Sightsong

自縄自縛日記

夢Duo『蝉時雨 Chorus of cicadas』

2018-11-27 10:11:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

夢Duo『蝉時雨 Chorus of cicadas』(Wildcat House、2017-2018年)を聴く。

Akemi Shoomy Taku 宅Shoomy朱美(vo, p)
Takayuki Kato 加藤崇之 (g)
Keiki Midorikawa 翠川敬基 (cello) (track 6)

やはり今年録音された、エレクトリック渦『yellow vision』(Full Design Records、2018年)はギンギンに過激で演者も面白がっているようで良い作品だったけれど、同じくShoomyさんと加藤さんとが吹き込んだ本盤はまるで対極にある。(『yellow vision』はこのふたりと藤巻鉄郎のドラムスとのトリオ)

本盤は埼玉県越生市の山猫軒が出しているレーベル「Wildcat House」の第3弾。いちどだけ行ったが、森の中の素敵な手作りの家である。

ここでもまさに夏の山猫軒、蝉の声に取り囲まれて演奏が行われている。「So in Love」ではたぶん誰かのスマホのシャッター音が聴こえるのだが、まったく気にならない。むしろあの山猫軒に座っているような感覚で、とても気持ちが良い。

もちろんShoomyさんの存在は知っていたし評判も聞いてはいたのだけれど、実際にライヴを観たのはようやく今年になってからである。思わぬ世界でちょっと動悸動悸して、それまで観なかったことを後悔した。本盤でもその世界が展開されている。抒情的な和音をゆっくりと独特の時間進行で連ねてゆき、そこに、微妙にかすれ微妙に揺れる、不思議感もなくはないヴォイスが重ねられている。どの曲も好きになるのだが、特に「So in Love」や「歩こうよ」にグッとくる。

そして加藤さんのガットギターによる軋みが、夢から別の夢に、またこちら側の世界に、揺り動かし連れていってくれる。悠然と弾いていたかと思いきや、終盤の「まわる まわる 目がまわる」では激しく遊び、最後の「歩こうよ」ではもっと前面に出てくる。

超オススメ。

●宅Shoomy朱美
原田依幸+宅Shoomy朱美@なってるハウス(2018年)
impro cats・acoustic@なってるハウス
(2018年)

●加藤崇之
松風鉱一カルテット@西荻窪Clop Clop(2018年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン
(2018年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2016年)
松風鉱一@十条カフェスペース101(2016年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2015年)
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(2007年)
加藤崇之トリオ『ギター・ミュージック』の裏焼き(1989年)


長崎と福岡、2018年11月

2018-11-27 00:21:16 | 九州

博多。とりあえず空腹なので、ほろよい通りの炉端魚助でごまさば、その他。ついでにスーパードライとごまさば寿司を買って(またか)、電車に乗り込んで長崎に向かう。

長崎。

浦上駅から歩いて原爆資料館、爆心地、北村西望の平和祈念像。この像を見るのは中学の修学旅行以来だから10年ぶりくらいである。融けた万年筆、手の骨と一体化したガラス、弁当と炭化したお米。

高田の駅から夜道をとぼとぼ歩いて、雪の浦手造りハムへ。扉を開けたらみんな笑っている。不思議。Shuta Hirakiさんや福岡のベーシストAVANさんも来た。

長沢哲さんと齋藤徹さんのライヴが終わって、本当においしい鍋。ごちそうさまでした。

浦安の飲み友達が迎えに来てくれて、思案橋でハシゴ3軒。

日本二十六聖人の像(舟越保武)と博物館。外から想像した殉教の絵。踏み絵。信仰を隠す土人形。

聖フィリッポ教会。1962年にガウディ研究の今井兼次氏が設計した。壁には京都から長崎の間で作られた陶磁器などが埋め込まれている。驚愕。近くのカフェの屋上でひとやすみ。

有明海に面して牡蠣小屋がいくつもある。小長井の牡蠣が解禁になったばかりで、たらふく食べた。余は満足じゃ。

博多まで車で送ってもらい、中洲の酒一番。なんといっても、鯨のおばいけが懐かしい。湯をかけて冷水にさらしたのだろう、まるで雪のようになっている(これははじめてだ)。


パット・メセニー『80/81 in Stockholm』

2018-11-25 22:54:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

パット・メセニー『80/81 in Stockholm』(JM、1981年)を聴く。

Pat Metheny (g, g synth)
Dewey Redman (ts)
Michael Brecker (ts)
Charlie Haden (b)
Jack DeJohnette (ds)

言うまでもなく『80/81』は名盤だが、これはそのメンバーによるライヴ演奏の記録(1981/8/23)。

2枚組で1枚に2曲ずつ収録されている。そのうち「Every Day (I Thank You)」と、オーネット・コールマンの「Turnaround」の2曲が『80/81』と重なっている。雰囲気はもちろん同じようなものだが、何しろライヴだけあって1曲ずつが長い。「Turnaround」なんて『80/81』ではギター中心の短い演奏だったのに、ここではデューイ・レッドマンもマイケル・ブレッカーもチャーリー・ヘイデンも長いソロを取っている。われらがデューイ・レッドマン最高!チャーリー・ヘイデン最高!

「Offramp」もまた最高に良い。冒頭の「Broadway Blues」ではヘイデンが得意の繰り返しを弾く前で、デューイがうぐっと喉を詰まらせつつも吹きまくっていたりして。

マイケル・ブレッカーの巧いだろ的なソロはいつになっても好きになれないのだが。

●パット・メセニー
ローガン・リチャードソン『Shift』(2013年)
パット・メセニーとチャーリー・ヘイデンのデュオの映像『Montreal 2005』(2005年)
パット・メセニーの映像『at Marciac Festival』(2003年)
デイヴィッド・サンボーンの映像『Best of NIGHT MUSIC』(1988-90年)(メセニー参加)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)(メセニー参加)
ゲイリー・バートンのカーラ・ブレイ集『Dreams So Real』(1975年)


J・ウォーリー・ヒギンズ『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』

2018-11-25 18:57:01 | 写真

J・ウォーリー・ヒギンズ『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』(光文社新書、2018年)を読む。

古い東京の写真が多くて楽しいし、昔のカラー写真がコダクロームよりも劣化していたりするのが興味深かったりして、手に取っただけなのだが。

途中でビックリした。山口県の故郷にあった船木鉄道が登場する。しかも船木駅、伏附駅、万倉駅の写真が。毎日のように歩いていた場所である。生まれる前にはもう廃線になっていたので、この鉄道自体は見たことがないし、駅の写真を凝視しても少年時代の光景とは違い過ぎて重なってこない。わたし以外にはどうでもいい話だと思うが。

それにしても驚いた。よくあのような僻地まで行ったねヒギンズさん。


マタナ・ロバーツ@スーパーデラックス

2018-11-25 18:13:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

六本木のスーパーデラックス(2018/11/24)。

Matana Roberts (as)

マタナは登壇すると、来ることのできた喜びと、観客から感じるエネルギーについて早口で呟いた。そこから30分強だろうか、文字通り圧巻のアルトソロ。

彼女は呼吸のサイクルと同調させるようにアルトを吹く。息継ぎや感情を増幅させるように。そしてブロウには血や情や泥が溢れんばかりに詰まっている。そう、泥臭いのだが、エネルギッシュでクールでもある。

アルトだけではない。「Chicago... Get out my Chicago, I love it.」とルーツへの愛を呟き、また、「Something in the universe shifts...」と呟きつつ、共感する観客の声とともにドローンを創出した。これは「dedicated moments to you and me」であり、そして、「Let's celebrate life.」と。最後は「My name is Matana Roberts.」と締めくくった。痺れるとはこのことだ。しばらく忘れられそうにない。

終わってからマタナさんと少し話をした。去年NYで観たときにはその機会がなかったし・・・。

勝手に少し怖い人かと思っていたのだが、しっとりした情愛が伝わってきて、素敵な人だった。「Coin Coin」シリーズは現在3作まで出ていて、最終的には12作が目標とされている。なんと来年には第4作、その後は第7作を出して少し戻ったりもするという。楽しみだ。

間違いなくこの短くて長い時間が今年のベストライヴ。

(※対バンで他の演奏もあったのだが、呆然としていてほとんどスルーしていた。すみません。)

●マタナ・ロバーツ
マタナ・ロバーツ「breathe...」@Roulette(2017年)
マタナ・ロバーツ『Coin Coin Chapter Three: River Run Thee』(2015年)
マタナ・ロバーツ『Always.』(2014年)
マタナ・ロバーツ+サム・シャラビ+ニコラス・カロイア『Feldspar』(2011年)
マタナ・ロバーツ『The Chicago Project』(-2007年)
アイレット・ローズ・ゴットリーブ『Internal - External』(2004年)
Sticks and Stonesの2枚、マタナ・ロバーツ『Live in London』(2002、03、11年)


西島芳 trio SONONI@下北沢Apollo

2018-11-25 13:18:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

下北沢のアポロで、西島芳 trio SONONI(2018/11/23)。

Trio SONONI:
Kaori Nishijima 西島芳 (p, voice) 

Motohiko Ichino 市野元彦 (g) 
Akira Sotoyama 外山明 (ds) 

外山明、市野元彦という剛の者というか唯一者というか、そんなふたりを率いた西島芳さんのtrio SONONI。爽やかな雰囲気をまとってはいるが、実のところ、一筋縄ではいかない音楽である。

アンビエント的な「Siesta」、それから「With a Heavy Rain」に続き、「Arrival」。2013年の『White in Dark』に収録されている曲であり、西島さんによれば、その前年にスウェーデンに到着したときの空気感を曲にしたものだという。清冽で、市野さんとユニゾンのように重なったときの音の官能といったらない。4曲目は「Elegy」。スウェーデンの詩人トーマス・トランストロンメルの詩をもとにしたということで、イントロの透明さや、曲全体が持つボーダーのない感覚が良い。

セットの最後は「Naive」。市野さんのギターは、曲であってもインプロであっても、演奏するというリアルがすべてを超えるような不思議な素晴らしさがある。外山さんの自由なパルスと相まっての不定形のサウンド、それではヴォイスはというと、それらのあわいに現れては消えていく。

セカンドセットは外山さんの2曲「Harbor」と「F Penta D Blues A」から。続く「たわいのない話」では、それまでよりも比較的力強くピアノを弾き始め、ギターとドラムスが追随した。「瑞雨」ではギターから始まり、西島さんのヴォーカルとピアノとギターとの重なりがたまらなく良い。「Missing Airport」でもやや強いイントロで、その一方で、ことばが水蒸気や空気でコーティングされている。アンコールは「Evening」。ドラムスもギターも浮上して出てくる。

アポロの雰囲気とも相まって陶然。また次の東京公演の際には聴きにこなければ。

Fuji X-E2、7artisans 12mmF2.8

●西島芳
西島芳 triogy@本八幡cooljojo(2018年)
西島芳 triogy@下北沢Apollo(2018年)
西島芳 trio SONONI@下北沢Apollo(2018年)
西島芳アンサンブル・シッポリィ『Very Shippolly』(2017年)
『SONONI, Laetitia Benat』(2016年)


シュリッペンバッハ・トリオ+高瀬アキ「冬の旅:日本編」@座・高円寺

2018-11-25 13:05:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

座・高円寺にて、シュリッペンバッハ・トリオ+高瀬アキ「冬の旅:日本編」(2018/11/23)。

(写真撮影は許可を得ています)

Alexander von Schloppenbach (p)
Evan Parker (ts)
Paul Lytton (ds)
Aki Takase 高瀬アキ (p)

何しろヨーロッパの生きる伝説シュリッペンバッハ・トリオである。1997年の来日時には六本木のロマーニッシェス・カフェと新宿ピットインに観に行ったが、その際は、エヴァン・パーカーの急な事情で、ルディ・マハールが代役に入った。当時新鋭のマハールは前年のベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラで観ており(エヴァン・パーカーの横にいた)、もの凄くユニークなプレイで印象的だったから、それはそれで嬉しかったのだけれど、やはり、エヴァンが吹くトリオを観たかった。今回の企画に奔走なさった横井一江さん曰く「21年目のリベンジ」(だったかな)。

ただ、ドラマーはオリジナルメンバーのパウル・ローフェンスではなくポール・リットン。ローフェンスには長時間のフライトが厳しいというのだが、最近、喜多直毅さんもドイツでそのプレイを観て良かったと書いており、元気ではあるみたいだ。ローフェンスはいつもワイシャツにネクタイのトレードマーク、21年前にサインをもらったらジャケットの表から裏にまではみ出させる素敵な人だった。ともかく、リットンだってたいへんなドラマーであり、かれが目玉であってもおかしくはない。

第1部はシュリッペンバッハと高瀬アキの連弾とそれぞれのソロ。冒頭は「Steinblock」、いきなりふたりの違いが明らかになる。アレックスは細かな音を執拗に並べるスタイルであり、アキさんは強弱を物語的に付ける。アレックスがこれをキープし、肘も使って嬉しくなった。21年前の印象に強い怒涛のエネルギーは弱まっているが、コアは変わらない。

次に「Zankapfel」、これも先の曲と同様にデュオ盤『Iron Wedding』に収録されている。何か林檎のひとつだろうと思っていたのだが、アキさんの解説によると「喧嘩の種」とでもいった意味。そうか「zank」は「喧嘩」か。演奏もそれをイメージさせるように、互いに介入干渉しあうように進められ、アキさんの内部奏法もあり、そのうちリズムが狂ってブギウギのようになったりもした。

3曲目はアキさんのソロでオリジナル「Cherry-Sakura」。デイヴィッド・マレイとの共演盤があり聴いてみたい。坂田明さんとも共演しているという。これが素晴らしい演奏で、力強く抒情的でもあり、高瀬アキというピアニストの特徴が表出しているように聴こえた。アキさんのブルースといってもいいのではないかと思えた。終演後ロビーでたまたま隣にいた女性と話していたら、この曲が本当に良かったと強調していた。

変わってアレックスのソロ。リズムも選び出される音も発散し、その細かな差異に美のようなものが隠しようもなく出てくる。インプロからふと間を置いてセロニアス・モンクの「Light Blue」、「Smoke」とつなぎ、そして、ハービー・ニコルスの「Every Cloud」。ニコルス!いや驚くことはない。最近の作品『Jazz Now! - Live at Theater Gütersloh』でも演奏している。いい曲だな。

そしてまた連弾に戻った(曲名はわからない。アキさんは「砂漠の船」と言っていた)。アキさんの手拍子、アレックスの低音からはじめ、オリエンタルなコードを使った。アレックスは揺れ動き、アキさんは太くブルージーに攻めた。続く曲では、アキさんはピアノ内部の弦にあれこれを挟んだようで、それによる異音と力強さとを共存させ、空間をアレックスが埋めていった。

第2部は待ってました、シュリッペンバッハ・トリオ。

エヴァン・パーカーはこの日、テナーだけを使った。ソプラノとなると空を飛ぶ小鳥のごとき独特の循環呼吸によるエヴァン・サウンドを聴けるのに対し、テナーだと太くうねるような、ときにブルージーでもあるという、これまでエヴァンを観てきた印象。ここでは、もっと表現力が豊かだった。

また、ポール・リットンの音はドライであり、サンドバックを思わせるデッドな感覚もあった。スティックの素材感が出ているとも言えた。多数の叩き物を横に置き、ブラシではタテにヨコに音の手を伸ばし、実に幅広い音を出し、知的にトリオのサウンドを覆い尽くした。(わたしとしては絶賛)

アレックスの介入、エヴァンのうねり、ポールの破裂。アレックスのグルーヴ、エヴァンのゆったりさ、ポールの滋味あるカラフルさ。3人が別種のノリで音楽を相互に駆動し続けた。これを快楽と言わずして何と言おう。

ポール・リットンはここではじめて擦りを披露。スティックでシンバルの周囲を円環を描く技をみせた。また、細いスティックを取り、それに見合った音を出した。アレックスの再介入、エヴァンの循環、ポールの響き。アレックスの弾いたフレーズに間髪を入れず呼応し、エヴァンが同じフレーズを吹く場面もあった。演奏は激化してきて、ポールはドラムの上に円盤を置いて跳躍させもした。そして潮目が変わり、アレックスの轟音と弦のしなり、エヴァンの重音、ポールのノイズ。

ここでアキさんが加わり、アレックスとの連弾で、実に愉しそうに弾く。呼応して全員がまるで空を飛翔しているように感じる。

アンコールは連弾のピアノデュオ。アレックスは小唄のように弾き始め、アキさんは手拍子。ラグタイムのようだった。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、7artisans12mmF2.8

●アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『Jazz Now! - Live at Theater Gütersloh』(2015年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ+高瀬アキ『Live at Cafe Amores』(JazzTokyo)(1995年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)
ギュンター・ハンペル『Heartplants』
(1965年)

●エヴァン・パーカー
デイヴ・ホランド『Uncharted Territories』(2018年)
エヴァン・パーカー@稲毛Candy(2016年)
エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2016年)
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)

Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
シルヴィー・クルボアジェ+マーク・フェルドマン+エヴァン・パーカー+イクエ・モリ『Miller's Tale』、エヴァン・パーカー+シルヴィー・クルボアジェ『Either Or End』(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー『The Flow of Spirit』(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
マット・マネリ+エヴァン・パーカー+ルシアン・バン『Sounding Tears』(2014年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ノエル・アクショテ+ポール・ロジャース+マーク・サンダース『Somewhere Bi-Lingual』、『Paris 1997』(1997年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
サインホ・ナムチラックとサックスとのデュオ(1992-96年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
エヴァン・パーカー『残像』(1982年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
カンパニー『Fables』(1980年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)

●ポール・リットン
ガイ+クリスペル+リットン『Deep Memory』(2015年)
ヨアヒム・バーデンホルスト+ジョン・ブッチャー+ポール・リットン『Nachitigall』(2013年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)

●高瀬アキ
高瀬アキ+佐藤允彦@渋谷・公園通りクラシックス(2016年)
アンサンブル・ゾネ『飛ぶ教室は 今』(2015年)
高瀬アキ『St. Louis Blues』(2001年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ+高瀬アキ『Live at Cafe Amores』(JazzTokyo)(1995年)
高瀬アキ『Oriental Express』(1994年)


寺井尚之『Yours truly,』

2018-11-23 09:44:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

寺井尚之『Yours truly,』(Flanagania Records、2001年)を聴く。

Hisayuki Terai 寺井尚之 (p)
Masahiro Munetake 宗竹正浩 (b)
Tatsuto Kawahara 河原達人 (ds)

寺井氏はトミー・フラナガンを師と仰いできたピアニストだが、やはりこれを聴いても、異なる独特の個性が伝わってくる。

確かに俊敏なフレージングはある。しかしトミフラよりも、その場に居ることへの歓びが溢れているように聴こえる。「The Way You Look Tonight」、「I Only Have Eyes For You」、「Will You Still Be Mine?」など名曲が渋く嬉しい寺井色。

●寺井尚之
寺井尚之『Dalarna』
(1995年)


木村聡『消えた赤線放浪記』

2018-11-23 09:12:59 | もろもろ

木村聡『消えた赤線放浪記 その色町の跡は…』(ちくま文庫、2005年/2016年)を読む。

「赤線」は戦後まもなく誕生し、売春防止法の施行とともに、1958年には姿を消した。もちろんそれは形を変えた風俗となった。風営法の規制にも左右されてきた。姿を変えたのは欲と商売だけではない。街の形もそれによって変貌した。

著者は、北海道から鹿児島まで、赤線跡を探し当て、そこがどのような街と化しているか、また近くの風俗街はどのような様子なのかを見て歩いている。毎回体験してもいる。読みながら、なんだ「歩いた、ヤッた」だけじゃないかと思っていたのだが、最後まで付き合ってみると、人のはかなさや情が沁みてくるような。


吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』

2018-11-23 08:42:06 | 北米

吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(岩波新書、2018年)を読む。

なぜトランプが大統領になりえたのかについては、金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』において説得力のある報告がなされている。すなわち、人びとの目に留まりやすい大都市の住民ではなく、「ラストベルト(錆びついた工業都市)」など、もはや興隆を誇ることのない産業によって引っ張られてきた地域の住民の動きがあった。中流から貧困層へと滑り落ちてしまうことへの抵抗だった。著者はこの金成氏にもインタビューしつつ、この現象を構造問題としてとらえながらも、複雑骨折の様子についても見出している。

それは「出口のない恐怖」であり、トランプが「彼らの喪失感や恥辱を『敵』への攻撃に転化させる」詐術に気付いてはいても気付かないふりをするという、大きな現象であった。「気付いてはいても気付かないふりをする」とは、日本の社会形成の方向に重なってきてちょっと恐ろしさを覚える。

塊としての動きに抗するものとして個人としての動きを対置するならば、本書で報告されている「#MeToo」や「#ChurchToo」、さらに「#BoycottNRA」、「#NeverAgain」に至るまでのSNSを通じたムーヴメントは、やはり希望にみえる。「性」、「暴力」、「オカネ」はきっと三大「見て見ぬふり」の対象であるから。

●参照
金成隆一『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(2017年)
渡辺将人『アメリカ政治の壁』(2016年)
佐藤学さん講演「米国政治の内側から考えるTPP・集団的自衛権―オバマ政権のアジア政策とジレンマ」(2014年)
室謙二『非アメリカを生きる』(2012年)
成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む(2009年)
尾崎哲夫『英単語500でわかる現代アメリカ』(2008年)
吉見俊哉『親米と反米』(2007年)


ドン・プーレン『Milano Strut』

2018-11-23 01:58:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

ドン・プーレン『Milano Strut』(Black Saint、1978年)を聴く。

Don Pullen (p, org)
Famoudou Don Moye (ds, perc, congas, bells)

ファマドゥ・ドン・モイエとのデュオである。

プーレンにとってもモイエにとっても、おそらく、特別にすぐれたプレイではない。だが、プーレンは鍵盤をかきみだすし(オルガンでもそうなのだ)、モイエの音はひとつひとつのパルスが持つプロファイルが綺麗で、それが流れるように連なってゆく。かれららしいから良い。

●ドン・プーレン
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Portrait』(1992年、1995年)
ドン・プーレンのピアノトリオとシンディ・ブラックマン(1988-92年)
ジョージ・アダムスの甘甘作品(1979-84年、1988年)
ドン・プーレン『Plays Monk』(1984年)
ドン・プーレン+ジョセフ・ジャーマン+ドン・モイエ『The Magic Triangle』(1979年)

●ファマドゥ・ドン・モイエ
生活向上委員会2016+ドン・モイエ@座・高円寺2(2016年)
ババ・シソコ『Jazz (R)Evolution』(2014年)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(2009年)
ライトシー+モイエ+エレケス『Estate』(2000年)
アーサー・ブライス『Hipmotism』(1991年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『Null Sonne No Point』(1997年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『カミング・ホーム・ジャマイカ』(1995-96年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『LUGANO 1993』(1993年)
ドン・モイエ+アリ・ブラウン『live at the progressive arts center』、レスター・ボウイ・ブラス・ファンタジー『Serious Fan』(1981、89年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『Live at the Jazz Showcase』(1981年)
ドン・プーレン+ジョセフ・ジャーマン+ドン・モイエ『The Magic Triangle』(1979年)
ジュリアス・ヘンフィルのBlack Saintのボックスセット(1977-93年)
チコ・フリーマン『Kings of Mali』(1977年)
ファマドゥ・ドン・モイエ『Sun Percussion』(1975年)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『苦悩の人々』(1969年)


Poem of a Cell Sound / Film Installation & Concert in Tokyo@ドイツ文化センター

2018-11-23 00:51:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

ドイツ文化センターにて、「Poem of a Cell Sound / Film Installation & Concert in Tokyo」(2018/11/21)。

Fumio Yasuda 安田芙充央 (p, melodica)
Nobuyoshi Ino 井野信義 (b)
Joachim Badenhorst (cl, bcl, ts)
Akimuse (vo) 
Fanny Mulay Winter (vo)

「Winter & Winter」レーベルを立ち上げたステファン・ウィンターによる映像『Poem of a Cell』を上映しながら、演奏を行うという趣向。

映像は3面の連なる画面によって構成されている。詩的で幻想的なものも徹底すれば魅入られるものになる。そこには血が流れ腐敗もする有機体としての生命が登場し、彩度の高い色の数々がぶちまけられる。メッカのカーバ神殿や、パレスティナあたりだろうか、金色のモスクも登場する。自然と一体化し自然に還っていく女性。

映像作品のサウンドがあり、それとは体感的な距離が異なるように演奏が行われる。井野信義のはじく弦の音で、映像の彼岸から此岸に引き戻される。安田芙充央のピアノもメロディカもその往還を行い、見事だ。そして世界に溶け込むようなヨアヒム・バーデンホルストのクラとバスクラとテナー。これが聴きたかった。

演奏後にヨアヒムと話した。近いうちに出る新譜が2枚、今回の滞在期間での録音、それから、2019年4月の上旬には、「Equilibrium」で来日する予定があるという(スカンジナビアのヴォーカル、ギターとのトリオ)。これまでリリースされた3枚のうち、新しい1枚を注文した。楽しみだ。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●ヨアヒム・バーデンホルスト
Spontaneous Ensemble vol.7@東北沢OTOOTO(2017年)
LAMA+ヨアヒム・バーデンホルスト『Metamorphosis』(2016年)
ハン・ベニンク『Adelante』(2016年)
安田芙充央『Erik Satie / Musique D'Entracte』(2016年)
ダン・ペック+ヨアヒム・バーデンホルスト『The Salt of Deformation』(-2016年)
ヨアヒム・バーデンホルスト『Kitakata』(2015年)
カラテ・ウリオ・オーケストラ『Garlic & Jazz』(JazzTokyo)(2015年)
カラテ・ウリオ・オーケストラ『Ljubljana』(2015年)
パスカル・ニゲンケンペル『Talking Trash』(2014年)
ヨアヒム・バーデンホルスト+ジョン・ブッチャー+ポール・リットン『Nachitigall』(2013年)
ハン・ベニンク『Parken』(2009年) 


長沢哲+齋藤徹@ながさき雪の浦手造りハム

2018-11-21 23:48:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

長崎のながさき雪の浦手作りハムにて、ホームパーティのような形で、長沢哲さんと、静養中の齋藤徹さんとのデュオ(2018/11/17)。駅から夜道をてくてく歩いていくと、確かにお店があった。中を覗くと皆さんがいてとても不思議な気分。

Tetsu Nagasawa 長沢哲 (ds)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)

演奏前に、テツさん(齋藤徹さんのほう)が、韓国での音楽体験の話を長沢さんにしている。それが構えた音楽から<あるがまま>の音楽へとつながっているようなのだ。リズムについては、4と3との組み合わせて12、この12進数は生きる時間サイクルのようにいつまでも続いていく。あるいは5を他の拍子と組み合わせての36、判然としないが不思議だ。

過去二度の共演はインプロだったが、この日は、お互いにテーマを決めて臨むという趣向。最初は長沢さんの「Walk in the Mist」。突き抜ける前に止めるブラシと微かな音のコントラバス、両者ともに円環を感じさせ、それが次第に強くなる。ふたりの擦りの展開、弦の飛躍する音、ブラシの慣性、そんなものがあって、ゆっくりと着地へと向かった。

次に、先の話の「12」。テツさんは、永遠に続くリズムのこと、金石出という傑出したシャーマンのことを語る。マレットによる拡がりのある響きから丸いものが抽出される。響きの世界を創出する横では、叩きによる撥音の世界。気が付くと「12」を意識させられ、その循環が繰り返されるうちに目立ってくる。

長沢さんの「Ballard of Lights」。長沢さんはゆっくりと長く続く響きのグラデーションを作り上げてゆく。テツさんはまるで鼻歌でも歌うようであり、嬉しくなる。長沢さんのグラデーションが金属的なものに変わっても、テツさんは<あるがまま>に、ともかくも音で語る。

テツさんはお祖父さんが通っていた東亜同文書院のことやリディアン旋法のこと、それからバール・フィリップスが命名した「Invitation」のことなんかを話して(どんな文脈でそうなったのだろう)、また演奏に戻った。長沢さんの大きな雲のごときサウンド、テツさんの震える弓。それらが何故か、音楽をその場に立ち上げることの不思議さを感じさせた。音楽は制度であっては本来の音楽たりえないし、もともと所与のように存在するものではない。その介入のあり方こそが音楽なのだと思えた。

長い演奏が終わったあと、おいしい鍋をごちそうになった。四方山話をする中で、長沢さんに、バスドラムをあまり使わないことについて訊いた。それがあるとリズムや音楽を「決められてしまう」からだということだった。テツさんは、バスドラムはコントラバスの敵なんだと面白そうに言った。確かにロジャー・ターナーはテツさんとの演奏ではバスドラムを使わないのだった。

Nikon P7800

●長沢哲
長沢哲+近藤直司+池上秀夫@OTOOTO(2018年)
齋藤徹+長沢哲+木村由@アトリエ第Q藝術(2018年)
#07 齋藤徹×長沢哲(JazzTokyo誌、2017年ベスト)
長沢哲『a fragment and beyond』(2015年)

●齋藤徹
藤山裕子+レジー・ニコルソン+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+長沢哲+木村由@アトリエ第Q藝術(2018年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@喫茶茶会記(2018年)
永武幹子+齋藤徹@本八幡cooljojo(JazzTokyo)(2018年)

かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
川島誠+齋藤徹@バーバー富士(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 


ミルフォード・グレイヴス『Bäbi』

2018-11-16 08:12:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミルフォード・グレイヴス『Bäbi』(IPS、1969、1976年)を聴く。

Milford Graves (perc)
Arthur Doyle (reeds)
Hugh Glover (reeds)

1枚目がレア盤の再発(1976年録音、未使用のLPから)、2枚目が未発表音源(1969年)。レコードからとはいえ、1枚目のほうが音質は良く、2枚目の音はくぐもった感じ。しかし、ここまでの貴重音源となるとそんなことはどうでもよい。

気のきいたコメントは難しい。全身全霊パーカッショニストのミルフォード・グレイヴスが大きな動きで大きな波を絶えず創り続ける。タイコの響きゆえに原始的にも聴こえる。叫びもする。いまに至るまで変わらない唯一無二の人である。

これにアーサー・ドイル、ヒュー・グローヴァーのふたりが激突する。獣の咆哮というのか、音をコントロールする人間の意思はどこにいった。グレイヴスの音が聴こえないならば、怪獣映画のサウンドだと言われても何の不思議もない。(それにしても、90年代に来日したドイルをオカネがなくて観に行けなかったことが悔やまれる。)

生きる活力を得たいならこの音を。

●ミルフォード・グレイヴス
ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『The Stone - April 22, 2014』(2014年)
ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『Space / Time * Redemption』(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』(2008、10年)
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』(2008年)
アンドリュー・シリル+ミルフォード・グレイヴス『Dialogue of the Drums』(1974年)
ローウェル・デヴィッドソン(1965年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)


ブランドン・コールマン『Resistance』

2018-11-15 07:27:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブランドン・コールマン『Resistance』(Brainfeed Records、-2018年)。

面倒なのでパーソネルはココに。

コールマンはキーボードやヴォコーダーでサウンド全体を覆いまくっている。ファンクもフュージョンもソウルも大好きルンルン、なんて感じのアルバムである。カマシ・ワシントンとか何のためにいるのかよくわからない。やる方も聴く方も評価する方も固有名詞を並べて凄いだろなんてコミュニティか。何度聴いても新しいのか古いのかよくわからない。

まあ楽しければいいじゃないか。(棒読み)

少なくとも、前作の『Self Taught』(Beat Records、-2015年)より吹っ切れ感と愉しさが倍増している。