Sightsong

自縄自縛日記

シヴァン・ペルウェル@埼玉会館

2024-01-14 23:05:49 | 中東・アフリカ

埼玉会館(2024/1/4)。

Şivan Perwer (vo, saz)
Hakan Akay (saz)
Renas Yunus (saz)
Abdurrahman Gülbeyaz (perc)
Jun Kawasaki 河崎純 (b)
Fuji (saz)
Ken Matsuo 松尾賢 (oud)
Mizuho 瑞穂 (vln)
Junzo Tateiwa 立岩潤三 (perc)
Yumi Ito 伊藤結美 (perc)
Erika Ueda 上田恵利加 (cho)

クルド人歌手シヴァン・ペルウェルの活動50周年記念コンサート。川口や蕨に多くのクルド人が住んでいるからこそ、この場所で開かれたのだろう。みたところホールの客席数千数百の6、7割が埋まっていた。日本人はせいぜい3パーセントくらいではなかったか。たぶん日本でペルウェルの紹介はほとんどなされてこなかった(ドキュメンタリー映画『バックドロップ・クルディスタン』に使われていた記憶がある)。

僕が前にペルウェルのステージを観たのは20年前、2004年のことだった。仕事で訪れていたブリュッセルに、たまたまサックスの松風鉱一さんが旅で来ていて、一緒にコンサートに出かけた。しばらくすると会場が盛り上がり、手をつないで横にずらりと並び、踊りが始まって、隣に座っていた老婦人もそわそわして立ち上がり、踊りに加わった。そのときかなり驚いたのだけれど、あとでペルウェルの映像作品を入手して調べてみると、クルド人の独特の踊りなのだった。

親しみやすく耳に残る雰囲気はちょっと変わってもいる。ペルウェルのアルバム『Min beriya te kiriye』によれば、たとえば「maqams」というコード・スケールは、上がるときに例えば 3/4 - 3/4 - 1 - 1 - 1/2 - 1 - 1 という並び。つまり半音の半分の1/4音階を使っている。歌詞はもちろんクルド語ゆえ解らないが、覚えている旋律の曲もあった。(たぶん)<Helebce>という歌では、1988年に化学爆弾の使用により5千人以上が亡くなったことを取り上げ、歌詞の中に「ヒロシマ、ナガサキ」が引用されている。(たぶん)<Cane, cane>は老いも若きも一緒に村の広場で踊ろうよ、という歌詞で、ジャネ、ジャネと発音している。

今回は座席が決まっているホールだから踊りはないだろうと思っていたら、読みが甘かった。演奏中盤から女性たちが最前列に並んで踊り、舌を震わせる高音の叫び声を発し、子どもたちが走り回り、多くの人たちがステージを背景に自撮り、興奮と歓喜の渦。そしてペルウェルの声はまったく衰えておらず、朗々とした歌と情感とこぶしにほれぼれとしてしまった。

Fuji X-E2, 7Artisans 12mmF2.8, Leica Elmarit 90mmF2.8 (M)

●シヴァン・ペルウェル
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


岡真理『ガザとは何か』、臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』

2024-01-08 10:59:24 | 中東・アフリカ
岡真理『ガザとは何か』(大和書房、2023年)。ここまで簡潔にまとめてわかりやすいメッセージとして出すのは緊急性のゆえだけれど、複雑な問題を考える際には基本書に戻るべきということもまた真実で、臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書、2013年)を引っ張り出してきた。
臼杵さんの本からは、1993年のオスロ合意がその後なぜいい形に進まなかったのかを把握することができる。なによりアメリカが交渉の埒外に置かれていたことは重要で(ラビンとアラファトの間にクリントンが立って「大きなアメリカ」を演出していたけれど)、すでにその段階で力を失いつつあったアメリカが「9・11」を経てまた奇怪な姿になってきたことの捉え方も変わろうというものだ。
岡さんの本では、去年10月のハマースによるイスラエル攻撃について、ハマースを一方的に悪とする偏った報道がなされており、もとより抵抗権の行使なのだとしている。後者はともかく、前者についてはよくわからない。
 

『Sound Trip ジャジューカ モロッコへの旅』

2023-01-07 09:48:47 | 中東・アフリカ

NHKで『Sound Trip ジャジューカ モロッコへの旅』を観たら存外におもしろい。

魅了された欧米の音楽家としてストーンズのブライアン・ジョーンズのことだけでなく、アーチー・シェップの写真も一瞬だけ登場する。近くのアルジェリアやトゥアレグの音楽家たちとの共演ではあるけれど、シェップの『Live at the Pan-African Festival』にはやはり陶酔の魔力がある。それにもちろんオーネット・コールマンの『Dancing in Your Head』。

番組では作家ポール・ボウルズのことを多く取り上げていた。たしかにボウルズが50年代にモロッコで録音した音を集めた作品は宝の箱。 この魔法は、使う楽器がダブルリードであることにもよるのかな。ジャジューカのガイタ、それから雅楽の篳篥、韓国シャーマン音楽のホジョク。周波数が微妙に連続的に変化し、持続音となり、聴く者はすべて武装解除させられる。

●参照
ポール・ボウルズ『孤独の洗礼/無の近傍』(1957、63、72、81年)
ポール・ボウルズが採集したモロッコ音楽集『Music of Morocco』
(1959年)


シアード・クルスーム『セメントの記憶』

2019-09-25 08:18:32 | 中東・アフリカ

福岡アジアフィルムフェスティバルにて、シアード・クルスーム『セメントの記憶』(2017年)を観る。

内戦下のシリアからレバノンに亡命した人が撮ったドキュメンタリーである。

レバノンの工事現場でシリア人難民や移民が働く。カメラはセメントを、コンクリートを、鉄骨を、水たまりを凝視し、まるでその一部に過ぎないかのように人間を捉える。人間の夢は水たまりにではなく海にある。だがマテリアルとオカネと戦争は常に一体化し、何もかも轢いて進んでゆく。

工事現場のクレーンとシリアの戦車の主砲とを重ね合わせ、新しく建設されるビルと無残に砲弾で打ち壊されるビルとを重ね合わせる視線。


「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」@東京国立博物館

2018-03-05 22:16:06 | 中東・アフリカ

上野の東京国立博物館にて、「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」展。

特別協賛がサウジアラムコ、協賛が昭和シェル石油と住友化学と、サウジに関係する企業。そして多くの作品はサウジアラビア国立博物館の収蔵品。そりゃあ国立博物館の展示はたいへんなものだから、上野でそこまでの物量と迫力は望めない。しかし、歴史をきれいに整理してエッセンスを見せてくれるという点ではとても面白かった。

どうしても興味は歴史上の大きなエポックに関連したものになってしまう。すなわちイスラームの勃興、オスマン朝、サウード家による近現代の支配。しかし先史時代も、ヘレニズム・ローマ時代も、ここは交易の地であり、そのために栄えたわけでもあったのだ。ローマのリアルな彫刻を目の当たりにすると、あらためて驚いてしまう。

面白かったのは、(国立博物館でも引っ掛かったことだが)イエメンなどでまだ使われている折れ曲がった刀・ジャンビアが、サウジの文化にもあったこと。いま確認したら、リヤドであっと思い撮った写真と、今回撮った写真と、同じ刀を狙っていて、笑ってしまった。

今回の展示(19世紀)

リヤドで観た展示

そして銅のペンケース。中には竹のペンを収納する。とてもオシャレで、これを真似した製品が出たら買ってしまうぞ。見覚えがあったのだが、これは、テヘランのゴレスターン宮殿内の展示で見たものと同じである。ハコは何だろうと思っていたのだが、インク壺だった。

今回の展示(19世紀)

 
テヘランで見た展示

●参照
リヤドの国立博物館
ドーハの村上隆展とイスラム芸術博物館
テヘランのゴレスターン宮殿
ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』
イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』 リチャード・バートンの伝記小説


ポール・ボウルズ『孤独の洗礼/無の近傍』

2017-03-26 08:37:44 | 中東・アフリカ

ポール・ボウルズ『孤独の洗礼/無の近傍』(白水社、原著1957、63、72、81年)を読む。

これはボウルズが中東・北アフリカを旅し、移り住んだときに書かれたエッセイである。スリランカの記録もある。

当時(1950年代)、ボウルズはアメリカで予算を得て、モロッコ音楽の録音収集を行うという仕事を遂行していた。実はそれは簡単なことではなかったことがわかる。目当ての村にたどり着いてみても交流の電気がない。モロッコ政府の許可が得られない。すさまじくひどい宿。民族音楽を近代化の敵のように扱う官僚。ボウルズの活動の成果は『Music of Morocco』という4枚組CD・解説という立派な形となっているのだが、その価値は思った以上に大きなものだった。

サハラ砂漠という孤絶の地について、詩的とも言える文章で綴った「孤独の洗礼」は特に素晴らしい。

「ほかのどんな環境も、絶対的なものの真ん中にいるという最高の満足感を与えてはくれない。どんなに安楽な暮らしと金を失っても、旅行者はどうしてもここに戻ってくる。絶対には値段がないのだから。」

●参照
ポール・ボウルズが採集したモロッコ音楽集『Music of Morocco』
(1959年)


テヘランのゴレスターン宮殿

2017-02-08 07:55:10 | 中東・アフリカ

テヘランの中心部にはガージャール朝時代の王宮であるゴレスターン宮殿があって、世界遺産として登録されている。

入口でチケットを買う。基本入場料と、8つくらいの展示別に料金が設定されているのだが、何がどのようなものかぜんぜんわからない。受付の人も英語を解さない。かと言って、全部観るほどの余裕はきっとない。困っていると英語を話している観光客がいて、何を観ればいいのかと訊いたところ、いや自分たちもわからないのだがコレに決めたという3箇所を示してくれた。当然、真似をすることにした。

メインホールには応接間など豪華絢爛な大部屋があって、中には、緑の宮殿メッラト宮殿で観たような鏡の間もある。というか、それらのパフラヴィー朝時代の贅沢となにが違うのか、まったくわからない。とりあえず圧倒される。

ちょっとした博物館になっているスペースもいくつかあって、これがなかなか愉しい。リアルな昔のペルシャ人。金属製のペンケース(欲しい)。楽器類もあって、いまの伝統音楽の演奏で視ることができるようなものだった(イラン大使館でアフランド・ミュージカル・グループを聴いた若林忠宏『民族楽器大博物館』にイランの楽器があった)。


昔のカスピ海沿岸の人びと


朗読者


ペンケース(小箱は何のためだろう)


楽器


楽器

Nikon P7800

●参照
2017年1月、テヘラン
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
テヘランのメッラト宮殿
テヘランのバーザール
カメラじろじろ(3)テヘラン篇
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3
旨いテヘラン その4
旨いテヘラン その5 
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』


2017年1月、テヘラン

2017-02-07 07:40:33 | 中東・アフリカ

4か月ぶりのテヘラン。その間に2か月間の入院もあった。

東京より寒く、朝晩は氷点下にもなった。雪も降ったが、そのあとは空気がずいぶん綺麗になって(テヘランの大気汚染はひどい)、山がくっきりと見えた。

Nikon P7800

●参照
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
テヘランのメッラト宮殿
テヘランのバーザール
カメラじろじろ(3)テヘラン篇
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3
旨いテヘラン その4
旨いテヘラン その5 
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』


小杉泰『イスラーム帝国のジハード』

2017-02-05 10:15:38 | 中東・アフリカ

小杉泰『イスラーム帝国のジハード』(講談社学術文庫、原著2006年)を読む。

林佳世子『オスマン帝国500年の平和』杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』と同様に、講談社の「興亡の世界史」シリーズの1冊である。今回はkindle版にしてみたところ、用語の検索が意外に便利だった。(そして飛行機の中では、うまく読書灯が当たらず紙の本を読みたくなくなることがままあって、kindleはとても快適だと気が付いた。)

一見してタイトルが過激なようだが、実はそうではない。もとより「ジハード」とは、武力の行使(剣のジハード)に限定されるものではなく、自分の心の悪や社会的不正義をただすための奮闘努力を意味し、戦争の原理ではなかった。そして、それは、7世紀のアラビア半島西部・ヒジャーズの部族社会において、共同体(ウンマ)の論理を構築しようとしたムハンマドのヴィジョンであった。

しかし、当初の理想的なものは、その及ぼす影響の範囲が大きくなると、国家という別の論理にとってかわってゆく。ムハンマド没後に指導者がどのような存在であるべきか、どのように選ばれてゆくべきかという模索が、ウマイヤ朝やアッバース朝という初期のイスラーム帝国でも歪みを生み、シーア派・スンニ派という異なる流れを生んだ。そういった構造的に不可避だったであろう歴史は、現在に至るまでダイナミックにつながっているわけである。

著者がイスラームに向ける視線は、西側の偏った視線を極力排除して、人類の精神的遺産として評価しようとするものにちがいない。カリフという存在や呼称は、7世紀から紆余曲折あるも続き、オスマン帝国の滅亡とともにいちどは廃されるわけだが、またISにおいても復活している。しかし、不幸な歴史や状況にのみとらわれることは誤りである。

イスラームの歴史的な意味や流れを俯瞰するための良書である。

●参照
林佳世子『オスマン帝国500年の平和』
高橋和夫『中東から世界が崩れる』
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』
アレズ・ファクレジャハニ『一家族三世代の女性から見たイラン・イスラム共和国』
ジョン・フィルビー『サウジ・アラビア王朝史』
保坂修司『サウジアラビア』
中東の今と日本 私たちに何ができるか
酒井啓子『<中東>の考え方』
酒井啓子『イラクは食べる』


旨いテヘラン その5

2017-02-04 10:17:31 | 中東・アフリカ

4か月ぶりのテヘラン。寒くてあまり出歩く気にもなれないのだが腹は減る。

■ フードコートのGrill Bar

ホテル近場のフードコートが便利なのだが、店の入れ替わりがあったりなかったりでよくわからない。あまりファーストフードという感じではなく、量が多く、結構どこも待たせる。

■ パン屋

パンのクオリティは高い。まともに食事を取ると満腹になるので、ときどきは適当にパンで済ませたりして。

■ HANI(イラン料理)

結局いつも来てしまうHANI。ブッフェ形式だが、2品以上頼むと大変な量になる。茄子の煮込み料理が結構旨いことを発見した。

どんな時間でもにぎわっている。今回は創業者の女性が笑顔でようこそ、と。

■ YAS Restaurant(イラン料理)

評判がいいので行ってみた。確かにケバブが柔らかくて旨い。茄子のシチューがパンに詰められた不思議なものを食べた。

■ Monsoon(アジア料理)

イラン料理ばかりだと飽きるのでここも何度目か。フトマキ・ホソマキも、ビビンパも、餃子もある。メニューには東南アジアの写真や一茶の詩なんか載せてあったりして、わけがわからない。アボガドとサーモンのフトマキは見たまんまの味。

なぜか味噌汁をやたらと勧めてきたのだが、1杯が800円くらいでどんなものが出てくるのか不明なのでやめた。

■ TAVAZO(ナッツ)

有名なナッツの店、再訪。定番はピスタチオで、ミックスナッツも、乾燥イチジクも、ほかのドライフルーツも旨い。つい興奮してしまう。

■ 果物

イランは果物もやたらと旨い。わたしの目当てはざくろであり、機会があれば食べまくっていた。ジュースがあればそれも飲んだ。旬は過ぎていたのだけれど。

■ Bella Monica(イタリア料理)

再訪、ヨーロッパに近いし。イラン料理が外食文化のもとに成り立っているわけではないので、他のものを食べたくなるのかな。フランス料理やドイツ料理はあまり見ないような気がする。

■ DAVA Burger(ハンバーガー)

2016年にできたばかりの小奇麗な店で、当初は根付くのかなと勝手に思っていたのだが、結構流行っていて軌道に乗った模様。店内のアメリカ映画のイラストも偏愛感たっぷり。みんなアメリカが大好きなのだ。めでたしめでたし。

マッシュルーム・バーガーがかなり旨い。レモネードをテイクアウトで買うと、大瓶のドレッシングのようなものを渡された。明らかに手作りで分離している。振って飲んでみるとかなりいける。

■ Shandiz(イラン料理)

宮殿のような豪華な建物。肉を食いたいという仕事仲間の意向があって来た。確かに名物のラムチョップがすごくて、フェンシングのような長い串にいくつも刺さっていて大迫力。みんな旨い旨いと言って、手づかみで骨のまわりの肉にかぶりついていた。

さて次のイラン訪問はいつの日か。今年か、それとももっと先か。我慢できず日暮里の「ざくろ」を再訪しようかな。

●参照
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3
旨いテヘラン その4


テヘランのバーザール

2017-02-03 22:19:07 | 中東・アフリカ

テヘランの古い地域に大きなバーザールがある。地図で見ると立派な公園よりもはるかに広い。アーケードの入り口から入ってみると本当に広い。簡単に迷子になりそうだったので変に曲がることはしない。

アーケードや建物の意匠はなかなか見事である。人々は猫ぐるまに絨毯だのなんだのを載せてすごい勢いで移動しており、懸命そのものである。といいつつ、その割に余裕もあったりして、なかなか愉しい。上野のアメ横や神戸のモトコー、あるいは広島の姿を消した愛友市場など、薄暗くてごみごみしたところに入ると、なぜ人は興奮してしまうのだろう。

ガイドブックを参照すると、「ガージャール朝以来、テヘラン経済の中枢としての役割を果たしてきた」とあるが、テヘランという都市がガージャール朝のときに首都となって発展したわけであるから、それは何も言っていないにひとしい。

そしてまた、「扱う商品によって出店場所がだいたい決まっているのは、中近東独特のスタイル」とある。実際にアメ横などでは違う種類の店が混在していて、サウジアラビアのリヤドにあるリヤドのゴールド・スークでは同じ種類の店が固まっているわけだが、ベトナムのハノイでは街自体がそのようなつくりになっている。したがって「中近東独特」ではないのではないかと思ってしまうのだがどうだろう。

入口の外にはカメラ店が、入ってすぐのところには時計の店が並んでいた。ガラスケースの中に並ぶ時計だけを凝視するなら、視えるものはバンコクでのものと似たようなものだ。いい感じのパネライもどきがあって、値段を訊こうかと思ったが、どうせ冷やかしだからやめた。ところで、ジャカルタの空港では、入ろうとすると「ロレックス、ファイブダラー!」と叫んで駆け寄ってくる人がいる。そして中に入ってほっとすると、「ブルガリどう?」と近づいてくる人もいるのだ。

Nikon P7800

●参照
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
テヘランのメッラト宮殿
カメラじろじろ(3)テヘラン篇
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3
旨いテヘラン その4
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』


ポール・ボウルズが採集したモロッコ音楽集『Music of Morocco』

2016-11-16 14:26:32 | 中東・アフリカ

『Music of Morocco』(Dust to Digital、1959年)を聴く。ポール・ボウルズが1959年にモロッコ北部において採集した音楽の記録、CD4枚組である。

これを手にするまで、てっきり作家ポール・ボウルズがタンジールに移住して、生活の傍ら、趣味で録音したものだろうと思っていた。わたしは最初の長編『シェルタリング・スカイ』(1949年)を読んだだけだ。1999年に亡くなるちょっと前に、日本でもボウルズ再評価があって(それはベルナルド・ベルトルッチによる映画化も影響したのだろう)、四方田犬彦の翻訳による『蜘蛛の家』など作品集が出されたもののすぐに書店から姿を消してしまった。

実際には順番が逆であり、ボウルズはもともと作曲を学び、その後作家に転じたのだった。このモロッコ音楽の記録も、ロックフェラー財団やアメリカ議会図書館から予算を取得し、実施されたプロジェクトである。

このCDセットには120頁もの分厚いブックレットが付いており、1曲ずつにボウルズ自身が書き残したメモと解説がまとめられている。これを紐解きながら順に聴いていくと、実に愉しい。

というよりも、モロッコ音楽と一言でまとめられるようなものはなく、音楽のかたちや印象が非常に多岐に渡っており、しかもそのひとつひとつが音楽としてとても深いことが実感できる。オーネット・コールマンが傑作『Dancing In Your Head』で共演したのはジャジューカの音楽家たちであり、シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 でその一部を観ることができる(本CDではジャジューカ村で録音したものはない)。また、のちにドン・チェリーらが共演したグナワの音楽も知られるようになった(本CDでは3枚目で取り上げている)。しかし、それはごく一部に過ぎない。

さまざまなパーカッション類、ダブルリードの笛、二股に分かれた長い笛、一弦や数弦の弦楽器、男性や女性のヴォーカリーズ、絶妙極まりないリズムの鐘、女性の甲高い震え声(ウルレーション)、ダンスの足を踏み鳴らす音。これらが混じりあい、ひとつひとつ異なるサウンドを創り上げている。また、スペインから伝わった、ヨーロッパ中世の伝統音楽の影響もあるという。これは驚きの世界だ。

4枚目の最後は、タンジールにおける早朝の生活音で締めくくられる。素晴らしい記録である。


旨いテヘラン その4

2016-10-08 07:41:56 | 中東・アフリカ

今回は体調極悪につきあまり遠出しないのだ。イラン料理は仕事で食べまくっているので、夕食はちょっと違うものを探し求める。

■ JOPWAY(ハンバーガー)

フードコートにあるSUBWAYを真似たハンバーガー店。みたまんまの味。

■ DARA BURGER(ハンバーガー)

2か月前(2016年8月)には作っている途中だった。開店したばかりだからか、頼んでいないケーキだのポテトのチーズかけだのを出してきてくれる(食べきれないけど)。壁にはアメリカ映画のイラストがたくさん描かれていて、BGMとして「ホテル・カリフォルニア」なんかをがんがん流している。なんだアメリカ大好きなんじゃないか。

■ Cecilia's Kitchen(アジア料理)

フードコート内にあるアジア料理店。イラン料理も旨いしファーストフードも悪くはないのだが、疲れていると熱いアジアの汁麺が欲しい。そんなわけで、「Panchit Mami Noodle Soop」の「Beef」を注文(どういう意味だろう?)。まあ欲しいものズバリではないが。

■ TAVAZO(ナッツ)

有名なナッツの店。店内には実に多くのナッツが山盛りになっていて、店員も食べてみろとサービス満点である。最高級ピスタチオもミックスナッツもレーズンも乾燥イチジクもひたすら旨く、つい色々と買ってしまった。テヘランに行くときにはぜひ。

■ Monsoon(アジア料理)

韓国料理店を探したが見つからず、ここを再訪。「Futomaki」や「Hosomaki」が色々あって、試しに「ロブスター天ぷらとスパイシーマンゴのロール」なる「Futomaki」を食べてみると、確かにそれぞれの味がして、協和音はいまひとつだった。

■ サフラン味のアイス

つい、また空港で食べてしまった。「PRIMA」は有名ブランドらしい。イランのアイスをいくつか食べてみた結果、クリーム自体が思いっきり生クリーム的であることがわかった。もうすこし爽やかなものが欲しい。

Nikon P7800

●参照
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
旨いテヘラン その3


テヘランのメッラト宮殿

2016-10-07 23:08:32 | 中東・アフリカ

2か月ぶりのテヘラン。ちょっとだけ空いた時間に、サアダーバード文化・歴史コンプレックスというパフラヴィー朝の離宮跡を再訪した。

ここは市内とはうって変わって緑が多い公園になっていて、みんなとてもリラックスしている(なぜか記念写真を一緒に撮ったりして)。多くの博物館があるのだが、時間もないため、今回は入り口の近くにあるメッラト宮殿を覗いた。

緑の宮殿と同様に、パフラヴィー朝初代皇帝のレザー・シャーが作らせ、使った宮殿である。なかはやはり凄い。何十畳もありそうな絨毯。その上には虎の毛皮。とても重そうなシャンデリア。豪華なチェスセット。クリスチャン・ディオールによるカーテンやベッド。

こんな贅沢をしていては倒されても仕方がないというものだ。


クリスチャン・ディオールのベッド


シャンデリア



樹には多くの落書きがあるが、これは革命前?

Nikon P7800

●参照
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2
鵜塚健『イランの野望』
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』


林佳世子『オスマン帝国500年の平和』

2016-09-04 20:33:25 | 中東・アフリカ

林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(講談社、2008年)を読む。(積んでいるうちに講談社学術文庫版が出てしまった。)

600年以上も存続したオスマン帝国は、決してトルコ人の国ではなかった。確かにアナトリアにおいて数ある侯国のひとつとして生まれたのではあるが(その歴史的経緯も明確ではないからか、著者は「1299年に国が誕生」とは書いていない)、近代に至るまで、「民族」という概念はこの国と社会には組み込まれていなかった。

むしろ重要な区切りは、バルカン半島とアナトリア西部から、1512年以降に版図を拡げていった活動と(セリム1世、スレイマン1世)、近代にさまざまな支配の矛盾やロシア・ヨーロッパの攻勢により滅亡していく様子とである。

支配の矛盾とは、徴税を行うミニ権力の肥大化、やくざ的軍隊の近代化の失敗、不公平さの顕在化による「民族」の創出、といったところか。そして最後の点が、近代トルコの成立と、バルカン半島や中東での民族間の激しい対立となって現代につながっていることがわかる。良い通史である。

ところで、イエメンは激しい山岳地帯ゆえ、いまでも部族社会が残っている。それゆえにオスマン帝国も一時的かつ中途半端にしかこの地を支配できなかった。帝国による支配が難しいことも、現代と地続きである。

それに関連して本書で面白い点のひとつは、オスマン帝国におけるコーヒー店という場のことだ。イエメンにおいてスーフィー教徒がコーヒーを煎じて飲むことを発見したのが15世紀のことだが(諸説あり)、既に16世紀にはコーヒー店がイスタンブール市内に拡がっており、詩の披露と批評の場、軍隊や教団の集まりの場として機能していたのだという。最初は「祈りの時間に眠らない」という聖水であったはずのコーヒーが、100年かそこらで変貌を遂げていたわけである。一方でヨーロッパにおけるコーヒー店は17世紀に活発となり、「カンバセーション」を通じた市民性の獲得の場になっていった(臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』)。そしてこの「黒い血液」は、投機や植民地主義といった形を通じてオカネをも乗せて流れてゆくことになる(デイヴィッド・リス『珈琲相場師』)。このあたりのオスマン帝国とヨーロッパとの違いを、あらためて整理してみたいところだ。

思い出したこと。イスマイル・カダレ『夢宮殿』は19世紀のオスマン帝国を舞台とした小説だが、バルカン半島のアルバニア出身のカダレにとって、末期のオスマン帝国は硬直した恐怖の権力国家という認識だったのだな。つまりそれは、カダレにとってソ連に比すべき存在であったということである。