ヘントフ、レナード・フェザー、オリン・キープニューズらの文章も読みごたえがあり、また、さまざまな発見がある。何と言っても、モンクに対するブラインドフォールド・テスト(!)なんてものまで収録されている。バド・パウエルの演奏を聴いたあとのコメントなど、泣けてしまう。
フェザー「これを聴いて、彼がベストな状態にあると思いますか?」
モンク「(笑う)彼についてのコメントはなしだ。ピアノについてもね・・・・・・彼はただ疲れているんだ。ピアノを弾くのをやめ、弾きたいという気持ちもなくしてしまった。彼の精神に何が起こっているのか、私にはわからない。しかし彼がすべてのピアノ・プレイヤーにどれくらい多大な影響を与えたか、あんたも知ってるだろう」
●参照
ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク』
『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』
バート・スターン『真夏の夜のジャズ』
ジョニー・グリフィンへのあこがれ
「3人のボス」のバド・パウエル
『Interpretations of Monk』
ジョルジォ・ガスリーニ『Gaslini Plays Monk』
ドミニク・デュヴァル セシル・テイラーとの『The Last Dance』、ジミー・ハルペリンとの『Monk Dreams』