Sightsong

自縄自縛日記

三番瀬の海苔

2009-02-28 19:45:14 | 関東

市川市の原木中山近くにある「福田海苔店」(>> リンク)で、三番瀬で取れた海苔の直売をやっているというので、自転車で出かけてきた。行徳の旧道は狭く、怖かった。

小売というより工場である。天日干しもやっていたが、注文は「3年待ち」だということだった。いまやそれくらい貴重なものになっている。

午前中だったので、運良く生海苔の販売もやっていた。今朝三番瀬で摘んだばかりの海苔で、大きなタンクには海水に海苔を入れて(生け簀のような考え)、ぐるぐると回していた。何でも、今日はバスケット十数杯摘んできたということで、バスケット1杯が30キロくらい、合計300キロ以上ということになる。時間を置いて同じところから何回か摘んだら、そのシーズンはお終いなのだという。


海水とぐるぐる

興奮していろいろ見ていると、ご主人の福田さんが海苔作りの工程を案内してくれた。この生海苔をパイプで運び、機械で裁断し、簾に広げ、乾燥するという一連の流れ。いまでは天日干しと変わらないくらい旨いよということだった。

折角なので、一番摘みの海苔を使った「極上」と、昨年亡くなられたお父上(>> 東京新聞の記事)の手による「引退作品」、それに生海苔を500グラムほど買って帰った。


種付けから生産までの様子を紹介していた


簾に広げ乾燥する部分の機械


最後に1枚ずつコンベアーで送られてくる

焼き海苔2種類は明日以降のお楽しみにして、今晩は生海苔を食べることにした。水で洗って絞り、粗くざくざくと切り、から煎りした後にバターを溶かしいれ、醤油で味付けをした。ご飯に載せて食べると堪らぬ旨さ。息子も娘もばくばく食べた。

明日はどうやって料理しようかとわくわくしている。もともと海苔は大好物なのだ。

ところで、行き帰りには江戸川放水路に掛かる行徳橋を渡ったのだが、その下には葦と泥干潟が拡がっている。ただ、この下流とは違って、生き物は観察できなかった。じろじろ見ると、蟹か貝の呼吸穴、犬の足跡(笑)、ゴカイの糞(通称モンブラン)はあった。


葦と泥干潟


犬の足跡


ゴカイの糞、モンブラン

これは行徳橋の下流側だが、上流側は、旧江戸川との分岐点が沖積地になっており、先端は三角形の葦原となっている。住所も「河原」という。グラウンドより先には足を踏み入れることができなさそうだった。


「河原」の先っぽ

なお、はアシともヨシとも呼ぶが同じものであり、もともとのアシが忌み言葉として嫌われ(悪し)、ヨシ(良し)も使われている。サックスのリードもアシから出来ているが、あれはどこでどうやって育てているのだろう。

妙典近くには、以前に放火された「神明神社」(神明社、豊受神社)がある。かつて「行徳様」が伊勢神宮から砂を持ってきて撒き、勧請したといういわれがある。久しぶりに立ち寄ってみると、綺麗な社殿が再建されていた。横にある大きな欅の木は、おそらく火でやられたのだろう、樹皮が剥がされていてつるつるだった。

●三番瀬の海苔
豊かな東京湾
東京湾は人間が関与した豊かな世界

●三番瀬
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い

●江戸川放水路
江戸川放水路の泥干潟 (千葉県市川市)


東琢磨・編『広島で性暴力を考える』

2009-02-27 00:10:10 | 中国・四国

先日ちょっと飲んだ帰路、最寄駅の近くで、新聞記者のDさんにばったり。ちょうど飲みに行くところだというので、そのふたりに便乗して深夜の第2ラウンドに突入した。とても愉快な時間だったのだが、それはともかく。

そのときにご一緒した東琢磨さん(音楽評論家、ライター)から、ご自身が編集された『広島で性暴力を考える 責められるべきは誰なのか?』(ひろしま女性学研究所、2009年)を分けていただいた。

主に、2007年に起きた岩国の米兵による集団強姦事件を機に開かれたシンポジウムの記録がおさめられている。

それぞれの参加者が、ことばの力を振り絞って、この事件に粘りついているものを顕わに示そうとしている。小冊子ながら、気付かない視点に気付かされ、圧倒されてしまう。あのときに多くのひとが、被害者にも非があるということばを口走ってしまったであろう。それが、如何に非対称なものであり、狭隘な意識に基づいているものか、という意識をもっと共有しなければならないようだ。そしてこれは、<あのとき>だけではない。

いくつか大事な指摘を拾ってみる。

○米軍の定義によれば、「女性が同意しない」ということだけでは「強姦」にならず、「誘拐や暴行を加えて」いるものが「強姦」とされる。つまり、こちらはその定義をずっと受け入れており、「日本人への強姦は重罪でない」というメッセージにもなる。
○「日米地位協定」によれば、「公務」中の米兵犯罪の第一次裁判権は米側にある。1995年の沖縄での小学生暴行事件を機に、起訴前でも米軍の「好意的考慮」で身柄引き渡しが可能となっている。しかしこれは凶悪犯罪に限る(つまり、上の定義にも関連する)。また常に形骸化している。
○1953年、法務省は、米兵が起こした事件の処理について、重要な事件以外では裁判権を放棄するよう通達した。この事実に関する資料は国会図書館に存在するが、「米国との信頼関係に支障を及ぼす恐れがある」という理由で、2008年から閲覧禁止になっている。この方針が現在の姿を形作っていることになり、それを相手を怒らせないよう自国民に隠すという本末転倒。
○有事法制に基づいた国民保護計画は、実態は、民間防衛であり、国民が国家を守るという主客転倒がそこに見られる。軍による住民への暴力という姿と重なってくるものだ。
○「平和」という概念は、しばしば、権力補強のためのものになり下がっている。(もちろんこれは、平和を維持するための軍事という意味だけではなく、日常的な姿である。)


真行寺君枝『めざめ』、『美しい暮らし、変わりゆく私』

2009-02-25 23:59:18 | アート・映画

女優の真行寺君枝が、破産、離婚、自叙伝『めざめ』の発表、その記念パーティー開催中の元夫の死などが話題になり、あらためて注目されている。沢渡朔が真行寺君枝を撮った写真集『シビラの四季』が好きだったので、本人のサイト『第一哲学 不死なるもの』とのギャップに、正直言ってかなり仰天していた。

今回、この『めざめ いのち紡ぐ日々』(春秋社、2008年)を読んでみて、さらに仰天した(引いた、というほうが正しい)。どうみても只者ではない。宇宙の開闢、ソクラテスやプラトン、デュシャン、シビラの自然、パレスチナなど位相もスケールも異なる事象が矢継ぎ早に語られていく。

「読者の皆様は私が話を飛躍させすぎるとお感じになられたかもしれません。しかしながら、個の悲劇は個に留まるものではありません。人間は受動と能動を相互に享受し合いながら歴史を形成してまいりました。人類は共存共栄の一集合生命体なのです。ということは同時に私たちは永遠の中に実存する生命体の一分子であるということで、必然の定めにより一つのリンクで結ばれているということに他なりません。」

ジョニー・デップやウディ・アレンが真行寺君枝のファンだそうである。また、ジェーン・バーキンとビョークは『シビラの四季』を英訳して読んでいるという。(良い意味でも悪い意味でも)オリエンタリズムというフィルタを通して距離を置いた存在として眺めるほうが、偏見なくこの異端の女優を評価できるのかもしれないなと思った。

真行寺君枝は、まだ本人のいう「地獄の季節」に突入したばかりの頃、資生堂の福原義春との対談を行い、『美しい暮らし、変わりゆく私』(求龍堂、1996年)を出版している。なぜ資生堂なのかといえば、真行寺の出世作である広告を大々的に打ったのがこの企業だからだ。「ゆれる、まなざし」というコピーが付された、十文字美信による真行寺の写真はいまみても新鮮である。

この対談集のなかには、沢渡朔が『シビラの四季』で真行寺君枝を撮ったとき、ライカのシャッター音が小さくて撮られていることに気がつかなかったというくだりがある。こんな小さい本に再掲されている写真はとても良くて、廃村とライカが妙にマッチするように感じられた。

真行寺君枝は、この時点ですでに独自のことばを発している。

「デュシャンの言葉のなかに、「変貌、変貌、変貌にこそ意味がある」というようなことを言っている言葉があります。イコール、メタモルフォーゼだと思うんです。変化し続けていく。」

●参照
『風の歌を聴け』の小説と映画
沢渡朔+真行寺君枝『シビラの四季』


高梨豊『光のフィールドノート』

2009-02-23 23:07:00 | 写真

この週末に、東京国立近代美術館で開催している写真展、高梨豊『光のフィールドノート』を観た。

もともと、持ってまわったような言葉による装飾があまり好きになれなかった写真家である。「年齢=焦点距離論」がよく知られている。28歳なら28ミリの画角であり、存在論。50歳なら50ミリで人生論。望遠なら被写体の因果関係を撮っているから因果論。といって、いったいそれが何だというのだろう。

それはそうではなく、はじめて多くの作品のシリーズを通して観て、方法論はこの作家が自らを見る眼であり、身体を縛る制約であるのだと思い至った。

改めて、ごちゃごちゃと小理屈を並べ立てているようにしか思えなかった、『われらの獲物は一滴の光』(高梨豊、蒼洋社、1987年)をぱらぱらとめくってみると、何か切り捨てていたものを再発見できそうに思えた。

「たしかに「写真」は、撮りながら、また、どんどんはき出すという反復行為が、自己変革を行って行くものです。はき出すことによって、次に撮る、自分の視点が変化していく、ということが、写真行為の健康な姿です。約一年、排泄行為をおこたったボクは、たしかな裏切りを、受ける資格を持ったといえましょう。」

多彩な試みを続けてきた写真家であるから、見所はそれなりに多い。自分としては、高梨豊がライカのボディを買う前に入手したという、スーパーアンギュロン21mmF3.4によって撮影されたとおぼしき、「船橋市 船橋ヘルスセンター」(『東京人』、1965年)のプリントを観ることができたのが収穫だった。あれは三番瀬だろうか、真ん中の下に男が海を向いて座っている。良い写真である。


石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』

2009-02-21 23:40:05 | 沖縄

広尾にできたばかりのギャラリー「TOKIO OUT of PLACE」で、石川真生の写真展『Laugh it off !』をやっている。石川真生というと、高文研から出ている沖縄米軍の写真などしか知らなかったのだが、今回訪れてみて、相当驚かされた。

まずギャラリーに入って右側から正面まで、写真家本人の<セルフポートレート>で占められている。最近、腎臓癌、直腸癌を患ってから自身の肉体にレンズを向けはじめたということである。ヌードのお腹には手術跡や人工肛門があり、アップで撮っていたりもする。ケータイか何か解像度の悪いデジカメで撮られたらしきその写真群は、ある一線を超えている。ところで、手にはニコンFM2(またはニューFM2)を持っている。

ギャラリーの左壁には、80年代のモノクロ写真として、<Life in Philly>(1986年)、それから<Filipina>(1988年)が展示してある。エッジがやや黄ばんだ当時のプリントを、たくさん、クリアファイルに入れて壁にピン止めしている。これがまた迫力がある。

<Life in Philly>は、沖縄からフィラデルフィアに帰還した米兵を訪ねて撮られたものだ。家の中や街路など日常生活だが、そこへの入り込み方が尋常でない。寝室で交わる男女や裸で弛緩して寝っころがる女たちまで捉えている。おいおい!!

<Filipina>は、沖縄の金武町に出稼ぎに来ているフィリピン女性たち、そして里帰りしている姿を撮っている。これもまた、記録ではなく、一緒になっている石川真生の<かたち>なのだ。

キャンプ・ハンセン周囲の歓楽街を石川真生と比嘉豊光が撮った写真集が、閲覧用にあった。そこには、撮るためなのか、一体化するためなのか、そこで働き蠢く石川真生の姿がある。巻末にアラーキーが寄せた文章があった。記憶では、次のように書かれていた。「ビックリした。私は、男として、写真家として、石川真生に嫉妬した。脱腸したイヤ脱帽した。

いやいや、予想外に圧倒された。トークショーも見に来ればよかった(大盛況だったらしい)。

山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』は、東中野のギャラリーPAOで開かれている(2/22まで)。辺野古での新基地建設強行を拒否する人たち、そして本来の辺野古近辺の素晴らしい自然が記録されている。

私もささやかながら賛同したのだが、他に、太田昌国さんや花輪伸一さんの名前もあった。

以前にスライドショーで山本さんの写真は見ていたから(>> 記事「新基地建設に襲われる海とシマ。人々は闘う」)、素晴らしい写真が多いことはわかっていたが、やはり良かった。辺野古近辺の自然環境では、無数のミナミコメツキガニが蠢く河口、白いクロサギ(本当)など。そして、理不尽な暴力に抗いつづける内外の方々の姿に迫真性がある。

ペンタックスLXを使っていることは以前に聞いていたから、レンズについても今回確認した。望遠は、(1000mmなどは高いし反射レンズは解像度やボケなどに癖があるので)通常の500mmまでだ、ということだった。

山本さんの写真が掲載された『パトローネ』(2009/1/1)には、このようにある。「私は、可能な限り現地に行くべしと考える。それはたんなる支援のためではない。美ら海を体験し、そこで頑張っている人たちの日々の努力を知り悩みや焦りについても触れ、私たち自身がそれぞれ地元で活動するエネルギーと手法を創造するためだ。また、私の任務は、記録と伝達であり、左記の通り写真展を行う。


ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ

2009-02-20 06:41:40 | 環境・自然

ジュゴン保護キャンペーンセンターとWWFジャパンの主催によるセミナー『ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ』が開かれた(2009/2/19、港区立勤労福祉会館)。なかなか範囲を広く設定したこのような会がないので、大事な機会である。


資料と一緒に、ジュゴンの折り紙も配られた


照屋三線クラブが、「芭蕉布」と「国頭ジントーヨー」を演奏した

■花輪伸一さん(WWFジャパン) ジュゴンのためのIUCN決議と国連の2010年国際生物多様性年 

まず、WWFの花輪さんから、ジュゴン保護を巡る最近の国際的な動向についての概要説明があった。

○1996年の普天間基地移設発表の頃、大浦湾でジュゴンが目撃されたことが沖縄の2紙で報道され、注目された。
○2010年は国際生物多様性年であり重要な区切りだ。
○日本政府はボン条約(CMS:移動性野生動物の種の保全に関する条約)に加盟していない。またボン条約には、ジュゴン保護に関する覚書が含まれている。鯨が移動性生物に含まれるため日本政府は消極的だが、覚書だけでも参加できる。日本はぜひ署名してほしい。
○やはり2010年には、生物多様性条約の締約国会議COP10が名古屋で開かれる。なお。生物多様性条約に米国はまだ加盟していない。生物多様性は人間にとって重要な資源であるばかりでなく、心の拠り所にもなっている。
IUCN(世界自然保護会議)において、日本のジュゴン保護は3回の勧告・決議を受けた(2000、2004、2008年)。通常は1回であり極めて異例のこと。1、2回目は他国に行動を働きかける勧告だが、3回目はIUCN自らが解決したい意味での決議。
○2010年国際生物多様性年に向けて、日本政府にはボン条約ジュゴン覚書に署名してもらい、ジュゴン保護政策の一環として、辺野古・大浦湾・嘉陽海域に保護区を設定してほしい。

■吉田正人さん(日本自然保護協会) 2010年国際生物多様性年について 

次に、ボン条約などの話を補足するという意味で、吉田さんが他の法規制について解説した。

○ジュゴンに関しては、生物種と生育地の2つが重要であり、種だけ水族館で保護するなどの対策は駄目だ。
○ジュゴンは『レッドデータブック』において絶滅危惧種として扱われており、日本では50頭以下だとされている。ただ、同じ個体がよくあらわれることからも、50頭を相当下回るはずであり、保護に向けて猶予がない。
○日本の「種の保存法」では、政令指定種として対象を指定するが(たとえばイリオモテヤマネコ)、ジュゴンは含まれていない。これは成立時、環境省と農水省とが、水産生物を対象にしないという密約を結んだからである(縦割り、鯨が指定されると困る、などの理由か)。谷津農林水産大臣の時代に、ジュゴンを対象としてよいことになったが、5年以上経っても指定されないままだ。これには基地や漁業などの問題が背景にあるのだろう。
○一方、米国の「絶滅危惧種法」にはジュゴンが対象として含まれている。これは、パラオが米国の信託統治下にあるときに対象となったという経緯がある。これを用いて基地建設回避を迫ると、ブッシュ政権下では、法律自体が変えられてしまうおそれもあった。
○日本の「自然公園法」は陸域が中心だが、やんばるを自然保護区域にしようという動きが環境省にある。ひいては世界遺産にしたい。
○日本の「自然環境保全法」においても陸域が中心であり、海域は西表島の崎山湾が指定されているのみ。これを適用できる可能性は低い。
○日本の「鳥獣保護法」。国、県のどちらが指定するのかという問題もある。
○ボン条約の加盟国は現在110カ国。日本はまだ。

■カンジャナ・アデュルヤヌコスルさん(タイ・プーケット海洋生物学センター) ジュゴン保護覚書~動き始めた10カ国

ジュゴン覚書の実現に貢献したカンジャナさんが、研究の成果や保護の状況を説明した。

○ジュゴンは、オーストラリア、東南アジア、沖縄、インド、中東、アフリカ東岸など48カ国にわたって広く生息する。 もっとも多いのはオーストラリア(8万頭)、ついでUAE(5千頭)。沖縄は20-50頭。
○海草や藻場などの餌場に分布する一方、500kmなど長距離の移動も行う。ほとんど10mより浅いところにいるが、長距離移動時には30mまで潜ることもある。
○ジュゴンが被害に遭う原因として、刺し網、罠、ボートとの衝突、サメの攻撃などがあげられる。満潮時の朝方、浅瀬に来て海草を食べる。この時間帯の漁業に留意することが重要。
○タイ・トラン(Trang)県では、2005年にジュゴンの保護区を設定した。政府と漁民にいろいろ問題がありあまり成功していないが、政府は今後も推進する。
○なぜ生物が移動するかといえば、四季に伴って食べ物や気候、光などが変化するからだ。しかし、移動性生物はそうでない生物に比べ、人間活動に起因する圧力の影響を受けやすい
○ジュゴンの生育地としては、現在のところ餌場のみ理解されている。しかし移動するものであり、餌場だけの保護では不充分。人工衛星などを使った行動範囲の研究(複数国での共同研究)が必要となる。
○インドネシアのココス島のラグーンには、1000km移動してきたジュゴンが4年棲んでいる。沖縄のジュゴンも、タイやフィリピンから来た可能性だってある。
○ジュゴン覚書はタイ、オーストラリアの両政府が中心となってつくった。その前に、イラワジいるかをボン条約の中で取り扱った先例があった。現在12カ国が署名している。タイが未署名なのは政治のごたごたのせい。
○ジュゴン覚書の会合(2008年、バリ)では、さまざまな問題が扱われた。オーストラリアとパプアニューギニアとの間のトレス海峡において、どの程度までなら捕獲して問題ないかという検討もされた。もともとオーストラリアの原住民などがジュゴンを食料にしてきた文化がある。
○ジュゴン覚書に法的拘束力はない。しかしさまざまな有効な力がある。途上国にとっては資金のインセンティブにもなる。

沖縄・泡瀬干潟の保護に取り組んでいる水野さんより、おもしろい質問があった。「数年前、泡瀬にもジュゴンが来たかもしれない証拠として、糞の写真が残されている。いまは埋め立てているから来ないだろうが、写真を見て判断できるか?」

カンジャナさんの答えは次のようなものだった。「ジュゴンとウミガメの可能性があるのではないか。ただ糞はずいぶん異なる。ウミガメはすぐに食べたものを出すし噛まないが、ジュゴンは出すまで6日くらいかかるので、糞を触ったときに細かく崩れる。それにジュゴンの糞は信じられないくらい臭い(笑)。今度来たときに確認できるだろう。」


海勢頭豊さんによるまとめの挨拶


山本義隆『熱学思想の史的展開 1』

2009-02-18 23:55:37 | 思想・文学

ちくま学芸文庫から、山本義隆『熱学思想の史的展開』全3巻が出ている。氏の本を文庫で読めるということ自体に賛辞をおくりたいところだ。一方、この文庫のシリーズには、ランダウ/リフシッツの『力学』など信じ難いものも含まれている。大学1年生のとき、最初まったく理解することができず、私を絶望的にさせた教科書である。文庫にして誰が読むのだろう。

山本義隆氏は元東大全共闘議長であり、そのために大学を追われ、予備校教師となった人物である。大学の教師からも、畏敬の念をもって伝説的な語られ方をすることがある。

私は20年以上前、高校生のときに山本氏の物理学の講習を受けたことがある。もちろん、そのときに氏の来歴など知る由もない。だが、そういったことを抜きにして、授業は面白いを通り越して、眼から鱗が落ちるような感動を覚えた(本当)。このことは、公式をなぞる高校の物理教育が如何に駄目なものかをあらわしているようにも思える。

科学史の価値はここにあるかもしれない。現在真理と考えられていることに到るまでの議論や誤解は、真理がわかった後では過去の過ちとして切り捨てていいものではないのだ。なぜなら、誰もが抱くであろう科学上の疑問が、長い時間をかけて考えられ、検討され、検証されてきたからであり、科学を学ぶということは歴史を辿ることでもあるからだ。このプロセスを踏まずに現代の断面だけを学ぶことが理解に結びつかないのは、当然ともいうことができる。

第1巻は、17世紀のガリレオの考えから、ボイル、ニュートン、ブラックなどを経てラヴォアジェの理論に到るまでを追っている。素晴らしくユニークなのは、彼らがどのように苦しみながら思考を展開していったかを、原典をもとに示してくれることだ。その過程から、重要なパラダイム転換がなされ続けてきたことが納得できる。すべてが定められたような機械論的自然観から力学的自然観へ。弾性的な性質を持つ粒子から遠隔力へ。空間を埋める実体たる<エーテル>論。物質としての<熱>、流れとしての<熱>、物質が持つ固有の<熱>。相転移。感覚的に理解できることとそうでないことがある(だからこそ、科学の発展に時間を要した)が、これらの概念が次第に形をなし、現代の姿に近づくのを追体験することは、思考実験のようであり、興奮してしまう。


ローウェル・デヴィッドソン

2009-02-18 00:53:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

大阪に行ったついでに、新しい「バンブーミュージック」という中古レコード店があるというので探して訪れた。梅田から歩ける距離ではあるが、横丁の雑居ビルの1室という目立たないところであり、そうと知らなければ通りすぎるに違いない。

嬉しいことにフリージャズのLPの品揃えが結構良い。値段は高めではあるが、これは仕方ないところだろう。欲しいものはあった。ただ、LPを飛行機で持ち帰るのが鬱陶しくて(送ればいいだけなのだが)、今回はやめた。CDは数が少ないが、ぱらぱら見ていると、いつか聴こうと思っていた盤があったので、この1枚を入手した。いまではさほど珍しいものではないと言っても、こういうものは出会いである。

ローウェル・デヴィッドソン(Lowell Davidson)というピアニストが生涯で1枚だけ残した記録、『Lowell Davidson Trio』(ESP、1965年)である。何しろ、ゲイリー・ピーコック(ベース)、ミルフォード・グレイヴス(パーカッション)とサイドメンが凄い。ちゃんと確認していないが、グレイヴスが1枚ピアノトリオに参加した作品は、ひょっとしたら他にないのではないか。

デヴィッドソンはこのときハーヴァード大学で生化学を学んだばかりの23歳であり、オーネット・コールマンがESPディスクに録音を薦めている。ほどなくケンブリッジ大学に戻るが、実験室の事故によりかなりの障害を負ってしまったという。またグレイヴスも23歳、ピーコックは30歳。

デヴィッドソンのピアノ奏法だが、ちょっと表現が難しい。フレーズのはじめのアタックが激しく、打楽器的だ。しかしアタック単発ではなく、その間をマイナーメロディーで紡いでいくのがユニークである。もちろん流麗ではなく、動と静と流れとが断続的にあらわれる。その間に、緩い皮をバスンと叩く、土俗的なグレイヴスのパーカッションが心臓の鼓動のように入り込んできて、聴く私は自分の心臓の動悸のように感じさえする。魅力的だが、デヴィッドソンの記録はこれだけだ。

●参照 ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』


坂口安吾アンソロジー『嫌戦』を読む

2009-02-16 21:20:51 | 思想・文学

インターネット新聞JanJanに、坂口安吾アンソロジー『嫌戦』(凱風社、2009年)の感想を寄稿した。

>> 『嫌戦』の感想

 「嫌戦」というタイトルはアンソロジーについてのものであって、坂口安吾自身が付けたものではない。従って、「戦争は人間道徳の観点から間違っている」といった意味は、少なくとも、安吾が言わんとしていることではなさそうだ。

 むしろ、「ぐうたらで、だらしがない」人間が、イデオロギー的に反戦を唱えることと、愛国を唱えることとは、同列のことだと考えられているようだ。所詮、ひとりひとりの人間などその程度の存在に過ぎないからである。

 それでは、(照れもあるかもしれないが)そこまで達観を決め込んだ安吾の眼に、戦後の再軍備はどのように映ったか。

「ピストルやダンビラを枕もとに並べ、用心棒や猛犬を飼って国防を厳にする必要があるのは金持のことである。今の日本が金持と同じように持つことができるものは、そして失う心配があるものは、自由とイノチぐらいのものじゃないか。ところが、戦争ぐらいその自由もイノチも奪うものはありゃしない」

 「日本の再軍備は国際情勢や関係からの避けがたいものだと信じて説をなす人は、こういう奇怪な実力をもった誰かの存在を確信しているのだろうか。そんな考えの人も不気味だね」(『もう軍備はいらない』より)

 カネや権力以外のさまざまな大事なものを、至極真っ当に天秤にかけた、実利的な考えと言うべきだろうか。勿論、その背後には、「ぐうたらで、だらしがない」人間が生きて行くための社会に対する美意識のようなものがある。

 本書に収められている11の短編は、それぞれ鋭いアフォリズムとして読むことができる。それは、日常とはかけ離れたところで、勝手に絶えまなく胡散臭い話が進められている現在にあってこそ有効なものだ。対話を交渉のカードとしか捉えず、特定の国に対して開戦も辞さないような姿勢。平和の維持やテロとの戦いに必要だから軍備を進めるのだという誇大広告。そして、日本はずっと正しかったのだとする刷り込み。

 一方では、そういった姿勢に快哉を叫ぶ人たちが多いのも事実のようだ。自分もいつどこで騙されていないか、まったく油断がならない。

 坂口安吾の文章は、話半分で聴いてみるべきものかもしれない。しかしそこには、やけに壮大な嘘ですべてを塗り固める、政治や言論の「似非マッチョ」ぶりに抗うための真実が散りばめられている。「彼ら」に読んでもらわなくてもいい。「私たち」が読めばいいのである。

◇ ◇ ◇

この坂口安吾のようにアフォリズムとなりうる文学として、安部公房やフランツ・カフカを思い出すが、このアフォリズムというものは、それが衝く筈の者においては感応されないものではないか、などと思ってしまった。

sa

三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか

2009-02-15 12:35:13 | 環境・自然

『東京新聞』(2009/2/12)の報道によると、市川塩浜の危険な護岸の整備に向けて、千葉県が予算の2/3を出すと市川市に回答したようである。

もともとこの護岸は、堂本知事が三番瀬の埋立を白紙撤回する前に、埋立を前提に仮の護岸として整備された程度のものだった。三番瀬埋立がとりあえずは消え、しかし護岸は宙ぶらりん。最寄の市川塩浜駅から護岸までは工場地帯であり、ひとがあまり近づくようなところではないためゴミが散乱し物騒。護岸に辿りついても、垂直護岸なので、干潟があることなどまったく意識できないようなつくり。最近では地震で崩落する恐れがあるということで立ち入り禁止、しかし釣り人は入り込んでいるような状況である。

昨年(2008年)末頃にNHKで放送されたところによると、毎年実施されてきた「クリーンアップ作戦」(市民によるゴミ拾い)は、このあたりが再び宅地になるということで、今年からは実施されないようだ。

すなわち、護岸そのものが如何に整備されるか(干潟の環境配慮、市民の親水性)、それからここへのアクセス(仮に宅地になったとして、市民が安全に訪れることのできる生活空間となりうるか)、という2点の問題がなお残っていることになる。

主に前者については、粗いプランが市川市により提示されている(2008/11/18資料、>> リンク)。もっとも、これだけでは全然わからないが、さらに葦、アマモなどの再生を目指すなら、方向性は間違っていないように思える(船橋海浜公園、葛西臨海公園、お台場などの人工干潟より良いものにしないと)。問題は遊歩道を生活空間と接続できるかどうか、だろうか。また、総予算が示された資料を見つけることはできなかった。


市川市によるイメージ

三番瀬埋立を公約どおり白紙撤回させた堂本知事だが、その後8年間、次のプランが進捗しなかったことへの批判は強い。このことが、次の知事がやりやすい土壌になっているのだとすれば逆成果ともなってしまう。塩浜護岸の件は、知事の最後の置き土産なのだろうか?

2009/3/29投票の千葉県知事選には、5人の候補者が立候補する見込みである(敬称略)。

吉田平 三セクの「いすみ鉄道」元社長。千葉の生まれ育ち。堂本知事の後継として立候補予定。民主党が推薦予定。三番瀬等については、「これからは環境を政策のベースに持たないといけない」との発言(2009/2/8、毎日新聞地方版)。
森田健作 俳優、元衆議院議員。前回知事選で堂本知事(再選)に惜敗。三番瀬については「白紙に戻して原点から見直したい」と発言(2009/1/27、東京新聞地方版)。なお、羽田・成田間のリニア構想については批判があり(>> 川本県議会議員のブログ)、その用地はどこを想定しているのか気になるところだ。
白石真澄 関西大学教授。三番瀬については、民主党千葉県連と結んだ政策協定のなかで、「三番瀬保全条例の制定とラムサール条約登録」を謳っている(2008/12/15、産経新聞地方版)。しかしその後、民主党千葉県連は白石氏の推薦を取り消している。マニフェスト(第2版)(>> リンク)によると、「ラムサール条約への登録を目指しつつ、環境モデル先進地域としての三番瀬の賑わいづくりを進める」とあるが、一方では、交通インフラの拡張も謳っている。また三番瀬を潰す「第二湾岸」が浮上してくるおそれはないか。
八田英之 千葉勤労者福祉会理事長。共産党推薦。八田氏を擁立した、千葉県の労働組合による「明るい民主県政をつくる会」では、三番瀬に関して「「三番瀬再生・保全条例」を制定し、ラムサール条約に登録。第二湾岸道の計画は中止。」と謳っている(>> 『機関紙ちば労連』2009/1/31
西尾憲一 千葉県議(自民党)。三番瀬については、2007年12月の県議会では、「猫実川河口域は、まさにヘドロ状態でございます。(中略)そして地元の漁師の方々も、その河口域は魚もアサリもとれず、海の中に入ると腰までヘドロに埋まって身動きがとれず危険であるから、ぜひ埋め立ててほしいと言われています。」と発言している。なおこれに関しては、実態に即していないものとの批判もある(>> 川本県議会議員のブログ)。西尾県議は、埋め立てた後、「県民の森と渚公園」を作りたいと発言している(>> 稲毛新聞2008/12/5)。

全員が必ずしも三番瀬についての姿勢を明確にしているわけではないが、変に開発したがること、変に埋め立てたがることには注意しなければならないように思える。

●三番瀬
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会
『青べか物語』は面白い

●東京湾の他の干潟
盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
江戸川放水路の泥干潟 (千葉県市川市)
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)

●泡瀬干潟(沖縄)
泡瀬干潟の埋立に関する報道
泡瀬干潟の埋め立てを止めさせるための署名
泡瀬干潟における犯罪的な蛮行は続く 小屋敷琢己『<干潟の思想>という可能性』を読む
またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展


備忘録

2009-02-14 12:39:10 | もろもろ

風邪が治らなくて苦しい。意欲だけはあるのだが。以下、思い出した順。

泡瀬のメールマガジン登録 >> リンク

山本英夫写真展『沖縄・辺野古”この海と生きる”』@東中野・パオ
 2009/2/16 - 22 >> リンク >> 報告

ペンタックスLXを使い、辺野古の記録をし続けている山本さんの写真展。

>> 参照(以前のスライドショー) 「新基地建設に襲われる海とシマ。人々は闘う」

池宮城紀夫講演『沖縄基地に関する諸問題』@中野勤労福祉会館
 2009/2/21(土)19:30- >> リンク >> 行かなかった

沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック主催。高江・仮処分の審尋の弁護団長。

カンジャナ・アデュルヤヌコソル講演『ジュゴンセミナー ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ』@港区勤労福祉会館(田町駅)
 2009/2/19(木)18:30- >> リンク >> 報告

講師はプーケット海洋生物学センターの方。その後大阪・沖縄でも開催。SDCC(ジュゴン保護キャンペーンセンター)、WWFジャパン主催。大浦湾以外のジュゴンについて話を聴く良い機会。

石川真生写真展『Laugh it off !』@TOKIO  OUT of PLACE(西麻布)
 2009/2/28(土)まで 水-土の12:00-19:00 >> リンク >> 報告

沖縄を取り続けてきた写真家による<セルフポートレート>。

高梨豊写真展『光のフィールドノート』@東京国立近代美術館
 2009/3/8(日)まで >> リンク >> 報告

『浮島丸事件と日本の戦後責任』@高麗博物館
 2009/3/22(日)まで >> リンク

『世界のカメラ探訪~カメラを作ってきた国々~』@日本カメラ博物館
 2009/5/17まで >> リンク

『新東宝大全集』@シネマート六本木、新宿
 2009/4/3まで >> リンク

新東宝といえば、中川信夫『地獄』の印象が強烈だが、他に沢山秘宝がありそう。(チャンネルNECOのプレゼントでチケットを貰ったので・・・)

広河隆一『パレスチナ1948・NAKBA』@ユーロスペース
 2009/3/7-13 レイトショー >> リンク

テンギス・アブラゼ『懺悔』@岩波ホール
 2009/2/20まで >> リンク >> 行かなかった

『これからの教育・教科書をどうする! こんなにひどい新学習指導要領と新教科書制度』@文京区民センター
 2009/2/27(金)18:30- >> リンク >> 行かなかった

渋谷毅『ソングス』(Carco)
 2009/3/4発売 >> リンク

エッセンシャル・エリントンの第3弾。

『シリーズ六ヶ所村』番外編@総評開館
 2009/3/7(土)11:00- >> 報告

講演と座談会(鎌田慧・鎌仲ひとみ・菊川慶子)、映画『核分裂過程』(ベルトラム・フェアハーク&クラウス・シュトリーゲル)。


山際淳司『ルーキー』 宇部商の選手たちはいま

2009-02-12 21:04:13 | スポーツ

風邪をこじらせて家にこもっていた(風邪の家族内循環)ので、あれこれ本を読んだり録画した映画を観たり。図書館で借りてきた山際淳司『ルーキー もう一つの清原和博物語』(毎日新聞社、1987年)は午前中あっという間に読んでしまった。

なぜ「もう一つ」なのかというと、清原を一人称とした語りは行わず、清原の周囲にいたり、すれ違ったりした人たちから見た清原像、そしてその人の人生に残した影響を描いているからだ。これが書かれたのは、清原が1年目のシーズンを終えた後である。

昨年かぎりで清原が引退したいま、その後の姿を予感しているような山際の目利きには驚かされる。清原は、シーズン最終打席、ホームランを狙ってもいいようなゲームの状況にあって(もう1本打っていれば、高卒ルーキーのホームラン数新記録だった)、巧く合わせてライト前に運ぶ。

「それだけの巧さを、清原はルーキーの年から持っていたのだと、いわれるようになるのだろうか。それとも、往年のホームランバッターのようにとてつもない空振りを覚悟して強引にバットを振り抜こうとはしなかったと、ややかげりを帯びたトーンで語られるようになるのだろうか。」

清原を語る人たちの中で、私がもっとも気になるのは、高校三年生時の夏の甲子園決勝で対決した宇部商(山口県)のエース、田上昌徳だ。田上は本大会で調子を崩し、決勝ではついに1球も投げさせてもらえなかった。試合後、テレビのインタビューで「投げたかった」と言いつつ顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた姿が忘れられない。代わりに先発した控えの古谷友宏は、「あのPL」相手にあそこまで投げたということで賞賛の的になった。また、1大会通算ホームラン数では清原に抜かれたが、打点記録を作った藤井進についても同様だった。

この本によれば、田上は、レフトを守りながらPLに勝ってほしいと思ったのだという。

「このまま宇部商が勝っちゃったら自分はどうなるのか。みじめですよ。せっかく予選を勝ち抜いてきてここまでやってきたのに・・・・・・。そういう感情ですね。あのときはそんなこといえなかった。一年たった今だからいえる。同時に、負けたくないという気持ちもある。矛盾しているでしょう。勝ちたい、だけど勝ってほしくない・・・・・・」

田上は新日鉄光に在籍しながら、数年後のプロ入りを希望していたが、結果的にそれは叶わなかった。藤井も古谷も、(宇部商のレギュラーをつとめた私のにわか親戚も)プロ入りはしなかった。若くして亡くなった山際淳司だが、もし健在なら、その後の宇部商の面々の状況、清原の様子を見て、何かを書いただろうか。

いま、あの地元の英雄たちは。

●田上昌徳 新日鉄光、現在は桜ヶ丘高校(山口県)コーチ
●古谷友宏 新日鉄光、その後、協和発酵コーチ、野球部の廃部後は?
●藤井進 青山学院大学、現在は東光食糧勤務(>> リンク

この次の宇部商の英雄といえば宮内洋だが、住友金属を経て、確かプロ入りに(社会人だということで)契約金が邪魔になるのならと退社までして、横浜ベイスターズに入団した。打つのはピカイチだったが、守備と走塁の評価が低かった。そして、入団早々、監督が権藤博に代わった影響もあるのかないのか、ほとんど一軍で使われず、4年間の通算成績は16試合出場、ヒット1本だった。現在は球団職員だそうだ。

※敬称略

『Number』の清原特集、G+の清原特集番組、『番長日記』


井上光晴『他国の死』

2009-02-11 00:08:40 | 韓国・朝鮮

原一男『全身小説家』において、あまりにも強烈な個性を晒した故・井上光晴だが、いま、なぜか本屋にはほとんど並んでいない。この『他国の死』(講談社文庫、1973年)も、古本屋で入手した。

朝鮮戦争において北朝鮮軍捕虜の収容所が置かれた巨済島で起きたことを巡り、その追求が、日本の米軍地下監房でなされる。事実や真実の追究ではない。米軍が捕虜に対して行ったことを米軍自らが別の物語に作り変えるための追求。同一民族を米軍に売り渡した精神に対する、亡き妻の声による追求。生体実験に関する追求。性暴力の対象となる女性同士による、卑しさに関する追求。

時間や場所を変え、それぞれが内部に持つ欺瞞が問い詰められていく。それは執拗で絶えることがなく、600頁の長編を読み通す間、ずっと息苦しい思いにとわれることになった。「他国の死」とは、朝鮮戦争に加担した日本人の意識にある「他者性」を衝くことばでもあるのだった。

「自分の末路を、あなた自身の末路をよくみとどけなさいといっているのです。釈放とか、新しい安らいだ仕事につくとか、そんな可能性は絶対にありえないということです。あなたは巨済島でやった自分の行為から逃れることはできない。それは気が狂っても償いうるものではありません。
 わたしの末路がどうだというのだ。インスギ、お前はそんなにわたしが憎いのか。
 ・・・・・・・・・・・・
 どうしたのだ、インスギ。なぜこたえない。」


成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』を読む

2009-02-09 21:21:34 | 北米

インターネット新聞JANJANに、成澤宗男『オバマの危険 新政権の隠された本性』(金曜日、2009年)の感想を寄稿した。

『オバマの危険 新政権の隠された本性』の感想

 バラク・オバマが、米国新大統領に就任した。米国内での支持率は高く、また日本での盛り上がり様は尋常ではない。あの、ろくでもない前任者が去ったことによる期待は大きいのだろう。はじめての黒人大統領だという意義も小さくない。

 一方で、少なからぬ人が、ここにイメージ戦略の構図を見出すはずだ。私には、小泉元首相に代表される劇場型政治にも被って見える。当然だが、成果をなにひとつあげていない段階で持ち上げることにあまり意味はない。「チェンジ」ということばを引用するのは後でもよい。

 私がオバマの公約のなかでもっとも違和感を覚えたものは、イラクからの撤退とひきかえにアフガニスタンに増派するという点だ。結局、まだ、米国は軍事産業と手を切ることなどできないのだ。

 本書は、軍事国家としての内実を明らかにしようとする。それによると、オバマの発言、企業からの多額の献金、好戦派の多い閣僚人事などを見ていくなら、軍産複合体と一体化した政治の形については、これまでと何ら変わるところはまったくないという。

 実際に、米国の軍事予算を見ると、そのいびつな強大ぶりが明らかになる。2007年の軍事費は52.5兆円(5,783億ドル)であり、GDPの4%程度を占める(日本は1%程度)。他国の同年の軍事費と比較してみれば、日本4.8兆円、ロシア3.0兆円、韓国1.6兆円、中国6.7兆円、インド2.2兆円、イラン0.8兆円、イスラエル1.3兆円、カナダ1.4兆円、フランス5.1兆円、ドイツ3.6兆円、英国4.7兆円といったところだ(
ストックホルム国際平和研究所データベースによる。現在の為替レートで換算)。文字通り、他国を圧倒する軍事力である。この力を行使する対象を見つけ続けなければならないわけだ。

 本書では、イラクからの撤退さえも骨抜きになるのではないかと危惧している。経済危機もさることながら、まず私たちが注視しなければならないのはここだろう。さらには、米国の軍事戦略に日本がいかに関わっていくべきかを決めるのは、オバマ政権の方向性などではなく、こちら側の私たち有権者であることは忘れてはならないと思う。ただ、日本でも米国のような二大政党に近くなり、少数者の意見がますます顧みられないようになってきている。本書でも、大統領選で、「資金が少ない候補者の声」が反映されない実態を報告している。二大政党の中身が同じ場合に国が危険な方へ進んで行くことは、両国で共通している。

 本書のひっかかる点は、記述が具体的である一方、「ユダヤ・ロビー」や「9.11」などを巡る陰謀論的な考え方が見え隠れすることだ。ただ、カリスマを多くの人が礼賛するなか、それに冷や水を浴びせかける声があることは健全で望ましいことだ。その意味で、オバマ演説集よりも、本書のほうを手に取ってほしいと思う。

◇ ◇ ◇

さて1年後の評価はいかに。

友人が、オバマ大統領就任式に行ってきた(>> そのときの映像)。当たり前だが、大統領の姿などヴァーチャル空間にあるのだなと実感させられる。


『時をかける少女』 → 原田知世 → 『姑獲鳥の夏』

2009-02-08 23:23:02 | アート・映画

『時をかける少女』(大林宣彦、1983年)は、勿論、筒井康隆のジュヴナイル小説を基にした映画だが、中学生の時分にテレビで観た際、解説の故・荻昌弘が尾道のことと大林宣彦のことしか喋っていなかったものだから、筒井ファンだった私はやけに腹を立てたのだった。何しろ、その頃新潮社から出たばかりの筒井康隆全集を、兄姉に頼んで高校の図書館から借りてきてもらい、1巻から順に読むような馬鹿な奴だったから仕方がない。

それはそれとして、最近放送されたこの映画、とても心に沁みるのだ。落ち着いた色調のなかにも鮮やかな色が混じるフィルムの味(アグファ的とおもってしまった)、教室のなかでの意図的なハレーション、原田知世や尾美としのりの素人くさい演技。原田知世は特に良くて、呆然と観ていると、ツマに散々罵られてしまった(とり・みきが『愛のさかあがり』で手放しで賛美したのもわかる)。

後半、原田知世が時間を遡るとき、コマ送りを粗くする一連のシーンがある。子ども2人が階段に腰掛けて笑うところなど、大林宣彦が若い頃に撮った8ミリ作品『だんだんこ』(1960年)の叙情性を思い出させるものがある。『だんだんこ』では、階段をゴムまりが跳躍するのだが、そこでカメラもゴムまりに乗って撮ったような息遣いは、『時をかける少女』の撮影中にも、大林宣彦のなかで時間の跳躍と被さって意識されていたに違いない。(もっとも、根拠はない。)

「17歳の時に8ミリカメラを手に入れると、自分の周りのあらゆるものを撮り始め、高校を卒業して東京の成城大学に入学する頃には、8ミリによる作品制作を開始することになる。その映画は、美学的、理論的な方法論ではなく、長い間の映画との戯れによって肉体化された独特のリズムとテクニック、そしてロマンチックでユーモラスな語り口が特徴的であり、(略)」
平沢剛編『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』(河出書房新社、2001年)


『時をかける少女』(1983年)


『だんだんこ』(1960年)

それよりも、あっ気がつかなかったとおもったこと。ラベンダーが栽培されている温室のシーンが、多重人格の女を原田知世が演じる、実相寺昭雄『姑獲鳥の夏』(2005年)における温室のシーンとぴたりと重なるのだ。もっとも、実相寺作では、催淫性のダチュラという植物が栽培されているのだという微妙な設定ではあったが、大林宣彦も原田知世をひたすら清純に描いたかというとそうでもないから(理科室で再度倒れるときに白目を剥いたりする)、20年以上を隔てた2つのシーンの距離はそんなに遠くない。

このあたり、故・実相寺昭雄が意識していたのかどうか、『姑獲鳥の夏 Perfect Book』(別冊宝島、2005年)のなかには何も見つけることができなかった。

最近のアニメ『時をかける少女』(細田守、2006年)では、話が随分と様変わりしているが、技術的に素人目にもすぐれていることがわかり、爽やかで良い作品である。去年訪れたオーストラリアのパースでも、日本アニメの特集上映をしていて、その1本に選ばれていた。タイトルは『The Girl Who Leapt Through Time』となっていた。