Sightsong

自縄自縛日記

ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(JazzTokyo)

2016-10-30 14:42:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

ドレ・ホチェヴァー『Transcendental Within the Sphere of Indivisible Remainder』(clean feed、2016年)のレビューを、ウェブマガジン「JazzTokyo」に寄稿させていただきました。

http://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-9745/

Sam Pluta (live electronics/signal processing)
Aaron Larson Tevis (trumpet)
Bryan Qu and Mette Rasmussen (saxophones)
Jeremy Corren (piano)
Zack Clarke (synthesizer)
Lester St. Louis (cello)
Henry Fraser (bass)
Dre Hocevar (drums)

期待を遥かに上回る傑作である。

ところで毎度バカバカしい話。ホチェヴァー氏に音源をいただいたのだがそれがMPEG4フォーマットで、ソフトを入れないと自分のパソコンでは聴くことができない。それで最初は、フリーソフトによりMP3に変換して聴いていた。48分間の最初から最後まで、女性の声が入っている。てっきりサンプリングされたヴォイスだと思い、これについてホチェヴァーとやり取りしたのだが、いつまで経っても話が噛み合わない。実は、元音源にコピーガードがかかっていて、声はそのスタンプだった。ああ恥ずかしい。

●参照
スティーヴ・リーマン@Shapeshifter Lab(2015年)(ドレ・ホチェヴァー参加)
ドレ・ホチェヴァー『Collective Effervescence』(2014年)
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)(レスター・セント・ルイス参加)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(2013年)
マット・ウィルソン@55 Bar(2015年)(ブライアン・キュー参加)


柳川芳命『YANAGAWA HOMEI 2016』

2016-10-25 07:34:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

柳川芳命『YANAGAWA HOMEI 2016』(極音舎、2016年)を聴く。

Homei Yanagawa 柳川芳命 (as)
Bungo Niida 新井田文悟 (b) (track 1)
Ryo Fujita 藤田亮 (ds) (track 1)
Meg (ds) (track 2)
Takumi Yoda 依田拓 (perc/electronics) (track 3)
Shigeru Sato 佐藤シゲル (b, b-taishogoto) (track 4)
Masanori Ishii 石井正典 (ds) (track 4)
Akie Oba 大庭彰恵 (drawing)

私は『地と図 '91』(1991年)と『邪神不死』(1996-97年)の2枚を聴いたのみだが、本盤は、10年ぶり9枚目の作品だという。ここでは、ソロではなく、デュオまたはトリオによる演奏である。

やはりというべきか、内臓を直に触られるようなぞくりとした心持を覚える。ソロであろうとデュオ、トリオであろうと、柳川さんのアルトから流れ出る音からは、哀や怨といった強い念がどうしても感じられる。やはりアジアなのだ。

特に、パーカッション・エレクトロニクスと共演した3曲目からは、韓国を想起してしまうがなぜだろう。パーカッションがそれを思わせるからだけではない。このアルトは金石出の笛などと重なってゆく。柳川さんは、韓国伝統音楽の人たちと共演したことがあるのだろうか。

名古屋近辺ではいつもこんな音楽を繰り広げているのか。東京ではなかなか観る機会がない。

●柳川芳命
柳川芳命+ヒゴヒロシ+大門力也+坂井啓伸@七針(2015年)
柳川芳命『邪神不死』(1996-97年)
柳川芳命『地と図 '91』(1991年)


アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』

2016-10-23 23:48:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(Freedom、1970年)を聴く。

Band A:
Paul Bley (syn, p)
Annette Peacock (b, vo)
Han Bennink (ds)

Band B:
Paul Bley (syn)
Annette Peacock (p)
Han Bennink (ds)

Band C:
Paul Bley (syn, p)
Annette Peacock (p, vo)
Mario Pavone (b)
Laurence Cook (ds)

何だか視てはならない禁断の園のようなのだが(カーラ・ブレイとスティーヴ・スワロウのように)、そんな下世話なことは置いておいても、音楽でもやはりアツアツである。ふたりでモーグのシンセサイザーを使って、たぶんあれこれと効果を試して、盛り上がっていたのだろうね。一聴してサイケデリックでもあるが、そんなウキウキ感も伝わってくる。

1曲目と2曲目ではハン・ベニンクが参加し、後ろでたいへんな勢いで叩きまくっている。しかし愛のシンセを前にしてはかれも脇役になってしまう。(アネットのベースは何だかよくわからないのだが。)

信頼感たっぷりで、未来志向的で、楽園的で、良いサウンド。

●参照
マリリン・クリスペル+ルーカス・リゲティ+ミシェル・マカースキー@The Stone(2015年)
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』(2001年)
ポール・ブレイ『Homage to Carla』(1992年)
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』(1991年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
チェット・ベイカー+ポール・ブレイ『Diane』(1985年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(1962-63年)


北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』

2016-10-23 12:11:35 | アート・映画

以前から、北井一夫さんの写真をスライド上映しながらHMT(広瀬淳二、望月芳哲、IronFist辰嶋)がプレイするというライヴをやっていた(少なくとも2回?)。残念ながらいちども足を運ぶことができなかったのだが、最近そのDVDが出た。2015年だろうか、新宿ウルガでのライヴである。

すっかり忘れていて、北井さんの写真展に置いてあって思い出し、めでたく入手した。

Kazuo Kitai 北井一夫 (写真)
Junji Hirose 広瀬淳二 (sax)
Yoshinori Mochizuki 望月芳哲 (b)
IRONFIST Tatsushima IRONFIST辰嶋 (ds)
Masashi Noda 野田昌志 (撮影)
Tsunehito Eda 江田恒仁 (監督)

北井さんの写真は1960年代から70年代。最初の「風景」では、『村へ』あたりの作品が中心となっており、過激さとは表面的にほど遠い写真世界に、望月さんのベースが轟音で突き刺さる。次の『神戸港湾労働者』において、辰嶋さんのドラムソロ、やがて望月さんが加わり、開始から25分くらい経ったころに広瀬さんが入ってくる。

そして「抵抗/過激派/バリケード」。人間が物理的に過激となる瞬間はこの作品群においてとらえられているのだが、写真と音楽との関係性のようなものは驚くほどその前と変わらない。それも写真が写真として確固として存立しているからであり、これがなにものかを利用する写真であったなら、このときには利用されていたに違いない。

それにしても轟音1時間。広瀬さんのサックスは高音域で淡々と暴れ、辰嶋さんのドラムスもまた淡々として激しいパルスを叩きこんでいる。ベースを弾く望月さんは対照的に恍惚の表情を浮かべ、その影が常にスライドの右側にある。ベルナルド・ベルトルッチ『暗殺のオペラ』における影と同様に、互いがなんであろうと揺るがない印象を抱く。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)

●広瀬淳二
『HMT』(2016年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
広瀬淳二『SSI-5』(2014年)
広瀬淳二+大沼志朗@七針(2012年)
広瀬淳二『the elements』(2009-10年)


北井一夫『津軽 下北』

2016-10-23 09:33:49 | 東北・中部

六本木のZen Foto Galleryに足を運び、北井一夫『津軽 下北』を観る。

1970-73年に津軽・下北において撮られた写真群の、ヴィンテージプリントである。ちょうど『村へ』『流れ雲旅』『湯治場』の時期にあたる。

どこを切ってもそうなのだが、これらもやはり北井写真の髄、子どもや老人の佇まい、道や雪や橋や建物の佇まいが、震えてしまうほど良い(未見の方には全力で推薦したい)。

北井さんによれば、すべてキヤノンの25mmを使ったそうであり、そのために、このレンズの特徴とも言える光芒が見える作品もある。フィルムはTri-X、ISOは400か1600に増感。柔らかい露出も、ハイコントラストなものもある。北井さんは、暗いところで400にしたり、雪景色で1600にして粒子が荒れたりして、まあばらばらだねと苦笑している。経年変化もばらばらで、黄ばんでいるものは下で蒸れたり定着液の具合だったりじゃないか、とのこと。

2013年のモダンプリント(バライタ紙)も箱の中から1枚ずつ観ることができた。どれもやはり笑ってしまうほど良いのだが、中でも、駅かバス停かの待合室の写真に魅かれた。『湯治場』と同様に、外から光が差し込む暗がりの様子が印画紙に写しこまれていて、息を潜めてしまうのだ。バス停の外で子どもたちを撮った写真(上記のDM)は、面白いことに、モダンプリントでは皆の視線が若干違っている。北井さんは、あれ隣のコマと間違えたかなとまた苦笑。

沖縄の写真界についてひとしきりお話をしたのだが、やはり、北井さんの見解は、写真に政治を持ち込むべきではない、革命でも起きるなら別だが、政治に従属する写真は写真としては終わりだ、というものだった。わたしはどちらについてもそれなりに納得してしまう。しかし、北井さんの写真のおそるべき強度はそのスタンスと切り離せないように思える。

この12月に、「週刊読書人」での北井さんの連載が日本カメラからまとまった形で刊行されることを機に、南青山のビリケンギャラリーにおいて次の写真展を開くのだという。前回『流れ雲旅』のときに、東通村で撮られた写真を購入してしまい、ちょうど受け取って持ち帰ってきたところである。本も写真展も楽しみだ。

最近はというと、やはりソニーのαにエルマー50mmF3.5を装着して撮っており、作品としてまとめるのは来年後半かな、と。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


アル・ヘイグ『A Portrait of Bud Powell』

2016-10-23 08:35:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

アル・ヘイグ『A Portrait of Bud Powell』(DIW、1977年)を聴く。

Al Haig (p)
Jamil Nassar (b)
Frank Gant (ds)

レコ屋の中古棚を見ていて少し驚く。いかにも日本製作盤のピアノ・トリオ、しかもジャズ・ジャイアントへのオマージュ。それにしても、こんなに違うタイプのピアニストを連れてくるとは。

アル・ヘイグは言うまでもなくビバップ創成期からのピアニストであり、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーとも共演している。とは言え、激しくエネルギーを爆発させるような人ではなく、上品端正にバッキングしていた印象。『Today!』なんかのリーダー作では軽やかなピアノを弾いていた。

そんなわけで、血肉のようなバド・パウエルの音楽が、ヘイグによってどのように変わったのか。ここでは「Bouncing with Bud」「Strictly Confidential」「Dance of Infidels」などのパウエル曲を取り上げているのだが、聴いてみると、まったく無理してパウエル的なものを創りあげるでもなく、あくまでヘイグは、外に激情を露出させるでもなく、端正にピアノを弾いている。「I'll Keeping Loving You」だけはオリジナルを尊重してかソロだが、腐乱臭などまったく漂ってこない。これはこれで、ヘイグのピアノ・トリオ作として好きになりそうである。

●参照
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(1960年代)
「3人のボス」のバド・パウエル(1961年)
穐吉敏子@Mezzrow(2015年)
サシャ・ペリー『eretik』(2005年)


メイシー・グレイ『Stripped』

2016-10-22 08:39:39 | ポップス

メイシー・グレイ『Stripped』(Chesky Records、2016年)を聴く。

Macy Gray (vo)
Ari Hoenig (ds)
Daryl Jones (b)
Russel Malone (g)
Wallace Roney (tp)

面子を見て吃驚。アリ・ホーニグ、ラッセル・マローン、ウォレス・ルーニー、これはコンテンポラリー・ジャズそのものじゃないか。ベースのダリル・ジョーンズにも引きかけたが、マイルス・デイヴィスと共演したベーシストの彼ではなくもっと若い人のようだ(スペルが違う)。

1曲目の「Annabelle」において、いきなり、マローンのギターが効いたカントリー・ブルースではじまる。この雰囲気は一貫していて、前作『The Way』で唄っていた「First Time」でも、やはりギターから入るしっとり感がある。もちろん、メイシー・グレイのハスキーで可愛い声もじっくり聴ける。いやイイなあ。またライヴ観たいなあ。

と言いつつ、あまりにもシンプルなつくりであり、せっかく個性的なミュージシャンたちを呼ぶのであれば、もっと野心的に暴れさせてほしかったところだ。マローンは良いとしても、ホーニグのまるで唄うようなドラミングも、ルーニーの魅力的なロングトーンもここにはほとんどない。勿体ない。

●メイシー・グレイ
メイシー・グレイ『The Way』(2014年)
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』(2012年)
スティーヴィー・ワンダーとメイシー・グレイの『Talking Book』(1972年、2012年)

●ウォレス・ルーニー
デイヴィッド・マレイ+ジェリ・アレン+テリ・リン・キャリントン『Perfection』(2015年)
『A Tribute to Miles Davis』(1992年)

●アリ・ホーニグ
アリ・ホーニグ@Smalls(2015年)
ジャン・ミシェル・ピルク+フランソワ・ムタン+アリ・ホーニグ『Threedom』(2011年)
アリ・ホーニグの映像『kinetic hues』(2003年)


チャーリー・ヘイデンLMO『Time/Life』

2016-10-21 07:24:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

チャーリー・ヘイデンの死後はじめて出るLMO (Liberation Music Orchestra)の記録、『Time/Life (Song for the Whales and Other Beings)』(Impulse!、2011、15年)を聴く。

Carla Bley (p)
Charlie Haden (b) (track 1 and 5)
Steve Swallow (b) (track 2, 3 and 4)
Tony Malaby (ts)
Chris Cheek (ts)
Loren Stillman (as)
Michael Rodriguez (tp)
Seneca Black (tp)
Curtis Fowlkes (tb)
Vincent Chancey (frh)
Joseph Daley (tuba)
Steve Cardenas (g)
Matt Wilson (ds)

昨年(2015年)の4月に、クリス・チークに、LMOの新作が年内に出るはずだと教えてもらって以来、楽しみにしていた。リリースはそれよりも1年あとになった。それだけに、一聴して、やや過剰な期待が拍子抜けしたような印象が残る。

それはなぜかと言えば、おそらく、ヘイデン晩年の記録2曲でアルバムをはさみこんだ結果かなと思う。ヘイデン追悼のために演奏された中の3曲は、あくまでカーラ・ブレイの音楽なのである。もちろんそれも愛している。特に、渋谷毅オーケストラのレパートリーのひとつ「Útviklingssang」など、ローレン・スティルマンのアルトを聴いていると落涙さえしてしまいそうだ。

そしてカーラのアレンジやピアノが持つ底無しの哀しさに加え、スティーヴ・スワロウの自己滅却を恐れないエロチックなエレキベース。ヘイデンの残響感を大事にしたベースとの違いがとても面白い。スワロウもヘイデン的なアプローチをみせる瞬間があり、あっと声をあげそうになる。

ソロイストは皆素晴らしいのだが、中でも特筆すべきはトニー・マラビーのテナー(特に「Song for the Whales」において)。LMOの前作『Not in Our Name』もまた聴きかえしてみなければ。

●チャーリー・ヘイデン
アルド・ロマーノ『Complete Communion to Don Cherry』とドン・チェリーの2枚(1965、88、2010年)
パット・メセニーとチャーリー・ヘイデンのデュオの映像『Montreal 2005』(2005年)
チャーリー・ヘイデンとアントニオ・フォルチオーネとのデュオ(2006年)
アリス・コルトレーン『Translinear Light』(2000、04年)
Naimレーベルのチャーリー・ヘイデンとピアニストとのデュオ(1998、2003年)
ギャビン・ブライヤーズ『哲学への決別』(1996年)
チャーリー・ヘイデン+ジム・ホール(1990年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
ゴンサロ・ルバルカバ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン(1990年)
ジェリ・アレン+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Segments』(1989年)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 再見(1985年)
チャーリー・ヘイデン+ヤン・ガルバレク+エグベルト・ジスモンチ『Magico』、『Carta De Amor』(1979、81年)
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』(1979年)
70年代のキース・ジャレットの映像(1972、76年)
キース・ジャレットのインパルス盤(1975-76年)
キース・ジャレット『Arbour Zena』(1975年)
アリス・コルトレーン『Universal Consciousness』、『Lord of Lords』(1971、72年)
キース・ジャレット+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Hamburg '72』(1972年)
オーネット・コールマン『Ornette at 12』(1968年)
オーネット・コールマンの最初期ライヴ(1958年)
スペイン市民戦争がいまにつながる

●カーラ・ブレイ
カーラ・ブレイ『Andando el Tiempo』(2015年)
カーラ・ブレイ+アンディ・シェパード+スティーヴ・スワロウ『Trios』(2012年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ(1988年)
スティーヴ・スワロウ『Into the Woodwork』(2011年)
ポール・ブレイ『Homage to Carla』(1992年)
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』(1991年)
ゲイリー・バートンのカーラ・ブレイ集『Dreams So Real』(1975年)
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(1968年)
スペイン市民戦争がいまにつながる


2016年10月、那覇

2016-10-20 23:49:54 | 沖縄

那覇の夜道は愉しい。というより、街の夜道は愉しい。

今回、深夜も元気にバーを探索しようなどと妄想していたのだが、結局、桜坂の「別館セルロイド」に2晩続けて行っただけに終わった。3年前に石原岳さんのライヴを観に行った記憶があったから辿り着けたが、入り口には「別館」とだけ書かれた行灯、いきなり階段があって上に扉。知らなければちょっと入れない。ところで、もともと北谷に「本館」があったそうである。

今度はもっと桜坂の他の扉を開きたい。エロス。SMOKE。ドラミンゴ。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●参照
2016年10月、首里
2016年10月、北谷
2016年10月、コザ
2010年8月、恩納村
2010年8月、那覇


2016年10月、首里

2016-10-20 23:02:35 | 沖縄

「Dancyu」誌(2016年11月号)に、那覇の首里にある富久屋で「むじ汁」なる料理を出しているとの記事が掲載されていた。「むじ」とはターンム(田芋)の芋茎。儀保の駅から坂を上ったり下ったりしてたどり着いた富久屋は落ち着いた雰囲気で、せっかくなので「むじぬ汁定食」を食べた(単品だと「むじ汁」なのに、定食となると「の」=「ぬ」が何故か入る)。柔らかいむじは旨かった。

ところで、ターンムの主な産地は宜野湾市大山と金武町。伊波洋一さん(参議院議員、元宜野湾市長)が大山のターンムについて話した記事(『けーし風』第81号)によれば、普天間の地下が琉球石灰岩によって涵養された地下水脈であり、そのために換金性の高いこの農作物の栽培が出来ているのだという。良い水で栽培されているターンム畑をいつか見学したいものだ。そういえば、みやざと製菓の「はごろもパイ」も、大山のターンムを使った菓子だった(佐藤学さん講演のときに)。

首里の坂道は結構急で、歩いていくとどんどん風景が変わっていく。また、建物のエッジがなんとか道に合わせようとしてあって、妙に人間的で楽しい。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●参照
2016年10月、北谷
2016年10月、コザ
2010年8月、恩納村
2010年8月、那覇


2016年10月、北谷

2016-10-20 22:38:51 | 沖縄

紅型×写真二人展 金城宏次・豊里友行」を観るために那覇から国道58号をバスで北上し、適当に降りて適当に歩けば着くものと思っていたら大間違い。北谷というと西岸にある街なので狭いのだと勝手に思い込んでいた。

そんなわけで嘉手納基地のフェンスを横目に見ながら炎天下を歩いた。帰りはギャラリーでタクシーを呼んでいただいた。アッと言う間に着いた。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●参照
2016年10月、コザ
2010年8月、恩納村
2010年8月、那覇
<フェンス>という風景(2007、09年)


屋良朝秋+上原淳+大城涼子@寓話

2016-10-19 23:32:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

那覇の寓話には2005年にいちどだけ行ったきりで、そのときには屋良文雄さんもご健在だった(屋良文雄さんが亡くなった)。今年になって、建物の老朽化に伴い、松山のほうに移転したと読んで、実に11年ぶりに足を運んだ。

お店はなかなかお洒落なつくりで、旧店を意識したのだという。バーカウンターもそのまま持ってきている。入るや否や、屋良文雄さんの奥様や息子さんの屋良朝秋さんがフレンドリーに接してくれて、すぐにリラックスしてしまう。他のお客さんも含めて、とても居心地のいい場所なのだ。

屋良朝秋 (p)
上原淳 (b)
大城涼子 (cl)

演奏は曜日によって異なるようで、この日はその屋良朝秋さんのピアノに、ベースとクラリネット。「Tennessee Waltz」、「The Girl from Ipanema」、「Softly, as in a Morning Sunrise」、「Misty」など馴染み深い曲の他に、なんと「It's a Sin to Tell a Lie」なんていうオールド・ナンバーも演奏した。そして「これしか歌えないんだよ」というお客さんが、カンペを片手に「Summertime」を歌ったりもした。

屋良さんのピアノは「ゴキゲンなスイング」と言いたくなるような演奏。上原さんのベースも大城さんのクラリネットもあたたかい音色で、実に多幸感あふれる時間だった。好きな場所になってしまった。

壁には、なんと、亡くなったばかりの真喜志勉(TOM MAX)の作品がいくつも飾ってある。なんでも屋良文雄さんと親しく、演奏している横で作品を創作することもあったそうだ。作品の中に屋良さんのレコードジャケットが入れてあったりもする。欲しい!

真喜志勉さんは、また、山下洋輔とも親交があって(『越境広場』1号の真喜志勉追悼特集には山下さんも寄稿している)、その縁で、今度(2016/11/1)に沖縄県立博物館・美術館でも追悼演奏を行う(>> リンク)。そしてそのあとには、この寓話でセッションをやるのだという。ああ、また那覇に行きたい。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4

●参照
屋良文雄さんが亡くなった(2010年)
田代俊一郎『沖縄ジャズロード』(2015年)


「日本民藝館80周年 沖縄の工芸展-柳宗悦と昭和10年代の沖縄」@沖縄県立博物館・美術館

2016-10-19 07:17:20 | 沖縄

沖縄県立博物館・美術館に足を運び、「日本民藝館80周年 沖縄の工芸展-柳宗悦と昭和10年代の沖縄」を観る。

織物、陶磁器、漆など、主に19世紀の逸品の数々。かつて柳宗悦が沖縄において「発見」したものであり、かれは芭蕉布を絶賛するなど、それらの工芸品を非常に高く評価した。

しかし、その評価は名前を持つ者による作品に対するものではなく、あくまで匿名性を前提とした民衆の手仕事に対して与えられた。それが「民藝」であった。館内で、「民藝」による1940年頃の沖縄の映像が流されている。強く印象付けられるのは、沖縄の工芸文化と技術が衰退していることへの危機感、そして、「何気ない」という言葉に象徴される、匿名性への注目である。

おそらくは、日本側と沖縄側とがお互いに求めるものが異なっていた。このすれ違いは、実際に、見過ごせないほどに顕在化してきたようである。

1940年頃の「方言論争」にあったように(戸邊秀明「「方言論争」再考」)、柳・民藝の求めたものは、純化された日本文化でもあった。従って、柳田國男に見られた側面と同様に、オリエンタリズムや日本ファシズムの文脈でも捉えなおすことが必要なようである。

坂本万七によるかつての沖縄の写真も会場において数多く展示されており、これらをまとめて写真集として観たいところ。

●参照
戸邊秀明「「方言論争」再考」 琉球・沖縄研究所
短編調査団・沖縄の巻@neoneo坐(『シーサーの屋根の下で』、日本民藝館)
村井紀『南島イデオロギーの発生』
柳田國男『海南小記』


紅型×写真二人展 金城宏次・豊里友行@ギャラリープルミエ

2016-10-18 23:15:37 | 沖縄

北谷のギャラリープルミエで、「紅型×写真二人展 金城宏次・豊里友行」を観る。

夏のような暑さで、国道58号線のバス停を降りてすぐかと思い、嘉手納基地のフェンス沿いに歩いていったのだが実は結構遠くて(笑)、着いた時には顔が真っ赤になっていた。

豊里友行さんの写真は、『オキナワンブルー』に収録されているものが展示されている。もちろん辺野古も普天間も高江もある。また沖縄戦の発掘された遺品もある。いわゆる「集団自決」の生き証人の方々の写真もある。どのような形であろうと大変な重みを持っており、視るたびに息を一瞬止めざるを得ない。それはたとえば辺野古での阻止行動に身をもって参加し記録した、豊里さんゆえの作品に違いない。

金城さんの紅型は、皆で感嘆しながら笑ってしまうほど技巧を凝らしたものだった。豊里さんの写真をもとにした紅型もあった。淡い色と強い日射の影とが、またフェンスそのものとそれが米軍の看板に射した影とが混ざっており、訊いてみると、型紙を2種類使ったのだという。また、何枚もコラージュのように組み合わせた大きな作品もあった。

金城さんは、照屋勇賢さんが作品に紅型を使う際に制作を担当している。この驚くほどのモダンさと技巧、納得である。(ところで、2007年に大浦湾を見渡せるジュゴンの見える丘に同行したときに、照屋さんも豊里さんもいたのだが、豊里さんはそのことを覚えていなかった。)

ようやく汗が引いて、お茶をいただきながら、豊里さんと、沖縄における写真活動を巡る議論、写真と政治との関連、写真集を出すということ、今回の比嘉良治さんの作品『砂浜にのこり、歌にきざまれた人びとの夢・沖縄』、今後の作品などについて四方山話。

会場には写真家の岡本尚文さんがいらしていて、写真集『沖縄02 アメリカの夜 A NIGHT IN AMERICA』を見せていただいた(最近恵比寿のギャラリーで個展が開かれていて、残念ながら行けなかったものだ)。夜の沖縄がクリアに写し込まれていて、確かにそれはご本人曰くの「異界」なのだった。(タイトルはトリュフォーの映画ではなく、浅川マキのアルバムから取ったのだという。)

また、帰ろうとすると、ちょうど平敷兼七さんの娘さん(平敷兼七ギャラリーでお会いしたばかり)が展示を観にきたところだった。なるほど、このような交流があるのだとすると、ヤマトでみる沖縄写真とはまったく理解も実感も違うのだろうなと羨ましく感じた。

●参照
豊里友行『オキナワンブルー』(2015年)
『越境広場』1号(2015年)(豊里友行氏と石川竜一氏との対談)
『LP』の豊里友行特集(2012年)
豊里友行『沖縄1999-2010 改訂増版』(2010年)
豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明(2010年)
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』(2010年)