Sightsong

自縄自縛日記

清原和博『告白』

2018-09-03 07:32:00 | スポーツ

清原和博『告白』(文芸春秋、2018年)を読む。

この人には野球や自分の周囲のこと以外がまったく見えていなかったのだな、ということを再確認するに過ぎない内容。

それでも興味深いことがあった。ライオンズ時代にはバランスの取れたバッティングを指向しているように思えていたが、実際のところ、本人は、より遠く飛ばすこと、ホームランを打つことばかりを願っていた。ジャイアンツに移籍したシーズン後半の荒々しいバッティング、日本シリーズで病み上がりの松坂大輔から打ったホームラン、あのようなものが本人の理想像だったのだ。

●参照
『Number』のホームラン特集(2013年)
『Number』の「決選秘話。」特集(2011年)
『完本 桑田真澄』(2010年)
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』(2009年)
山際淳司『ルーキー』(1987年)


田中正恭『プロ野球と鉄道』

2018-05-18 13:31:07 | スポーツ

田中正恭『プロ野球と鉄道』(交通新聞社新書、2018年)を読む。

なぜプロ野球と鉄道なのかと言えば理由はふたつある。ひとつは、阪急や阪神のように自社の鉄道を利用した娯楽の開発。もうひとつは、日本列島の遠距離移動に用いられた鉄道移動という制約(もっとも、戦前は満州鉄道の「あじあ号」などを使った事例もあった)。それぞれ知らないことを教えてくれてとても面白い。愛に満ちた本は良いものである。

ひとつめの、自社の鉄道沿線におけるプロ野球のコンテンツ化。阪急の小林社長は相当にこだわり、出張先のワシントンから即座にチームを結成するよう電報を入れたという。その結果、最初の1リーグ時代に間に合って参入できた。お上品な阪急沿線であり観客動員には恵まれなかったが、ヴィジョンはそういうことであった。

もとは1934年の大リーグ代表来日試合(ルース、ゲーリッグ、沢村)があって、翌35年の日本代表(=東京巨人軍)の結成を経て、正力松太郎が音頭を取ってチームが順次できていったわけである。35年12月の大阪タイガース、36年1月の名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、など。

従って、いまも巨人阪神戦を「伝統の一戦」と標榜するのはやりすぎである。所詮はひと月ほど他球団より早かっただけだからだ。とは言え、2リーグ分裂時に、阪神は巨人と離されると興業上不利であるから、阪急、南海との関西鉄道系と組む構想から寝返って巨人側に着いた。これがなかったら、パ・リーグはさらに東急、近鉄、西鉄を加え、電鉄リーグになっていた。つまり「伝統の一戦」という言葉は、最初から商売の言葉であったといえる。

なお、東京セネタースの名前は、出資者の有馬伯爵が貴族院議員だったことによる。それが戦時中の1940年に改名し、翼軍となる。これは有馬伯爵が大政翼賛会の理事を務めていたことに由来するという(!)。戦争の汚点は思いがけないところに見出されるものだ。

ふたつめの長距離移動。つまり、地方球団は非常に大変だった。逆にジャイアンツなどは有利であり、1964年の東海道新幹線開業(東京-新大阪)は翌65年からの9連覇を後押しした。また1975年の山陽新幹線全線開業(新大阪-博多)の影響があり、同年に広島カープが初優勝した。交通インフラの発展とプロ野球の成績が連動していたとは、まさに目から鱗である。

本書の最後には、プロ野球OBたちの証言が集められている。いないじゃないかと不満に思っていた今井雄太郎がここで登場する。さすがである。水島新司がどこかで描いていたが、ノミの心臓だったため登板前にビールを飲むこともあったという面白い人である(いつもじゃないと本人の弁)。最後に福岡ダイエーホークスに1年在籍し、西武ライオンズ戦に登板、いいように盗塁されていた記憶がある。つまり古いプロ野球の人だったのだが、それもまた良し。


『Number』のカープ対ファイターズ特集

2016-11-09 15:58:09 | スポーツ

ちょっと前には予想もできなかった、カープとファイターズとの日本シリーズ。

25年前にカープが優勝したときはライオンズと日本一を争った。カープの主軸はいまひとつ迫力不足で、4番は西田だったりアレンだったりしたが、そのアレンも4番なのに代打を出されたりした。佐々岡がいいところまでノーヒットピッチングを見せた。川口が大活躍したが、この「ひとりの調子が良い投手を使いまくる」伝統は、その後のスワローズの川崎や岡林にも見られた。北別府は結局日本シリーズでは勝てなかった。懐かしいな。

それにしても、広島にとっては、オバマ大統領が来たりカープが優勝したりと大変な年だったわけである。できれば、カープに勝って欲しかった。

今回ちょうど入院していて、第3戦から4試合をテレビでフル観戦できたのだが、全部ファイターズが勝ってしまった。すべて面白いゲームだった。中でも白眉は黒田博樹が先発した第3戦。黒田の経験値や凄みも、大谷が化け物であることを証明したサヨナラ打もきっと忘れないだろうね。いや~、野球っていいものですね。

そんなわけで、毎年恒例の『Number』日本シリーズ特集号を買ってきて、それぞれのゲームを反芻するように読んでいる(最初にこの雑誌を読んだのは、1989年にジャイアンツがバファローズを破って日本一になったときの特集号だった。表紙は駒田だった)。概ね、カープの采配も選手の動きも、最初の2試合に勝ってしまったために、守りに入ってしまい、その後はカープらしさを見せることができなかったのだとする論調であり、まあそうなのだろうなと思う。ただ黒田がさすがの存在感を見せつけた第3戦で、カープが勝っていたとしたら、またその後の展開は違ったものになったに違いないのだ。結果ありきの言説の限界である。

●参照
『Number』のイーグルス特集(2013年)
『Number』のホームラン特集(2013年)
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集(2013年)
『Number』の「BASEBALL FINAL 2012」特集(2012年)
『Number』の「ホークス最強の証明。」特集(2011年)
『Number』の「決選秘話。」特集(2011年)
『完本 桑田真澄』(2010年)
WBCの不在に気付く来年の春(2009年)
『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』(2009年)
『Number』の野茂特集(2008年)


沢木耕太郎『オリンピア ナチスの森で』

2016-08-09 06:59:00 | スポーツ

沢木耕太郎『オリンピア ナチスの森で』(集英社文庫、原著1998年)を読む。

1936年のベルリンオリンピック。それは、ナチスドイツによる内外への国威発揚でもあった。若い日のレニ・リーフェンシュタールは、政権に乞われ、『民族の祭典』『美の祭典』の2本を撮る(まとめて通称『オリンピア』)。それは結果として、ナチスのプロパガンダにもなった。

驚くべきことに、著者は、最晩年のレニにインタヴューを行っている。実は、レニは一度はこの話を断っている。ところが、その後、映画に使われることになるギリシャの肉体美のイメージを幻視し、引き受けることにした。それは「恍惚とする体験であると同時に、痛みにも似た体験」であったという。おそらくは、彼女は、政治的な意図ではなく、内面からの野生のような衝動によって映画を撮ったのだろう。大会の間も、もぐって撮影するための穴を掘り、走り回り、美を追い求め、ときには選手よりも目立っていた。

それにしても、陸上や水泳において日本選手が世界のトップレベルにいたことには驚かされる。三段跳びやマラソン、いくつかの競泳では金メダルを取っているし、走り高跳びや棒高跳びでも取っていてもおかしくはなかった。本書では、日本占領下の朝鮮、満州、ソ連を経て遠路はるばるヨーロッパ入りした日本人選手たちのドラマを描いている。これが非常に面白く、また隔世の感もある。ついさっき、リオオリンピックの男子体操団体において日本チームが金メダルを取ったばかりだが、この時代は正反対。誰も使わない大昔の技を繰り出したりしてついていけず、観客からは爆笑が起きていた。

マラソンで金を取った孫基禎は、日本占領下の朝鮮半島出身者である。日本代表は3人。しかし選考過程において、上位が孫を含む朝鮮人2名と日本人1名という構成となり、それは、朝鮮人1名と日本人2名にするというマラソン界の上層部の思惑とは違っていた。その結果、さらに日本人1名を追加した4名をベルリンに派遣し、現地の調子で選ぶことにした(結果は選考過程通り)。孫は優勝し、表彰台で「君が代」を聴き「日の丸」を見ながら、亡国の悲しみを感じていたという。また故国の「東亜日報」は、表彰台の孫の胸にあった日の丸を削ぎ落とした写真を掲載し、朝鮮総督府によって半年間の発禁処分となった。「日本がすごかった」以上に記憶されるべきエピソードであろう。

●参照
レニ・リーフェンシュタール『ヌバ』


フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』

2016-07-28 07:27:36 | スポーツ

フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』(新潮文庫、原著1973年)を読む。

何しろ長く、脈絡なくハチャメチャな法螺話が詰め込まれているので、読み通すのに時間がかかった。

ここにどかんと展開されるものは、アメリカ大リーグとは別にかつて存在したという「愛国リーグ」、その中でもひときわ弱く、シーズンの最初から50ゲーム差(笑)も付けられるようなマンディーズというチームについての、ウソの歴史である。語り手=騙り手は、クーパーズタウンの野球殿堂でも、誰の記憶とも重ならない知識を披露し、嘲笑される始末。それでも饒舌は延々と続く。ときどき、唐突にわけのわからぬ輩が登場してきて発作的な引き攣り笑いに襲われてしまう。

おそらく日米の野球文化の違いはこんなところにあらわれている。ゲームを直接楽しむ者=野球選手については変わらないのだとしても。かたや求道的、精神主義。かたや、何かおかしなことをやり、話し、笑い飛ばす者たちの集合体。読売ジャイアンツの選手たちの間で『海賊とよばれた男』が流行したことがあったそうだが、そんなもんよりこれを読んではどうか、坂本選手。

原題は『偉大なるアメリカ小説』。つまり騙りの対象はアメリカ小説でもあり、この面でもやたら可笑しい。ヘミングウェイをただの下半身の人にしてはダメでしょう、と眉をひそめてはならない。

●村上柴田翻訳堂
ウィリアム・サローヤン『僕の名はアラム』(1940年)
カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(1946年)
コリン・ウィルソン『宇宙ヴァンパイアー』(1976年)


山際康之『兵隊になった沢村栄治』

2016-06-15 07:48:54 | スポーツ

山際康之『兵隊になった沢村栄治―戦時下職業野球連盟の偽装工作』(ちくま新書、2016年)を読む。

戦前の大エース・沢村栄治は、1934年の日米野球において、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグを擁するアメリカチームを、ゲーリッグのホームラン1点に抑えた。この快投はいまや何度も語られた伝説であり、それに対してアメリカチームが逆光でボールが見えにくかったと反論したことも、おそらく言い訳に過ぎないのだろう。現在と違って、逆立ちしても勝てないほどの実力差があった時代のことである。

しかし、軍に召集されるたびに、沢村の身体は野球人のそれから兵士のそれに変貌してゆき、戻ってきても良い数字を残すことができなくなっていった。身体だけではない。手榴弾投げを率先して行うなど、精神的にも軍に順応せざるを得なくなったことが、本書を読むと痛いほど伝わってくる。そして3度目の召集で、沢村は戦死した。

よく知られていることだが、戦時中には、野球用語は日本風のものに変更させられた(ストライクを「ヨシ」、アウトを「引ケ」とするなど)。それは野球という活動を軍に潰されないための苦渋の選択でもあった。そのことは念頭に置くべきだとしても、スタルヒンを「須田博」と改名させるなど人権侵害以外のなにものでもなかった。「須田」は、日露戦争の軍神・廣瀬武夫の銅像があった須田町から、「博」は「廣瀬」の「廣」としようとしたが、俳優・藤原釜足が藤原鎌足をもじって国民的尊厳を軽視しているとして藤原鶏太に改名させられたことを鑑みて、読みだけ同じにしたのだという。

チーム名も変えることになった(タイガースを阪神軍に、イーグルスを黒鷲軍に)。怖ろしいことに、それは上からの圧力とばかりは言えなかった(もっとも、すべてが自発的な判断としてなされるよう仕向けられたとしても)。名古屋軍の「名」のマークはナチスの鉤十字に似せられた。また、セネタースの東京翼軍は一般公募ではあるが、その「翼」とは、大政翼賛会から思いついたものであったという。いまでもあちこちで見られる、権力と風潮への行き過ぎた同調である。

軍は、勝負が決したあとの9回裏を行わないことや、「引き分け」を、精神的によくないものとして、やめさせようとした。実にばかげたことではあるが、高校野球に残る精神主義はこの名残なのかもしれない。

職業野球連盟は野球人たちを戦地に行かせぬよう、大学に入れたり、別の形で軍に協力するなど、本書でいうところの「偽装工作」に努めた。しかし、それは何にもならなかった。


平出隆『ウィリアム・ブレイクのバット』

2016-05-27 07:02:27 | スポーツ

平出隆『ウィリアム・ブレイクのバット』(幻戯書房、2004年)を読む。同じ著者の『白球礼讃』や『ベースボールの詩学』が滅法面白かったこともあって、古本屋の棚に見つけて即購入決定。

本書はごく短い連載エッセイを集めたものであり、それだけに、この詩人の話の切り上げ方が潔く、ちょっとほれぼれする。海外滞在のこと、自動車免許取得の苦労話、クルマや中古カメラへの偏愛、そしてもちろん野球のことなんかが書かれている。文体は気取ってはいるものの、ときに自虐的でもあったりして、威張ろうとか自慢しようとかいった魂胆などはまるで見えない。なるほど、文章はこうあらねばならない。

ときどき登場する画家、ドナルド・エヴァンス。かれはアメリカで生まれ、架空の国の架空の切手を書き続けた。通貨や言語も、文化や歴史や政治も妄想した上で、である。そしてオランダにおいて火事に巻き込まれ、31歳のごく短い生を終えた。頭の中にひっかかって離れないもの、小さなもの、極めて個人的なものにこだわって、それをやはり個人的な形にしていったところが、この詩人にも重なってみえる。

それにしてもこの一節。

「あれから私は、なんと多くの失敗をやらかしてきたことだろう。思うだけで気が遠くなる。落としもの。忘れもの。見過し。乗り過し。書き損じ。打ち損じ。サードゴロエラー。器物損壊。自己破損。激昂。寝坊。いうべきだった一言。いわなければよかった一言。エンスト。
 そうしたものは、今日もやったし、明日もやるだろう。」

●参照
平出隆『ベースボールの詩学』、愛甲猛『球界の野良犬』


石井裕也『バンクーバーの朝日』

2014-12-31 09:50:41 | スポーツ

石井裕也『バンクーバーの朝日』(2014年)を観る。

実際の「バンクーバー朝日軍」の歴史をもとにした映画である。

1900年代初頭、出稼ぎのためカナダに渡った日本人は、「バンクーバー朝日軍」という野球チームを結成する。かれらは、厳しい労働と生活の合間に練習に明け暮れた。地元のリーグでの試合は、身体の大きな白人に圧倒されていたが、やがて、バント、相手打者の癖の分析と細かな配球、盗塁などによって、次第に屈指の実力チームへと成長する。朝日軍のきめ細かな野球は「Brain Baseball」と呼ばれた。しかし、戦争が激化すると、日本人移民は適性国民と位置付けられ、収容所に強制的に入れられることになる。移民たちが自由を取り戻すのは、1949年になってからのことであった。

主演の妻夫木聡の演技には味わいがある。亀梨和也の出演は、明らかに野球の腕前を買われてのことだろうけど、裡に想いをためるような演技もまた良い。観る前に心配していたのは、ヘンに憎しみをたぎらせた者が出てきたり、過度に悲惨な目に遭う者が出てきたりするナショナリズム高揚映画になってはいないかということだったが(要は、漫画化された『バンクーバー朝日軍』を描く原秀則の作風がそうだということ)、それは杞憂だった。

ところで、映画では、朝日軍はあまりにも非力でヒット1本すら打てないため、バントを多用したことになっている。パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』によると、確かにバントも積極的に使い、いまの「スモール・ベースボール」的であったが、ここまで非力ではなかったようだ。普通にゲームに勝ち、たまにはホームランを打つこともあったようだ。

パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』には、次のような新聞記事が紹介されている。地元の興奮ぶりが想像できる。

「(略)其間に北川又二塁へ走り何のことはない球が人間より遅い為め朝日は安打なくして三、二塁を奪ひ得たのである、次にバツトを握つたは中村兄二回目のバントが成功して山村本塁に突進、ホ軍は大狼狽を始めて中村を一塁に生かし二塁をお留守にして盗まれて了ふ、・・・・・・」

遠征に来た巨人軍と試合をしたこともあったようだ。2試合とも完敗してはいるものの、それだけの実力があったということだ。なお、試合には、あのスタルヒンが投げてもいる。また、帯同していた沢村栄治はこの2試合には登板していないが、練習で朝日軍の選手相手に投げ、球の速さを印象付けている。

上の本によれば、強制収容所においても、朝日軍の面々は野球場をつくって試合をしたという。また、解放後チームは二度と結成されなかったが、あちこちで野球を続けたともある。巨人軍との試合はともかく、このあたりは映画でも描いてほしかったところ。

現在では、野球は労働移民のシステムを構築している(石原豊一『ベースボール労働移民』)。バンクーバー朝日軍の活動は、その前史のひとつでもある。


選手たちの写真と署名(パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』)

●参照
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集


池井戸潤『ルーズヴェルト・ゲーム』とテレビドラマ

2014-06-20 22:42:24 | スポーツ

そんなわけで(どんなわけだ)、日曜夜9時のテレビドラマ『ルーズヴェルト・ゲーム』を、楽しみに観ている。ついでに、耐えきれなくなって、池井戸潤の原作小説(講談社文庫、原著2012年)を読んでしまった。

中堅電機メーカー・青島製作所が、もっと規模の大きい競合相手・ミツワ電器(ドラマではイツワ電器)に呑みこまれそうになり、大逆転を目指して奮闘する物語である。青島はデジカメ用イメージセンサーの開発によって急伸した企業だが、ミツワにはその技術力がない。青島は家族的経営、ミツワはとにかくコストダウン。

何となく、青島が、かつての旭光学(ペンタックス)の姿に重なってしまう。かつてはオリジナリティ溢れるカメラを作っていたメーカーだが・・・。

青島の家族的経営の雰囲気作りに一役買っているのが野球部なのだが、会社存亡の危機にあって、廃部を余儀なくされている。どうしても、皆でわいわいと仲良く盛り上げる組織の姿に対して、わたしなどは、そこから疎外されている者のことを考えてしまう(『クッキングパパ』が昔から嫌いだった)。しかし、その一方で、必死に奮闘する勤め人の姿を見ていると、意味なく熱くなってしまう(『クライマーズ・ハイ』のように)。単純だな。

ところで、先にドラマのほうをほとんど観てしまったせいか、小説にそれほど面白みを感じない。それほどドラマのほうはキャラが立っていて(『半沢直樹』の二番煎じなのではあるが)、芸達者な役者たちを揃えている。失敗しているのは、唐沢寿明が演じる主人公の細川社長のみ。どんな人なのか最後までつかみかねて、感情移入が出来ないのである。

もう今度の回が最終回だと思うと寂しい限り。小説と比べてどうかな。


岡田正彦『人はなぜ太るのか』

2014-05-19 23:35:03 | スポーツ

岡田正彦『人はなぜ太るのか ―肥満を科学する』(岩波新書、2006年)を読む。

ダイエットほど、無数の有象無象の情報で溢れている分野はなかなかないだろう。そんな中で、ナニナニ法ダイエット本や、テレビショッピングの効き目があるのかどうかわからないツールを買うよりは、本書のように、肥満の理論や科学的知見と、それに基づくアドバイスを示してくれるものをしっかり読んで、重要な箇所を頭に叩き込んだほうが、はるかに有用だと思う。

いろいろと興味深い指摘がある。

血糖値を急速に上げる食品(パンやアイスクリームなど)よりも、ゆっくりと上げる食品(ソーセージ、ヨーグルト、グレープフルーツ、りんご、梨、ゆでたスパゲッティなど)の方が、合計して同じカロリーであっても、太らない。
○極端な食事はよくないが、その前提で、炭水化物と脂肪は、やはり抑えなければならない。 
BMI(=体重/(身長×身長))はすぐれた指標。これが25未満であれば、どのあたりが最適かを言うことは難しい。ある実験では、24の人がもっとも死亡率が低いという結果が出た。
体脂肪率は、測定条件による変動が大きく、あまりあてにならない。また、その中で内臓脂肪がどの程度かについてはわからない。 
○運動だけでもダイエットだけでもダメ。両方やるべし。筋トレも必要。
○酒は太る原因にはなりにくい。カロリーだけでは判断できない。 

そんなわけで、筋トレ、有酸素運動、炭水化物の抑制という3点セットは正しいのだとわかった。

●参照
やっぱり運動ダイエット 


林壮一『マイノリティーの拳』、ジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』

2014-05-18 23:39:45 | スポーツ

林壮一『マイノリティーの拳 世界チャンピオンの光と闇』(新潮文庫、原著2006年)を読む。

なぜ日本語の本のオビに、ジョージ・フォアマンの推薦文が記されているか。一読してわかった。著者は、米国のボクシングに魅せられ、米国に渡り、数々のボクサーたちと接しながら生活してきた人だからだ。

なるほど、面白い。そして哀しい。多くの黒人やヒスパニックの少年たちは、貧困と差別のなかでもがき、その生活から脱出するために、ボクシングを選んだのであった。長じて世界チャンピオンになった者たちは、最初から「モノが違った」らしい。ほとんどの者は、普通の「モノ」しか持たない。「モノ」を持っていても、かれらを食い物にするだけのプロモーター(ドン・キングのような)に搾取され、たとえチャンピオンになっても、一部の者を除いては、いい暮らしはできなかった。著者の視線は、その、多くの者に向けられている。

勅使河原宏が2本のドキュメンタリー映画『ホゼー・トレス』『ホゼー・トレス Part II』を撮ったホセ・トーレスは、名伯楽カス・ダマトに見出され、人間性とボクシングの両方を教え込まれた。聡明だったトーレスは、世界チャンピオンになり、また、自らの出自を意識し、マイノリティーの視点を持った文筆家としても名を成した。

トーレスとは反対に、やはりダマトが見出したマイク・タイソンは、凄まじい勢いで世界の頂点に立ち、すぐに、同じかそれ以上に凄まじい勢いで転落した。著者は、兄弟子トーレスの言葉を借りて、タイソンの精神的な弱さを浮かび上がらせてゆく。第1章ではあるが、これがわたしにとっては本書の白眉である。

多作の作家、ジョイス・キャロル・オーツも、ボクシングに関する著作『オン・ボクシング』(中央公論社、原著1987年)をものしている。

ここに書かれているのは、ボクシングという異常なスポーツ、あるいはスポーツではなく衝動、活動についての、オーツの思索である。

なぜ多くの作家が、ボクシングに魅了されたのか。オーツが言いたいのは、おそらく、それが本質的に言語によって表すことができず、ひょっとしたら言語というものに反していて、言語の活躍場所があるとしたら、やっと、再現のステージになってからだからだ。しかも、再現というものが、ボクシングと相対立している。

ただ、そのように思索するオーツが、自ら限界を示してしまっているように思える。おそらく、フォアマンが45歳で世界チャンピオンに返り咲くなど、想定外もいいところだっただろう。そして、本書が書かれた当時、絶頂を極めつつあったタイソンについても、その醒めた目を観察してはいても、やはり、激烈なる転落は想像できなかったに違いない。

●参照
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』
マーティン・スコセッシ『レイジング・ブル』(ジェイク・ラモッタがモデル)
ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』 


さだやす圭『なんと孫六』完結

2014-05-02 23:56:04 | スポーツ

「月刊少年マガジン」誌で1981年から連載を続けていた漫画、さだやす圭『なんと孫六』が、ついに完結した。

わたしは、高校生のとき、多分1987年頃から、毎月読んでいた(立ち読みですが)。その前の分については、どこかで借りてきて読んだ。そんなわけで、何だか意味なく感慨深い。

はじめは、高校の不良グループの闘争と高校野球の物語だった。やがて、孫六は、度が過ぎて高校を追放され、超法規的措置でプロ野球に入る。活躍するが、やくざとの闘争により、こんどはアメリカ大リーグへ。そこでも活躍するも、マフィアとの闘争。そして、WBCならぬWBTに出場。

それだけの話だが、孫六をはじめ、登場人物のキャラがことごとく立っていて、本当に面白かった。しかし、次第に、プロ野球や大リーグでの実在の選手を模したような人物ばかりが出てくるようになって、ハチャメチャさもなくなってきていた。残念ながら潮時。

できれば、山形、藤堂、鮫洲らの高校野球の仲間と、プロ野球や大リーグで対決する姿をみたかった。


増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』

2014-02-16 19:57:36 | スポーツ

増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社、2011年)を電子書籍で読む。

戦前の柔道は、いまのものとは比べ物にならないほど苛烈な武術であった。スポーツではなく、戦闘体系である。

その歴史のなかに屹立する木村政彦という柔道家は、文字通り最強であったという。あらゆる格闘技を貪欲に取り込み、敵う者は内外にひとりとしていなかった。しかし、その存在は、大日本帝国時代の社会と切っても切り離せぬものでもあり、そして、木村政彦は、無思想かつ無邪気であった。このふたつの相容れぬ歪みが、木村の人生をねじ曲げてゆく。

戦後、柔道家としてだけでは食っていけぬ木村は、プロ柔道とプロレスを開拓する。また、植民地時代の朝鮮に生まれ、日本人になりきろうとした力道山も、その流れに交錯する。そして、筋書きが決まっていたはずのプロレス勝負において、木村は、力道山の底知れぬ謀略の前に敗れてしまう。

プロ興業を是としない柔道界は、その後、弱体化を続けた。一方、木村がブラジルにおいてエリオ・グレイシーとの闘いによって撒いた種は、ブラジリアン柔術や、ヴァーリ・トゥードや、総合格闘技へと育つことになる。

もし、日本の柔道が格闘技の諸要素を切り捨てる道を選ばなかったなら、私たちはオリンピックで何を観ていただろうか、あるいは観なかっただろうか。木村にもう少し悪知恵があって、実力差通りに力道山を破っていたら、日本のショープロレスは別のかたちになっていたのだろうか。木村が海外巡業に出なかったとすれば、総合格闘技の世界地図も変わっていただろうか。歴史に「れば、たら」はないが、そんなことを思ってしまう。

執念というのだろうか、著者のしつこいほどの追求と思いが、本当に胸をつく。

本書は、まもなく新潮文庫から、写真を追加して出されるようだ。大推薦。

●映像記録
木村政彦 vs. エリオ・グレイシー(1951年)
木村政彦 vs. 力道山(1)(1954年)
木村政彦 vs. 力道山(2)(1954年)

●参照
柳澤健『完本 1976年のアントニオ猪木』


大島裕史『韓国野球の源流』

2014-02-06 08:00:00 | スポーツ

大島裕史『韓国野球の源流 玄界灘のフィールド・オブ・ドリームス』(新幹社、2006年)を読む。

韓国に野球が輸入されたのは1905年。日本が韓国の外交権を得た年であり、韓国における野球の進歩も、当然ながら、影響を受けないわけにはいかなかった。もとより、明治初期から野球が広まっていた日本との実力差は大きく、それはなかなか縮まることがなかった。

何故、韓国が日本との試合となると過剰に感じられるほどに「燃える」のか。本書を読むと、それが単純なナショナリズムのあらわれではないことがわかる。背景には、歪な権力下における、文字通り苦難の歴史がある。

日本の敗戦=一時的な解放までは、韓国のチームも参加した高校野球であっても、実力差が顕著であったり、メンバーも韓国に移住した日本人子息であったりした。戦後は、ナショナルチームも、プロ野球も、日本で野球の訓練をした者たちが韓国野球の発展に大きく寄与した。たとえば、本書では、白仁天金永祚らの生涯が取り上げられている。

やがて、韓国野球は内在的な力を持つようになり、新浦壽夫(金日融)が韓国に渡って活躍したときでさえ、もはや彼我の絶対的な力の差はなかったという。わたしが韓国野球の存在を意識したのは、新浦が日本に復帰し、大洋ホエールズに入って二桁勝利をあげたあたりからだ。張本勲(張勲)について、まったく民族や国籍を考えることがなかったのは、わたしが小さかったせいか、時代のせいか。(わたしにとっては「OH砲」。) それにしても懐かしいな。

本書が書かれたのは2006年まで。すでに凄まじい球を見せつけた宣銅烈は引退していた。そして、李承�奮がジャイアンツに移籍して4番を張ったばかりだった。懐の深いフォームが好きだった。いまやトップ選手の実力は個人差でしかない。

いちどは韓国のスタジアムで野球観戦してみたいものである。 

●参照
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』


やっぱり運動ダイエット

2014-01-23 08:55:56 | スポーツ

6年ほど前に、コレデハイケナイと一念奮起して体重を10キログラム以上減らしたことがある(>> リンク)。当時流行った「キャベツダイエット」であり、運動などはしなかった。確かに効果があったとはいえ、もうこんな辛いことは嫌だという気持ちがあったせいか、その後数年間でリバウンドし、出発時点以上にまで体重が増えてしまった。

そうなると、いろいろと不便や面倒がある。前の服が着られなくなる。会う人ごとに太ったと指摘される。すぐに疲れる(特に、脚)。

そんなわけで、ちゃんと運動をすることに決めた。定期的にジムに通い、定められたコースに従って、ストレッチ、筋トレ、有酸素運動の順で運動を行う。ジムにはしっかりした測定機が置いてあるので、マメに測り、Excelで変化を追いつつ分析したりもしている。そして、ときどきはジムのスタッフに相談している。

昨年8月から、5か月ほど頑張った結果。

○12キログラム近く体重が減った。(それでも、学生時代の自分にはまだ程遠いのだが・・・。)
○そのうち脂肪の減少が73パーセント程度。(前回の食事制限では70%程度だった。)
○また、筋肉の減少が15パーセント程度。(単に減らすだけでは体重減少分の30パーセントくらいの筋肉が減るという。)
○ウエストが9センチメートル程度減った。

食事は、炭水化物を取る量をやや減らしているくらいである(もちろん、夜中に空腹のあまり何か食べるとか、大盛りを注文するとか、そんなことは控えている)。ラーメンなども結構食べている。飲みに行けば我慢せずに食べる。要は、ストレスがまるでたまらない。

単なる体重減少に伴って筋肉が減る(30パーセント程度)のは、重たいものを支えなくてよくなるからだ。しかし、リバウンドしにくいようにするためには、筋トレが必要である(エネルギー収支が異なってくる)。有酸素運動の前にひととおりこなしていたため、それなりに筋肉の減少を抑えることができているのだろう。週明けはいつも筋肉痛であり、また、実際に減った感覚はない。そして、ある時期からはほぼ一定値を保っている。

さらなる良い方法を求めて、桜井静香『ジムに通う前に読む本』(講談社ブルーバックス、2010年)を読んでみた。

 

いろいろな発見があった。

○ジムの筋トレ機には、20-30回反復して「つらい」と感じるような負荷にするよう書いてある。しかし、本書によれば、その限界の反復回数によって目的が違うという。1-12回が「筋力アップ」、12-25回が「筋持久力アップ」、それ以上がただの「フォームの習得」。つまり、シェイプアップや初心者が慣れるためであればよいが、筋肉量を気にするのであれば、12回以上反復できないくらいの重い負荷に設定しなければならない。
○「歳を取るとともに、筋肉痛が遅れてやってくるようになる」という仮説には科学的根拠がない。統計的には、個人差があるに過ぎない。
○筋トレには「超回復」というメカニズムがある。筋トレで消耗した筋肉が回復し、もとのレベルを超えた時点で次の筋トレを行うと効果的であるというものであり、その回復期間は次第に短くなっていく。理想的には週に2-3回の筋トレがよい。(※勤め人にはなかなか難しい)
○筋トレ初心者にとって、最初の効果が出てくるまで3か月くらいかかる。(※確かに、頑張っても筋肉量増加に結び付かない時期があった)

そんなわけで、先週末にジムに行ったときには、筋トレの負荷設定を高めにしてみた。ジムのスタッフも、今後は10回反復にしようと助言をくれた。さて効果はいかに。

ところで、わたしは頻繁に海外出張に行っており、土日にジムに行けないことが少なくない。海外のビジネス用のホテルには、フィットネスセンターが設置してあるため、せめて有酸素運動だけはしようと心がけている。

ところが奇妙なことに気が付いた。日本のジムにおいて、クロストレーナーで1時間程度運動を行うと、方法にもよるが、およそ500キロカロリーを消費する。しかし、タイでもインドネシアでもミャンマーでも、なぜか同じやり方なのに750キロカロリーくらいは消費したことになってしまう。なぜなのかまだわからない。

●参照
納豆ダイエット、キャベツダイエット、ダイオキシン