Sightsong

自縄自縛日記

吉本隆明のざっくり感

2007-08-31 23:46:51 | 思想・文学
新宿の「模索舎」で見つけた、『賢治文学におけるユートピア・「死霊」について』(吉本隆明資料集67、猫々堂)。吉本隆明のテキストをめんめんと出し続けるということにまず驚く。これは2007年8月に出た最新刊のようだ。

大学時代、吉本隆明の『共同幻想論』に困ってしまった私だったが、このような「語り」は激しく面白い。無骨な剣豪のように、下品に、豪快に、ざっくりとイメージを言い換えていく姿が快感でもある。

宮沢賢治というもののイメージ。鳥の目になったかと思うと蟻の目になったり雨粒になったりし、いつの間にか読者にその視線が「降りて」くる。私たちは瞬時に、そして同時に、動物にも鉱物にも物質にもなる。

そして、賢治の本質のひとつは、具体的ではない、「よくわからない」がそのままの状態なのだと喝破する。

また重要なかれのトートロジーの思想で「わけのわからないところ」そのものが存在するという理念を抜きにしては、宮沢の思想は成り立っていない。「中学生」がよくかんがえる程度の空想が、あまりに真剣に卓越した詩人によって考えられているので、読むものもまた真剣な中学生とならざるをえない。

アニメ映画『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー)の魅力も、猫の見開いた目のエッジ、揺れ動きにあるのだ。

埴谷雄高の『死霊』を叩き台に、彼の資質と存在意義を語るのもふるっている。『死霊』の登場人物たちがそれぞれ体現する、「極端な観念というものの権化」を、「青年期に一様に誰もがやってみる特徴」とざっくり述べた上で、『死霊』を「一種の青春小説」とするのだ。

してみれば、つまらないことで絶望的になったつもりになり、引っ越したばかりの部屋で、正月、ひとりで『死霊』を読み続けた私の行動も、青春だったと理解できる(笑)。

埴谷雄高が幻視し、かつそこから情況を振り返った、その未来(あくまでイメージ)に関して、次のように語る。

しかしそこに到達するのは簡単じゃなくて、どうしても精神的なインテリゲンチャ、あるいは革命的インテリゲンチャでもいいですけど、そういうインテリゲンチャの倒錯した心情、思想の世界というのを必ず通過せざるをえないだろうなっていうふうに思える必然性があるんです。

といってもなかなかこの魅力を伝えられないのであって、ロラン・バルトではないが、テキストの愉悦、語りの海のなかで漂いながら読んでいく楽しさが、吉本隆明にはあるような気がする。



『差別と環境問題の社会学』 受益者と受苦者とを隔てるもの

2007-08-29 23:47:14 | 思想・文学
昨日は飛行機で福岡、それから夕方に仙台、今晩帰京。飛行機の窓から皆既月食を見ることはできなかった。

それにしても、仙台の居酒屋「一心」は旨かった。つき出しがいきなりぼたん海老、鮪、帆立の刺身。ホヤとコノワタを凍らせて和えた「ばくらい」、うにを混ぜた衣で揚げた蛸、イカの塩辛、穴子の揚げだし豆腐、それから地元の日本酒。また行きたいぞ。

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移動時間が長かったので、『差別と環境問題の社会学』(桜井厚・好井裕明編、新曜社)を読んだ。個人的に関連した問題意識でもある屠場について書かれていたからだ。しかし、その問題は他の個別問題の底に流れているものでもあった。

ここでとりあげているのは、被差別の生活環境史、屠場をめぐる視線の特徴、阪神・淡路大震災をめぐる報道における「」という空洞、障害者からみた都市のバリアとその背景、フェミニズムと環境、途上国への公害移転とその背後の考え、森林破壊における差別的構造、アボリジニーという社会的存在と差別、などだ。

共通して見えてくる面はいくつもある。そのひとつは、広く環境問題やそれに関連する差別問題を見たとき、受益者と受苦者との間を隔てるものがあるということだ。

●屠場や化成場、再生資源処理業、自動車解体業など「迷惑施設」とされてきた場所が、地域的にも「周縁」に存在してきたこと。
●地域的な立地だけでなく、屠場の存在が学校教育から排除され「見ているのに脳での処理後は見えていない」こと。
●震災被害と関連する問題が報道において回避・隠蔽され、メディアを通じた市民の視野において「見ているつもりなのに蓋の存在に気がつくことができない」こと。
障害者の立場にならないと見えてこないこと。例えば多くの信号は歩行時速3.6km以上を想定しているが高齢者の場合3kmを切る場合があったり、踏み切りを渡りきるためには時速4.8kmで歩行しなければならない場所があったり。
●環境ホルモンの受苦者が男になってはじめて社会問題化するなど、「見るという行為をはなから実践しない」こと。
●国境をまたぐ場合には、受益者には受益/受苦の関係自体が意識されにくいなど、「見るべき方向がさまよう」こと。

つまり、直接的、間接的に関与する者の視線がしっかりしたものであればよい、という結論には落ち着かない。知識やユマニスムの前提となるものは、教育とマスメディアである。ここに歪みや公平さの欠落があったとしたら、私たちはそのたびに指摘をしなければならない。沖縄の基地問題・環境問題などが、報道的に無価値かといえば全くその逆であるにも関わらず、その問題自体に気がつかないふりをし続けている大手メディアのあり方にも共通するところがあるだろう。

本書では、個人の努力だけでどうにもならない、と諦めているわけではない。曖昧に避けて通ってきたことを直視すること、差別の前提にある考え方を問うていくことが指摘されている。

水俣病の被害者に対する視線の背後にある意識について、平岡義和氏はこのようにまとめる。「社会全体のことを考えれば、ある程度の犠牲が生じるのはやむをえない。被害を受ける人のことを配慮しようとすると、全体がうまくいかなくなってしまう。だから、全体のことを考えて我慢すべきだ。」 また、途上国への公害移転について論理構造を同じものとし、このようにも指摘する。「被害が不可視であれば、加害者ないし受益者は、被害の深刻さを意識しないですむ。となれば、あまり罪悪感を持たずに、経済成長のためには少々の犠牲はやむをえないという正当化の意識を抱きやすい。

これはまさに、原子力発電の問題(発電所近くの人々のことを考えず電気を享受する私たち)、沖縄の基地問題(遠いし見えない・見なくても生活できるから安全保障のために受苦してもらってよいとする考え)、バリアフルな都市の問題(自分は問題を感じないので税金でバリアフリーな歩道を作ることはおかしいとする考え)、などに共通する意識だろう。

個々が自分で考えることは勿論必要だが、この大きな社会で、あえて見ないようにする教育や、一部を見せないで全部を見せているふりをするマスメディアの責任は重いと痛感する。

好井裕明氏は結語で指摘する。

地球の声が聞こえる。地球に優しく。自然を守ろう。人間の身体が大切、等々。エコブームの言説が世の中に充満している。これはいわば環境問題への一般的な配慮を要請するものだ。それこそ誰もができる優しいメッセージとして日常に軟着陸する。たしかに配慮は必要だろう。しかしそれは「環境問題=配慮の問題」という一般的な枠を日常に浸透させはするが、環境問題の根底に流れる差別を向き合い、その視点から自分の暮らしを批判的にまなざしていく可能性を私たちから”優しく”奪っていく配慮でもある。なぜなら、一方で個別問題に関連する差別の様相が、たとえばマスコミなどで十分に語られることはまず、ないからだ。



『はだしのゲン』を見比べる

2007-08-26 22:00:10 | 中国・四国

中沢啓治が自身の被爆体験を漫画化した名作、『はだしのゲン』。私は中学校に一揃い置いてあったのを読んだ。

先日、フジテレビでリメイクされたドラマ(→リンク)の出来は、思ったよりよかった。原爆投下シーンのCG映像で、火が人々を焼いていく様子は特撮遊びではなく、この兵器の凄絶さを誰にも示すものだったと思う。

『はだしのゲン』は、これまでに何度か映像化されている。いい機会なので、旧作をレンタルしてきた。

原爆投下後までを描く『はだしのゲン』(1976年、山田典吾)は、ゲンの父を三國連太郎、母を左幸子が演じている。ゲンの父は戦争に公然と反対することで、地域で非国民呼ばわりされる。竹槍訓練をナンセンスだと喝破するシーンなどでは、「芋ばっかり食っちょるから」と言って堂々と屁をひりまくっている。立小便もする。そのような、戦争への無批判な軍民一体化を笑い飛ばす演出と、それでも威厳を失わない三國の存在感が、今回のドラマの中井貴一を上回っていた。


竹槍訓練での「屁国民」である三國、火に巻かれる三國、左幸子とゲン

戦後を描いた続編は2つある。同じ監督の『はだしのゲン 涙の爆発』(1977年)と、『はだしのゲン PART3 ヒロシマのたたかい』(1980年)だ。正直言って、映画としての緊張感をどんどん失い、集中して観ていられない。

しかし、『涙の爆発』で描かれた、集団の差別と偏見のありようにはみるべきものがあると思った。ゲンの母役は宮城まり子。「ねむの木学園」を発足させた後の映画であり、多くの孤児たちを自分の子どもとしてうけいれるシーンに、明らかに反映されている。ゲンの顔は、三部作のなかではこの『涙の爆発』が、漫画に近い感じだ。 『ヒロシマのたたかい』では、草野大悟、風吹ジュン、財津一郎、にしきのあきら、ケーシー高峰、タモリ、赤塚不二夫など配役は面白いが・・・。


漫画に似た雰囲気のゲン、差別丸出しの住民に対し火傷を見せる石橋正次、宮城まり子


米兵のガムを食うゲン、犬肉を屠る草野大悟、米兵の間でふざけてみせるゲン

アニメの『はだしのゲン』は、第一部(1983年)、第二部(1987年)の2本がある。両方良い作品だと思うが、ここでのアニメという手法は、本当の酷さを丸めてしまっているのではないかと感じた。それでも、ゲンの母が家族を亡くすときに錯乱して笑ってしまうシーン、焼け野原で二次的な被爆にあった兵隊が知らずに血便を垂れ流してしまうシーン、顔や手の火傷痕のことをいじめられている少女を元気付けるため、ゲンが火傷痕をペロペロ舐めるシーンなどはドラマにも映画にもなく、アニメでなければ表現できないところでもある。第一部は、ジブリ作品の美術を多く手がけた男鹿和雄が参加しているところも嬉しい。


第一部のゲン、第二部のゲン(原爆ドームの上で鳩の卵を食う)、写真を撮るGHQ

ところで、この8月に、「ヒストリーチャンネル」で『マンガが戦争を描く時』というドキュメンタリー(→リンク)が放送された。中沢啓治氏がさまざまなエピソードを語っているが、ゲンが東京へ出て行く「続編」が構想されていたことは初めて知った。中沢氏は、「それを描いてどうなるのか、ゲンは皆に想像してもらうものではないか」というようなことを語った。

だから、ゲンはいつ作られても、子どもだけでなく、私たち自身にとっても心に残る作品になりうるのだろう。『ヒロシマナガサキ』を撮ったスティーブン・オカザキも、自分の娘の名前に、ゲンの妹の名前トモコをつけているそうだ(『婦人之友』2007年8月号に記事がある)。


「ゲン」続編の書きかけ


『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間

2007-08-25 23:59:04 | アート・映画
テレビアニメの『ミヨリの森』を観た。元ちとせが歌を歌っている。今日、観る前に新しいシングルCDを買ってきたら、『ミヨリの森』のステッカーがついていた(笑)。




元ちとせ『あなたがここにいてほしい/ミヨリの森』

元ちとせについては、音程とか、声量とか、コブシや裏声が過剰だとか、いろいろ言う人が多い。正直、結構その通りだと思うが、それでもファンなのでよいのだ。それよりも、「民謡をやっていればよかったのに、街に出てこんなことをさせられている」云々の、相手を一人の人格として認めない発言は、考え方の前提から間違っていると思う。

『ミヨリの森』は、都会から森の田舎に越してきた女の子が、ダムを建設せんがために絶滅危惧種のイヌワシをこっそり殺そうとする(そこには居なかったことにする)業者を、森の精霊たちと阻止するといった物語。話も知らないで観たが、かなり良かった。私たちにはこのような森と自然の物語が必要なのだとさえ思った。それは、自然保護や共生のアンチテーゼとしての「悪しき人間」が、漫画的な典型タイプではなく、実際にまだ存在するからだ。

イヌワシは、環境省のレッドデータブックでは絶滅危惧IB類(IA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種)である。一方、ヤンバルクイナや、先日レッドリスト(レッドデータブックに掲載するものとして事前に指定)に追加されたジュゴンは、それを上回る「絶滅危惧IA類」(ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種)だ。実際には、『ミヨリの森』のようには、絶滅危惧種だからといって即ち開発を中止しなければならない強制力はないが、ここは大きな目的をこそ考えるべきだろう。

それでは、沖縄の辺野古(名護市)や高江(東村)で、絶滅危惧IA種のジュゴンやヤンバルクイナを脅かし、また、住民を脅かすための手先として、権力をかさに示威する存在は、『ミヨリの森』に登場する邪悪で、愚かで、哀れな開発業者たちと何が異なるのか?

QAB琉球朝日放送の報道(1週間で消えるそうだ)を見て、多くの人が怒りを覚えるべきだと思う。

※高江の情報は『「癒しの島」から「冷やしの島」へ』「23日高江の衝突 on QABサイトを見よ!!」から。他の人にも伝えて欲しい。



富樫雅彦が亡くなった

2007-08-25 21:08:05 | アヴァンギャルド・ジャズ
打楽器奏者であり作曲家であった富樫雅彦が、8月22日に亡くなった。

ジャズにおいて、日本だけでなく、世界でも傑出した存在だったのだと思う。絢爛豪華というのではなく、研ぎ澄まされたひとつひとつの音と、その集まりが感じさせる色彩のようなもの。2002年に演奏活動をやめてしまうまで、新宿ピットインなどで何度もその真正に圧倒された。

なんだかストイックな感じがしていたが、演奏技術の向上には極めて真剣であり続けたらしい。いつだったか、新宿ピットインで、久しぶりのデュオで共演した佐藤允彦が明かしたエピソードがある。アルトサックスの姜泰煥(カン・テーファン)が佐藤、富樫と組んだライブ録音『ASIAN SPIRITS』(AD.forte、1995年)では、演奏とMCが終了しても、富樫がパーカッションの音を確かめ続けているのだ。それも新宿ピットインでの記録だ。

富樫雅彦のリーダー作、サイドマン参加作の中には、数え切れないほどの名演があるのだろう。しかし、明らかに、1970年1月の大怪我により胸から下の自由を失ったことを境として、打楽器奏者としては肉体的な制約が演奏にあらわれる。私が直接見、聴いていたのは、勿論その後だ。ハイハットやバスドラムを使わず、吊るしたチャイムや背後の銅鑼、多数の太鼓により、さらに独自の世界をつくりあげていたということだろうか。

ジャズ評論家の副島輝人氏は、事件の直前に記録された『アイソレーション』(日本コロンビア、1969年12月)を、「即興演奏の極限に挑んだもので、フリージャズの頂点の一つ」としている(副島輝人『日本フリージャズ史』、青土社)。テナーサックスとバスクラリネットの高木元輝とのデュオである。その高木元輝も既に鬼籍に入っている。

この音源は、もともと富樫雅彦、唐十郎とともに「新宿の三天才」と称されたという、かつてパレスチナで日本赤軍に合流していた足立正生による映画『略称・連続射殺魔』のために使われた。演奏に際しては、あまり映像を観ず、イメージを増幅させながらも、高木元輝の音に対して富樫は「時々説明的な音を吹いている」と指摘しては音を固めていったらしい(足立正生『映画/革命』、河出書房新社)。この、映画に、しかも「風景論」という関係性を絶ったところに意味を見出す映画に従属しないことで、音楽の完成度がより高まったのかもしれない。

これほどの音楽家であるから、今後、その功績を問い直す動きが本格化するに違いない。


姜泰煥、佐藤允彦、富樫雅彦による『ASIAN SPIRITS』(AD.forte、1995年)


高木元輝とのデュオ『アイソレーション』(日本コロンビア、1969年)


高柳昌行、高木元輝、吉沢元治と組んだ(!)『WE NOW CREATE』(ビクター、1969年)

『よくわかる排出権取引ビジネス』増刷

2007-08-24 23:45:09 | 環境・自然
本業が忙しくてなかなかつらい。

そんななか、2002年の初版から書き、まとめてきた『図解 よくわかる排出権取引ビジネス 第3版』(みずほ情報総研、日刊工業新聞)が増刷になった。環境の本は売れないものなので嬉しいなあ。かたや『不都合な真実』とか沢山積んであるけど・・・。

来年、あらためて新版を書く段取りだ。

本屋で見かけたら買ってください手にとってみて下さい。



やんばるのヘリパッド建設強行に対する抗議(2)

2007-08-23 08:21:46 | 沖縄
やんばるの東村高江における住民の環境と安全の軽視、米軍への協力の優先などが顕わになっているヘリパッド増設強行が、いよいよ進められそうになっている。

●現状 → 「お願いです」 『やんばる東村 高江の現状 ロハスな暮らしの上空に戦争のためのヘリが舞う』 より
●米軍のずさんな管理(1) 砲弾の廃棄・・・これがダムの水を汚染したら? → 沖縄タイムス記事「北部訓練場近くに弾200発/東村高江県道そば」(2007/8/9)
●米軍のずさんな管理(2) 枯葉剤・・・どれだけ蓄積されているかろくに調べられていない → 東京新聞、沖縄タイムス等(2007/7/8-9)

高江では直接抗議し、意見を伝える人が不足しているという。

私のできることとして、明日にも抗議文を改めて送る。意思を同じくする方は連絡先など参考にされたい。

やんばるのヘリパッド建設強行に対する抗議(2007/7/3)

赤土のこと

2007-08-20 23:46:26 | 環境・自然
沖縄の国頭で、大雨の日に村営バスの窓から見た赤い海は印象的だった。私の仕事は環境関連だが、赤土のことはぜんぜん門外漢なので、『赤土問題の基礎物理化学的視点』(小柳元彦監修、沖縄タイムス社、2004年)を読んでみた。(ところで、こういうものも置いてある神保町の書肆アクセスは本当にいい本屋だと思う。秋の閉店は残念だ。)

編者によると、赤土問題は沖縄という局地的な問題であり、また、現象論的な記述が多いが、その理屈となるべき物理化学的な記述は世の中に少ないという。そして、赤土問題のことを、沖縄の苦しむ二つの「境界問題(surface problems)」のひとつとしている。もうひとつは米軍基地問題である。

というような意義の本だから、現象の因果関係が直接的にまとめられているわけではないし、解決の処方箋になるわけではない。確立された環境工学ではないのだから当然だ。それでも、いろいろな面から納得できた。

なぜ赤土は沈降しないのか、それはコロイドがミクロとマクロの中間領域にあって、万有引力と分子間力がせめぎあっている世界にあることが理由として示されている。粒子間のある距離には、反発力のハードルがある。そのハードルをこえさせて粒子をくっつければ、沈降するわけだ。そのためには熱エネルギーでハードルをジャンプさせる、あるいは触媒などでハードル自体を低くする。あるいは反発力を小さくするために、粒子表面のマイナスの電荷密度を小さくすることも原理として考えられる。

そして赤土が河川水や海水に流出した場合、pHが下がり、かなりの酸性になることが示される。そのメカニズムは条件により異なるようだ。pHが5とか4とかになって生物影響がないわけはない。そういえば、以前に東村の民宿でシャワーを使っていて、手拭の色が凄い勢いで落ちたことがあったが、あれも酸性の影響があったのだろうか。

最後に、沖縄県の赤土等流出防止条例(濁水の基準はSS200)が甘いことが示される。

この環境政策のもとになっている考えが、本土復帰時の革新政党による「自治体に公害対策をまかせ、地域住民の自主的な活動を認めない」方針であったことが、故・宇井純氏によってなされている(宇井純『日本の水はよみがえるか』NHK出版、1996年)。これによると、農業構造改善事業・土地改良事業による補助金が洪水のように投入される一方、表土流出のための予算はほとんど利用されなかった、ということだ。ここでも、赤土等流出防止条例の制定にあたって議論がほとんどなされず、結果的にほとんど実効性がないことが批判されている。

故・宇井氏は、赤土流出と、豚の排泄物が「黒い水」となって流出することを、せっかくの資源が再利用されないという側面からも嘆いている。そしてカネのかからないやり方、つまり、土建には旨みの少ない方法で、処理することを、最後まで研究されていた。これが発生源での処理であり、条件にそぐわない集中処理(下水道などの発想)でないことには留意すべきであり、昔から本土でもみられてきた問題でもある。

まだ生兵法なので、今後いろいろあたってみようと思う。





『失望』の新作

2007-08-19 20:26:00 | アヴァンギャルド・ジャズ
ベルリンを拠点とするグループ、ディー・エントイシュング(Die Enttäushung、ドイツ語で失望の意)の新作が出ていた。音楽評論家・横井一江さんのブログ「音楽のながいしっぽ」で知った。


「失望」による新作『失望』

バスクラリネットのルディ・マハールとトランペットのアクセル・ドゥナーを中心にしたピアノレス・カルテットである。同じ横井さんによる「JAZZ TOKYO」でのレビューによると、90年代前半からベルリンのライブハウスで演奏していたらしい。

私がこの2人の存在を知ったのは、1996年にアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハが率いるベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ(BCJO)が来日したときだ。中野ZEROのステージから妙にはしゃいで観客席をデジカメで撮影していたのは、最近亡くなったトロンボーン奏者のポール・ラザフォードだっただろうか(ちょっとよく覚えていない)。そして、エヴァン・パーカーがソプラノサックスを演奏しているとき、隣に座ってそのソロに大喜びしているのがルディ・マハールだった。マハールのバスクラも、長身を折り曲げて演奏する姿とともに、印象深いものだった。

その後翌年だか翌々年だかに、マハールは再来日した。シュリッペンバッハ・トリオの一員として、確か妻が手術のため来日できないエヴァン・パーカーの代理だったと思う。私は新宿ピットインと、六本木ロマーニッシェス・カフェに駆けつけた。決して滑らかではない、高音から低音までを自由に往復するソロは、いわゆるバスクラらしくなく、釘付けになった。

そこにマハールが持ってきていたのが、「失望」の2枚組アナログレコードだった。既にBCJOから注目していた私が、マハールが参加しているマーティ・クックのCD『Theory of Strange』(ENJA、97年)を見せたところ、喜んで、「失望」のLPにその場で考えたメロディを記譜した。あとで吹いてみると奇妙だった。


「失望」による2枚組LP『失望』


「失望」への奇妙な記譜


センターレーベルには1人ずつの顔が・・・。

前作LPは、セロニアス・モンク曲集だった。これが何度聴いても滅法面白い。ジョニー・グリフィンの名演で有名な「Let's Cool One」ではバスクラが全体のテンポを操る。「Bemsha Swing」では、短いタンギングがメロディの奇妙さを増幅させる。「We See」では、まるで空気の抜けたバレーボールを落とすようなドラムスが楽しい。「Four in One」では、テーマ後半部を何十回も執拗に繰り返し、乾いたおかしみが腹の底で蠢きはじめる。「Evidence」ではアンサンブルも無邪気に楽しんでいるようだ。そして「Blue Monk」で締める。

モンクを代表するような曲「Blue Monk」には、テナーサックス奏者イーボ・ペレルマンによる『Blue Monk Variations』(Cadence、1996年)という怪作がある。遅刻したバンドメンバーを待っている間に思いつきで演奏したという、ソロによる「Blue Monk」をネタにした即興集だ。マハールにも、ソロでこのような試みをやってほしいと思う。同じ曲での変奏は、脱構築的で余裕のあるマハールに相応しいのではないか。あるいはもうやっているかもしれないが。


イーボ・ペレルマン『Blue Monk Variations』(Cadence、1996年)

その意味で、「失望」のモンク集は、ウィントン・マルサリスが緻密に構成し完璧な演奏を残した傑作『Marsalis Plays Monk』(Columbia、1999年)とは対極に位置する。モンク自身がバリトンサックスの巨人、ジェリー・マリガンと共演した『Mulligan Meets Monk』も、マリガンのソロは滑らかなチェロのようで、低音の扱われる役割は随分と異なっている。

そして「失望」の新作は、オリジナル曲集である。その前に、シュリッペンバッハを迎えてモンクの全曲を演奏するという試み、『Monk's Casino』がある。機会があれば前作「失望」と聴き比べてみようと思う。

オリジナル曲であっても、モンクの曲であっても、雰囲気は変わらない。これをICPオーケストラやウィレム・ブロイカーのように欧州的、ダダイスティックといえば便利かもしれない。しかし、敢えて奇抜なことをするようには見えないし、コードを無視しているわけでもない。アンサンブルだってある。周波数を連続的に変化しうる管楽器、しかもピアノレスの特性かもしれないが、「文法の制約」から、破壊的にではなく、哄笑したり忍び笑いをしたりしながら抜け出る自由さがあるように思える。これが欧州の夜なのかな。

新崎盛暉氏の講演

2007-08-18 09:53:58 | 沖縄
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの方に誘われて、新崎盛暉氏の講演「沖縄から見る安部政権の歴史的性格 ― 辺野古への海上自衛隊出動の背景を探る」を聴いてきた(2007/8/17、中野区立商工会館)。参加者はいつの間にか増えて40人くらい。新崎氏の説明は、これまでの著作(最近の『基地の島・沖縄からの問い―日米同盟の現在とこれから』感想)と同様に、とても明解で納得できるものだった。

配布されたレジュメには、最近半年間の出来事として、①教科書検定における「集団自決」書き換え指示(3月)、②辺野古への海上自衛隊出動および米軍再編特措法成立(5月)、③米国下院での「慰安婦決議」採択(6月)、④参院選で自民党惨敗(7月)、が挙げられている。これらの一連の出来事が、「イデオロギー的には極右に純化したが極めて危うくもろい」安部政権の意図を反映したものだという説明がなされた。

参院選の結果を受けて首相退陣論が云々されているが、その背後では淡々と米軍再編特措法の施行令が閣議決定されている(2007/8/15→毎日新聞記事)。つまり、選挙とは関係なく、政権の政策はあくまで続いているということだ。メディアに頻繁に登場するのは靖国参拝問題、防衛省内のイニシアチブ、首相のテレビ目線問題(笑)といったところだが・・・。

新崎氏の指摘は以下のようなもの。

○82年の教科書検定時よりも今回の指示のほうが政府による姿勢が強い。
○82年には、日本軍による沖縄住民虐殺部分の削除、他国への「侵略」を「進出」に書き換える、などの指示がなされた。沖縄で問題視されたのは前者だが、ヤマトゥやアジア諸国で報道され抗議の声があがったのはむしろ後者だった。その結果、教科書検定の基準に「隣国条項」が盛り込まれた。しかし、これは歴史への認識についてではなく、感情に配慮するという本質的でない考えであった。同様に、沖縄県民の感情に配慮、とする意見も、歴史のことはともかく気持ちはわかる、ということであるから限界がある。
○「国民保護法」では武力攻撃にあったときに国民をどう保護するのか、自治体に計画策定を求めている。都道府県は全て策定したが、期限を過ぎても作っていない市町村が70以上ある。そのうち沖縄県内が27であり、これは沖縄県の市町村数の過半数にのぼる。有事の際に、「住民を守るどころか死に追いやる軍隊」という沖縄の歴史が、それに影響している。
○防衛庁から防衛省への昇格、それにともなう海外活動が本来任務に組み込まれたこと、さらには自衛から米国の海外での戦争への協力、という動きのなかで、日本軍に対する歴史上のマイナスイメージを背負うわけにはいかないという考えがあるのだろう。
○沖縄戦における軍の住民虐殺の前に、イメージ払拭の標的とされたのが「慰安婦」問題だった。しかし、米国下院での圧倒的多数での決議(日本政府が歴史的責任を認め謝罪すべし)は、現政権の挑発が自ら招いたものだ。具体的には93年宮沢政権時の「河野談話」(慰安婦問題への官憲の関与を認めた上での「お詫びと反省」)を撤回しようとする動き、そして「強制性」には「広義」と「狭義」があり、慰安婦問題は「狭義」にあたらないとする首相の発言、さらにはその後の訪米時の取り繕い、といったところ。
○米国下院での「慰安婦決議」に対しては、日本のメディアでは、「米国にも現政権がやられた」(と喜ぶ)、「日米同盟に亀裂が入ってしまう」、「米国だって原爆や住民の無差別虐殺などをしたではないか、とする反発」が見られた。また、決議案を提出したマイク・ホンダ議員に対する誹謗中傷が多くなされた。しかし、実際には、ホンダ議員は敵性外国人として収容された経験もある日系人であり、また、リベラルな中国や韓国のアジア系米国人の考えが決議として実ったものだ。
○確かに米国は米国自身の責任を問うていくべきだ。しかし、これを、同盟や政治や国籍を超えて、平和に対する民衆の連帯に向けた契機と捉えるべきではないかそしてこの民衆の連帯をとりこんでいくことが、私たちに必要なことではないか
○戦争体験を持つ人々が次第に少なくなってきている。一方、世代を超えて歴史的体験を共有する可能性は、社会的体験や後天的な学習を通じて存在する。『ヒロシマナガサキ』(日系のスティーブン・オカザキ監督→感想)は極めて練度の高い作品であるし、『ガイサンシーとその姉妹たち』(日本に留学したことがある班忠義監督)の影響力は大きい。二人とも戦後生まれだ。そのような世代の感性を取り込む工夫が必要とされている。
○辺野古への「ぶんご」派遣に関しては、政府には「住民に銃口を向けた」つもりすらないのではないか。これまで中曽根政権などがやりきれなかったことを、軽々と、軽薄にやっていることが極めてあやうい。
○参院選の結果、与党から第一野党に票がシフトしただけであり、無党派もそこに吸収されている。そして第一野党の民主党にも前原前代表のような自民党に近い議員もおり、決して選挙結果が政策の選択によるものではないことに留意する必要がある。
山内徳信氏が、比例区で個人名記載の票を多数獲得したことは大きな評価にあたいする。糸数けいこ氏とあわせて2人の、沖縄問題に取り組んでもらえる議員の役割を考えるのは、私たちの仕事である。

今回、私としては、米国下院の「慰安婦決議案」を、個人が垣根をこえて平和を希求するうえでの連帯のきっかけになるものだ、とする見方に、大きく心を動かされた。

最後に、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックから、辺野古基地建設のための「えせアセス方法書」が縦覧されていること、それに対して那覇防衛施設局や防衛省に意見を送るべきとの働きかけがあった。私も何らかの考えを送るつもりでいる。


次回の勉強会は9月28日、前田哲男氏


講演する新崎氏


辺野古の海でとれたもずくを買った

終戦の日に、『基地815』

2007-08-15 23:56:20 | アート・映画
神田小川町のneoneo坐で、特集上映『基地815』を観た。
上映作品は、亀井文夫『流血の記録 砂川』(1956年)と、小林アツシ『基地はいらない どこにも』(2006年)の2本。

『流血の記録 砂川』は、立川市砂川の米軍基地拡張に反対する砂川闘争(1955~56年)を記録したものだ。結果的には反対が実り、基地拡張はなされない。その後、米軍立川基地は横田にシフトするものの、跡地の一部が自衛隊の立川駐屯地となっている。つまり、歴史としてみれば、米軍基地拡張は阻止したが、なぜか自衛隊に変身しているという、日米の軍がお互いを利用しつつ発展する構図が見えるわけだ。

また、米軍用地特措法、つまり米軍に基地を提供するための仕組みは、日米安保条約が発効した1952年に制定されている。砂川での利用以来、30年の休眠を経て、80年代に沖縄の反戦地主・契約拒否地主の土地を強制使用するために眼を覚ますことになる。95年の米兵による少女暴行事件を契機に、太田知事(当時)が土地の強制利用に抵抗したため、その後自治体が関与できない改悪がなされている。(新崎盛暉『基地の島・沖縄からの問い―日米同盟の現在とこれから』(創史社) →感想

すなわち、50年以上前のことでありながら、問題の構造は現在につながっている

映像を観て違和感を覚えたのは、警官隊のあからさまな暴力(棍棒で農民を殴っている!)、それから国会議員たちの身体を張った抵抗ぶりだった。おもに社会党(当時)の議員たちが何人も、タスキをかけて、本当の暴力に身を晒している。警官隊も議員を地面に叩きつけているのが凄まじい。

先日の参院選での勝利後に、山内徳信さんと糸数けいこさんが辺野古をすぐに訪れ、いい意味で国会議員の地位を基地建設反対のために活用していることも思い出される。しかし、この映像ではそのような議員が何人も登場してくるのだ―――与党が転んで得をしたのは第一野党のみという、悪しき二大政党化のためか、基地を問題として動く人が当時とくらべて少なくなっているからか。

もっとも、砂川闘争に参加した議員たちがどのような考えでいたのか、ここでは示されていない。また、そもそも反対する人々がそれぞれどのような考えでいたのかというより、皆が同じ考えを共有し、運動として盛り上がったような平板で単純な描写にみえた。端的にいえば、記録としては非常に興味深かったが、映画としては決して傑作ではない。

亀井文夫は、戦時中に国策映画として『戦ふ兵隊』を撮りつつも、形式ではなく中身や描写から厭戦的なものを感じた陸軍省に上映禁止にされてしまう。佐藤真は、のちの『流血の記録 砂川』などの反戦映画よりもこのほうを映画的に優れていると評価している。国策映画という制約があってこその表現の力を、『戦ふ兵隊』にみているわけだ。(佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平 世界を批判的に受けとめるために』(上)、凱風社、2001年)

『基地はいらない、どこにも』を観るのは2回目だ(→以前の感想)。沖縄だけでなく、相模原、座間、横田、岩国、鹿屋など、この映画の抱える範囲は広い。だから、再度観たことでいろいろと再確認できた。

岩国では、沖合に滑走路を移転して騒音と危険性を軽減するはずが、ただ基地を拡張する結果になってしまう。そして住民投票で基地拒否の意思を示し、さらに厚木の空母艦載機を受け容れないといったら、市庁舎建設の予算をストップされている。もうどうしようもなくあからさまな「アメとムチ」、「見せしめ」だが、やはり問題のひとつは全国メディアがそれほど問題を取り上げて世論を形成することに役立っていないことだろうか。

映像では、岩国の住民投票前に、タクシーの運転手が「地元にカネが落ちてくるんじゃない?」と賛意を示し、中年の女性が「政府のやることだから、もう反対してはいられない。ただ岩国の人が馬鹿にされるから住民投票は反対票を入れる」と微妙なことを言っている。叶わない期待、市民よりオカミを優先する発想、そして基地依存経済という脱却しにくい構造。いたたまれない気分になる。

終わった後、小林アツシさんと何人かの観衆で飲み食いしながら、1960年代の『サイボーグ009』(白黒)のなかから「太平洋の亡霊」を観た。戦争の教訓を活かさない米国に対して、日本軍が亡霊となって甦り、攻撃を始めるというストーリーだった。破天荒ではちゃめちゃだが、いま、このような作品を一般の子供向けアニメで作ることは難しいに違いない。




簡潔な断言(2) 『中流の復興』小田実

2007-08-14 23:59:35 | 政治

小田実『中流の復興』(NHK出版・生活人新書、2007年)を読んだ。

先日亡くなった小田実氏による、最後のメッセージである。そして読む者には勇気と元気が湧いてくる本だ。

小田氏のいう中流とは、サラダのように異なる素材が共生する、格差の少ない前提での多くの市民、まるで東南アジアの屋台のように多数いるのに共存し不公正なことをすればわが身にふりかかってくるような、そんなイメージのようだ。そして、それぞれの市民が「小さい人間」として主張する―――。

ある意味、かつてのヒッピー・ムーブメントのように理想的なのだろう。しかし、掲げるだけの価値がある理想に思えてくる。

そのために、小田氏は、直接民主制的な手段が必要だと説いている。逆に、日本では民主主義=多数決、という単純に過ぎる思い込みが私たちの間にも蔓延しているのだ。その極端な姿が、「改革」「約束」だと称して強行採決を繰り返す現在の議会の姿だろう。政党の議席数だけで決まるなら、議会での議論というプロセスは必要ないということになるのではないか。そうではなく、私たちが持つべき民主主義の姿は、多数決原理を基礎として作った法律や施策に対して、市民が反対して集会を開くことも、抗議のデモを行うことも、ストライキをすることも、すべて手段として認めつつ機能する、ということだと小田氏は考えている。

こうしてみると、万年与党も二大政党が良いと説く野党も同じ穴の狢、政党選挙というあり方自体を社会構築の基礎に置くこと自体も重みがなくなってくる。「私が考える」、「私が主張する」、そして「私がする」ということ、そのための枠組みが重要だということになる。もっとも、こんなことは当たり前のことで、改めて言われなければならないほど私たちの主体性が磨耗しているのだろうか。

そして小田氏の視点は、平和憲法の価値、米国追随ではない道の模索、テロ対策も含めて戦争を正当化する理由はないこと、など多様かつ簡潔だ。それは、やはり、「したり顔」で国際政治や国家予算を語りがちな私たちの愚を排し、軍隊も戦争もなくすといった理想から思考を出発しているからだと思う。特に、非同盟や、ラテンアメリカ諸国の模索している道について注目していることに共感した。メディアでは、反米強硬政権などというように偏った報道がなされることが多いと思うが・・・。

地に足のついた、思考し行動していた偉大な「小さな人間」のメッセージとして、一読を薦めたい。


『鬼太郎が見た玉砕』

2007-08-12 23:59:32 | アート・映画
NHKで放送された、『鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~』を観た。

水木先生のことは昔から好きだし、大友良英が音楽担当ということで、楽しみにしていた(→「大友良英のJAMJAM日記」)。梅津和時のバスクラ、それから大友良英(か他の人)の電子音とノイズ、誰かのマリンバ、音楽がとても効果的だった。

肝心のドラマも、面白くて哀しい面を正直に出していて好感が持てた。いわゆる感動作ではないからなおさらだ。

水木しげるの回想録は、中学生のときに、図書館で『のんのんばあとオレ』、『ほんまにオレはアホやろか』の2冊を借りて読んだことがある。どっちに書いてあったか忘れたが、上官の母親のところを訪ねては上官を褒めちぎり「葱ぬた」をもらったこと、戦地で野糞が固くて出ず、一時間かけて枝で少しを掘り出したこと、腕をなくした顛末、現地のコミュニティに受け容れてもらった夢のような生活、なんてことをまだ覚えている。

このドラマの肝は何なのだろうか。戦争のつらさか、軍隊という社会の異常さか、軍人階級の自己模倣か、少数者意見を抑圧する構造か、戦死した方の無念か。おそらく全部なのだろうが、ここでは戦争の<情けなく、哀しい>側面が強調されたのだと思う。それから、心、とか、考えの多様さ、とは対極にある、戦争や軍隊の論理は、いままた浮上しすり込まれていることを思い出さなければならない。

ところで、水木しげるが戦地を再訪したシーン(1971年)では、たぶんキヤノンFTbとフジカのシングル8カメラ・P300(?)を使っていた。この観察が正しければ時代考証は問題ない。キヤノンFTbは1971年から、P300は1967年からの生産である。最近では、オリンパスL-10スーパーを使っているようだ(→「アサヒカメラ」記事)。


わが家の水木しげる先生人形

三番瀬(4) 子どもと塩づくり

2007-08-12 21:11:08 | 環境・自然

市川市三番瀬塩浜案内所(京葉線市川塩浜駅)で「夏休み企画」として実施されている企画、「塩浜の体験塾~めざせ、三番瀬の達人!~」に、子どもと参加した。市川市・主催、NPO三番瀬環境市民センター・実施。この回は「塩づくり体験」で、さっそく翌日、東京新聞にも掲載されていた(2007/8/12付「三番瀬で昔ながらの塩作り体験 『うちのより おいしいね』市川親子ら40人が参加」)。

もともと行徳界隈は塩田が非常に多かった場所である。徳川家康は塩田開発にあたり、その開発者に対し諸役の免除と年貢の免減を認めている。また家光も開発地域を拡大し、家康入城時の行徳七浜(稲荷木、大和田、田尻、高谷(以上は川向こう)、河原、妙典、本行徳)から、さらに下新宿、関ケ島、伊勢宿、押切、湊、前野、欠真間、新井、当代島が加わっている。現在暗渠化が進められている新井川なども、塩田に排水を流せないために作られた排水路だったようだ。(鈴木和明『行徳郷土史事典』文芸社)

配布された冊子によると、塩の作り方には大きく分けて、

藻塩焼き(海藻を燃やした灰などを利用)、
揚浜式塩田(塩浜という、砂を敷いた浜に海水を撒き濃縮していく)、
入浜式塩田(潮の干満を利用して塩浜に囲い込み天日で濃縮)、

があった。行徳で中心的だったのは③、今回の体験は②に似た方式ということになる。

面白く、子どもも喜んだ。できた塩はゆで卵や胡瓜につけて食べたが、本当に旨かった。 ここで作った塩は、「三番瀬の塩」という小袋(笑)に入れて持ち帰った。そういえば、那覇の「島思い」では、大城美佐子さんが「こっちにしなさい」と言って、出されている塩を「粟国の塩」に取り替えてくれたのを思い出した。

この、市川市三番瀬塩浜案内所では、アマモの生育やヨシの生育実験などを行い、三番瀬再生の準備をしている。市川塩浜駅の南口と案内書の間はヨシがぼうぼうだが、雑草を管理していない空き地というわけではなかったのだ。

なお、近くには、アマゾンの大きな物流センターがある(→記事)。そのためか、アマゾンで注文するとすぐに届くことがある。 このシリーズは8/18、25にもある(→リンク)。


砂に三番瀬の海水をかけては乾かし、最後に濾す Pentax SP500、EBC Fujinon 50mm/f1.4、フジVenus400、同時プリント


大きな鍋で煮詰めていく Pentax SP500、EBC Fujinon 50mm/f1.4、フジVenus400、同時プリント


塩が固まってきた Pentax SP500、EBC Fujinon 50mm/f1.4、フジVenus400、同時プリント


できた塩とゆで卵 Pentax SP500、EBC Fujinon 50mm/f1.4、フジVenus400、同時プリント


アマモの育つ水槽にはハゼなどいろいろな生き物 (コンデジで撮影)

次の移植に向けてアマモの種を育てている (コンデジで撮影)


ヨシぼうぼう (コンデジで撮影)


簡潔な断言(1) 『沖縄からの問い』新崎盛暉

2007-08-10 23:59:45 | 沖縄

昨月末(2007年7月末)に出たばかりの、新崎盛暉『基地の島・沖縄からの問い―日米同盟の現在とこれから』(創史社)を読んだ。

著者の新崎盛暉氏(沖縄大学名誉教授)は、これまでの経緯は既に『沖縄現代史』(岩波新書、2005年)にまとめたとしつつも、もともと多くの人が読むはずの新書ですら昔よりも敷居が高くなっている現状を認め(同時に嘆き)、「語り」形式のわかりやすい本を目指して、この本を取りまとめている。

実際、最新の情報までが極めて平易に記述されている。原稿校了時から現在までの出来事といえば、防衛大臣の交代、参議院選挙での自民党敗北、辺野古での殺人未遂事件といったところだ。そして、沖縄タイムス、琉球新報、東京新聞の記事が多く挿入されているので、沖縄の基地に関するこれまでの経緯と背景をあらためて把握するには最適だと思う。

わかりやすいのは解説だけでない。さまざまな事象の意味するところを、新崎氏はきわめて簡潔に述べる。(文章を書く際、もっとも難しいのは難しい文章を組み立てることなどではなく、コアを簡単に書き下すことであることは、誰もが知っている。)

今年(2007年)、成立してしまった米軍再編特措法については、「麻薬とムチ」と表現している。米軍基地に協力して交付金を得る自治体が、一定期間後にカネがなくなり、次を求めるあり方を、原発の交付金にもたとえて、「麻薬とムチ」としているわけである。

つまり原発の一号炉の次は二号炉という話になっていく。そういう意味ではまさに、麻薬的な金なんです。したがって、こういった政策それ自体が、社会とか国を根底から腐らせるものだと思います。 社会それ自体が意味のない金で何か事業をやることに慣れていって、それに依存しながらやっていくことになると、地域を自立させる意欲それ自体が失せていく。人間それ自体をダメにするものだと思います。 そういうことを平気でやろうとしていることこそ、僕たちは批判しなければならないのではないでしょうか。

そして、米国における「従軍慰安婦問題」に関する反発の動きに、新崎氏は注目している。

(略)ぼくは、安部首相の発言に対する人種や思想信条を越えた反発、より具体的に言えば、日系や韓国系などのアジア系を中心にリベラルなアメリカ人を巻き込んでいった人権感覚の中に、国家犯罪、戦争犯罪を告発する普遍的契機があるように思うのです。

実際に、先ごろ2007年7月30日に米国下院本会議の「慰安婦問題謝罪要求決議案」が異論なく採決された件も、代表提案者は日系のマイク・ホンダ議員だった。2004年に癌で亡くなったホンダ議員の妻が、3歳のとき広島で被爆し、米国に移住したことも、今回の決議推進の背景になっているようだ。(梶村太一郎「議員立法で補償の実現を」、『週刊金曜日』2007/8/10・17)

これは、ともすれば私たちも感じてしまいがちな反感、「なぜ加害者の米国人にそんなことを言われなければならないのか、言う権利などあるのか」とする気分とは対極にあるものだろう。佐藤優氏は、「人権や正義を振り回すアメリカ人の背後にある自己批判や反省の欠如に強い違和感」を覚えている。(佐藤優「米下院「慰安婦」決議と過去の過ちを克服する道」、『週刊金曜日』2007/8/10・17)

どちらも正論ではあるように感じる。しかし、「アメリカ」、「アメリカ人」などというとき、新崎氏のいう「リベラルなアメリカ人」という個人のことは想定外におき、観念がこころを支配している可能性があることは確かだろう。そこには、「北朝鮮」と表現するときに現れる<ネガティブな集合体>、さらには過去、顔も知らない相手を「鬼畜米英」と表現していたときに想定していた<倒すべき集合体>と共通する、危険な匂いが漂っているのではないか。


新崎盛暉『基地の島・沖縄からの問い―日米同盟の現在とこれから』(創史社)の構成はきわめてわかりやすい