Sightsong

自縄自縛日記

ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』

2024-07-14 09:27:19 | 中南米

これが文庫化されるとき世界が滅びるという都市伝説があり、それまでに再読しようと思っていたが忙しくて間に合わなかった。しかし世界はまだ存続している。文庫化が世界を滅亡させる作品にはウンベルト・エーコ『薔薇の名前』もあって、つまり「or条件」ではなく「and条件」にちがいない。滅亡をくい止めるためにはミシェル・フーコー『監獄の誕生』なども伝説に加えておきたい。

それにしてもわけがわからない(前に読んだのは30年前でほとんど覚えていない)。「四年十一ヵ月と二日、雨は降りつづいた」ってなんだ。屋敷や土地が滅びてゆく描写なんてくらくらする。マルケスの長編のなかでは、「おふくろよ、ベンディシオン・アルバラドよ、」と何度も呼び掛ける『族長の秋』にも圧倒された。繰り返しを可能にする力というものがあるのだな。

●参照
G・G・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』、ドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事』


アレホ・カルペンティエール『バロック狂騒曲』

2023-12-10 11:28:11 | 中南米

アレホ・カルペンティエール『バロック狂騒曲』(水声社、原著1979年)。

かつてサンリオSF文庫で出ていたもので、この水声社版も基本的には同じ鼓直の名訳。コンサートが始まる前にあらためて読んだ。やはりくらくらする。

傑作『失われた足跡』は河を遡上しながら時間も遡ってゆくものだったが、これはヨーロッパとアメリカの間で時空間が錯綜する。最後にイタリアの劇場に天才ルイ・アームストロングが現れ、〈Go Down Moses〉を吹き始めるシーンなんて圧巻。うわあ。

「この曲が真鍮の朝顔を伝いながら昇っていく劇場の天井には、おそらくティエポロの明るい筆になる、妙なる歌を唱する薔薇色の肌の楽人たちが飛んでいる姿が描かれていた。」

G・G・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』、ドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事』
アレホ・カルペンティエル『時との戦い』
アレホ・カルペンティエル『バロック協奏曲』


アンドレ・マルケス@MUSICASA

2019-05-15 07:54:45 | 中南米

代々木上原のMUSICASA(2019/5/14)。

André Marques (p)

エルメート・パスコアールのグループの一員として来日しているアンドレ・マルケス、1日だけのソロピアノである。

マルケスは知的にきっちりとした旋律を弾き始める。毎回それはとどまることなく発展を続け、端正さとはしゃぎとが両立した演奏となってゆく。丁寧に作られた寄木細工の各部分が、自律的に予想外の動きをみせるような感覚である。マルケスは足踏みさえもそのように行う。

16歳のときに祖母に捧げて作曲したというオリジナルや、「Desafinado」や、エルメートの「O OVO」(『Viva Hermeto』の冒頭曲)なんかを演奏した。エルメートとはもう15年ほど共演しているそうであり、オリジナルでも、装飾音というには強烈すぎるエルメート・フレーズが飛び出してくる。

もちろんグループの中でも光を放っているマルケスのソロに向き合うわけだから、素晴らしいことははじめからわかっている。それにしても期待を超えるパフォーマンスにちょっと興奮した。

『Viva Hermeto』にサインを頂戴した。
 
 

エルメート・パスコアール@ビルボード東京

2019-05-14 07:58:16 | 中南米

ミッドタウンのビルボード東京(2019/5/13)。

Hermeto Pascoal (key, b-fl, vo, perc, misc.)
Itiberê Zwarg (b, tuba)
André Marques (p, fl, perc)
Fábio Pascoal (perc)
Jota P. (sax, fl)
Ajurinã Zwarg (ds, perc, ss)

2年ぶりのエルメート・パスコアールとかれのグループである。メンバーも前回と同じで、アンドレ・マルケス、ジョタペ、イチベレ・ズヴァルギと豪華だ。1日だけの東京公演、セカンドセット。

御大エルメート以外はみんな楽器を演奏しながらステージに入ってくる。イチベレはチューバを、アンドレはフルートを吹く。ここから21時半から23時まで濃密極まりない1時間半だった。

ジョタペは超複雑そうなエルメートの曲を難なく吹き続けているし、アンドレはそれどころか不協和音も厭わず自分の世界を精力的に展開している。イチベレのぐいぐい引っ張るグルーヴも良い。文字通り目くるめく展開、「ピタゴラスイッチ」の装置がひとつでなくいくつも並んでいるようなものだ。

そしてエルメートはキーボードを思いのままに弾いて叫び歌い、その天然音楽ぶりにやはり驚き笑いそうになる。客席とのコール・アンド・レスポンスも良かったし、終盤のピアノ演奏もまたエルメートらしく美味しいミネラル水のようなもので素晴らしかった。妙な瓶も吹いたし、ドラムも叩いたし、左右のぬいぐるみに叫ばせたりもした。

楽器をいくつもこなすのはエルメートだけではない。アンドレやイチベレだって、またドラムスのアユリナ・ズヴァルギはいきなり飛び出てきてジョタペが吹いていたばかりのソプラノサックスを奪い取っている。全員でよってたかって賑々しくエルメートの音楽を成立させた。

大満足。

●参照
エルメート・パスコアール@渋谷WWW X(2017年)
エルメート・パスコアールの映像『Hermeto Brincando de Corpo e Alma』(最近)
ジョヴィーノ・サントス・ネト+アンドレ・メマーリ『GURIS - Celebration of Brazilian master Hermeto Pascoal』(2016年)
板橋文夫@東京琉球館(2016年)
トリオ・クルピラ『Vinte』(2016年)
アンドレ・マルケス『Viva Hermeto』(2014年)
アンドレ・マルケス/ヴィンテナ・ブラジレイラ『Bituca』(2013年)
アンドレ・マルケス『Solo』(2005年)
2004年、エルメート・パスコアール(2004年)
エルメート・パスコアールのピアノ・ソロ(1988年) 


上野英信『出ニッポン記』

2018-06-25 07:21:18 | 中南米

上野英信『出ニッポン記』(現代教養文庫、原著1977年)を読む。

 『追われゆく坑夫たち』(1960年)の続編的に書かれたルポである。1960年前後には既に石炭産業が傾いており、また三井三池炭鉱の大量解雇と争議があった。それに伴い、資本側は国策にのって炭鉱労働者の海外への移民を企図し、実施した。上野英信は、ブラジル、コロンビア、ドミニカ、アルゼンチンなど、中南米に流れていった炭鉱労働者のもとを訪ね、何が起きたのかについて聞き書きを行った。

もとより中南米移民の歴史はもっと遡る(1908年~)。石炭産業においても、人を人として扱わず資源として使い潰す国策と資本の歴史があった。著者も指摘するように、三井資本は1886年から囚人を使って西表島での採炭を開始した(三木健『西表炭坑概史』に詳しい)。また、1889年には三池炭鉱を下賜され、1930年まで囚人使役を継続した。その石炭産業が斜陽になった時期の棄民政策の実施であったと言える。 

南米での労働は、炭鉱がそうであったように、極めて過酷なものであったようだ。甘言に釣られて海を渡り、騙されたと知るケースが多々あった。多くの者がろくでもない土地を転々として、野菜や穀物や果物の栽培を行い、貧困にあえいだ。既に炭鉱労働で指を無くしていたり肺をやられていたりという者も多く、そのために現地で亡くなったという話も少なくない。そして契約文書には、もし日本に帰らざるを得ない場合には自己負担などといった酷い条件が書かれていた。医師もろくにいなかった。戦争遂行体制と同じである(吉田裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』)。

現地での受容はどうだったか。確かに「順応性」を買われた場合もあったが、日本人特有の醜い行動もあったようだ。出身県で固まり(南米まで行って、他の県の者を排他するのだ)、現地の人を一段下の存在として蔑視し、そのために日本人に対する激しい拒否反応が起きた場所もある。一方で、現地に溶け込み生き延びた人たちも多かった。

中南米の移民の中には沖縄出身者が多い(著者はのちに『眉屋私記』を書いている)。数で言えばブラジル、割合で言えばアルゼンチンである。このきっかけは、1898年の沖縄県民に対する徴兵令であった。それに対して、沖縄県民は希望のために移民を選んだのだが、政府は、それを徴兵忌避として厳しく弾圧した。また帰国すれば反軍思想を持つ者とみなされた。これは沖縄戦においても、移民帰国者がスパイ扱いされ、またチビチリガマとは異なりハワイ等から戻ってきた者がいたシムクガマでは、かれらの真っ当な発言があったことにより、「集団自決」が起きなかったといった現象につながっている。

その挙句、戦後には炭鉱離職者が不要になったという理由で、政府は海外移民を押し進めたのであった。いずれにしても棄民政策であることに違いはない。

●上野英信
上野英信『追われゆく坑夫たち』
上野英信『眉屋私記』
『上野英信展 闇の声をきざむ』

●移民
上野英信『眉屋私記』(中南米)
『上野英信展 闇の声をきざむ』(中南米)
高野秀行『移民の宴』(ブラジル)
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(台湾)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー


フロレンシア・オテロ『Nocturno Mundo musicas de Joni Mitchell』

2018-06-18 07:17:18 | 中南米

フロレンシア・オテロ『Nocturno Mundo musicas de Joni Mitchell』(BAU Records、2011年)を聴く。

Florencia Otero (vo)
Paula Schocron (p)
Ingrid Feniger (sax, cl)
Damian Poots (g)
Leonel Cejas (b)
Martin Lopez Grande (ds, perc)
Guest:
Melina Moguilevsky, Barbara Togander, Rodrigo Dominguez

フロレンシア・オテロをはじめ、アルゼンチンの音楽家たちによるジョニ・ミッチェルのカバーアルバムである。

『Blue』から「Blue」「River」「California」「Little Green」「A Case of You」。『Both Sides Now(青春の光と影)』からタイトル曲。『Court and Spark』から「Down to You」「The Same Situation」。『Song to a Seagull』から「I had a King」。『Ladies of the Canyon』から「Woodstock」。『Mingus』から「The Dry Cleaner」。

ジョニ・ミッチェルの声が持っていた陰のようなところはない。そのかわりにクリアで伸びやかな声であり、異なるから、ジョニじゃなくても聴いていられる。また、バンドサウンドも気持ちが良い。イングリッド・ファニガーのサックスにはウェイン・ショーターが見え隠れするがどうだろう。


マテレレ・クアルテート『Suquipuquero』

2017-09-23 14:50:27 | 中南米

神楽坂の大洋レコードをときどき覗く。中南米の音楽をあまり知らないわたしにとっては、試聴もできて、コメントが付してあって、店長さんにアドバイスなんかもいただける、貴重な出会いの場である。最近入手したものは、マテレレ・クアルテート『Suquipuquero』(2012年)。

Matereré cuarteto
Mauricio Bernal (marimba, accordeon)
Oscar Peralta (g)
Gonzálo Carmelé (b)
Cacho Bernal (perc)

Guests:
Ramón Ayala (vo) (2)
Coqui Ortíz (vo) (6)
Eugenio Zeppa (cl) (12)

マリンバとアコーディオンのマウリシオ・ベルナル、ギターのオラシオ・カスチージョ、パーカッションのカチョ・ベルナルのトリオがマテレレ、さらにベースのゴンサロ・カルメレが加わってマテレレ・クアルテート。アルゼンチンの面々である。

アコーディオンという楽器はなぜここまで懐かしさや街の雑踏の雰囲気を持っているのだろう。ベルナルのマリンバは、重力に従って自重でころんころんと跳ねるようで、この響きもまた哀しく懐かしい。つまりベルナルの力量なのか。

中南米には行ったことがない。


ホイットニー美術館のエリオ・オイチシカ回顧展と抵抗の歴史展

2017-09-12 20:25:32 | 中南米

新ホイットニー美術館に行った(2017/9/11)。

■ エリオ・オイチシカ回顧展

ブラジル出身のエリオ・オイチシカの回顧展が開かれている(Hélio Oiticica: To Organize Delirium)。

オイチシカがどんなアーティストであったかをまとめて言うことは難しそうだ。スタイルは変遷し、絵画、インスタレーション、政治運動、アクション、映画など手段も多様である。これらを括って「トロピカリア運動」と称しても、確かに西欧に対するアンチテーゼというニュアンスは伝わるものの、それはキーワードでしかない。

つまりこのように様々な活動の痕跡を眺め、立ち止まり、困惑することが、オイチシカを体験することに他ならないように思える。

ハンモックの参加型作品がある(眠ってしまいそうなので横たわらなかった)。政治的にブラジルにとどまることができなくなりNYに来たときの映画がある(スーパー8!)。それらは強い自己確立の光を放っている。

また、ブラジルに戻ったあと、人びとに好きなものを着てサンバを踊ってもらうという活動の記録がある。色やかたち、それが持つ歴史的・記憶的な意味があり、選択と記録ということがとても重要だと伝わってくる。

この展覧会と連動させて、アート・リンゼイがライヴやトークをいろいろと行っていた。そのひとつも覗いてみたのだが(アート・リンゼイ+グスタヴォ・ヂ・ダルヴァ@ホイットニー美術館)、簡単には大きな物語に回収させまいとする意思を感じた。

■ 抵抗の歴史展

別のフロアでは抵抗の歴史展(An Incomplete History of Protest: Selections from the Whitney’s Collection, 1940–2017)。

これもまた、地域も意味も時代もさまざまである。公民権運動のファニー・ルー・ヘイマーを撮ったポートレイト(ルイス・H・ドレイパー)。アメリカの日系人収容所で宮武東洋が撮った写真。兵士の服だけを使い、強烈なベトナム戦争への反対の意思を感じる作品(エドワード・キーンホルツ)。

現代ということになれば、ヘイトの罪を直接的に訴えた作品(フェイス・リングゴールド)。

2年前に、MOMA PS1において、やはり様々な場所や時代における異議申し立てを特集した「ゼロ・トレランス」展があった。最近、SNS上のヘイト放置に抗する路上での運動があったが、それもまた、このような文脈から正当なアクションとして位置づけられる。


アート・リンゼイ+グスタヴォ・ヂ・ダルヴァ@ホイットニー美術館

2017-09-11 22:35:51 | 中南米

ホイットニー美術館でブラジルのエリオ・オイチシカ回顧展が開かれている。それと連動させて、アート・リンゼイが「Myth Astray」という企画でトークショーやライヴを仕掛けており、足を運んだ(2017/9/10)。これが美術展のチケットで入れるのだからなかなかだ。

Arto Lindsay (g, vo)
Gusavo di Dalva (perc, vo)

定刻の13時になっても適当に準備などしていて、人もまばらである。スタジオの中にはウレタンフォームを折り曲げたものがいくつも置かれていて、みんなそこに座ってだらだらと待っている。

20分くらい経って、おもむろにアート・リンゼイとグスタヴォ・ヂ・ダルヴァが現れ、強烈な逆光のなかで演奏を始めた。

ダルヴァもまたブラジルのパーカッショニスト。叩き歌い、自由な雰囲気が場を支配する。

それに対し、今に始まったことではないが、アート・リンゼイは弱弱しく、ヴァルネラブルな印象があり、しかしそれとは対照的なノイズギターを弾いた。この相反する要素がリンゼイの魅力に違いない。沢山のスピーカーから声と音が遅れてやってきて、強烈で普遍的な懐かしさのようなものが訪れた。

Nikon P7800


喜多直毅+田中信正『Contigo en La Distancia』

2017-08-19 10:15:00 | 中南米

喜多直毅+田中信正『Contigo en La Distancia』(Ottava Records、2016年)を聴く。

Naoki Kita 喜多直毅 (vln)
Nobumasa Tanaka 田中信正 (p)

これはまた想像以上に鮮烈なアルバムだ。曲はすべて中南米のものが集められている。

何しろ喜多さんのヴァイオリンの表現が多彩で魅せられる。ジョビンらの「Olha Maria」における唸り震える音。喜多直毅クアルテットに通じるようなドラマチックな展開と、それに貢献する音を提示する、「Soledad(孤独)」。驚いたことに、エルメート・パスコアルの「Chorinho Pra Ele」では、エルメート曲の浮かれて踊るような雰囲気はそのままに、まるでフランスの夜であるかのように弾いている。

ピアソラの「Chiquilin de Bachin(バチンの少年)」ではヴァイオリンは底流となり、その分、田中信正のやはり抑制して異様な光を放つようなピアノに耳を奪われる。ジャズの文脈で自由にその都度の旋律を編み出す田中さんもいいが、ここでの演奏もいい。なんだかこのふたりは「美しい音」を執念で追及しているのだろうか、それを感じた「Eu te amo」。もうすべて棄て去って夜の世界に入っていきたくなるような演奏である。最後を締めくくる「Contigo en La Distancia(遠く離れていても)」においてその感覚が極大化する。

先日のレコ発ライヴは平日の夜で遠い永福町、断念してしまったが、無理しても行けばよかった。

●喜多直毅
喜多直毅+マクイーン時田深山@松本弦楽器(2017年)
黒田京子+喜多直毅@中野Sweet Rain(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)

●田中信正
纐纈雅代トリオ@新宿ピットイン(2017年)
森山威男3Days@新宿ピットイン(2017年)
松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2008年)


チーチェ・トリオ『Chiche』

2017-08-11 11:13:15 | 中南米

チーチェ・トリオ『Chiche』(KUAIMUSIC、2016年)を聴く。

Sergio Verdinelli (ds, vib)
Martín Sued (bandoneon, toys)
Juan Pablo di Leone (bass fl, piccolo, fl, harmonica and effects)

セルヒオ・ヴェルディネッリ、マルティン・スエド、フアン・パブロ・ディ・レオーネというアルゼンチンの3人組。実はまったく予備知識がなく、話題になったときから時間が経ってアウトレットになっていたから入手したようなものなのだが、これは自分にとっては良い出逢いだった。

バンドネオンは強弱をうまく使って出し引きする。その結果、サウンドには大きな隙間が生まれていて、爽やかなドラムスも活きているし、何より聴いていて油断し呆とできる。こういうのは、旅先で時間を持て余してどこかに座りぼんやりするような感覚に似ている。悪くない。


ジョアナ・ケイロス『Diarios de Vento』

2017-08-02 23:26:36 | 中南米

ジョアナ・ケイロス『Diarios de Vento』(TerraUna、2016年)を聴く。

Joana Queiroz (cl, bcl, etc.)

ポルトガル語はまったく解せないのだが「風の日記」とでもいうタイトルだろうか。その通り、虫の声、鳥の声、子どもの声がざわざわと聴こえる中で、ジョアナ・ケイロスが多重録音でクラやバスクラ、さらには声やさまざまなものを叩く音を重ねている。何という気持のいいサウンドか。

木管楽器は、里山のような自然環境と溶け合うものかもしれない。ミシェル・ドネダも先日竹林のなかで忘れがたい演奏をしてくれたし、ヨアヒム・バーデンホルストもなにやら自然の中で録音をしていたようだ。面白いことは、本盤では、ケイロスは必ずしも自然の中に身を置いたというサウンドではなく、室内で録られた音を重ね合わせたりしている。再現ではなく、新たなイメージの創出ということだ。

ジャケットはひとつひとつ異なる手作りである(神楽坂の大洋レコードで、何枚かある中でどれにしようか悩んでしまった)。音楽もパッケージもすべて手作り、こういう活動は大好きなのだ。

ケイロスは、エルメート・パスコアルやイチベレ・ツヴァルギのグループでも演奏した人であるという。納得である。ライヴとなればどんな演奏をするのだろう。


ジョヴィーノ・サントス・ネト+アンドレ・メマーリ『GURIS - Celebration of Brazilian master Hermeto Pascoal』

2017-07-22 14:15:49 | 中南米

ジョヴィーノ・サントス・ネト+アンドレ・メマーリ『GURIS - Celebration of Brazilian master Hermeto Pascoal』(Adventure Music、2016年)を聴く。タイトル通り、エルメート・パスコアールに捧げた作品集。

Jovino Santos Neto (p, melodica, fl)
André Mehmari (p, harmonium, Rhodes, mandolin)
Special guest:
Hermeto Pascoal (teakettle, melodica)

名手ふたりのデュオ、しかも3曲には偉大なるエルメートが参加。曲はエルメートのものと、かれに捧げたふたりのオリジナルである。これが面白くないわけはない。

ピアノデュオはエンドレスな追いかけっこ。メマーリのフェンダーローズにネトのピアノの絡みはスリリング。エルメートはヤカンをもって遊んでいる。特に、マイルス・デイヴィス『Live Evil』においてエルメートが参加した曲「Igrejinha (Little Church)」では、メマーリのハルモニウム、ネトのピアノ、エルメートのヤカン。常に耳元で優しい声が聴こえているようで、繰り返していると涙腺がゆるむ。

愉しげに踊り続ける妖精、幻視の源泉、それがエルメートの音楽。


アンドレ・メマーリ+アントニオ・ロウレイロ『Duo』

2017-07-17 08:58:58 | 中南米

アンドレ・メマーリ+アントニオ・ロウレイロ『Duo』(Estúdio Monteverdi、2016年)を聴く。

André Mehmari (p, syn, Rhodes, fl, g, mandolin, accordion, voice)
Antonio Loureiro (ds, vib, voice)

取っつきやすく聴きやすいのだが、このブラジルのふたりは実はとんでもない。ポップスか、新時代の民族音楽か。

アンドレ・メマーリはピアノのみならず多くの楽器をこれでもかと扱う。何をやっているんだろうという煌びやかさである。アントニオ・ロウレイロはパッと点いて消える火花のようなドラムスもいいが、ヴァイブも声もまた深く快適。


廣木光一『Tango Improvisado』

2017-04-16 10:19:38 | 中南米

廣木光一『Tango Improvisado』(hirokimusic、1995年)を聴く。

Koichi Hiroki 廣木光一 (g)

なんて音のひとつひとつが粒として立っているのだろう。驚くほど強度が高く、しかも透き通っている。

廣木さんの書く文章は読むたびに面白く感嘆してしまうのだが、本盤のライナーノーツもまた興味深い。アルゼンチンタンゴのリズムを、幼少時にタケノコ掘りをしたり、球根を植えたりするときの感じに重ね合わせているのである。そしてまた、ジャズのリズムで演奏するときも、横に流れ過ぎないように、縦の振幅をより大事にしているという(「私の中でのジャズのタンゴ化」)。

これほどの強度を持っているからこそ、たとえば、渋谷毅さんとのデュオアルバム『So Quiet』も凄い存在感と透明性を持って創出されたのだろうな、と思ってみたりする。

●廣木光一
安ヵ川大樹+廣木光一@本八幡Cooljojo(2016年)
吉野弘志+中牟礼貞則+廣木光一@本八幡Cooljojo(2016年)
廣木光一+渋谷毅@本八幡Cooljojo(2016年)
Cooljojo Open記念Live~HIT(廣木光一トリオ)(JazzTokyo)(2016年)
廣木光一(HIT)@本八幡cooljojo(2016年)