Sightsong

自縄自縛日記

向島ゆり子+関島岳郎+中尾勘二『星空音楽會 Musica En Compostela』

2017-11-29 23:07:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

向島ゆり子+関島岳郎+中尾勘二『星空音楽會 Musica En Compostela』(off note、2010年)。入手したのは割と最近だが、大好きな盤なのだ。気持ちを落ち着かせるためにクアラルンプールのホテルでも聴いていた。

Yuriko Mukojima 向島ゆり子 (vln)
Takero Sekijima 関島岳郎 (tuba, recorder)
Kanji Nakao 中尾勘二 (ss, cl, tb)

渋いというのか音楽そのものというのか、そのような3人による音楽。言うまでもなく関島、中尾の両氏はコンポステラや、コンポステラを想ってのフォトンのメンバーでもあった。そしてもうひとりは、もちろん故・篠田昌已でも、林栄一でもなく、向島ゆり子。

コンポステラが演奏した「同志は倒れぬ」、林栄一の名曲「ナーダム」を聴いていると、あああ、泣きそうになる。なんて素晴らしい音楽だろう。こういうものに接すると妙にロマンチックになって大言壮語しそうになってしまう。

途中の「煙」で、観客か演奏者か、くしゃみや咳が拾われていることにも親しみを覚える。(ところで、「くつやのマルチン」はメロディのせいかチューバの効果か、『ウルトラセブン』の映像が浮かんできてしかたがない。)

●関島岳郎
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
ふいご(2008年)
川下直広『漂浪者の肖像』(2005年)
船戸博史『Low Fish』(2004年)
『週刊金曜日』の高田渡特集(『貘』、1998年)
嘉手苅林次『My Sweet Home Koza』(1997年)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地(1997年)

●中尾勘二
グンジョーガクレヨン、INCAPACITANTS、.es@スーパーデラックス(2016年)
中尾勘二@裏窓(2015年)
ふいご(2008年)
川下直広『漂浪者の肖像』(2005年)
船戸博史『Low Fish』(2004年)
嘉手苅林次『My Sweet Home Koza』(1997年)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地(1997年)


フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス

2017-11-29 21:11:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

ドイツ・エッセン出身で30歳のフローリアン・ヴァルターが来日している。ちょうど興味深いセッションでもあり、入谷のなってるハウスに足を運んだ(2017/11/28)。

Florian Walter (as)
Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)
Tomoko Katabami 方波見智子 (marimba, perc, voice)
Ayako Kato 加藤綾子 (vln, voice)
Nami Tanaka 田中奈美 (dance)

1. ヴァルター、方波見、加藤

ヴァルターが息を破裂させる。アルトとマリンバが同じ音を繰り返す中で、またアルトの倍音とマリンバの響きがアトモスフェアを作り出す中で、ヴァイオリンが滑空する。次にはアルトとヴァイオリンとが結合し、その雰囲気の中でマリンバが跳ねる。そして遊ぶように終わった。

2. 照内、加藤、ヴァルター

ピアノがペダルで残響を作り出し、ヴァイオリンが哀しい旋律を奏でる。ヴァルターはマウスピースを取り、横向きに吹いている。大きな流れは照内さんのピアノから湧き出しているように思える。ここでヴァルターがマウスピースを装着し、音に生命が吹き込まれた。加藤さんは激しくヴァイオリンを弾き、ひとかたまりのエネルギーが尽きた後はだらりと脱力、それはちょっと怖いものを感じさせる。ヴァルターはアルトを浅く咥えて吹き、息のみを増幅させた。

3. ヴァルター、田中

倍音、キーを叩く音、ダイナミックなグロウル。ここで田中さんがハコをもって参入し、コミカルにも感じられるように翻弄のふるまいを見せる。ヴァルターの倍音はまるで音叉のようなうなりを生じさせるものだが、さらに、声を吹き込み、また、古いマイクロカセットで先に自身で録音した音を発し、何重にもサウンドを分厚くしてゆく。田中さんは突然生命を失い、骸と化した。

4. 全員

ピアノの発する分散型のフラグメンツ。暗闇に佇み存在感を示すヴァイオリン。低音から跳ね上がり、また、手により摩擦を直に感じさせるマリンバ。エンジン音のようなアルト。すべてが並列になって共存していた。やがてピアノが轟音にシフトしてきて、また下降してフラグメンツを撒く。ここでのマリンバはトリックスターのようだ。

5. 方波見、加藤、田中

演奏がはじまりほどなくして、方波見さんが「とっぴんちゃんぴん、とっぴんちゃんぴん」と呟くように唄い始めた。加藤さんはうなりの声で呼応する。そして田中さんは蛇のようにマリンバにまとわりつき、明らかにサウンドとの相互作用を作り出した。加藤さんが弦をはじく一方で、方波見さんはスティックを自重で倒し、サウンドを鎮静化させた。

6. 照内、方波見、ヴァルター、田中、加藤

ヴァルターがこれまでとうってかわって管を鳴らす。照内さんは内部奏法に加えて鍵盤を手のひらで叩き、方波見さんは激しくマリンバを叩く。激化、一転し、静寂。方波見さんがパーカッションを使ううちに、田中さんと加藤さんが入ってきた。アルトとヴァイオリンとパーカッションの強弱の流れがまるで邦楽のように聴こえる。全員が楽器によって、振幅の世界と貫通の世界を往還している。ピアノとマリンバの響きの横で、田中さんは椅子の上でゆらぎを見せる。ここでふとヴァイオリンが入ってきたときにはぞくりとした。そしてアルトは息によって弦を擬態する。響きの時間には、方波見さんはトライアングルを使った。田中さんが、全員にゆっくりとからみついていった。

全員の個性が衒いなく発揮されて、とても良いセッションだった。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●参照
ネッド・マックガウエン即興セッション@神保町試聴室(2017年)
照内央晴・松本ちはや《哀しみさえも星となりて》 CD発売記念コンサートツアー Final(JazzTokyo)(2017年)
照内央晴+松本ちはや、VOBトリオ@なってるハウス(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)


フェローン・アクラフ『The Willisau Concert』

2017-11-28 08:21:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

フェローン・アクラフ『The Willisau Concert』(Modern Masters、1992年)を聴く。

Pheeroan akLaff (ds)
John Stubblefield (ts)
Ed Cherry (g)
Mark Helias (b)

もうこのような、なかばトラディショナルなフリーにピンとくることはない。マーク・ヘライアスの固くエネルギッシュなベースはともかく、ジョン・スタブルフィールドもエド・チェリーもさほど面白くはない。

しかしそれでも、フェローン・アクラフのドラムスを最初から最後まで満喫できることは嬉しい。リズムとビートの強力な太い流れが数本あって、それらが、ずどどど、と、こちらの胸板を叩き続ける快感。

●フェローン・アクラフ
フェローン・アクラフ@Dolphy(2017年)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(2009年)
フェローン・アクラフ、Pentax 43mmF1.9(2004年)
スティーヴ・リーマン『Interface』(2003年)
トム・ピアソン『Left/』(2000年)
"カラパルーシャ"・モーリス・マッキンタイアー『Dream of ----』(1998年)
フェローン・アクラフのドラムソロ盤2枚(1978-79年、1996年)
アンソニー・ブラクストンはピアノを弾いていた(1995年)
レジー・ワークマン『Summit Conference』、『Cerebral Caverns』(1993, 95年)
ヘンリー・スレッギル(2)
ヘンリー・スレッギル(1)


マタナ・ロバーツ『The Chicago Project』

2017-11-28 00:02:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

マタナ・ロバーツ『The Chicago Project』(Central Control International、-2007年)を聴く。

Matana Roberts (sax)
Josh Abrams (b)
Jeff Parker (g)
Frank Rosery (ds)
Fred Anderson (sax) (A-3, B-1, B-4)

マタナ・ロバーツの初期作品であり、シカゴ人脈で固めている。運よくアナログで見つけることができた。

最近はこのようなシンプルなジャズ的編成であまり演奏しないのだが、こうして聴くと、アルト吹きとしてかなり際立った個性を持っていることがわかる。ピッチが連続的に逸脱してゆき、それがジェフ・パーカーのギターと重なるところなんて、ぬめぬめとした感があり、官能的でさえある。また、土埃を巻き上げるようなソウルもぎんぎんに感じる。ジョシュ・エイブラムスのベースプレイにも聴き惚れる(特にB面の「South by West」)。

3曲収録された「Birdhouse」1-3はフレッド・アンダーソンとのデュオであり、シカゴの伝統継承のドキュメントのようだ。最後ではふたりの、特にマタナの高揚した声を聴きとることができる。

●マタナ・ロバーツ
マタナ・ロバーツ「breathe...」@Roulette(2017年)
マタナ・ロバーツ『Coin Coin Chapter Three: River Run Thee』(2015年)
マタナ・ロバーツ『Always.』(2014年)
アイレット・ローズ・ゴットリーブ『Internal - External』(2004年)
Sticks and Stonesの2枚、マタナ・ロバーツ『Live in London』(2002、03、11年)


崎山多美『クジャ幻視行』

2017-11-27 22:08:01 | 沖縄

崎山多美『クジャ幻視行』(花書院、2006-08年)を読む。

7つの短編。最初に崎山多美の小説に接したときの驚愕はすでにわたしにはない。

しかしそれでも、なのか、それだからこそ、なのか、じわじわと闇が押し寄せてくる。別に「沖縄の古層を掘る」ようなものではない。池澤夏樹の安易な小説とはわけがちがう。もちろん古い古い記憶も、「アメリカー」や基地も、街も体臭も、コトバもウタも、すべてがぐちゃぐちゃに混じり合って香りと腐臭の両方を放っている。やはり見事である。

このような唄の表現が誰にできるだろう。

「足首をからめとられたまま聴いていると、ウタ声は、高音の部分で、強風が高木の枝をなぶるときのような鋭い響きを放った。」

●崎山多美
崎山多美『うんじゅが、ナサキ』
崎山多美講演会「シマコトバでカチャーシー」
崎山多美『ムイアニ由来記』、『コトバの生まれる場所』
崎山多美『月や、あらん』
『現代沖縄文学作品選』
『越境広場』創刊0号
『越境広場』1号


フェイ・ウォン『Eyes on Me』

2017-11-27 21:33:34 | ポップス

なぜか昔のフェイ・ウォンの7インチ盤『Eyes on Me』(EMI、1999年)がいきなり再発されていて、衝動的に入手した。

A面の「Eyes on Me」は英語で唄われていて、なめらかなフェイ・ウォンの声とマッチする。B面は「紅豆 Red Bean」、これもまた障害物なくすうと沁みこんでくるようで、なんども聴く。

テレサ・テンに捧げたアルバムでテレサと比べてしまい、いまひとつだなと思ってしまった自分はもう別人である。

●フェイ・ウォン
フェイ・ウォン『The Best of Faye Wong』、『マイ・フェイヴァリット』(1995、96年)
ウォン・カーウァイ『恋する惑星』(1994年)


サイモン・ナバトフ@新宿ピットイン

2017-11-27 07:50:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインでサイモン・ナバトフを観る(2017/11/26)。

Simon Nabatov (p)
Akira Sakata 坂田明 (as, cl)
Takashi Seo 瀬尾高志 (b)
Darren Moore (ds)

ファーストセットの主役はどちらかと言えば坂田明さんだった。最初にアルトを吹き始め、やがて重々しく「もし、もし」と何度もマイクに向かって唸る。「もし、もし」なのか「ムッシュー、ムッシュー」なのかと思っていると、「もしもし亀よ亀さんよ」なのだった。冗談そのものなのだがこれが堂々たるものになれば第四次元に昇格する。とはいえいつもの坂田節ではある。

セカンドセット、サイモン・ナバトフの長めのイントロが奇妙なものだった。それまで蓄積してきたクラシックピアノと知性を通じて歴史を凝縮し放つような、眩暈がする感覚。坂田さんもアルトを手にどのように入っていこうかと神妙な面白そうな表情を浮かべている。なお、あとで瀬尾さんに訊くと、ピアノの隣で数限りなくベースを弾いてきたが、とびきり異質な感じがしたといったようなコメントだった。

機会を見出してダッと斬り込む瀬尾さんのベース、文脈に沿って巧妙に遊ぶようなダレン・ムーアのドラムス。やはり坂田さんの唸りがひと段落してクラリネットに持ち替える前に、ナバトフが別の物語を持ち込んだ。他の三者がまた音楽に入ってきても、強引でもないのにその物語は涼しい顔で語り続けられてゆく。このあたりでナバトフの凄さが垣間見えたような気がした。アンコールに応えた短い演奏も、その奇妙な感覚のまま、脳のヘンなところをくすぐるものだった。

こんどはソロかトリオでナバトフのプレイを聴きたい。

●サイモン・ナバトフ
サイモン・ナバトフ+トム・レイニー『Steady Now』(2005年)


ディエゴ・スキッシ+北村聡、マリオ・ラジーニャ、ボボ・ステンソン・トリオ(ザ・ピアノ・エラ2017)@めぐろパーシモンホール

2017-11-26 08:28:05 | アヴァンギャルド・ジャズ

都立大学のめぐろパーシモンホールに足を運び、「ザ・ピアノ・エラ2017」初日(2017/11/25)。

■ ディエゴ・スキッシ+北村聡

Diego Schissi (p)
Satoshi Kitamura 北村聡 (bandoneon)
guest:
Mario Laginha (p)

アルゼンチンのディエゴ・スキッシ。最初はピアノソロ曲から入り、こぼれるような音によってゆったりと音風景を見せてゆく。最後は重低音でリズミカルに攻めた。そしてタンゴの北村聡とのデュオ。最初は次々に向かいあうような演奏、次の曲は長いバンドネオンのイントロから思慮深くピアノが入り、慎重にデュオ演奏を展開した。

4曲目、なんと次のプログラムのマリオ・ラジーニャが呼び出され、スキッシとの連弾。これによりふたりの個性の違いが明らかになった。スキッシはエッジが丸く透明な感覚、ラジーニャはノイズも入れて強く響かせ、より突出的。このスキッシの丸さは次の曲のソロでも印象深いものだった。

ふたたび北村聡とのデュオ。テンポを積極的に持ち込んだ。最後の7曲目では奇妙なおかしみもある展開で、お互いにその快楽をぶつけていた。

●北村聡
喜多直毅クアルテット@求道会館(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)

■ マリオ・ラジーニャ

Mario Laginha (p)

最初はマイクを引き寄せ、ささやくように唄いながら鍵盤がハモり、はみ出し、いきなりの快感。ピアノはよりダイナミックに、忙しくも、和音を重ねてゆく。2曲目はECM時代初期のキース・ジャレットを思わせるような左右のきらびやかさがあり、3曲目はブロックコードの面白さがあった。

ここでラジーニャはショパンを1曲弾き、次に、右手で華麗な旋律を奏でる静かな曲につなげた。最後はなんとも愉快な曲で、エルメート・パスコアルのようにはなやかで心が浮き立つようであるけれど、一方で内省的で、ときにブルージーでもあった。テンポもコードも次々に変化した。

■ ボボ・ステンソン・トリオ

Bobo Stenson (p)
Anders Jormin (b)
Jon Fält(ds)

トリオは新作『Contra La Indecision』の発表を控えており、その収録曲もいくつか披露された。最初の「Doubt thou the Stars」ではいきなりアンダーシュ・ヤーミーンの胡弓のごときベースに驚かされる。ステンソンはするりと入る。ヨン・フェルトは水滴のような音からはじまり、手も口も使い、観客を驚かせた。次はバルトークの曲だったのか、実に柔らかいヤーミーンのベース、フェルトは愉快でもあるスティック捌き。静かな中でステンソンが鍵盤の音を置いていくたたずまいの素晴らしさ。

3曲目はスロバキアの結婚の曲だという「Weding Song from Poniky」。ステンソンはイントロからペダルでピアノを長く響かせた。たしかにフォーク的でも哀しくもある曲想で、ヤーミーンの見事なアルコが北欧の空気を持ち込んでいるのかと思わされた。

4曲目は「Oktoberhavet」(October Sea)。ヤーミーンの唄うようなベース、フェルトの遊ぶブラシ。次に、カーラ・ブレイを思わせもするピノのイントロ、そしてベースもピアノもリフレインと出し入れにより時間をどこかに飛ばしてしまった。そんな中でも親指ピアノで遊ぶフェルト。

6曲目と最終曲は、「ジャズのピアノトリオ」的な三者のインタラクションを見せてくれて、これもまたやはり聴きたいものだった。最終曲でのステンソンは、ミシェル・ペトルチアーニを思い出させてくれる明確さと強さがあった(どちらもチャールス・ロイドのグループのピアニストを務めたのだった)。

ステンソンは縦横に突出する派手さを出さなくとも、その空間のなかで自由であり、懐の広さを見せてくれた。ヤーミーンの柔らかいベースも見事だったし、フェルトのはしゃぎっぷりもバンドのチャーミングさとなって機能していた。


ユージン・チャドボーン『The Lost Eddie Chatterbox Session』

2017-11-23 22:28:29 | アヴァンギャルド・ジャズ

ユージン・チャドボーン『The Lost Eddie Chatterbox Session』(Corvett vs. Dempsey、1977年)を聴く。

Eugene Chadbourne (g)

1977年に録音されたギターソロであり、88年にカセットテープでのみ出されたという代物。

ジャズスタンダードの短い演奏を中心に30曲が収録されている。数えてみるとセロニアス・モンクが12曲、チャーリー・パーカーが3曲、デューク・エリントン、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーンが各1曲。ほかにも「As Time Goes by」とか「Smoke Gets in Your Eyes」のスタンダード。あとは自分のオリジナルである。

圧倒的にモンク曲であり、変態=天才は変態=天才を好むというところか。そのモンク曲にしても、「Brilliant Corners」、「Ba-Lue Bolivar Ba-Lues-Are」とか飛び切りヘンな曲、しかも前者では「'Round Midnight」、後者では「Blue Monk」に化けていたりして壁がない。

演奏はもちろんゆがみよじくれ時間が飛ぶ。さすがチャドボーン。メアリー・ハルヴァーソンの先達としてチャドボーンを位置づけてみる。

●ユージン・チャドボーン
ハン・ベニンク+ユージン・チャドボーン『21 Years Later』(2000年)


スティーヴン・ガウチ(Basso Continuo)『Nidihiyasana』

2017-11-23 20:27:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

スティーヴン・ガウチ『Nidihiyasana』(clean feed、2007年)を聴く。グループ「Basso Continuo」による。

Stephen Gauci (ts)
Nate Wooley (tp)
Mike Bisio (b)
Ingebrict Haaker Flaten (b)

強力なコントラバス奏者ふたりを擁している点がまずはサウンドに大きな影響を与えている。定常的なビートにより構造を作り出すマイケル・ビシオ、より弦をはじくときの一音の強さがありその分ノイズも大きいインゲブリグト・ホーケル・フラーテン。左右で聴き分けているつもりが領域侵犯も頻繁にあり、ときおりどちらの音かわからなくなる。1曲目でノイズとともに「Someone to Watch over Me」を引用したのはフラーテンか。

ネイト・ウーリーは意外にもがっぷり四つに組んで熱くトランペットを吹いている。そして、ここでもスティーヴン・ガウチはさまざまな貌を見せる。

ガウチはなかなか一筋縄ではいかないカメレオンぶりであり、それでこそ、ブルックリンのBushwick Public Houseで毎週錚々たるインプロヴァイザーを呼んでセッションを続けられているのかもしれない。本盤が録音された場所はDowntown Music Galleryであり、やはり毎週CD棚をずらしては即興のギグを行っている。演奏の力は場の力でもある。

●スティーヴン・ガウチ
Bushwick improvised Music series @ Bushwick Public House(2017年)
スティーヴン・ガウチ+クリス・デイヴィス+マイケル・ビシオ『Three』(2008年)


スティーヴン・ガウチ+クリス・デイヴィス+マイケル・ビシオ『Three』

2017-11-23 10:01:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

スティーヴン・ガウチ+クリス・デイヴィス+マイケル・ビシオ『Three』(clean feed、2008年)を聴く。

Stephen Gauci (ts)
Kris Davis (p)
Michael Bisio (b)

先日はじめて観たスティーヴン・ガウチのテナープレイは、ひたすらに高音で攻め続けてサウンドのテンションを持ち上げるというものだった。ここでは少し違い、音域も音の長さも幅広く使っている。ちょっとエヴァン・パーカーを思わせるところがあり意外。

サウンド全体への貢献ということでいえば、ガウチは前面のトリックスター的であり、強度を創出するクリス・デイヴィスとマイケル・ビシオに威圧される。ビシオはコントラバスの細かな音を積み重ねることで構造を作っている。一方デイヴィスは構造を所与のものとして、というか、構造に自ら組み込まれて執拗に鍵盤を叩いている。いやこれは凄いな。

●スティーヴン・ガウチ
Bushwick improvised Music series @ Bushwick Public House(2017年)

●クリス・デイヴィス
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)(レイニー参加)
マックス・ジョンソン『In the West』(JazzTokyo)(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
トム・レイニー『Obbligato』(2013年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、2012年)

●マイケル・ビシオ
トーマス・ヘルトン+マイケル・ビシオ@Downtown Music Gallery(2017年)
マシュー・シップ『Piano Song』
(2016年)
ルイ・ベロジナス『Tiresias』(2008年)

 


鳥の未来のための螺旋の試み@ひかりのうま

2017-11-23 09:05:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

大久保のひかりのうまに足を運び、4夜連続「鳥の未来のための螺旋の試み」、第2夜(2017/11/21)。笛のベルナデット・ツァイリンガー(オーストリア)、ギターのディエゴ・ムーン(アルゼンチン)、コントラバスのMaresukeの3名によるツアーでもある。

 

1.
鈴木ちほ (bandoneon)
Maresuke (b)
Margatica (朗読)

2.
Bernadette Zeilinger (笛)
Diego Mune (g)

ツァイリンガーは大きな縦笛を横笛のように使い、声を吹き込む。ムーンのギターはいきなり独特なものであり、鳥の翼のように手を使って大きなタッピングを行う。次にエフェクターを使い、小さなハコの中であるかのように反響させる(実際にそうなのだが)。またキーボードのような音を創ったりもして飽きない。透明感、抽象的な抒情、突然の破壊の欲求が混在している。

3.
Bernadette Zeilinger (笛)
森順治 (as, fl)
鈴木ちほ (bandoneon)

笛とサックスの息遣いと、バンドネオンの蛇腹による風とがまずは同じ流れを作り出す。ちほさんの、途中の振幅によりバンドネオンの中にとどめておけないように漏れ出てくる音が印象的だった。

4.
橋本英樹 (tp)
Diego Mune (g)
Maresuke (b)

コントラバスとギターとが現に弓や棒をはさみ、音を同調させる。ここに刺激剤として介入する橋本さんのトランペット。Maresukeさんのコントラバスは、楽器ごと音を自分のほうに引き寄せるという面白さがあるのかな。ムーンがギターをこすり、まるでガラスコップ演奏のような効果を出した。

5.
JanMah 嶋村泰 (g)
Diego Mune (g)

変態的アクティヴなギターデュオ。これは素晴らしかった。みんな興奮しながら聴いていたが、それは演奏者ふたりもそうだったようで、終わってからがっちりと握手を交わしていた。

6.
森下雄介 (tp)
橋本英樹 (tp)
Bernadette Zeilinger (笛)

まるで突っつきあうような分散型サウンド。敢えて凝集を選ばず分散のまま最後まで走る面白さがあった。

7.
Miki Hasegawa (p)
森順治 (bcl, fl)
鈴木ちほ (bandoneon)

森さんのバスクラには、シームレスに横に広がるアルトとはまた違った魅力があって、音が核を作って耳に食い込んでくる。しばらく三者とも模索を続けていたが、後半になり、ピアノがリズムを取り主導権を握った。曲に収斂してゆく過程も面白いものである。

8.
Maresuke (b)
Bernadette Zeilinger (笛)
Diego Mune (g)

ようやくツアーの主役によるトリオ。Maresukeさんは実に柔らかい弓でコントラバスを鳴らしていたのだが、ほどなくして、それを1本の繊維に絞り、震えて切れそうで切れない音を創出した。ムーンさんもギターの弦を指で持ち上げそれに応じた。

ところでMaresukeさんはFMRからCDを出すそうである。どのように独特さが録音されているのか興味津々。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●Maresuke
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)

●鈴木ちほ
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
北田学+鈴木ちほ@なってるハウス(2017年)
りら@七針(2017年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年) 

●森順治
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
松風M.A.S.H.@なってるハウス(2017年)
林ライガ vs. のなか悟空@なってるハウス(2017年)
リアル・タイム・オーケストレイション@Ftarri(2016年)
森順治+高橋佑成+瀬尾高志+林ライガ@下北沢APOLLO(2016年)
本多滋世@阿佐ヶ谷天(2016年)
M.A.S.H.@七針(2016年)
森順治+橋本英樹@Ftarri(2016年)
M.A.S.H.@七針(2015年)

●橋本英樹
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
M.A.S.H.@七針(2016年)
森順治+橋本英樹@Ftarri(2016年)
M.A.S.H.@七針(2015年)


高田ひろ子+廣木光一@本八幡cooljojo

2017-11-19 08:48:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoで、高田ひろ子+廣木光一デュオ(2017/11/18)。

Hiroko Takada 高田ひろ子 (p)
Koichi Hiroki 廣木光一 (g)

もう聴く前から素晴らしいことはわかっている。讃美歌「おやすみなさいイエスさま」に続き、ブラジル2曲。「Choro Bandido」では、ピアノとギターとのユニゾンからの発展があり、またユニゾンに戻る美しさがあった。アントニオ・カルロス・ジョビンの「Luiza」では廣木さんのギターソロから始まり、ピアノが入ってくるとそれぞれの楽器の音世界が明確にあらわれた。そして廣木さんが足でリズムを取りながら「I'll Remember April」、高田さんの弾くテーマがじつに鮮やか。それぞれのソロのあとには拍手があり、ジャズらしく4小節交換も愉しい。最後に廣木さんの「フレネシー」、哀しみと喜びとが順にやってくるいい曲。未吹き込みながらあとで詩をつけ、青木カナさんが唄うヴァージョンもあるそうだ。

セカンドセット。廣木さんの「Zuzu」に続き、高田さんの「祈り」。ここでは太くくっきりしたギターのシングルトーンが印象的だった。ピアノに続きギターが入ってくるときのスライド音と軋みにぞくりとさせられる。お店のために作ったのか「cooljojo」、複雑なメロディをノリよく進めてゆく。潔く終わるところもカッコいい。高田さんの「For A New Day」は淡々と切ない哀しさが綴られており、まるでカーラ・ブレイの曲を聴いているような印象があった。ギターの装飾音が華麗。再び高田さんの「青紫陽花」、ここでは右手だけでピアノを弾く時間もあり、静かさのなかにも濃淡を見出すことができた。2小節ずつギターとともに入り、最後は高田さんは高音から低音までを広く使い、イメージもその音の幅と同じく広がった。そしてアンコールはスタンダードの「Nearness of You」。

ふたりのサウンドは清冽で、味わいもある天然水のように響いた。廣木さんのお気に入りの日本酒は、石川の「菊姫」、新潟の「かたふね」、あと何だったか。そうか日本酒のような音楽でもあるのかなと思いながら聴いていた。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●高田ひろ子
安ヵ川大樹+高田ひろ子@本八幡Cooljojo(2016年)
高田ひろ子+津村和彦『Blue in Green』(2008年)

●廣木光一
安ヵ川大樹+廣木光一@本八幡Cooljojo(2016年)
吉野弘志+中牟礼貞則+廣木光一@本八幡Cooljojo(2016年)
廣木光一+渋谷毅@本八幡Cooljojo(2016年)
Cooljojo Open記念Live~HIT(廣木光一トリオ)(JazzTokyo)(2016年)
廣木光一(HIT)@本八幡cooljojo(2016年)
廣木光一『Everything Shared』(2000年)
廣木光一『Tango Improvisado』(1995年)


アースコライド@Apoteka

2017-11-18 14:36:02 | ポップス

バンコク滞在中、夕食を取ったあとに繁華街を抜けて、アポテカ(Apoteka)というライヴバーを覗いてみた。

Earthcollide (g, vo)

目当てはアースコライド(Earthcollide)。FBのページを見ると「Girls Rock Asia」とある。

たどり着いたら、もうギターを弾きながら歌っている。低く太く、ガーリーでもあって、いい声である。アジアにエキゾチックなものを見出す視線も悪くはないが、こんな日常のロック、フォーク、ポップスももっと聴きたいと思ったのだった。彼女は歌い終えると「See you next Thursday!」と叫んですぐに消えた。

Nikon P7800


スティーヴ・レイシー『free for a minute (1965-1972)』

2017-11-18 13:19:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

スティーヴ・レイシー『free for a minute (1965-1972)』(EMANEM、1965-72年)を聴く。

未発表や音質改善を含めた2枚組。レイシー30代の記録である。

『Disposability』(1965年)※シンバルの音の歪みを改善

Steve Lacy (ss)
Kent Carter (b)
Aldo Romano (ds)

『"Free Fall" Film Cues』(1967年)※未発表

Steve Lacy (ss)
Enrico Rava (tp)
Karl Berger (vib)
Kent Carter (b)
Paul Motian (ds)

『Sortie』(1966年)※完全な形での最初のリイシュー

Steve Lacy (ss)
Enrico Rava (tp)
Kent Carter (b)
Aldo Romano (ds)

『The Rush & The Thing』(1972年)※未発表

Steve Lacy (ss)
Steve Potts (as)
Irene Aebi (cello)
Kent Carter (b)
Noel McGhie (ds)

どの録音でもレイシーらしい音が聴こえてくる。

シンプルな編成の『Disposability』におけるセロニアス・モンクのチューン「Shuffle Boil」、「Pannonica」、「Coming on the Hudson」では、開かれた自由度の大きな空間で、伸びやかに、気持ちよくベンドさせている。

名盤『The Forest and The Zoo』も同時期の1966年の録音だが、それと同じくトランペットのエンリコ・ラヴァが入ると、音がより細分化され、突っつきあうような音楽の愉しさが溢れ出ている。

ここではケント・カーターがどの録音にも付き合っているが、音色も、また強弱の出し入れも柔軟なことに改めて気づかされた。

そして驚きは、未発表音源の『"Free Fall" Film Cues』である。タイトル通り、『Free Fall』という映画のために吹き込まれたものだが、解説によれば、ひどい映画であり音楽が公表されなくてよかった、とミュージシャンたちは考えたらしい。しかしそれはともかく、モチアンのドラムスがコアに自由にまとわりつくようで、想定以上に過激である。ビル・エヴァンスとの共演を経て、ちょうどキース・ジャレットと一緒にやりはじめたころである。モチアンのひとつの跳躍時期であったのかもしれない。

●スティーヴ・レイシー
レイシーは最後まで前衛だった(『New Jazz Meeting Baden-Baden 2002』)(2002年)
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』(2000年)
『Point of Departure』のスティーヴ・レイシー特集(『Sands』)(1998年)
チャールス・タイラー(『One Fell Swoop』)(1986年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
『Interpretations of Monk』(1981年)
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』(1979年)
スティーヴ・レイシー『Straws』(1977年)
スティーヴ・レイシーのアヴィニヨン(1972-73年)
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(1968年)
スティーヴ・レイシー『School Days』(1960、63年)
セシル・テイラー初期作品群(1956-62年)
Ideal Bread『Beating the Teens / Songs of Steve Lacy』(2014年)
ハリー・コニック・ジュニア+ブランフォード・マルサリス『Occasion』(『Sands』にインスパイアされた演奏)(2005年)
副島輝人『世界フリージャズ記』
村上春樹 編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』(レイシーのモンク論)
中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』