Sightsong

自縄自縛日記

村上春樹 編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』

2014-09-30 23:51:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

村上春樹 編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』(新潮社、2014年)を読む。

村上春樹の小説が苦手で、エッセイが割と好きである。とは言っても、ジャズに関するものとなると微妙だ。ほとんど印象批評による、かれの私的領域に引き込まれてしまい、そんなものに影響されてもつまらないと思うからである。そんなわけで、和田誠のイラストとセットになった『ポートレイト・イン・ジャズ』も愉しんで読んだのだが、第2集には手を出さなかった(文庫では合本となっている)。

このアンソロジーでは、村上春樹自身の文章は、序文、レコード案内、あとがきだけであり、ほぼ翻訳に徹している。この巧さはさすがである。

さまざまな立場と、セロニアス・モンクとの関わりを持った人たちによる、文章。ひとつひとつが本当に面白い。モンクは紛れもない天才であったが、それがどのような天才であったかを言わなければあまり意味がないかもしれない。そのことを、天才ぶりだけでなく変人ぶりも含めて、皆が思いを込めて文章にしている。しかしそれでも、コアの部分は巨大なブラックホールである。

スティーヴ・レイシーにとって、モンクはたいへんな憧れであり、かつ、吸収すべき音楽であった。初のリーダー作『Soprano Sax』(1957年)を聴いたとき、わたしには、セロニアス・モンク曲となると突然うきうきとしはじめるように感じた。実は、それにはそれなりの理由があったことがわかる。

「五七年に出した私の最初のリーダー作『ソプラノ・サックス』(プレスティッジ)の中で、私は私なりに編曲した「ワーク」(間違いだらけだった)を演奏した。私はそのことをずいぶん誇りに思っていたのだが、自分がその曲をまったく正確に解釈していなかったことがあとになって判明した。それでもモンクは私の演奏を賞賛してくれた(その頃には私は彼と顔見知りになっていた)。」

もちろんレイシーだけでなく、ナット・ヘントフ、レナード・フェザー、オリン・キープニューズらの文章も読みごたえがあり、また、さまざまな発見がある。何と言っても、モンクに対するブラインドフォールド・テスト(!)なんてものまで収録されている。バド・パウエルの演奏を聴いたあとのコメントなど、泣けてしまう。

フェザー「これを聴いて、彼がベストな状態にあると思いますか?」
モンク「(笑う)彼についてのコメントはなしだ。ピアノについてもね・・・・・・彼はただ疲れているんだ。ピアノを弾くのをやめ、弾きたいという気持ちもなくしてしまった。彼の精神に何が起こっているのか、私にはわからない。しかし彼がすべてのピアノ・プレイヤーにどれくらい多大な影響を与えたか、あんたも知ってるだろう」

●参照
ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク』
『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』
バート・スターン『真夏の夜のジャズ』
ジョニー・グリフィンへのあこがれ
「3人のボス」のバド・パウエル
『Interpretations of Monk』
ジョルジォ・ガスリーニ『Gaslini Plays Monk』
ドミニク・デュヴァル セシル・テイラーとの『The Last Dance』、ジミー・ハルペリンとの『Monk Dreams』


チューリヒ美術館展

2014-09-28 22:24:19 | ヨーロッパ

国立新美術館に足を運び、「チューリヒ美術館展」を観る。

何しろ近代美術の美味しいところ。好きな画家ばかりだ。眼福、こういうものは観るべきですよ。

セザンヌによるサント・ヴィクトワール山の塗り残し。爆笑必至のピカソの裸婦。確かに音楽的なカンディンスキー。神がかりとしか思えないクレーの手仕事。未来派へのつながりを予感させるセガンティーニ。ジャコメッティの極限的な切り詰めは暗黒舞踏。

http://zurich2014-15.jp/artworks/


ナターリヤ・ソコローワ『旅に出る時ほほえみを』

2014-09-28 21:44:21 | 北アジア・中央アジア

ナターリヤ・ソコローワ『旅に出る時ほほえみを』(サンリオSF文庫、原著1965年)を読む。

ヨーロッパのある国。主人公の「人間」は、優秀な科学者として国家予算を与えられ、「怪獣」を開発していた。その「怪獣」は、地底を自在に移動でき、人工知能を有していた。それだけでなく、威力の大きな爆弾が装備されているのだった。当然、政府はそれを軍事兵器として使おうと画策する。エリート主義の権力者は、独裁を強めていく。権力者にとって「人間」もエリート仲間であったが、知的に権力の横暴を許すことができない「人間」は、権力に背く。「人間」はとらえられるが、その前に、「怪獣」の軍事利用の芽を摘むことに成功する。

かれは「忘却の刑」に処される。死刑にでもすれば、かれが権力に抗う者たちの英雄として記憶されてしまう。それを嫌った権力は、すべての記録から名前と存在を抹消する。「人間」が、本当に名前を持たない人間と化してしまうのだった。かれは国外に追放され、権力が嫌う東方、すなわち、ソ連の方へと歩いてゆく。

これは、ソ連においてヨーロッパ資本主義を批判した作品の形を取っている。しかし、本質的には、個人の声を封殺する全体主義の恐ろしさを描いたものとなっており、すなわち、批判はソ連自体に向けられたもののように読むことができる。

その意味で、作品としての深さや成熟度はさほどではないものの、イスマイル・カダレ『夢宮殿』(アルバニア、1981年)、ストルガツキー兄弟『滅びの都』(ソ連、1975年)、ミラン・クンデラ『冗談』(チェコ、1967年)などを想起させられる。あるいは、卑劣な小人物の独裁者を描いたものという点で、テンギズ・アブラゼ『懺悔』(グルジア、1984年)という映画をも思い出してしまう。もっと言うと、いまの日本と比べざるを得ない。

●参照
イスマイル・カダレ『夢宮殿』
テンギズ・アブラゼ『懺悔』


ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』

2014-09-28 09:40:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(TCB、2001年)を聴く。

Louis Hayes (ds)
Vincent Herring (as)
Jeremy Pelt (tp)
Rick Germanson (p)
Vincent Archer (b)

何しろ、最近の『Return of the Jazz Communicators』に驚いたばかりである。「大」が付くヴェテランだが、叩きっぷりは健在で、少し前の吹き込みも聴きたくなって探し出したのだ。

名義は「キャノンボール・レガシー・バンド」。ヘイズはキャノンボール・アダレイのグループで、凄まじい風圧のドラミングを展開していた(たとえば、この映像)。この盤でも、旋風、嵐、風圧。しかも、「Dat Dere」、「Work Song」、「Del Sasser」といった、キャノンボールお馴染みの曲。これはたまらない。

煽られるフロントはヴィンセント・ハーリングジェレミー・ペルト。もう、ふたりとも、まったくケレン味がなくてヘイズと同様に痛快なのである。ペルトは当時25歳くらいか。この後、体格もプレイもさらに堂々とした路線を突き進むことになる。


ジェレミー・ペルト、2014年6月、SMOKE(NY) 

●参照
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』
ルイ・ヘイズ『The Real Thing』
マルグリュー・ミラー逝去、チャーネット・モフェット『Acoustic Trio』を聴く
フレディ・ハバード『Without a Song: Live in Europe 1969』
ジェレミー・ペルト@SMOKE
ジェレミー・ペルト『Men of Honor』


アーシュラ・K・ル・グィン『マラフレナ』

2014-09-28 00:49:42 | ヨーロッパ

アーシュラ・K・ル・グィン『マラフレナ』(上・下、サンリオSF文庫、原著1979年)を読む。

物語は、19世紀前半におけるヨーロッパの架空の小国を舞台としている。

フランス革命(1789年)、ナポレオン戦争(1803-15年)を経て、ウィーン体制が構築された後の時代。この小国は大公国ゆえ、オーストリア帝国の間接支配下にあった(そのことを象徴することとして、メッテルニヒ外相の名前が幾度となく登場する)。議会も有名無実化していた。

主人公のイターレは、そのような政治と社会に憤りを覚え、田舎の大きな荘園を捨て、首都に出て反政府活動を行う。かれの名前はやがて広く知られることとなり、危険人物として投獄される。数年後、廃人のようになり出獄。やがて、隣国でのフランス7月革命(1830年)が起こり、次第にウィーン体制は崩壊へと向かう。イターレも首都には居られなくなり、また、田舎の荘園へと戻る。再出発を心に秘めて。

イターレが情熱を注ぎ、大きな犠牲を払って行ってきたことは、何だったのか。まったくの無駄ではなかったのか。そのような、イターレ自身の内省や苦しみが綴られ、読む者も苦しさを覚えないではいられない。また、「わたしは何をしているのだろうか、何者なのだろうか」と、自己の確立に苦しみ、傷を負うのは、イターレだけではない。しかし、作者ル・グィンの登場人物たちに対する愛情が、この作品を、ただの若者の失敗物語でない傑作にしている。

当時の政治情勢だけでなく、荘園地主の権力や、人びとを縛っていた因習なども描かれている。歴史小説と呼ぶべきか、SFと呼ぶべきかわからないが、とても面白く読んだ。


太田昌国の世界 その28「「従軍慰安婦」論議の中の頽廃」

2014-09-27 09:01:08 | 政治

駒込の東京琉球館で、太田昌国の世界「「従軍慰安婦」論議の中の頽廃」と題した氏のトークがあった。

1時間半ほどの話の内容は以下のようなもの。(※当方の解釈による文章)

朝日新聞が従軍慰安婦に関する「吉田証言」を取り消す記事を掲載してからというもの、政権や右派新聞、週刊誌による朝日バッシングが激しく繰り広げられている。テレビのニュース番組などは見るにたえないものになっている。驚くべき低水準の言論が横行しているわけである(それを言論と呼ぶならば)。
○この背景にはメディアの売れ行きという理由もあるだろう。しかし、従軍慰安婦問題が再度浮上してきた1991-92年頃とは流通規模が異なる。当時、一部の極端な右派雑誌(『諸君!』、『正論』)が論理も倫理もない言説を流しはじめたのだった。小林よしのりの出現もあった。これらが、一部の人の心をとらえてしまった。
○その後、『諸君!』は姿を消したものの、右派雑誌は今も存在し、これが一部の言論ではなくなった。
○戦時中から、従軍慰安婦の存在は文学にも描かれ、戦争に駆り出された者たちの経験でもあった。しかし、残念ながら、これが民衆の集団的記憶にならなかった。
○1991年に、金学順さんがもと「慰安婦」だと名乗り出た。1992年には、『諸君!』誌上で、松本健一と岸田秀とによる対談が組まれ、この時点において、侵略戦争と植民地主義支配の問題を問うことのない言説が出現していたということができる。
○これは、現在の言論状況にもつながっている。「従軍慰安婦」を否定したい者たちの中には、これを「左翼による策動」だと言う者がいる。まるで、背後に何かがいるととらえ、人間が主体的な行動を取るということに思いが及ばないのである。
ソ連崩壊(1991年)などによる東西冷戦構造の崩壊により、かくされていた矛盾が噴き出てきた。韓国では軍事政権が終わり(~1993年)、ようやく自由にものが言えるようになった。なお、1965年の日韓基本条約では、個人請求権に何の配慮もなされておらず、また、軍事政権下で個人が提訴するなどありえないことだった。
○したがって、「いまさら」の問題ではないし、1991年頃に突然あらわれた問題でもない。公式謝罪などの問題解決がなされていないため、「いまなお」の問題であり続けている。
○社会主義の失敗による理想主義の敗北もあるだろう。これが、一部の人々をむき出しの現実主義に居直らせることになった。また、その人たちは、反北朝鮮、反中、嫌韓に容易に乗り移った。
○2002年の日朝首脳会談(小泉、金正日)による、拉致問題の「浮上」があった。このとき、人々は、植民地支配・侵略戦争を行った相手への贖罪意識から免れ、被害者として批判してよいのだという態度変更を行った。もちろん、個人として拉致問題は切実な問題であることは言うまでもないが、これを社会全体に敷衍することは間違っていた。
○この後現在に至るまでの12年間、日朝間の懸案事項は拉致問題のみだとさえ、捉えられてきた。本来、植民地支配・侵略戦争という歴史を踏まえた解決と国交正常化こそがあるべき姿だった。小泉政権がその方針を進めていたなら、現政権下の惨状はなかっただろう。ヘイトスピーチなどもその延長線上にある。
○「吉田証言」は、1990年代前半から半ばにおいては、既に信用できないものだということが明らかになっていた。したがって、その後の議論や歴史的な検証においては、誰も「吉田証言」に依拠してこなかった。
○「従軍慰安婦」問題の本質は、ひとつの証言によって左右されるようなものではなく、日本軍の責任において管理し、軍人を「慰安」するために設けられたものだということであり、そのことがすなわち強制性である。日本軍は、明文化した軍命によって「従軍慰安婦」制度を管理していたわけではないし、万が一そのようなものがあっても、その証拠書類は撤退時・敗戦時に滅却されることとなっていた。
○現在、下劣な言論(言論ともいえないようなもの)が、社会を覆い尽くしている。右派メディアは、本来求められる「論理や倫理の高みを目指す」あり方ではなく、どれだけ下品なことばで朝日を叩くかに熱中し、ついでに「従軍慰安婦」問題を「無かったこと」にしようとしている。

終わってから、東京琉球館の島袋さんによる料理を食べながら交流会。 

●参照
太田昌国の世界 その24「ゲバラを21世紀的現実の中に据える」
太田昌国の世界 その15「60年安保闘争後の沖縄とヤマト」
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
太田昌国『「拉致」異論』
太田昌国『暴力批判論』
『情況』の、「中南米の現在」特集


クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』

2014-09-26 06:38:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリス・デイヴィスの2枚を取っ換え引っ換え聴く。

■ 『Rye Eclipse』(fresh sound new talent、2007年)

Kris Davis (p)
Tony Malaby (sax)
Eivind Opsvik (b)
Jeff Davis (ds)

トニー・マラビーのサックスには、樹皮だけが残った巨木のような印象がある。中心となる音を朗々と吹き切るのではなく、ノイズや装飾音によってこそ成り立っているような。したがって、存在感はあるのだが幽霊のようでもあり、フシギである。いちどは生でプレイを観てみたい人。

これに対して、クリスタルのお城を設計・構築するような理知的なクリス・デイヴィスのピアノ。

■ 『Capricorn Climber』(cleanfeed、2012年) 

Kris Davis (p)
Mat Maneli (viola)
Ingrid Laubrock (sax)
Trevor Dunn (b)
Tom Rainey (ds, glockenspiel)

マラビーと対照的に聴こえなくもない、イングリッド・ラウブロックのサックス。この人は樹皮ではなく幹そのものだ。しかも音の表情が豊かで、耳を傾けるほどじわじわとそれが鼓膜から脳に滲みてくる。

このセッションでは、五者五様であり、それが面白いのだが、なかでもマット・マネリのヴィオラがイニシアチブを取っているような印象がある。

クリス・デイヴィス、2014年6月

●参照
イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』
トニー・マラビー『Paloma Recio』
イングリッド・ラウブロック『Zurich Concert』
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』


張芸謀『至福のとき』

2014-09-23 00:17:17 | 中国・台湾

張芸謀『至福のとき』(2000年)を観る。なお、Youtubeのポルトガル語字幕版だが、自動的に指定する言語に翻訳してくれる機能を使った。確かに微妙な日本語になるが、意味はわかる。便利な時代になったものである。

中国・大連。おじさんはお見合いを成功させようとして、持参金を用立てなければならなくなった。友達に相談して、近くの丘の上にあった廃バスを塗装してホテルにしようとするが、あっさりと撤去される。お見合い相手の家には、スポイルされた馬鹿息子と、前夫の連れ子の娘がいた。娘は目が視えないうえに、義母に邪険にされている。おじさんは、何とか娘の居場所を作ってやろうとして、廃工場の中にどんがらのマッサージ店を作り、娘にそこで働いてオカネを稼いでいると信じ込ませる。しかし、騙しとおすことなどできなかった。

おじさんをはじめ、登場する俳優たちに実に味がある。仲間たちと、娘を大事にしながら騙そうと奮闘する姿は、一級の悲喜劇だ。なかでも、マッサージベッドでうつ伏せになって顔を置く穴を大きく作り過ぎて、客を装った仲間たちが穴に頭を落ち込ませる場面など、もう爆笑。チャン・イーモウはこんなコメディも巧いんだな。

物語は、ええっこの後どうなるのか、という驚きとともに終わる。カタルシスのような悲劇にしなかったのはイーモウの見識か。

おじさんは娘にハーゲンダッツを買ってやろうとして、25元(当時330円くらい)と聞いてビックリし、引き返す

 

張芸謀
『紅いコーリャン』(1987年)
『菊豆』(1990年)
『紅夢』(1991年)
『活きる』(1994年)
『上海ルージュ』(1995年)
『初恋のきた道』(1999年)
『HERO』(2002年)
『LOVERS』(2004年)
『単騎、千里を走る。』(2006年)
『サンザシの樹の下で』(2010年)

 


イングリッド・ラウブロック『Zurich Concert』

2014-09-22 08:56:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

イングリッド・ラウブロック『Zurich Concert』(Intakt、2011年)を聴く。

Ingrid Laubrock (ss, ts)
Mary Halvorson (g)
Tom Arthurs (tp)
Ted Reichman (acc)
Liam Noble (p)
Ben Davis (cello)
Drew Gress (b)
Tom Rainey (ds, xyl)

聴きどころはたくさんあって、聴けば聴くほど面白さがにじみ出てくる。

ラウブロックのサックスの音範囲は広く、力強い。メアリー・ハルヴァーソンのギターにも、テッド・ライヒマンのアコーディオンにもしっかりと見せ場がある。トム・レイニーのドラムスも、どすどすしゅととと、と、音楽全体を揺り動かす。

・・・のではあるけれど、トータルにはダークな雰囲気なこともあって、漫然と聴いていてはきっとつまらない。ナマで立ち会うことができたなら、この演奏には、きっと興奮するに違いない。それぞれの動きや力の入れ具合を想像しながら聴くから面白いのだ。

イングリッド・ラウブロック、NYC、2014年6月

●参照
イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』


ウディ・アレン『マンハッタン』

2014-09-22 07:13:39 | 北米

ウディ・アレン『マンハッタン』(1979年)を観る。前回ヴィデオを借りてから、ゆうに20年は経っている。

スノッブな饒舌、夜も昼もない都市の生活、孤独、馬鹿馬鹿しくて苦しい恋愛、強迫観念。こういうものに弱い。もしかしたら、初めて観た学生のとき以来、この映画が妄想するものに、多少なりともわたしも支配されてきたのではないかと思えてしまうほど、刺さる。

冒頭にグッゲンハイム美術館の螺旋が登場し、雑踏を見せられ、「Rhapsody in Blue」、「But not for Me」、「Embracable You」などのガーシュインの名曲を聞かされては、また敢えて勘違いをするためにマンハッタンに行きたくなるというものだ。


アピチャッポン・ウィーラセタクン『トロピカル・マラディ』

2014-09-21 17:10:50 | 東南アジア

アピチャッポン・ウィーラセタクン『トロピカル・マラディ』(2004年)を観る。

摩訶不思議な感覚の映画だ。場所は、『ブンミおじさんの森』と同様に、タイ北部の森林地帯だろうか。

ヒマな青年と、森林警備兵の青年。かれらはお互いに好意を持ち、膝枕を頼んだり、手を舐めたりして、親愛の情を確かめあう。ことさらに同性愛だと言うほどのこともない、自然な感情の発露のようにみえる。カメラはそれぞれの顔をとらえて、その視線は動かない。かれらの顔や身体のゆらぎが、湿度の高い自然のなかに置かれ、それを観るこちらも強引に世界に連れていかれるようだ。

感情の交歓であったはずの映画は、後半になり、様相を異にする。森林警備兵の青年は、森林のなかで、動物に姿を変えることのできるシャーマンに翻弄され、突如として、自分の存在を見つめざるを得ない場所に追い込まれる。かれは、シャーマンが化けた虎に凝視され、動揺しながら、彼岸と此岸のどちらを選ぶか、おのれは何によって生きているのかを考える。

何なんだ、これは。アピチャッポンは天才か。

●参照
アピチャッポン・ウィーラセタクン『Fireworks (Archives)』
アピチャッポン・ウィーラセタクン『ブンミおじさんの森』


吉次公介『日米同盟はいかに作られたか』

2014-09-21 08:57:13 | 政治

吉次公介『日米同盟はいかに作られたか 「安保体制」の転換点1951-1964』(講談社選書メチエ、2011年)を読む。

日本の再軍備は、敗戦後の再独立を待たずして開始された。それはソ連、さらにその後建国される中国の共産主義を脅威とみなしたアメリカの意向に他ならなかった。

その過程においては、新憲法(1947年施行)で「象徴」とされ、政治・外交に関与できなくなったはずの昭和天皇が、大きな役割を果たしていた。昭和天皇は、敗戦後すぐにマッカーサー連合国最高司令官と頻繁な面談を行い、1947年には沖縄をアメリカに長期貸与する「天皇メッセージ」を発したのだが(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』)、本書によれば、その後も、アメリカへの軍事的依存の意向を示し続けた。1951年にはダレス国務長官顧問やリッジウェイ連合国最高司令官(マッカーサーの後任)に対し米軍の日本駐留への共感を伝え、また、1955年に重光外相がダレスと会う前の「内奏」においては、米軍全面撤退という重光の意向に「不可」との発言をしているという。なお、この後に国務長官となったダレスは、重光外相に対し、北方領土に関して「サンフランシスコ講和条約でも決まっていない国後・択捉のソ連帰属を認めるなら、米国も同様に、沖縄の併合を主張する」と脅したのだという経緯がある(孫崎享『日本の国境問題』)。すなわち、冷戦のなかでの連携プレーであった。

とは言え、日本の再軍備の水準については、アメリカは絶えず不満を示していた。親米保守合同の「1955年体制」は、アメリカにとっても、鳩山(一郎)や岸信介らにとっても、日米を「対等の協力者」にするための仕掛けであった。アメリカが日本に求めるものは自衛隊の海外派兵であり(つまり、集団的自衛権の種はすでに撒かれていた)、それを困難とする日本との間での「落とし所」こそが、米軍基地の安定的提供なのだった(マッカーサー大使の発案)。この考え方に沿って、1960年の安保改定が進められてゆくことになる。

日米安保体制の構築にあたって大きな役割を果たした為政者としては、岸信介や佐藤栄作の兄弟の名前が挙げられることが多いが、本書によれば、そのふたりの間に首相を務めた池田勇人の貢献も多大なものがあったという。確かに、非常に積極的に、アメリカに追従する形での共産主義陣営との戦いを仕掛け、国内外で動いていたようだ。

池田の動きは東南アジアでも顕著だった。ビルマをアメリカ陣営に取り込み、マレーシアの成立に同調した(1963年にマラヤ連邦、シンガポール、北ボルネオ、サラワクが統合、その後シンガポールが離脱)。また、マレーシアの動きを植民地主義だとみて激しく反対し、中国に急接近したスカルノ大統領のインドネシアも、懐柔し取り込むべく工作した。1965年のスカルノ失脚クーデターには、佐藤政権も直接・間接的に同調したと言われるが(倉沢愛子『9・30 世界を震撼させた日』)、既に、その方向性は明確なものだったのである。

●参照
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
ジョン・W・ダワー+ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』
太田昌国の世界 その24「ゲバラを21世紀的現実の中に据える」
太田昌国の世界 その15「60年安保闘争後の沖縄とヤマト」
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
孫崎享『日本の国境問題』
倉沢愛子『9・30 世界を震撼させた日』
波多野澄雄『国家と歴史』


ヴィム・ヴェンダース『ミリオンダラー・ホテル』

2014-09-20 13:06:07 | 北米

ヴィム・ヴェンダース『ミリオンダラー・ホテル』(2000年)を観る。

ロスの古いホテルに棲む、変人たち。この中に、富豪の息子も入り込み、ある日、屋上から身を投げた。富豪に捜査を依頼されたFBIの捜査官(メル・ギブソン)、死んだ男の親友(ジェレミー・デイヴィス)、孤独な女の子(ミラ・ジョヴォヴィッチ)たちが登場し、一期一会の選択をしていく。

これは現代のクズたちの物語である。もちろん、誰もが例外なくクズであるという意味で。登場人物たちの後戻りできない切迫感に、こちらもとらわれてしまう。

ちょうど、『エンド・オブ・バイオレンス』(1997年)や『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999年)に失望させられた直後ゆえ、ヴェンダースの作品ながら敢えて無視していたのだった。この変人たちの物語を観に行くべきだった。

●参照
ヴィム・ヴェンダース『パレルモ・シューティング』
ヴィム・ヴェンダース『ランド・オブ・プレンティ』、『アメリカ、家族のいる風景』


安丸良夫+菅孝行『近代日本の国家権力と天皇制』

2014-09-20 08:59:03 | 政治

安丸良夫+菅孝行『近代日本の国家権力と天皇制』(御茶の水書房、2014年)を読む。

国家体制、あるいは、<国体>は、明治維新と太平洋戦争敗戦のふたつを不連続面として、形成され、強化された。

とくに後者から現在につながるそれは、アメリカの意向を抜きにして考えることはできない。このことは、所与のものとしてではなくあらためて直視してみれば、非常に奇妙で歪なことである。まさに、「アメリカへの隷従―――沖縄献上・基地自由使用・反共国是の維持、外交の自由の剥奪―――の対価」(6頁)として、与えられたものであった。

著者ふたりの対談からは、アメリカ云々は置いておいても、さらに、この権力構造のあり方が、実に巧妙かつ効果的なものであったことが実感できる。武家政権(軍事政権)下での民衆の<みかど>幻想は、明治国家において手段・制度として横領され、天皇制・国家神道として、後付けであらゆる宗教のうえに置かれることとなった。すなわち、国家神道は無宗教に他ならなかった。権力による民間信仰の横領があったからこそ、実は不連続(近代のつくりもの)であるにもかかわらず、連続であるかのような幻想とともに、支配のかたちが民衆の無意識に浸透した。

たとえば、「大本」を創始した出口なおの強烈な思想は、そのような権力形成への抵抗であったとされる。なるほど、後年に、出口王仁三郎が「皇道」を説いたからといって、それは近代の偽装とは根本的に異なるものであったからこそ、弾圧されたわけである。

こういったプロセスが、現代日本の「無責任のシステム」を創りだした原因のひとつであったとする論考には、納得できる点が少なくない。

●参照
多木浩二『天皇の肖像』
出口京太郎『巨人 出口王仁三郎』、早瀬圭一『大本襲撃』
『大本教 民衆は何を求めたのか』
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
「かのように」と反骨


MOPDtK『Forty Fort』

2014-09-18 08:22:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

MOPDtK『Forty Fort』(Hot Cup、2008-09年)を聴く。MOPDtK=「Mostly Other People Do the Killing」。

Peter Evans (tp)
Jon Irabagon (as, ts)
Moppa Elliot (b)
Kevin Shea (ds, electronics)

この後の『The Coimbra Concert』(2010年)ではキース・ジャレット『Koln Concert』のジャケットをパクっているが、ここでは、ロイ・ヘインズ『Out of the Afternoon』のパクり。中身はなんの関係もないのだが、いや、愉しそうだ。

演奏も愉しい。MOPDtKやピーター・エヴァンスの諸作、イングリッド・ラブロックの作品がそうであるように、これも、自由度が高く、必ずしも、ひとつのアンサンブルや曲内の統一性やソロ廻しのProcedureといった言語から逸脱し、新たな「数列」(ドゥルーズ=ガタリ?)に「Re-Focusing」する感覚である。しかも、他の作品よりも天真爛漫な印象があって、なおさら愉しい。

●参照
MOPDtK『The Coimbra Concert』
ピーター・エヴァンス『Ghosts』
ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』
『Rocket Science』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』