渋谷のユーロスペースで、オ・ミヨル『チスル』(2012年)を観る(2014/3/30)。
これは、済州島四・三事件(1948年)を描いたものとして、世界ではじめての長編映画である。
日本の植民地支配は終わったが、朝鮮半島の人びとは、自分の祖国を取り戻すことができなかった。強引に冷戦構造のなかに組み込まれ、国は南北に分断されつつあった。そして米国主導での南側だけの政権樹立に反対した済州島民たちは、米国の権力のもと、韓国軍・警察による虐殺の対象となった。死者は、島民28万人のうち、3万人にものぼったと推定されている。文字通り、白色テロであった。
この映画において、虐殺の対象となった島民たちも、韓国軍・警察も、ずいぶんユーモラスに描かれている。大きく、また決定的な違いは、後者が、自らの裡に逃げ場を持たない憎悪にとり憑かれたことだ。
下っ端の若者たちは、明らかに罪のない島民に銃を向けても、撃つことができない。それでも、彼らは、組織権力の一機能であることから外れることはできない。理性は棄ておかれても、獣は走り続ける。この映画は、それを、逃げ道もカタルシスも用意せず、描きおおせている。オ・ミヨル監督も、インタビュー(パンフ所収)において、「死んだ者と殺した者は存在するが、なぜ殺したのかを説明してくれる人がいないのが現実です」と語っている。
映画の上映後、作家の金石範さんと、「済州島四・三事件を考える会事務局」の高二三さんとの対談があった。
金石範さんはこう言った。この映画は歴史のひとつの断片に過ぎない。さまざまな事象のつながりとしての歴史を考えても、この事件がなぜ起きたのか、米軍は背後でどのような役割を果たしたのか、日本軍が済州島を沖縄の次の「捨て石」として計画していたことの意味など、描かれていないことは少なくない。それでも、これは非常にすぐれた芸術映画だ、と。
映画には、虐殺者が、島民の残した豚を大きな釜で茹でる場面がある。金石範さんによると、そのあとに、捕らえた島民も釜で茹でて残酷に殺した筈だという。なぜ、そのような行動を取ったのでしょうね、と言う金さんの声は、震えていた。
高二三さんによると、現在の課題は「四・三事件の国際化」だという。その意味で、この映画も広く観られて欲しい。
金石範さん
●参照
○文京洙『済州島四・三事件』
○『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
○済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
○金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
○金石範『新編「在日」の思想』
○金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
○金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
○『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
○細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
○林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
○藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
○金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(鶴橋のコリアンタウン形成史)
○鶴橋でホルモン
○野村進『コリアン世界の旅』(済州島と差別)
○新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
○知念ウシ・與儀秀武・後田多敦・桃原一彦『闘争する境界』(沖縄と済州島)
○宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
○『けーし風』沖縄戦教育特集(金東柱による済州島のルポ)
○加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
○豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
○吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」(李静和は済州島出身)
○長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(練塀のルーツは済州島にある)