サウジから香港への帰途、白石隆『海の帝国 アジアをどう考えるか』(中公新書、2000年)を読了した。
19世紀に、ラッフルズという人物がいた。英国東インド会社に所属した、シンガポールの生みの親である。
彼が見抜いたマレー半島やインドネシア島嶼における権力構造は、いくつもの中心からなる「まんだら」システムであった。その中心のひとつがマラッカであり、また、のちにシンガポールとなる地であった。各々の中心には、王がいた。そして、スラウェシ島南部のマカッサル人・ブギス人たちが、海の民として交易活動を活発に行っていた。
これは、国境によって色分けされる近代国家とはまるでパラダイムを異にする。そしてその19世紀、英国自由貿易の時代に、近代国家(リヴァイアサン)が誕生する。資本、資源、労働力の囲い込み、そして搾取は、そこからシステムとして変貌する。
確かに、オランダや英国の東インド会社という「会社国家」がいかなるものか、近代国家観からは理解が難しい。そもそも、国家なる観念が変わってきたわけである。著者の指摘によれば、「マレー人」や「中国人」といったラベリングさえも、居住地を分け人口調査のためにリスト作成を行う過程で、創出されたという。ラベル間の境界がいい加減だったのではない。顔かたちや出自が違おうと何人というラベルなど無意味であったところが、ラベリングそのものが、個人のアイデンティティをも形成していったということだ。
まさに民族という観念も、ナショナリズムも、近代の賜物だということさえできる。これは驚くべきことだ。
ところが、中国になると、事情が異なってくる。古代から、農民支配・土地支配こそが帝国の基礎をなしてきたのだという。これは海の「まんだら」と、そこで行われる商業とは相いれない。著者はこのことをもって、中国の市場経済システムが国としての政治経済システムと整合するか疑問だとしている。確かに、天下国家としての固い支配と緩やかな支配、東部の市場主義と内陸部の投資対象・労働力の源泉など、はたしてこのシステムがうまく永続しうるのか、まだ誰にも断言できないのかもしれない。
本書は19世紀から20世紀にかけての国家システムの変貌をダイナミックに描いている。それに対し、現代のインドネシアの姿は、佐藤百合『経済大国インドネシア 21世紀の成長条件』(中公新書、2011年)に、詳しく描き出されている。
腐敗したスハルト時代(1966~98年)が瓦解し、まさに近代的な新興国として、インドネシアが注目されている。その目玉は、人口ポテンシャル、資源(これは、日本の南進時代から変わっていない)、優秀な経済テクノクラートたち、全方位的な成長戦略などなのだという。
実証的にデータと情報が詰め込まれており、ひとつひとつ、なるほどと納得させられる。面白い。
そんなわけで、明日から、今年3回目のインドネシアへ。
●参照
○早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ』
○中野聡『東南アジア占領と日本人』
○後藤乾一『近代日本と東南アジア』
○鶴見良行『東南アジアを知る』