所用で福岡へ行く。機内では、ジョワシャン・ガスケ『セザンヌ』(岩波文庫、原著1921年)をずっと読む。
ガスケはポール・セザンヌの小学校時代の友人アンリ・ガスケの息子であり、セザンヌ芸術の信奉者でもあった。そのガスケが、セザンヌとの交流のなかで受け止めた言葉や振る舞いを、直接的な形で集約したものが本書である。セザンヌの言葉はともかく、ガスケの言い回しは回りくどく、過度に文学的で、わかりにくい。オーソドックスな伝記や評伝とはかなり異なっている。
本書は、生きたセザンヌのしるしのアーカイヴだ。これらを追っていくと、ただひとりの個性的な画家などにとどまらず、芸術そのものを体現しようとした、せざるを得なかった、不世出の芸術家の姿が浮かび上がってくる。これは感動的である。
私がセザンヌの作品を美術館で観るとき、眼も脳も身体も震えるほど悦びを感じる。こんな画家は、カンディンスキー、モンドリアン、クレー、リヒターなど数えるほどしかいない。しかし、セザンヌが老いる前までの同時代の芸術界は、彼を受け入れなかったばかりか、侮蔑さえした。同時代に生きていない以上、その理由を感覚的に捉えることは難しい。保守的・権威主義的な側面だけではないだろう。まさにセザンヌ自身が言うように、「ひとつの新しい芸術のプリミティフ」であったのだ。芸術は世界と並行し、プリミティフの受容と評価には時間が必要だったということである。
セザンヌの絵は、すべての相が浸食し合い、樹液や息遣いで相転移し、界面は震え、疼き、揺らいでいる。これを部分芸術とはちがい芸術そのものだとする観方が、ひょっとすると百年近く前の感性なのかもしれない。しかし、世界を引き受けようとしたプリミティフは何年経っても偉大な存在であり続ける。
ガスケが観察するセザンヌの姿は、自らの芸術のプリミティフであり、常に仕事をし続け、執拗に完璧を求め、ルーブルと自然の間で高揚と沈鬱を行き来する、狂人に近いナイーヴな男であった。それは、実は知性と呼んでいい存在でもあった。
「私はね、私は自然のなかに没入したい、自然と一緒、自然のように再び生えてきたい、岩の頑固な色調、山の合理的な強情、空気の流動性、太陽の熱が自分にほしいのだ。ひとつの緑の色のなかに、私の頭脳全体が、木の樹液の流れと一体になって流れ出すであろう。われわれの前には、光と愛の大きな存在が立ちはだかっている。よろよろする宇宙があり、物たちにはためらいがある。」