Sightsong

自縄自縛日記

沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』

2014-01-31 06:55:00 | 沖縄

沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』(沖縄タイムス社、2013年)を読む。

本書は、「沖縄タイムス」地方版の連載を集めたものであり、米軍で働いた83人の証言に接することができる。

「本土復帰」から40年以上が経ち、「沖縄タイムス」の記者も、それなりに証言が集まるだろうと考えていたという。だが、ことはそう簡単ではなかった。米軍に文字通り抑圧されている沖縄にあって、その米軍で働いたということ。いま実態を口にすると、米軍や日本政府に報復されるのではないかという懸念。沖縄に対してだけでなく、ベトナムなど他国への攻撃に間接的に加担してしまったのではないかという負い目。差別されたことに対する傷のようなもの。

そのような中で、ここに集められた証言は本当に貴重で、驚いてしまうようなものも少なくない。

たとえば、知念村(現・南城市)には、CIAの設備があり、捕虜も収容されていた。しかし、それを含め、従業員には徹底的なかん口令が敷かれ、誰もその全貌を知らなかったばかりか、存在すらほとんど認識されていなかった。わたしが無知なだけかと思ったが、巻末の対談において、タイムス記者もそのような発言をしている。現在、ここはゴルフ場になっている。

あるいは、ベトナム戦争のとき、北ベトナムに撒くためのビラの印刷。指導者の偽の声明、スキャンダル、ベトナム人の切断された首といった戦意喪失を目的とした写真、偽札など。おそるべき謀略活動である。

近年、ベトナム戦争において使用された枯葉剤が、沖縄で保管され、不適切に使用・廃棄さえされたことが明らかになりつつある。証言からは、さらに、枯葉剤だけでなく、PCB、六価クロム、アスベスト、毒ガス、放射性物質などが同様に扱われていたことが浮かび上がってくる。もちろん、米軍は米国本土においてはそのようなことはしない。現在も続く、米国のダブル・スタンダードそのものだ。

同じ米軍の側面に対してであっても、ある人は人権回復や平和活動のために抵抗し、ある人は自身が置かれたスタンスのなかで奮闘し、またある人は米国文化への憧れを口にする。これこそが、オーラルヒストリーというものだろう。この厚みは、単純な物語への回収を許さないように感じられる。

●参照
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
押しつけられた常識を覆す
三上智恵『標的の村』映画版
テレビ版『標的の村』
アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
『米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?』
佐喜眞美術館の屋上からまた普天間基地を視る
<フェンス>という風景
基地景と「まーみなー」


橘川武郎『日本のエネルギー問題』

2014-01-28 23:08:40 | 環境・自然

橘川武郎『日本のエネルギー問題』(NTT出版、2013年)を読む。

著者は、「リアルでポジティブな原発のたたみ方」を説く。文字通り、現実の分析に立脚した建設的な議論である。

もちろん、これは提言であり、万人にとっての正解ではありえない。しかし、1か0かの極端な感情論や無根拠な妥協からはまともな未来は生まれないのであって、その意味で、このような真っ当な議論を踏まえておくことはとても有益である。

スタンスや立場の違いを超えて推薦。わたしが手掛けた仕事にも言及があった。


陳偉江『001-023』

2014-01-27 23:00:41 | 香港

新宿の模索舎に立ち寄ったところ、気になる薄い写真集があった。

陳偉江(Chan Wai Kwong)という香港の写真家による『001-023』(Kubrick、2013年)。

香港の路地、汚い貼り紙、タトゥー、風俗嬢、蠢くひと、野良猫、汚物。

安部公房ならばもっと覗き見の視線になったはずだ。森山大道ならば、気弱に、かつ粘着質に、闇を闇としてとらえたはずである。

別に、悪意や邪念を漲らせているわけでもない。この写真群がすべてを明け透けにさらけ出しているわけでもない。写真家は淡々として、香港を破りとったのではないだろうか、などと思わせる。

本人のウェブサイトを見ると、さらに抑圧された欲望、しかも淡々と見るそれが展開されていて、ちょっと動揺してしまう。

作品はほとんど香港で公表されているが、2011年にはガーディアン・ガーデンでも紹介されたようだ。ぜひ、どこかのギャラリーでまとめて作品を展示してほしい。


岡田英弘『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』

2014-01-26 22:42:56 | 北アジア・中央アジア

岡田英弘『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』(ちくま文庫、原著1992年)を読む。

独特な歴史観につらぬかれた本である。従来の歴史というものは、ヨーロッパ史、中国史、日本史のように別々に形作られてきた。しかし、それらは世界全体をカバーしているわけでは勿論なく、そのために交流史や地域史が存在したのだとは言え、「横串」的な歴史が存在しなかったのだとする。その横串こそが、本書においては、遊牧民であり、トルコである。

たしかに、文字通りの世界帝国を築いたモンゴルが、中国の王朝のひとつとして扱われるのは、極めてアンバランスである。インドやイランやロシアまでもが、モンゴルの継承国家であるとする視点には、納得できるところがある。また、流通や経済のシステムをつくりだした功績についても、その通りだろう。(このあたりは、杉山正明『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』に詳しい。)

しかし、返す刀で、中国を貶める言説は、かなり強引な「ためにする議論」そのものだ。たしかに隋も唐も遊牧騎馬民族・鮮卑の王朝であり、元も清も中国人による王朝ではない。だがそのことは、著者のいうように、「被支配階級」たる中国に歪みが生まれたという文脈で捉えるべきことではないだろう。

著者の言うように、このことが「中国人は武力では「夷狄」に劣るが、文化では「夷狄」に勝るのだと主張したがるようになった」=「中華思想」であるとか、「支配階級のほうが被支配階級よりも高い生活水準を享受し、従って文化の程度も高いことは当たり前」であるとか主張するに至っては、ほとんど理解不能である。ましてや、ロシアや中国は大陸国家であり、また社会主義が崩壊したから、「資本主義はまず成功しないであろうし、経済成長で先進国に追い付くこともまず期待できない」とまで書いている。独自史観の限界である。

思想は本来、敗北者のものである(白川静『孔子伝』)。勿論、これだってひとつの言い方に過ぎない。


廣瀬純トークショー「革命と現代思想」

2014-01-26 10:03:28 | 思想・文学

廣瀬純氏によるトークショーを聴くため、御茶ノ水の「ESPACE BIBLIO」に足を運んだ。氏は『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』を出したばかりであり、トークショーも、ネグリとフランス思想家たちとの比較、さらにマキャヴェッリ思想への視線が主題とされた。

要旨は以下のようなもの。(※当方の解釈による文章)

フランス現代思想とは、革命についての思想であった。彼らは、革命のことを<出来事>と呼んだ。(市田良彦『革命論』でもそう使われている。)
ランシエールは、すべての者がすべてについて語るべきだとした。バディウは、革命を天から降ってくるようなものだとした。バリバールは、革命は力の錯綜によって成るものであり、バディウとは異なり、向こう側の力に頼らないのだとした。ドゥルーズは、人びと自体が革命となることを説いた。フーコーは、<自己への配慮>、すなわち、政治や倫理を同じ次元に置いて、ドゥルーズと同様に、個人の革命を考えた。デリダは、革命の先送りに革命を見た。
○彼らを比較してみると、ランシエールを除き、<情勢>のもとで思考すべきだという共通点がある。
○バディウは、現代資本主義社会は野蛮そのものであり、革命を導き出すようなものは何一つない、ゆえに、待っていることだとした。対照的に、バリバールは、<情勢>の中に力を見出しうると考えた。
○ドゥルーズの<情勢>における不可能性についての考え方も、バディウに似てはいる。しかし、彼は、革命の可能性がないこと自体を力にして、不可能性の間を縫うような形で、ひとりひとりの中での革命を行うことを考えた。
○フーコーは、内的な領域まで侵入している権力を見極めつつ、それゆえに、権力の中に、自己の自由があるのだとした。
○従って、バディウを除き、バリバール、ドゥルーズ、フーコーは、革命を導く力を<情勢>の中に見いだすことを考えていた。<情勢>をみれば革命は可能か不可能か、不可能だとすれば、可能性をつくりだすモデルが必要となる。
○ドゥルーズによる、ジョン・マッケンローについての例え話が面白い。マッケンローは、サーブをすると、リターンに備えて融通の効く場所に身を置くのではなく、ただちにネットに駆け寄っていた。それにより、自ら、ニッチもサッチもいかなくなるような状況をつくりあげていた。実は、これは客観世界の分析による行動では全くない。しかし、そうしなければ次の突破点がみえてこない。
○フーコーにとっての、権力のなかで敢えて見いだす<自由>にも、同様の意味がある。
○すなわち、ドゥルーズとフーコーに共通する考えは、<存在論>と<主体性>との連結が<革命論>だということだ。そしてこれは、彼らの先生たるアルチュセールの思想でもあった。ネグリにも共通している。
○逆に、<主体性>を見出さないランシエール、バディウ、バリバールは、彼らよりも一世代下である。これには、<1968年>の悪影響があるのではないか?
※生年 アルチュセール(1918年)、ドゥルーズ(1925年)、フーコー(1926年)、デリダ(1930年)、バディウ(1937年)、ランシエール(1940年)、バリバール(1942年)、そしてネグリ(1930年)
○一般的に、アルチュセールの思想は、前期(キリスト教的なヒューマニズム)、中期(ヒューマニズムをブルジョアのイデオロギーとして否定、<主体>なきプロセスをとらえた)、後期(理論への自己批判)と変遷している。一見、中期は<情勢>のみを見た議論でありバリバール的だが、実は、<主体性>をとらえる萌芽があった。ネグリは、中期から後期への移行は、マキャヴェッリの読解によって可能になったのではないかと見ている。
○マキャヴェッリが『君主論』を書いた16世紀は、イタリアは諸権力により分裂しており、統一など考えようもないような状況だった。まさに<アトムの雨>が降っていた。アルチュセールは、その雨の中を、右や左に移動するマキャヴェッリの姿を見たのだった。
○すなわち、『君主論』は、これからなされるべき<革命>への書=マニフェストであった。中世から近代への移行、封建権力の解体を、それがまるで存在しないうちに、事前に語るものであった。呼びかけの書という意味では、マルクス=エンゲルス『共産党宣言』とも共通するが、『共産党宣言』は、その時点で革命後の要素が存在していた。『君主論』は、その実現に向けた要素がなにひとつない時に書かれたのである。
○ネグリは(アルチュセールは)考える。<アトムの雨>あるいは惨状こそが、不可能のみで満ち満ちている<情勢>こそが、実は、<運命のもたらす好機>なのだ、と。
○<情勢>のもとで思考するのだが、<情勢>のみによって判断するのではない。また、<情勢>に向かって思考するのではない(それはユートピア論だ)。来るべき革命は、<情勢>と<主体性>との偶然の出会いからなる。しかしそれは、いつどのように来るのかわからない。開かれているわけである。
○ネグリは<マルチチュード>を説く。しかし、分散化した力が仮に国民的統一をもたらし、あらたに構成された権力を生み出すとき、<マルチチュード>は抑制され、力が奪われるのではないか、とする批判がある。このことは、フーコーやドゥルーズが、<情勢>の不可能性に対峙して、個人の革命を思考したことにも関係する。それに対し、ネグリは、頑なに<集団>を言い張っている。その理屈は不明であり、ほとんど狂気と言ってもよい。しかし、これが、ネグリにとって、マキャヴェッリを超える思考なのではないか。

 ■

世界の客観的な分析(<情勢>)は縮小均衡を受け容れることであり、そこから先に、何が待っているかわからないが(わかっていれば<情勢>分析であるから)、<主体性>を打ち出していくことが革命であるとの思考回路は、なるほど、共感できる。

しかし、確かにそれは狂気や妄想と紙一重のようにも思える。スラヴォイ・ジジェクが、饒舌に難題ばかりを語ったあとに、しかし希望は信じてフロントに身を置くことだと書いているのを読んだとき(『2011 危うく夢見た一年』『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』)、わたしは呆れたのだったが、実はそれに近いことを言っているのかもしれない。

また、これまで、ネグリの言う<マルチチュード>が、個人の力ではなくあくまで組織化を前提としているように思え、違和感を覚えていたのだったが、その点についての言及もあった。たんにヴィジョナリーなのか、ナイーヴなのか、狂気なのか?

●参照
廣瀬純『闘争の最小回路』
アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(上)(2008年)
アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(下)(2008年)
アントニオ・ネグリ講演『マルチチュードと権力 3.11以降の世界』(2013年)
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(1961年)
ミシェル・フーコー『知の考古学』(1969年)
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975年)
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(1970年代)
桜井哲夫『フーコー 知と権力』
重田園江『ミシェル・フーコー』
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(下)(1980年)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(中)(1980年)
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(上)(1980年)
ジル・ドゥルーズ『フーコー』(1986年)
ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『ディアローグ』(1996年)
ジャック・デリダ『死を与える』(1999年)
ジャック・デリダ『アデュー エマニュエル・レヴィナスへ』(1997年)
ジャック・デリダ『言葉にのって』(1999年)


蒲田のニーハオとエクステンション・チューブ

2014-01-25 23:14:46 | 関東

蒲田の羽根付き餃子を食べたいものだと思い焦がれていたところ、OAM(沖縄オルタナティブメディア)の西脇さんが来られるという好機。評判のよい「ニーハオ」まで足を伸ばした。到着すると、既に列ができていた。

羽根付きの焼き餃子も、水餃子も、やっぱり旨い。というより、旨くないわけがない。水餃子の皮は随分モチモチとしている。

ところで、ニコンのミラーレス用のエクステンション・チューブ(MEIKEというメーカー製)を入手したので、試しに使ってみた。しかし、こんな接写をして、いったい何になるんだろう。


焼き餃子


水餃子


青菜


箸立て


太田昌国の世界 その24「ゲバラを21世紀的現実の中に据える」

2014-01-25 09:37:19 | 中南米

駒込の東京琉球館で、太田昌国の世界「ゲバラを21世紀的現実の中に据える」と題した氏のトークがあった。

 

1時間半ほどの話の内容は以下のようなもの。(※当方の解釈による文章)

ソ連崩壊(1991年)から24年、四半世紀が経った。社会主義の敗北は無惨な結果を招いた。現在は理想を語ることが貶められており、現状の無限肯定が政治にもメディアにも浸透している。
○書店からも社会主義に関する本はほとんど姿を消し、むしろ中韓との戦争を煽るような雑誌が目立つ有様。これでは、市民が世界認識をしようとする際にどうなってしまうのか。
○しかし、チェ・ゲバラのみはなお「生きている」。実際に存命だとすれば、フィデル・カストロ、ガルシア・マルケス、加賀元彦らと同世代であり、思索を深めていた可能性があると夢想する。
○20世紀は「戦争と革命の時代」だった。革命はロシアで始まり、また、今年は、第一次世界大戦から100年目にあたる。
○第二次世界大戦後の秩序は、東西冷戦によって支配された。その中で、資本主義への対抗原理としての社会主義は、資本主義に優越するものとして、一定の力を持ちえた。
○1930年代に、ソ連においてスターリン主義体制が構築され、粛清と追放の嵐が吹き荒れる。実態に触れた者にとっては、「信じたくない現実」であった。アンドレ・ジイドなどは、そのために動揺した(『ソヴィエト紀行』)。情報量や思想的な構え方によっても異なるが、少なくない者が社会主義への幻滅を重ねていった。
○もちろん社会主義はソ連だけのものではなかった。第二の社会主義革命たるモンゴル革命(1921年)、中央アジアの諸民族共和国、東欧やバルト三国などは、ソ連とのどのような関係において成立していたのか。
○ソ連では、死後3年後のフルシチョフによるスターリン批判(1956年)まで、数十年間、スターリンの所業に対する批判は出てこなかった。批判を行うことは、すなわち死を意味した。
ハンガリー動乱(1956年)やスターリン批判は、「ソ連が社会主義の大事な祖国」ということへの疑問が公然化する時期でもあった。
○一方、世界では、スプートニク打ち上げ成功(1959年)や、「ナチスを打ち負かした国」という事実などの影響もあり、何となく社会主義に加担する者も多かった。混沌たる時代だった。
キューバ革命(1959年)は、決して社会主義者によるものではなく、バティスタ政権に対抗しての、正義感に駆られた若者たちによる革命であった。冷戦激化の時代に、米国にほど近い島国に革命政権が成立したことは、画期的なことだった。キューバは、ニッケル、さとうきび、葉巻たばこ、金融、通信・電信などの分野において、米国の支配下にあるような存在だった。
○キューバは革命後、土地改革などを通じて社会主義の実現に乗り出した。CIAはそれを潰そうと画策し、一方、ソ連はキューバに急接近した。つまり、この島国は、突然、冷戦構造内に叩きこまれたのだった。そしてキューバ危機(1962年)、米ソはキューバの頭越しに妥結した。如何に、小国が冷戦のなかで生き延びることが難しかったか。
○1968年、ソ連軍・ワルシャワ条約機構軍によるプラハ侵攻。「人間の顔をした社会主義」という独自路線を進めようとしたチェコスロバキアへの、ブレジネフによる介入だった。同年、アフガン侵攻。社会主義の実態を対外的に自己暴露したものといえた。
○対米行動であれば、自己の権力範囲内では何でもできたのだった。このことは、逆に、沖縄の米軍基地のように、対ソ行動であれば何でもできる米国陣営についてもいうことができた。
○人類史に決定的な影響をもたらした冷戦終結(1991年)。これは、特に第三世界において、人びとに精神の自由をもたらした。人びとは、国家のレベルではなく、個人のレベルで矛盾を口にすることができるようになった。たとえば、韓国において、慰安婦や軍人にされた人びとが声をあげ始める時期にあたる。国家レベルでの日韓基本条約(1965年)とは、異なるレベルであった。
○なぜ、「戦争と革命の世紀」を、革命から牽引した社会主義が、このように敗北したのだろうか?
○「党」は、ほんらいツァーリを倒すために構築された。あまりにも厳しい弾圧に抗するため、秘密主義や地下党のあり方となった。しかし、これが、権力奪取後も常態化してしまった。敵を内部につくりだす構造となり、また、自覚もセルフコントロールも効かない体制と化した。理想に向けての自己革新は、自己過信、自己の絶対化を生んだ。
○私的所有のあり方をなくそうとする経済は、非効率性に陥った。逆に、このような側面が、郵政民営化の際にみられたように、新自由主義にとってのスローガンとして有効なものとなった。
○軍事のあり方も変貌した。中国において、貧しい人びとや農民に向かい合った八路軍が、その後、天安門事件やチベットや新疆ウイグルにおいて人びとを弾圧する人民解放軍へと変わってしまったことが、象徴的である。
○日本は、ほんらい新憲法のもと軍隊のない世界を実現しうる立場にあったが、そうはならなかった。それでは、軍の力を社会のなかでどのように解除していけばよいのか?このままでは、軍という存在が政治・経済・社会のなかに組み込まれた米国をモデルにすることになってしまう。
○ロシア革命直後のロシア・アヴァンギャルドや、キューバ革命直後のドキュメンタリーなど、革命後には素晴らしい表現が生まれる。しかし。安定化した革命権力による統制は、表現の貧困化を生んでいった。
○社会主義は、現在のようなひどいあり方と異なる価値観を提示できたのだろうか? 資本主義秩序は、このまま続くのだろうか? 
○ゲバラは、社会主義がもつ多くの問題に対して、アンチテーゼを出してはいない。自覚できなかったという側面もあるだろう。しかしそれは、若くして亡くなったゲバラではなく、多くの問題に接した私たちが、言うべきことだろう。
○ゲバラの民族問題に対する認識にも微妙なものがあった。エジプト・ナセル大統領には、なぜ白人である君(ゲバラ)がコンゴに行くのかと問われ、有効な応答ができなかった。またボリビアでは、そもそも、先住民族のことばを話せなかった。
○メキシコにおけるサパティスタ人民解放軍の蜂起(1994年)から、20年。彼らは社会主義の欠点に自覚的であり、多くの見るべき論点を提示している。このことが、現在の反グローバリゼーションの動きにも示唆を与えている。
○日本における反原発運動は、労働運動が弱体化したなかで、組織の動員でない個人が動いているという点で、新しい運動の萌芽だろうとみている。
アナキズムの思想があらためて重要になっている。その際、反権力から権力に向かうのではなく、「非権力」「無権力」を目指すべきではないか。
○ゲバラ来日時(1959年)、無名戦士の墓に花を捧げるという日本政府の要請に対し、ゲバラは拒否し、広島行きを希望した。それは、加害の側ではないのか、という正しい歴史認識に基づくものだった。被害者意識による日本の平和運動が、この加害性を自覚するようになるのは、1960年代後半になってからのことである。

 ■

トーク終了後、太田さんを囲んで、東京琉球館の島袋さんによる料理を食べながら懇談。

ボリビアのホルヘ・サンヒネスによる新作『叛乱者たち』と、過去のウカマウ集団による作品群の上映は、4月末から新宿ケイズシネマで行う予定だそうである。また、『地下の民』、『第一の敵』、『鳥の歌』、『最後の庭の息子たち』については、DVD化もするのだという。楽しみだ。

●参照
太田昌国の世界 その15「60年安保闘争後の沖縄とヤマト」
太田昌国の世界 その10「テロリズム再考」
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
太田昌国『暴力批判論』
太田昌国『「拉致」異論』
チェ・ゲバラの命日
ウカマウ集団の映画(1) ホルヘ・サンヒネス『落盤』、『コンドルの血』
ウカマウ集団の映画(2) ホルヘ・サンヒネス『第一の敵』
ウカマウ集団の映画(3) ホルヘ・サンヒネス『地下の民』
ウカマウ集団の映画(4) ホルヘ・サンヒネス『ウカマウ』 


渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン

2014-01-24 00:56:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

2014年1月23日、1年8か月ぶりの渋オケ。

林栄一さんの都合が合わず、ゲストとして纐纈雅代さん。また、松本治さんの体調不良とのこと、代役に青木タイセイさん。

渋谷 毅(p, org)
峰 厚介(ts)
松風鉱一(bs, as, fl)
津上研太(ss, as)
青木タイセイ(tb)
石渡明廣(g)
上村勝正(b)
外山 明(ds)
ゲスト 纐纈雅代(as)

師匠の松風さんに挨拶すると、すぐにアジア旅話に突入。何だかデジャヴ感がある。

第1部。何かのあと(忘れた)、「Ballad」(石渡)、「カーラ・ブレイはピアノが上手でなくて大好き」だという紹介ののちに「Reactionary Tango」(カーラ・ブレイ)、「Three Views Of A Secret」(ジャコ・パストリアス)、「Brother」(林)。

第2部。「もはやちがう町」(石渡)、「What Masa Is ... 」(松風)、4-5年ぶりの演奏だという「Ondo」(石渡)、「Chelsea Bridge」(ビリー・ストレイホーン)、「Aita's Country Life」(松風)、「Soon I Will Be Done With The Trouble Of The World」(ブレイ)、そしてピアノソロ「Lotus Blossom」(ストレイホーン)。

馴染みの曲が多いが、聴くたびに耳が釘付けになる。松風さんの融通無碍なテクニシャンぶりとかすれた音色。峰さんの独自の色が付いたフレーズ。渋谷さんの「渋谷毅的」としか言いようのない、間。外山さんの確信犯的な変拍子。

それぞれの際立った個性が平然として提示され、バンドとして破綻も何も超越している。ずっと聴いていたいと思ってしまう。

●参照
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
渋谷毅のソロピアノ2枚
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』
浅川マキの新旧オフィシャル本(渋谷毅)
宮澤昭『野百合』(渋谷毅)
5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2013年)
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2008年)
くにおんジャズ(2008年)(松風鉱一)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(2007年)
纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン(2013年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)(纐纈雅代)


アレズ・ファクレジャハニ『一家族三世代の女性から見たイラン・イスラム共和国』

2014-01-23 11:49:22 | 中東・アフリカ

友人のアレズ・ファクレジャハニさん(中東研究者)が、「世界」誌(岩波書店)に、『一家族三世代の女性から見たイラン・イスラム共和国』というルポを書いている。(上:2013年12月号、中:2014年2月号)

イランのある家族、3世代の女性3人。80代の祖母はアゼルバイジャン近くの地方都市に住み、60代の母はテヘランに住み、そしてイラン国外に住む孫は5か国語を話し、イスラム教を必ずしも厳格に守ってはいない。この3人に加え、イラン・イスラム革命(1979年)のときに逮捕された祖父を含め、世代も住む場所も異なる者たちの体験や視線を通じて、現在のイランを描いたルポである。

歴史をいくつかのキーワードでまとめて構造的に提示するものとは大きく異なり、実態に基づくものであり、とても興味深い。

たとえば、以下のような視点。
○イラン・イスラム革命のとき、市民たちはパーレビ王朝の何が不満で、追放先のフランスから戻ってきたホメイニ師に何を期待したのか?
シーア派とスンニ派との実際の違いはどのようなものか? シリアのアラウィー派は、シーア派のなかでどのように位置づけられているのか?
○現在の(近いと考えられている)イランとシリアとの関係は、宗教や、イラク、イスラエルとの関係がいかに影響して出来あがったものなのか?
○アフマディネジャド前大統領が再選された2009年の大統領選にどのような不正があったのか? また、ロウハニ大統領が選ばれた2013年選挙に、米国のどのような影響があったのか?

連載の第3回(下)は、アレズさんによると、「イランと米国」をテーマとしているのだという(いつの号か未定とのこと)。当然、イスラエルや、シリアのアサド政権への今後の接し方についても、見通しを示してくれることを期待してしまう。

シリア、イスラエル、パレスチナにおいて、国家的犯罪は終息しない。この1月22日から開かれたシリア和平会議には、イランは招聘されなかった。その一方で、ロウハニ大統領は米国との関係改善を図っているとの報道がある。著者が「世界第三位の経済大国である日本の市民も、この家族同様にその国際政治に関わっている」ことはまさに的確であるが、中東地域については、しっかりとした視点と判断基準を持つことこそが難しい。

前政権により軟禁され、映画撮影を禁じられたジャファール・パナヒや、イランに戻ることができないバフマン・ゴバディへの扱いがどのように変わっていくのかも、気になるところだ。

●参照
酒井啓子『<中東>の考え方』
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後
ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー+マイク・ラッド『In What Language?』
バフマン・ゴバディ『ペルシャ猫を誰も知らない』


やっぱり運動ダイエット

2014-01-23 08:55:56 | スポーツ

6年ほど前に、コレデハイケナイと一念奮起して体重を10キログラム以上減らしたことがある(>> リンク)。当時流行った「キャベツダイエット」であり、運動などはしなかった。確かに効果があったとはいえ、もうこんな辛いことは嫌だという気持ちがあったせいか、その後数年間でリバウンドし、出発時点以上にまで体重が増えてしまった。

そうなると、いろいろと不便や面倒がある。前の服が着られなくなる。会う人ごとに太ったと指摘される。すぐに疲れる(特に、脚)。

そんなわけで、ちゃんと運動をすることに決めた。定期的にジムに通い、定められたコースに従って、ストレッチ、筋トレ、有酸素運動の順で運動を行う。ジムにはしっかりした測定機が置いてあるので、マメに測り、Excelで変化を追いつつ分析したりもしている。そして、ときどきはジムのスタッフに相談している。

昨年8月から、5か月ほど頑張った結果。

○12キログラム近く体重が減った。(それでも、学生時代の自分にはまだ程遠いのだが・・・。)
○そのうち脂肪の減少が73パーセント程度。(前回の食事制限では70%程度だった。)
○また、筋肉の減少が15パーセント程度。(単に減らすだけでは体重減少分の30パーセントくらいの筋肉が減るという。)
○ウエストが9センチメートル程度減った。

食事は、炭水化物を取る量をやや減らしているくらいである(もちろん、夜中に空腹のあまり何か食べるとか、大盛りを注文するとか、そんなことは控えている)。ラーメンなども結構食べている。飲みに行けば我慢せずに食べる。要は、ストレスがまるでたまらない。

単なる体重減少に伴って筋肉が減る(30パーセント程度)のは、重たいものを支えなくてよくなるからだ。しかし、リバウンドしにくいようにするためには、筋トレが必要である(エネルギー収支が異なってくる)。有酸素運動の前にひととおりこなしていたため、それなりに筋肉の減少を抑えることができているのだろう。週明けはいつも筋肉痛であり、また、実際に減った感覚はない。そして、ある時期からはほぼ一定値を保っている。

さらなる良い方法を求めて、桜井静香『ジムに通う前に読む本』(講談社ブルーバックス、2010年)を読んでみた。

 

いろいろな発見があった。

○ジムの筋トレ機には、20-30回反復して「つらい」と感じるような負荷にするよう書いてある。しかし、本書によれば、その限界の反復回数によって目的が違うという。1-12回が「筋力アップ」、12-25回が「筋持久力アップ」、それ以上がただの「フォームの習得」。つまり、シェイプアップや初心者が慣れるためであればよいが、筋肉量を気にするのであれば、12回以上反復できないくらいの重い負荷に設定しなければならない。
○「歳を取るとともに、筋肉痛が遅れてやってくるようになる」という仮説には科学的根拠がない。統計的には、個人差があるに過ぎない。
○筋トレには「超回復」というメカニズムがある。筋トレで消耗した筋肉が回復し、もとのレベルを超えた時点で次の筋トレを行うと効果的であるというものであり、その回復期間は次第に短くなっていく。理想的には週に2-3回の筋トレがよい。(※勤め人にはなかなか難しい)
○筋トレ初心者にとって、最初の効果が出てくるまで3か月くらいかかる。(※確かに、頑張っても筋肉量増加に結び付かない時期があった)

そんなわけで、先週末にジムに行ったときには、筋トレの負荷設定を高めにしてみた。ジムのスタッフも、今後は10回反復にしようと助言をくれた。さて効果はいかに。

ところで、わたしは頻繁に海外出張に行っており、土日にジムに行けないことが少なくない。海外のビジネス用のホテルには、フィットネスセンターが設置してあるため、せめて有酸素運動だけはしようと心がけている。

ところが奇妙なことに気が付いた。日本のジムにおいて、クロストレーナーで1時間程度運動を行うと、方法にもよるが、およそ500キロカロリーを消費する。しかし、タイでもインドネシアでもミャンマーでも、なぜか同じやり方なのに750キロカロリーくらいは消費したことになってしまう。なぜなのかまだわからない。

●参照
納豆ダイエット、キャベツダイエット、ダイオキシン


本田珠也SESSION@新宿ピットイン

2014-01-21 23:38:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

2014年1月21日、新宿ピットイン。

本田珠也(ds)
近藤等則(electric tp)
灰野敬二(g, noise, fl, vo)
ナスノミツル(b)

誰もが驚きの声をあげるに違いないメンバー。

ウルトラマン vs. 仮面ライダー、ゲスト・ハヌマーン。誰が誰だ。いや、灰野敬二はババルウ星人か。

想定外の音ではないのだが、すさまじいパフォーマンスだった。説明不要、ではなく、説明不能。まだ耳鳴りがする。

>> 写真(新宿ピットインによる)


外村大『朝鮮人強制連行』

2014-01-21 07:50:11 | 韓国・朝鮮

外村大『朝鮮人強制連行』(岩波新書、2012年)を読む。

著者によれば、この加害の史実を否定する者にはもちろん、誠実に向き合おうとする者にも、事実誤認や勘違いが多いという。行政の決定、通牒、基本法令、関係者の証言など、基本的な史料から、その史実を再検討した結果が本書である。

日本占領下の朝鮮においては、人口の多くは都市以外に暮らし、相当に農業の比率が高かった(1940年において、戸数ベースで69%)。また就学率も日本語理解率も極めて低かった。日本の「内地」への農産物生産を期待し、かつ日本語環境下での労働が厳しいことを鑑みれば、もとより「内地」の労働力として考えることには矛盾があった。

戦前は、確かに、「内地」での朝鮮人労働に対して、政府も産業界も積極的ではなかった。「内地」の日本人の雇用のほうが重要視されたわけである。朝鮮には、職を求めて日本に渡ろうとする者も少なくはなかった。

ところが、米国からのエネルギー資源輸入がストップされると、状況は大きく変わっていく。戦争においてインドネシアなどの「南方」を侵略したのは、決してアジア解放などのためではなく、資源獲得のためであった。「内地」においても、とにかく石炭を生産しなければならない。そして、言うまでもなく、当時の炭鉱は、おそるべき劣悪な労働環境にあった。朝鮮人に押し付けられたのは、主に、これなのだった。

日本では、問題があったにせよ、職業紹介所などを通じて、地域の状況を考えた人員の「徴用」がなされた。一方、朝鮮においてはそのような体制はない。したがって、地域の状況をまるで鑑みず、農村から暴力的に労働者を連行することになっていった。はじめは企業主導のかたちを是認し、やがて政府として構造的に。

著者によれば、朝鮮人は「徴用」からも差別されたのだという。「徴用」は、労働先の選定や、労働力が欠けたことへの補償など、それなりの対策が取られる。しかし、強引に最劣悪の労働を押しつけ、相手の被害も考えないということであれば、「徴用」する必然性はない。そして斡旋は事実上の強制であった。

炭鉱労働は凄惨を極めた。逃亡率が高かったため、監禁も行われた。短期労働として都合よく連行してきて、契約期間が終了すると、強制的に延長させたりもした。周囲の日本人の目には、差別的なものが多かった。酷い状況であることが朝鮮にも伝わり、農村において対象者がかくれたりすると、その者たちを「狩る」ことが横行した。地獄そのものだ。

「民主主義を欠いた社会において、十分な調査と準備をもたない組織が、無謀な目標を掲げて進めることが、もっとも弱い人びとを犠牲にしていくことを示す事例として、奴隷的な労働を担う人びとを設定することでそれ以外の人びともまた人間らしい労働から遠ざけられるようになっていった歴史として記憶されるべきである。」

●参照
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(外村氏の報告)
波多野澄雄『国家と歴史』(戦後の扱い)
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』(強制連行した炭鉱の実態)
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』(強制連行した炭鉱の実態)


ホ・ジノ『危険な関係』

2014-01-19 12:58:09 | 中国・台湾

新宿武蔵野館にて、上海を舞台にした恋愛ゲーム映画、ホ・ジノ『危険な関係』(2012年)を観る。

いやもう、救いようのない話。

チャン・ツィイーの演技は確かにきめ細やかで、本能のボール半個分の出し入れが極めてエロチック。ただ、物語に加え、チャン・ドンゴン、セシリア・チャンの演技があまりにも過剰で、そのあおりを食って、チャン・ツィイーまで過剰な存在になってしまっている。

とても面白かったのではありますが。

 

●上海を舞台にした映画
ジョセフ・フォン・スタンバーグ『上海特急』(1932年)
ミケランジェロ・アントニオーニ『中国』(1972年)
張芸謀『上海ルージュ』(1995年)
ミカエル・ハフストローム『シャンハイ』(2009年)


シンポジウム「グローバル時代にデモクラシーを再生できるか?」

2014-01-19 10:16:00 | 政治

上智大学に足を運び、シンポジウム「グローバル時代にデモクラシーを再生できるか?」(2014/1/28)を聴講した(午前の部のみ)。

なぜ間接民主制やメディアが機能不全に陥っているのか、また、経済的・社会的格差や狭隘なナショナリズムが拡がっているのか、といった問題意識によって開かれたものである。

※以下、発言要旨は当方の解釈に基づくもの

■ コリン・クラウチ(ウォーリック大学名誉教授) 「(社会)民主主義の問題について:ヨーロッパからのひとつの視点」

【要旨】
新自由主義は市場の力が経済社会を支配すべきという考え方なのかもしれないが、実のところ、新自由主義的な政策を標榜する政党が、国政において多数派になることは少ない。米国共和党は、キリスト教や右派と組まないと政権運営できない。英国保守党も、反自由主義的な力と組まなければならない。日本の自民党については、新自由主義があまり多くの支持を得ておらず、ナショナリズムとおかしな関係を組んでいるように見える。
民主主義のダイナミックなエネルギーは、いまや消えてきている。その代わりに、政治が、政治エリートによって決められている。これは長期的利益を損なうものだ。
○公共サービスの民営化によって、確かに市場が生まれるが、それは真の市場ではない。オカネを払うのは直接の受益者ではなく政府である。
○民主主義に対抗するものは企業の富であり、企業は市場だけでなく政治を通じて権力を発揮している。すなわち、新自由主義は、政治との関係が深いという点で、アダム・スミスが信じたような姿とは異なっている。
グローバリゼーションには、もちろん、メリットもある。しかしその初期段階においては、不平等を悪化させる。
○先進国において、グローバリゼーションにより、製造業が衰退し、発言力を持っていた組織的な労働力も弱まってしまった。ポスト産業社会には、まとまった力としてたたかう経験がない(マイノリティ運動などを除いて)。ならば、どのようにして民主主義的な力を組織化して企業の力に抗するべきなのか。
○いまの若い層は、選挙やそのための動員、政党支持など、従来タイプの民主主義を受容しなくなっている。新しいタイプの民主主義の再定義が必要である。もっと非公式的、柔軟的でなければならない。そのためには、市民が「お互いに必要」だということを認めないと、企業の大きな力に対抗できないだろう。

【講演を聴いて】
デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』)は、強者の権力独占やナショナリズムとの結託を、ここでクラウチ氏が説くような新自由主義の弊害というよりも、さらに、新自由主義の本質として丹念に説いている。
○弊害にしても構造的なものだとしても、陰謀論への押し込めは何も生むことがない(それは結果論である)(『情況』2008年7月号、「ハーヴェイをどう読むか」)。
○政治エリートによる政策実現のスピードアップ(同時に、異なる意見の切り捨て)は、日本においては、意図的に進められてきた。1994年、細川政権での選挙制度改革を主導した小沢一郎が指向した二大政党制は、それにより権力を得る政治集団の決定力を増やすためのものだった。小沢にとっては強い政治的リーダーシップの創出こそが狙いであったのであり、彼の中では「政治の主役は有権者ではなく政治家であり、民意の代表は二義的な問題に過ぎない」。一方、細川護煕は「穏健な多党制」を指向しており、二大政党制を過渡的なものとして捉えていた。しかし、のちにこのことを悔んでいる。(中北浩爾『現代日本の政党デモクラシー』
○何十年もかけてじっくりと進められてきた「政治エリート独裁」を、いまになって簡単に変えうるわけはない。
○クラウチ氏による「別のかたちの民主主義」は、アントニオ・ネグリスラヴォイ・ジジェクが口走り続けるのと同様に、まだ抽象的なものではあるが、ここに問題解決に向けた突破口であることがコンセンサスになっている。(これも、マルチチュードと口走るのは簡単ではあるが。)

【参照】
デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』
『情況』2008年7月号、「ハーヴェイをどう読むか」
中北浩爾『現代日本の政党デモクラシー』
アントニオ・ネグリ講演『マルチチュードと権力 3.11以降の世界』
アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(上)
アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(下)
スラヴォイ・ジジェク『2011 危うく夢見た一年』
スラヴォイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』
スラヴォイ・ジジェク『ロベスピエール/毛沢東』

 

■ エイミー・グッドマン(デモクラシー・ナウ!ジャーナリスト) 「サイレンスト・マジョリティ(物言わぬ多数派):蜂起と占拠と抵抗、そして希望」

【要旨】
○民主主義は、企業によって運営されていない独立系メディアによって機能する。
○米国でも、KKKによって、氏の活動したパシフィカ・ラジオが爆破されたことがある。これは、独立系メディアの持つ力を認めていたことに他ならない。個人が自分自身の経験を語ることこそ、もっとも説得力を持つものだ。
○日本への原爆投下後、その被害状況を対外的に発信することについて、ダグラス・マッカーサーが反対した。だが、広島には投下1か月後にオーストラリアのジャーナリストが苦労して入り、実状を報道した。また、長崎にはシカゴのジャーナリストであるジョージ・ウェラーが入り、ルポを書いたが、米軍に検閲され、その内容は本人の死後まで公表されることがなかった。
○NYタイムスのウィリアム・ローレンスは、軍からのオカネと圧力を受けて、放射能の影響を過小評価する文章を書き続けた。しかし、彼は実状を知っていただろう。彼の受けたピューリッツァー賞は剥奪されるべきである。
ノーム・チョムスキーは、「メディアは合議を形成する」と言った。イラク戦争でのメディア上の世論もそのように形成された。メディアは、ほんらい、民主主義の中で草の根の人々に声を与えなければならない。
○「デモクラシー・ナウ」は、さまざまな実績をあげてきた。エジプト革命においてタハリール広場に集まった人々の声をインターネットで発信したこと、米国のオキュパイ運動を発信したこと、東チモール独立運動に対するインドネシア軍の虐殺行為(サンタクルス事件、1991年)を発信したこと。
○サンタクルス事件においては、スハルト大統領は、米国と相談のうえ事を起こした。インドネシア軍の兵士訓練や武器供与も米国によってなされたものだった。取材活動のとき、オーストラリア人がインドネシア軍によって殺されたが、自分は「オーストラリア人か」と訊かれ、「アメリカ人だ」と答えた。これが生死を分けたのだろう。しかし、オーストラリア政府も、自国のジャーナリストが殺されたにも関わらず、インドネシアに抗議をしなかった。東チモールの石油利権などがその理由だっただろう。

【講演を聴いて】
○大手メディアの報道姿勢が問題視されている現在、とても重要な活動。
○(あまり知らないのだが)日本では、企業のスポンサーを排して良心的な発信を行おうとする活動が、経済的に立ちいかなくなるケースがあった(JanJanなど)。この日の午後の部では、現在の状況について発言がなされたはずで、後で可能なら読んでみたい。

【参照】
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』(オキュパイ運動)

 

■ 中野晃一(上智大学グローバル・コンサーン研究所所長)

【要旨】
○現在の政治経済は、政治的な「非自由主義」と、経済的な「自由主義」とによって駆動されている。特に後者については、本来の自由主義ではないという点から、括弧付きで呼ばれるべきものだ。
○日本は英米とは異なり、近代化を国家がリードして行った(国家保守主義)。そのプロセスにおいて、国家の介入が批判されることは希薄であった。すなわち、日本のリベラリズムの歴史は浅い。
○1980年代後半から小沢、橋本、その後小泉といった政治家によって進められた「政治改革」においては、建前としては、政府の説明責任や民営化が押し出された。しかし、結果として権力の集中を生んだ。
○この20年間で、国会における左派の割合が激減している。保守国家の独裁体制である。しかし、日本人はこのようなことに無知である。
○また、貧困の拡大、企業の力の拡大、軍事活動の拡大といった問題が顕著になってきている。
○大手メディアもそのような動きを許容したのだといえる。
○今後重要な2つのコンセプトは、「自由」と「連帯」である。「自由」は、クラウチ氏の言うように、いわゆる「自由市場」にはない。また、「連帯」については、ナショナリズムにハイジャックされたアイデンティティの政治に組み込まれることがないようにしなければならない。


近藤大介さん講演「急展開する中国と北朝鮮」

2014-01-18 23:29:24 | 韓国・朝鮮

アジア記者クラブ主催の近藤大介さん講演会「急展開する中国と北朝鮮」を聴いた(2014/1/17、明治大学リバティタワー)。

中国においては習近平政権、北朝鮮においては金正恩政権が誕生したばかりだが、それぞれ、大きく政治の方向性を変えてきている。

習近平は権力集中を進めての毛沢東化。PM2.5対策、軍縮という難題、既得権の切り崩しが今後のカギとなる。

金正恩は、まさにナンバー2の張成沢を粛清したばかり。これにより権力基盤が強化されたのではなく、逆に危うくなったのだという。習近平は北朝鮮に対して冷淡になり、さらに政権運営が困難化。今後は、ポスト金正恩をにらんだ米中の体制構築が行われていく。

実際に現地で見聞きした情報が多く、非常に興味深い報告だった。詳しくはここには書けないので、『アジア記者クラブ通信』に掲載される予定の講演録を一読されたい。(>> リンク

終わってから、近くの中国料理店「謝謝」で飲み会。愉しかった。

●参照
和田春樹『北朝鮮現代史』