Sightsong

自縄自縛日記

フローデ・イェシュタ@渋谷公園通りクラシックス

2019-06-28 00:06:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

渋谷の公園通りクラシックス(2019/6/27)。

Frode Gjerstad (as, cl, fl)
Jon Rune Strøm (b)
Øyvind Storesund (b)
Paal Nilssen-Love (ds)

初来日から5年くらい経つがタイミングが悪くて、今回はじめてフローデ・イェシュタを観ることができた。

かれはヨーロッパ・フリーの猛者たちと比べるとどうしても分が悪い。どちらかと言えば、ロル・コクスヒルにも通じるような、なで肩で脱力した音を出す人である。それなのに、重たいコントラバスふたりと、ウルトラスーパードラマーのポール・ニルセン・ラヴと組むのがとても面白い。拮抗の力学ではない。イェシュタはスポンジと化して周囲の音を吸い取り、スライムと化して周囲のスポンジに浸透する。アルトでもクラでもそうであり愉快になってくる。

そしてやはり凄い、ポールのドラミング。強いバネの叩きが群れと化し、歌っているかのような集合体となる。かと言って、スティックやブラシの先で創り出す高音はあくまで繊細。作家の田中啓文さんが何日か前の演奏についてツイッターに書いていたが、確かにでんでん太鼓も使って叩いている。それはポールのドラミングの一部であり、違うそうじゃないと言う余地がない。

ちょうどひと月前にベルギーのオーステンデで話をしたばかりであり、ベルギービールは度数が高いから3杯も飲むとヤバいと思うよな、と笑っていた。やっぱりね(わたしは記憶を失った)。10月にはそのときのトリオ(デイヴィッド・マレイ、インゲブリグト・ホーケル・フラーテン)でスタジオ録音をするそうである。それからもうひとつのビッグニュース。

イェシュタ氏に、デレク・ベイリーとのデュオ盤にサインを頂いた

●ポール・ニルセン・ラヴ
デイヴィッド・マレイ+ポール・ニルセン・ラヴ+インゲブリグト・ホーケル・フラーテン@オーステンデKAAP(2019年)
Arashi@稲毛Candy(2019年)
ボーンシェイカー『Fake Music』(2017年)
ペーター・ブロッツマン+スティーヴ・スウェル+ポール・ニルセン・ラヴ『Live in Copenhagen』(2016年)
ザ・シング@稲毛Candy(2013年)
ジョー・マクフィー+ポール・ニルセン・ラヴ@稲毛Candy(2013年)
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』
(2011年)
ジョー・マクフィーとポール・ニルセン-ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』(2008年)
4 Corners『Alive in Lisbon』(2007年)
ピーター・ヤンソン+ヨナス・カルハマー+ポール・ニルセン・ラヴ『Live at Glenn Miller Cafe vol.1』(2001年)
スクール・デイズ『In Our Times』(2001年)


『Groups in Front of People』の2枚

2019-06-27 00:43:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

デュッセルドルフのレコ屋で、『Groups in Front of People』(Bead Records、1978-79年)を2枚見つけた。

Maarten Van Regteren Altena(b, cello)
Peter Cusack (g)
Paul Lovens (perc, saw, zither)
Guus Janssen (g)
Günter Christmann (tb)

Paul Termos (cl)
Maarten Van Regteren Altena (b)
Terry Day (ds, perc)
Peter Cusack (g)
Paul Lytton (perc)
Guus Janssen (p)
Evan Parker (ss, ts)

見てわかるように、ヨーロッパ即興界のなかなかの面々である。かれらがヨーロッパで行ったライヴが記録され、そのまま出された感覚である。つまりコミュニティにおいてたまたま出逢い、それを縁として演奏した、自然体の記録(だという気がする)。

肩の力が抜けたエヴァン・パーカーも、ドライに決めるポール・リットンも、ガジェット的に走り抜くパウル・ローフェンスもとても良い。このような世界が実世界であってほしい。

●エヴァン・パーカー
シュリッペンバッハ・トリオ+高瀬アキ「冬の旅:日本編」@座・高円寺(2018年)
デイヴ・ホランド『Uncharted Territories』(2018年)
エヴァン・パーカー@稲毛Candy(2016年)
エヴァン・パーカー+高橋悠治@ホール・エッグファーム(2016年)
エヴァン・パーカー@スーパーデラックス(2016年)
エヴァン・パーカー、イクエ・モリ、シルヴィー・クルボアジェ、マーク・フェルドマン@Roulette(2015年)
Rocket Science変形版@The Stone(2015年)
エヴァン・パーカー US Electro-Acoustic Ensemble@The Stone(2015年)
シルヴィー・クルボアジェ+マーク・フェルドマン+エヴァン・パーカー+イクエ・モリ『Miller's Tale』、エヴァン・パーカー+シルヴィー・クルボアジェ『Either Or End』(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー『The Flow of Spirit』(2015年)
エヴァン・パーカー+土取利行+ウィリアム・パーカー(超フリージャズコンサートツアー)@草月ホール(2015年)
マット・マネリ+エヴァン・パーカー+ルシアン・バン『Sounding Tears』(2014年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』(2014年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
『Rocket Science』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
エヴァン・パーカー+ノエル・アクショテ+ポール・ロジャース+マーク・サンダース『Somewhere Bi-Lingual』、『Paris 1997』(1997年)
エヴァン・パーカー+ネッド・ローゼンバーグ『Monkey Puzzle』(1997年)
エヴァン・パーカー+吉沢元治『Two Chaps』(1996年)
サインホ・ナムチラックとサックスとのデュオ(1992-96年)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(1981-98年)
スティーヴ・レイシー+エヴァン・パーカー『Chirps』(1985年)
エヴァン・パーカー『残像』(1982年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
カンパニー『Fables』(1980年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年)

●ポール・リットン
シュリッペンバッハ・トリオ+高瀬アキ「冬の旅:日本編」@座・高円寺(2018年)
ガイ+クリスペル+リットン『Deep Memory』(2015年)
ヨアヒム・バーデンホルスト+ジョン・ブッチャー+ポール・リットン『Nachitigall』(2013年)
ネイト・ウーリー『Seven Storey Mountain III and IV』(2011、13年)

●パウル・ローフェンス 
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Gold is Where You Find It』(2008年)
パウル・ローフェンス+パウル・フブヴェーバー+ジョン・エドワーズ『PAPAJO』(2002年)
高瀬アキ『St. Louis Blues』(2001年)
『News from the Shed 1989』(1989年)
シュリッペンバッハ・トリオ『Detto Fra Di Noi / Live in Pisa 1981』(1981年)
シュリッペンバッハ・トリオ『First Recordings』(1972年) 


与那原恵『美麗島まで』

2019-06-26 23:46:46 | 沖縄

与那原恵『美麗島まで』(文芸春秋、2002年)を読む。(現在はちくま文庫から出ている。)

沖縄出身の著者が、祖先の生きた跡を辿りながら、台湾や東京を歩く。

わたしは今年はじめて台北を旅したが、すこし空気が濃密ですこし開かれた場の雰囲気に、那覇と似たものを感じた。本書の時間旅行に付き合っていると、それは当然のことに思える。地理的な近さだけによるものではない。台湾と沖縄との間は多くの人が行き来していたという。息遣いを介した空気の共有によっても、感覚的な距離はとても近い。

いろいろな発見がある。与那国島や石垣島は台湾からとても近く、戦後まもなくは密貿易が活発な場所だった(奥野修司『ナツコ 沖縄密貿易の女王』石原昌家『戦後沖縄の社会史―軍作業・戦果・大密貿易の時代―』)。それ以前には、後藤新平の開発独裁(佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』)により製糖やパイナップルの小規模農家が支援対象から外れ、台湾から沖縄にやってきた人たちも多かった。金城功『近代沖縄の糖業』にあるように、構造的に台湾での製糖産業がうまくいったからといって、それはすべての人にとってのことではなかった。また、なんと終戦直後の与那国では、住民たちの署名が集められ、台湾に帰属したいと蒋介石に陳情があったのだという。

そして、池袋モンパルナスにおける大嶺政寛(東京⇄沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村@板橋区立美術館)、同じ池袋の「おもろ」に出入りしていた山之口貘(山之口貘のドキュメンタリー)。すべてはコミュニティにおいてつながってくる。それはきっと今も同じである。

●与那原恵
与那原恵『まれびとたちの沖縄』


山中千尋@ディスクユニオンJazz Tokyo

2019-06-26 22:42:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

御茶ノ水のディスクユニオンJazz Tokyoで、山中千尋のインストアライヴ(2018/6/20)。

Chihiro Yamanaka 山中千尋 (p)
Miho Enoguchi 江野口美穂 (b)
Genki Hashimoto 橋本現輝 (ds)

新譜『Prima Del Tramonto』から、「Pasolini」(アルド・ロマーノ)、「Looking Up」(ミシェル・ペトルチアーニ)、「Cherokee」の3曲。巧くて気持ちがいい。

●山中千尋
山中千尋@ディスクユニオンJazz Tokyo
(2018年)


ミシャ・メンゲルベルク『Driekusman Total Loss』

2019-06-25 22:43:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミシャ・メンゲルベルク『driekusman total loss』(Vara Jazz、1964・66年)を聴く。一昨日、豊住芳三郎さんとお話していてミシャ・メンゲルベルクの話題が出て思い出した(わたしが豊住さんのプレイをはじめて観てこんな表現があるのかと驚いたのは、90年代後半、世田谷美術館におけるミシャとのデュオだった)。

Misha Mengelberg (p)
Piet Noordijk (as)
Gary Peacock (b)
Rob Langereis (b) (B2)
Han Bennink (ds)

ミシャ・メンゲルベルクの初リーダー作。録音された1964年12月4日は、エリック・ドルフィー『Last Date』が吹き込まれた同年6月2日のおよそ半年後にあたる。もちろん、両方の盤にミシャもハン・ベニンクも参加している。

ここでアルトを吹いているピエト・ヌードワイクはドルフィーとは随分違って、どちらかと言えば直情的で熱く闊達。しかしリードがヌードワイクであろうとドルフィーであろうと、ミシャは独特の翳りが美意識の結晶となったピアノを弾いている。特にA面2曲目の「Nature Boy」なんて、『Last Date』のカケラが見え隠れするようだ。すなわち『Last Date』のサウンドはミシャのものでもあった。

同じことはハン・ベニンクについても言うことができる。まだ20代前半なのに、既に、変にバンドに合わせるというよりもマイペースで叩いているようで少し可笑しい。

ゲイリー・ピーコックは30歳を迎える前であり、アルバート・アイラーの『Ghosts』に参加してから3か月も経っていない。中音域のよく鳴る音は変わらないが、後年の香りはまだない。

B2の吹き込みのみ、1966年6月28日である。この年の4月の演奏でも本盤と同じメンバーにテッド・カーソンが加わって共演している(『Journey Live In Amsterdam 1966』)。

●ミシャ・メンゲルベルグ
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
横井一江『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』(2011年) 
ICPオーケストラ『Bospaadje Konijnehol』の2枚(1986-91年)
カンパニー『Fictions』(1977年)


ルネ・ボトラング+バール・フィリップス+クリスチャン・レテ『Teatro Museo』

2019-06-25 08:05:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルネ・ボトラング+バール・フィリップス+クリスチャン・レテ『Teatro Museo』(AJMiseries、2008年)を聴く。

René Bottlang (p)
Barre Phillips (b)
Christian Lété (ds)

バール・フィリップスのコントラバスは響きに深さと芳香との両方が含まれている。弓で弾くときのびりびりとした震えも、孤立感を高める軋みも独特としか言いようがない。

他のふたりははじめて聴いた。ルネ・ボトラングはスイスのヴェテランであり落ち着いて抑制されたピアノを弾いている。

●バール・フィリップス
2018年ベスト(JazzTokyo)(『End to End』)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
バール・フィリップス@歌舞伎町ナルシス(2012年)
バール・フィリップスの映像『Live in Vienna』(2006年)
バール・フィリップス+今井和雄『Play'em as They Fall』(1999年)
バール・フィリップス(Barre's Trio)『no pieces』(1992年)


豊住芳三郎+謝明諺@Candy

2019-06-24 07:54:59 | アヴァンギャルド・ジャズ

稲毛のCandy(2019/6/23)。

Yoshisaburo "Sabu" Toyozumi 豊住芳三郎 (perc, 二胡)
MinYen "Terry" Hsieh 謝明諺 (ts, ss, penny whistle)
Guest:
Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)

謝明諺『上善若水 As Good As Water』をはじめ共演を重ねているテリーさんとサブさんのデュオ。最近ではクアラルンプールのNo Black Tieでも演ったようである。

テリーさんの表現はやはり実に幅広い。サックスの音域の端にあるマージナルな音を中心にした展開も、管をフルにエネルギッシュに鳴らす展開もある(ジョン・コルトレーン『Interstellar Space』を想起させる)。アジアの楽器としか思えない音も多い。それを一方的な個性として押し出すのではなく、他者との関係の中で吹いている。強靭さと謙虚さとが共存する、奇妙な感覚である。

一方のサブさん。常に右足でバスドラムで地響きを立てつつ、全身で雷鳴か嵐かという大きなパルスの集合体を放つ。そのためらいのなさに気圧される。上半身と下半身の機能をドラムスの方法論的に固めていないため、普通のドラマーではなく、どうしても空を翔けるハヌマーンを幻視してしまう。

デュオの演奏の変化は大きいけれど、それがショーケース的にではなく、ゆったりと提示された。

アンコールでは聴きに来ていた照内央晴さんが入った(サブさんの無茶振り)。イントロでピアノを弾きはじめたとき、ああここまでピアノというものはサウンドに色を付けるものかと新鮮に思えた。このトリオも改めて観てみたい。

終わってからテリーさんとテナーサックス奏者の話。コルトレーンをはじめ、ヴォン・フリーマンとかアーチー・シェップとかデイヴィッド・マレイとかいろいろな名前が出たけれど、腑に落ちるのはウォーン・マーシュの名前。また、意識していなかったレニー・ポプキンのユニークな演奏について。そしてサブさんからはAACM時代や阿部薫のことなど貴重な体験談をうかがった。今年はアメリカでバートン・グリーンやパティ・ウォーターズ(!)と共演するそうだ。

Fuji X-E2、7Artisans 12mmF2.8、XF35mmF1.4

●豊住芳三郎
ジョン・ラッセル+豊住芳三郎@稲毛Candy(2018年)
謝明諺『上善若水 As Good As Water』(JazzTokyo)(2017年)
ブロッツ&サブ@新宿ピットイン(2015年)
豊住芳三郎+ジョン・ラッセル『無為自然』(2013年)
豊住芳三郎『Sublimation』(2004年)
ポール・ラザフォード+豊住芳三郎『The Conscience』(1999年)
アーサー・ドイル+水谷孝+豊住芳三郎『Live in Japan 1997』(1997年)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(1976年)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『新海』、高木元輝+加古隆『パリ日本館コンサート』(1976年、74年)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(1971年、75年)
富樫雅彦『風の遺した物語』(1975年)

●謝明諺
謝明諺+秋山徹次+池田陽子+矢部優子@Ftarri(2019年)
謝明諺+高橋佑成+細井徳太郎+瀬尾高志@下北沢Apollo(2019年)
陳穎達カルテットの録音@台北(2019年)
東京中央線 feat. 謝明諺@新宿ピットイン(2018年)
謝明諺+大上流一+岡川怜央@Ftarri
(2018年)
謝明諺『上善若水 As Good As Water』(JazzTokyo)(2017年)
マイケル・サイモン『Asian Connection』(2017年)

●照内央晴
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2019年)
吉久昌樹+照内央晴@阿佐ヶ谷ヴィオロン(2019年)
照内央晴、荻野やすよし、吉久昌樹、小沢あき@なってるハウス(2019年)
照内央晴+方波見智子@なってるハウス(2019年)
クレイグ・ペデルセン+エリザベス・ミラー+吉本裕美子+照内央晴@高円寺グッドマン(2018年)
照内央晴+川島誠@山猫軒(2018年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
『終わりなき歌 石内矢巳 花詩集III』@阿佐ヶ谷ヴィオロン(2018年)
Cool Meeting vol.1@cooljojo(2018年)
Wavebender、照内央晴+松本ちはや@なってるハウス(2018年)
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)
ネッド・マックガウエン即興セッション@神保町試聴室(2017年)
照内央晴・松本ちはや《哀しみさえも星となりて》 CD発売記念コンサートツアー Final(JazzTokyo)(2017年)
照内央晴+松本ちはや、VOBトリオ@なってるハウス(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)


酒井俊+青木タイセイ+永武幹子@本八幡cooljojo

2019-06-23 09:10:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojo(2019/6/22)。酒井俊さん初登場でこのメンバー、駆けつけないわけにいかない。

Shun Sakai 酒井俊 (vo)
Taisei Aoki 青木タイセイ (tb, b, melodica)
Mikiko Nagatake 永武幹子 (p)

最初に「I Fall in Love Too Easily」。トロンボーンから入り、やがて旋律が浮かび上がってきた。ピアノが入るとトロンボーンも主旋律を吹く。続く「There Will Never Be Another You」ではピアノのイントロから、ちょっと思い出し笑いをするように俊さんが歌い始めた。このあとのスキャットの深さといったらない。ピアノがトロンボーンの様子を窺っている。

俊さんは歌うようになる前からトム・ウェイツのファンだったそうだ。つまりここで「Martha」を歌うのだが、これは歳を取ってから昔好きだった女性に勇気を振り絞って電話をする話であり、女性が歌うにはどうなのかと悩んだと俊さんは話す。曲によっては「he」と「she」を入れ替えればよい、しかしこれは固有名詞付きであり、誰かが「Martha」を「Peter」にしていたのにはギョッとした、と。しかしもうそんなことどうでもいいでしょう、と。そうです、聴く方もそのままで嬉しい。それにしても「電話代は気にしないで」と長距離電話のことを歌っているのは古い共感になっていくのかもしれない。永武さんのピアノと青木さんのピアニカが跳ねるように伴奏して、またトロンボーンもまたコミカルで、とても良かった。

「回想」は、永武さんがペダルを踏みっぱなしでイントロを弾き、抒情をさらに深いものにした。続いて、俊さんが本八幡だとかお化け煙突だとかのことを思いつくまま自由に独白のように喋る「四丁目の犬」、ここでは青木さんはベースで、ピアノとともに自由にはしゃいだ。

驚いたことに、ここで先日亡くなった齋藤徹さんの「街」。かつてなってるハウスで、1年間毎月、俊さんと徹さんは共演していたのだった。

締めはベースソロからの「ナーダム」。馬のように永武さんのピアノが入ってきて、やはり気分はあらあらしいモンゴルの馬乗り競走。青木さんのベースのネックが馬の首に見えてきたりして。俊さんのオオオという凄い声に驚かされた。

セカンドセットは、再び徹さんの「エドガーの日常」。「リア王」のときの曲である。俊さんが<朝の光につつまれて>と、<明日は旅に出ようか>と歌い、徹さんのことを思い出して泣きそうになってしまう。ピアノのイントロからの「Beautiful Love」では、青木さんは最初に悩んでピアニカを、途中からベースを弾き始めて良いグルーヴが生まれた。続いて、エンリコ・カルーソーのことを歌った「カルーソー」、そして、友川かずき・ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」。ベースは可変速で疾走し、またピアノは山下洋輔を思わせる(こんな弾き方もするのか)。<おいでおいで>と叫ぶときに迫りくる力。

ここで、俊さんはやはり先日亡くなった片山広明さんに思いを馳せた。演奏した「I Shall Be Released」は清志郎ヴァージョン、雰囲気は片山広明的。展開される雰囲気は分厚い人間的なブルースで、<陽はまた昇るだろう この恥ずかしいでたらめな国にも>なんて、この世界の素晴らしい歌。クルト・ワイルの「Lost in the Stars」では三人ともしっとりと曲をつくった。<Night>の箇所で敢えて声をかすれさせた俊さんの表現力。アンコールは、ちあきなおみが歌った「紅い花」。伴奏するピアノとピアニカとが複層的な感情を素晴らしく表現した。

素敵すぎて反則の俊さん。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、7Artisans 12mmF2.8

●永武幹子
古田一行+黒沢綾+永武幹子@本八幡cooljojo(2019年)
蜂谷真紀+永武幹子@本八幡cooljojo(2019年)
2018年ベスト(JazzTokyo)
佐藤達哉+永武幹子@市川h.s.trash(2018年)
廣木光一+永武幹子@cooljojo(2018年)
植松孝夫+永武幹子@中野Sweet Rain(2018年)
永武幹子+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
永武幹子+類家心平+池澤龍作@本八幡cooljojo(2018年)
永武幹子+加藤一平+瀬尾高志+林ライガ@セロニアス(2018年)
永武幹子+瀬尾高志+竹村一哲@高田馬場Gate One(2017年)
酒井俊+永武幹子+柵木雄斗(律動画面)@神保町試聴室(2017年)
永武幹子トリオ@本八幡cooljojo(2017年)
永武幹子+瀬尾高志+柵木雄斗@高田馬場Gate One(2017年)
MAGATAMA@本八幡cooljojo(2017年)
植松孝夫+永武幹子@北千住Birdland(JazzTokyo)(2017年)
永武幹子トリオ@本八幡cooljojo(2017年)

●青木タイセイ
オルケスタ・リブレ@神保町試聴室(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)


ジョエル・ロス『Kingmaker』

2019-06-22 09:42:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョエル・ロス『Kingmaker』(Blue Note、-2019年)を聴く。

Joel Ross (vib)
Immanuel Wilkins (as)
Jeremy Corren (p)
Benjamin Tiberio (b)
Jeremy Dutton (ds)
Gretchen Parlato (vo) (track 8)

なるほど、ピーター・エヴァンスが「若いですがヴァーチュオーゾのようです」と言っていた通りである(>> JazzTokyo誌座談会)。ここまで奇を衒わずストレートアヘッドなジャズの形を取りながら、サウンドのあらゆる箇所に浸透するヴァイブを叩いている。きらびやかでありながらも抑制している。

注目はアルトのイマニュエル・ウィルキンス。2017年、Smallsにおいて、E.J.ストリックランドのグループで吹くかれを観てああ良いなと思っていたら、その後当然のように目立ってきた。生で滴る音色があり、ちょっとケニー・ギャレットを思わせるところもある。かれの野心的なリーダー作を聴きたい。

●ジョエル・ロス
マカヤ・マクレイヴン『Universal Beings』
(2017-18年)

●イマニュエル・ウィルキンス
ノーム・ウィーゼンバーグ『Roads Diverge』(2017年)
E. J. ストリックランド・クインテット@Smalls(2017年)


アミナ・クローディン・マイヤーズ『Song for Mother E』

2019-06-20 00:36:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

最近のアミナ・クローディン・マイヤーズへのインタビューにあるように、『Song for Mother E』(Leo Records、1980年)はアミナがフェローン・アクラフと組むことをまず決めて吹き込んだアルバムであり、彼女の母親エリアノーラに捧げられている。

Amina Claudine Myers (p, org, vo)
Pheeroan akLaff (ds, gong, vo) 

ここには様々なサウンドの個性が詰め込まれており、デュオというシンプルな形だけによくわかる。

荘厳な音も、讃美歌のような曲もある。濁りは深く哀しいもので、ときにアリス・コルトレーンを思わせもするけれど、アリスよりは軽やかにホップする感覚だ。また同年のベッシー・スミス集がそうであったように、ふっと可愛らしく浮き立つような雰囲気に変わる。オルガンもピアノもすべてアミナの音である。

強靭な音をもつアミナであるから、同じく強く押し出す力をもつフェローン・アクラフは相手としてとても良い。

●アミナ・クローディン・マイヤーズ
「JazzTokyo」のNY特集(2019/6/1)
アーチー・シェップ『Attica Blues Orchestra Live / I Hear the Sound』(2013年)
アーチー・シェップ『Tomorrow Will Be Another Day』(2000年)
ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス(リュウ・ソラ『Blues in the East』(1993年)にアミナ参加)
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの映像『LUGANO 1993』(1993年)
アミナ・クローディン・マイヤーズ『Country Girl』(1986年)
アミナ・クローディン・マイヤーズ『Jumping in the Sugar Bowl』(1984年)
アミナ・クローディン・マイヤーズ『The Circle of Time』(1983年)
アミナ・クローディン・マイヤーズのベッシー・スミス集(1980年)
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75(『X-75 / Volume 1』(1979年)にアミナ参加)

●フェローン・アクラフ
フェローン・アクラフ@Dolphy(2017年)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(2009年)
フェローン・アクラフ、Pentax 43mmF1.9(2004年)
スティーヴ・リーマン『Interface』(2003年)
トム・ピアソン『Left/』(2000年)
"カラパルーシャ"・モーリス・マッキンタイアー『Dream of ----』(1998年)
フェローン・アクラフのドラムソロ盤2枚(1978-79年、1996年)
アンソニー・ブラクストンはピアノを弾いていた(1995年)
レジー・ワークマン『Summit Conference』、『Cerebral Caverns』(1993, 95年)
フェローン・アクラフ『The Willisau Concert』(1992年)
ヘンリー・スレッギル(2)
ヘンリー・スレッギル(1)


ルイ・ヘイズ『Breath of Life』

2019-06-19 23:20:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

ルイ・ヘイズ『Breath of Life』(Muse、1974年)を聴く。

Louis Hayes (ds)
Tex Allen (tp, flh)
Gerald Hayes (as)
Charles Davis (bs, ss)
Ronnie Mathews (p)
David Williams (b)
Toot Monk (congas, perc)

このときヘイズは30代後半で、デビュー作が早かったわりには本盤はようやく2枚目である。もちろんサイドマンとして多くの録音に参加している。キャノンボール・アダレイやジョン・コルトレーンの作品も良いけれど、わたしとしては、バリー・ハリス『At the Jazz Workshop』(1960年)でのキレがあるドラミングが好みだ。

本盤のメンバーは地味である。それは知名度ということだけではなくて(トランペットのテックス・アレンやアルトのジェラルド・ヘイズなど知らない)、アンサンブルも各メンバーのソロもさほど何かが突出しているわけではない。聴きどころはやはりヘイズのドラミングだ。常にスタイリッシュでも荒々しくもある嵐がヘイズの身体から巻き起こっている。そのため、コンガとパーカッションのトゥート・モンクがいてもいなくても嵐の存在感が目立っている。(トゥート・モンクって誰だろうと思ったら、セロニアス・モンクの息子T. S. モンクのことだった。)

●ルイ・ヘイズ
ルイ・ヘイズ@Cotton Club(2017年)
ルイ・ヘイズ『Serenade for Horace』(-2017年)
ルイ・ヘイズ@COTTON CLUB(2015年)
ルイ・ヘイズ『Return of the Jazz Communicators』(2013年)
ジャズ・インコーポレイテッド『Live at Smalls』(2010年)
ルイ・ヘイズ『Dreamin' of Cannonball』(2001年)
ルイ・ヘイズ『The Real Thing』(1977年)
フレディ・ハバード『Without a Song: Live in Europe 1969』(1969年)


関川夏央『砂のように眠る』

2019-06-19 21:44:08 | 政治

関川夏央『砂のように眠る むかし「戦後」という時代があった』(新潮文庫、原著1993年)を読む。

戦後、地にへばりつくように生きてきた人たちの姿が、小説と評論とを交互に繰り返す形で描写されている。もっとも「地にへばりつく」と大袈裟に言ったところで、それはほとんどの人がそうであったということに違いない。そしてその中には著者も入っている。著者の「実感」は、体験したという重さと時代とに縛られている。それゆえ、四半世紀前に書かれたことの古さをどうしても感じてしまう。

小田実が勢いにまかせて活動したこと、しかし後で振り返っての内省が乏しかったことは、きっと的を射ているだろう。しかし、60年安保の反対運動の盛り上がりについて、あたかも若者が反対するという自己満足をしたかっただけだと言わんばかりの記述は、悪い意味で「実感」に引きずられたものだ。たとえば、「父親は南京でそんな事件を見なかったと言っていたよ」という雑さと何が違うのか。


謝明諺+秋山徹次+池田陽子+矢部優子@Ftarri

2019-06-19 07:37:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarri(2019/6/18)。

MinYen "Terry" Hsieh 謝明諺 (ts)
Tetuzi Akiyama 秋山徹次 (g)
Yoko Ikeda 池田陽子 (viola)
Yuko Yabe 矢部優子 (p)

秋山+池田+矢部トリオ。はじめて観る矢部さんのプレイに驚いた。ピアノを蹴ったり蓋を無雑作に開け閉めしたりして、それが演奏空間にためらいなく侵入してくる。逆に言えば、演奏空間においてそのような日常の動きが如何に抑制されているのかということだ。池田さんは(演奏と日常の垣根のことではなく、)演奏自体で極めて抑制した音を出す。それが放縦のピアノと、目を覚ますような秋山さんのギターとの対比において鮮やかだった。抑制のエネルギーによってか、池田さんは激しい動きではないのにとても汗をかいていた。

テリーさんのソロ。5、6種類の演奏を行った。マイクを使わず、天井の高いFtarriの空間の中で、音になるかならないかの小さくマージナルな音、ヴォイスとともに吠える咆哮、フレージングを主にした展開、管を過剰に鳴らしての音のよれなど、巧みで、物語のように聴こえた。終わった後の拍手がとても大きかった。

4人。矢部さんはさらに放縦になり鍵盤も叩き、嬉しくなる。池田さんは一転して多彩に突出する演奏であり、含みのある良い音。秋山さんはやはりストイックと欲の両方が感じられる楔を打ち込んでくる。そして、ときにピアノとヴィオラとがテリーさんとともに融合し、サウンド全体がずおおっと盛り上がり、壁やピアノの筐体が共振しているように聴こえた。

Fuji X-E2、7artisans 12mmF2.8、XF60mmF2.4

●謝明諺
謝明諺+高橋佑成+細井徳太郎+瀬尾高志@下北沢Apollo(2019年)
陳穎達カルテットの録音@台北(2019年)
東京中央線 feat. 謝明諺@新宿ピットイン(2018年)
謝明諺+大上流一+岡川怜央@Ftarri
(2018年)
謝明諺『上善若水 As Good As Water』(JazzTokyo)(2017年)
マイケル・サイモン『Asian Connection』(2017年)

●池田陽子
アレクサンダー・ホルム、クリス・シールズ、クラウス・ハクスホルムとのセッション@Permian(2019年)
エレクトロニクスとヴィオラ、ピアノの夕べ@Ftarri(2019年)
鈴木ちほ+池田陽子(solo solo duo)@高円寺グッドマン(2019年)
池田陽子+山㟁直人+ダレン・ムーア、安藤暁彦@Ftarri(2018年)
森重靖宗+池田陽子+増渕顕史『shade』(2018年)
佐伯美波+池田若菜+池田陽子+杉本拓+ステファン・テュット+マンフレッド・ヴェルダー『Sextet』(2017年)
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)

●秋山徹次
エリザベス・ミラー+クレイグ・ペデルセン+秋山徹次+中村としまる@Ftarri(2018年)
「響きの今」(ジョン・ラッセル、ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグ、ピーター・エヴァンス、秋山徹次)@両国門天ホール(2018年)
高島正志+古池寿浩+秋山徹次「Blues Frozen Xīng ブルース 凍てついた星」@Ftarri(2018年)
ファビオ・ペルレッタ+ロレンツォ・バローニ+秋山徹次+すずえり@Ftarri(2017年)
池田謙+秋山徹次@東北沢OTOOTO(2017年)
『OTOOTO』(2015、17年)


audace@渋谷Bar Subterraneans

2019-06-19 00:03:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

渋谷のBar Subterraneans(2019/6/16)。

Manabu Kitada 北田学 (cl, bcl)
Shikou Ito 伊藤志宏 (accordion)

音域の広いボタンアコーディオンを、伊藤さんは実に愉しそうに、また苦しそうに使う。楽器の音域以上に拡がりのあるサウンドが見事であり、ピアニスト伊藤志宏とも共通する華麗さと執拗さがある。一方の北田さんはクラを短めのフレーズで刺すように吹き、一方のバスクラではうねうねと長く繰り返す。楽器ならではでもあり北田学ならではでもあり、とても魅かれる。

Fuji X-E2、7Artisans 12mmF2.8

●伊藤志宏
伊藤志宏+瀬尾高志@稲毛Candy
(2018年)

●北田学
宅Shoomy朱美+北田学+鈴木ちほ@阿佐ヶ谷Yellow Vision(JazzTokyo)(2019年)
ヨアヒム・バーデンホルスト+シセル・ヴェラ・ペテルセン+北田学@渋谷Bar subterraneans(2019年)
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
北田学+鈴木ちほ@なってるハウス(2017年)


マイラ・メルフォード(Snowy Egret)『the other side of air』

2019-06-16 16:11:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

マイラ・メルフォード(Snowy Egret)『the other side of air』(Firehouse 12 Records、2017年)を聴く。

Myra Melford (p)
Ron Miles (cor)
Liberty Ellman (g)
Stomu Takeishi (bass g)
Tyshawn Sorey (ds)

このグループ「Snowy Egret」による前作『Snowy Egret』から特に何かが発展したとも思えないのだが、依然としてマイラ・メルフォードならではの良いサウンドである。オリエンタルな響きのあるコードでの作曲で、リバティ・エルマンとマイラとが単音で相互に絡みあったり、ユニゾンで厚みをつけたり、それがアクロバティックにびしびしと決まる。ツトム・タケイシの不穏でサウンドを推進するベースギターも良い。

しかし何より素晴らしいのはスケールの大きいタイショーン・ソーリーのドラミングだ。常に巨大なポテンシャルの一部しか見せてくれていないような印象がある。

●マイラ・メルフォード
マイラ・メルフォード+マーティ・アーリック@The Stone(2015年)
マイラ・メルフォード Snowy Egret @The Stone(2015年)
マイラ・メルフォード『Live at the Stone EP』(2015年)
ロイ・ナサンソン『Nearness and You』(2015年)
マイラ・メルフォード『Snowy Egret』(2013年)
マイラ・メルフォード『life carries me this way』(2013年)
『苦悩の人々』再演(2011年)
マイラ・メルフォード『Alive in the House of Saints』 HAT HUTのCDはすぐ劣化する?(1993年)
ブッチ・モリス『Dust to Dust』(1991年)