新ホイットニー美術館に行った(2017/9/11)。
■ エリオ・オイチシカ回顧展
ブラジル出身のエリオ・オイチシカの回顧展が開かれている(Hélio Oiticica: To Organize Delirium)。
オイチシカがどんなアーティストであったかをまとめて言うことは難しそうだ。スタイルは変遷し、絵画、インスタレーション、政治運動、アクション、映画など手段も多様である。これらを括って「トロピカリア運動」と称しても、確かに西欧に対するアンチテーゼというニュアンスは伝わるものの、それはキーワードでしかない。
つまりこのように様々な活動の痕跡を眺め、立ち止まり、困惑することが、オイチシカを体験することに他ならないように思える。
ハンモックの参加型作品がある(眠ってしまいそうなので横たわらなかった)。政治的にブラジルにとどまることができなくなりNYに来たときの映画がある(スーパー8!)。それらは強い自己確立の光を放っている。
また、ブラジルに戻ったあと、人びとに好きなものを着てサンバを踊ってもらうという活動の記録がある。色やかたち、それが持つ歴史的・記憶的な意味があり、選択と記録ということがとても重要だと伝わってくる。
この展覧会と連動させて、アート・リンゼイがライヴやトークをいろいろと行っていた。そのひとつも覗いてみたのだが(アート・リンゼイ+グスタヴォ・ヂ・ダルヴァ@ホイットニー美術館)、簡単には大きな物語に回収させまいとする意思を感じた。
■ 抵抗の歴史展
別のフロアでは抵抗の歴史展(An Incomplete History of Protest: Selections from the Whitney’s Collection, 1940–2017)。
これもまた、地域も意味も時代もさまざまである。公民権運動のファニー・ルー・ヘイマーを撮ったポートレイト(ルイス・H・ドレイパー)。アメリカの日系人収容所で宮武東洋が撮った写真。兵士の服だけを使い、強烈なベトナム戦争への反対の意思を感じる作品(エドワード・キーンホルツ)。
現代ということになれば、ヘイトの罪を直接的に訴えた作品(フェイス・リングゴールド)。
2年前に、MOMA PS1において、やはり様々な場所や時代における異議申し立てを特集した「ゼロ・トレランス」展があった。最近、SNS上のヘイト放置に抗する路上での運動があったが、それもまた、このような文脈から正当なアクションとして位置づけられる。