Sightsong

自縄自縛日記

山之口獏の石碑

2007-02-28 22:47:28 | 沖縄
沖縄の生んだ貧乏詩人、山之口獏
故郷に帰れないディアスポラでもあった。

獏の詩は、枯れ枝のようで、しかしドクドクと血が通っていて、人間くさい。

その、山之口獏の詩を彫った石碑が、私の知っている限り、沖縄に2つある。
1つは那覇市の与儀公園にある「座蒲団」
もう1つは大宜味村の芭蕉布会館にある「芭蕉布」
以前、芭蕉が植えられている大宜味村のなかを散歩し、会館で平良敏子さん(国宝)のお仕事を邪魔しないように拝見した。芭蕉布作りは地道で根気の要る仕事なのだと知った。

山之口獏の詩にメロディーをつけて歌っていたのが、故・高田渡さんだ。
生活の柄」がいちばん有名で、那覇の栄町市場にもここから名前を取った居酒屋があったと思う。
さらに、他の獏の詩を何曲も、佐渡山豊、大工哲弘、嘉手苅林次、大島保克など凄い歌い手が集まって歌ったCD『獏』(B/C RECORDS)がある。西荻窪にあるアケタの店で、高田渡と渋谷毅とのデュオを聴いたときに買った。渋谷さんは、「高田さんはこう見えて僕より年下なんです。」と紹介していたが、これは8年以上前。渡さんが先に亡くなってしまった。

おすすめは、このCD『獏』と、『山之口獏詩集』(金子光晴編、弥生書房)である。たくさん詩が入っていて、親しみやすくて、哀しかったり楽しかったりする。


与儀公園の「座蒲団」 Minolta Autocord、コダック・ポートラ400VC


大宜味村の芭蕉 Minolta Autocord、コダック・ポートラ400VC


高田渡さん、吉祥寺 Pentax LX、A135mm/f2.8、Provia 400F



PENTAX FA 50mm/f1.4でジャムシェドプール、デリー、バンコク

2007-02-25 23:58:25 | 南アジア

ガラスがぎっちり詰まっていて、いかにもよく写りそうにみえる。実際に、開放f1.4から使える。もちろん開放では甘いが、Mレンズのように性能が追いつかない甘さではなく(これはこれで好きなのだが)、なんとも言えないまろやかで豊かな表現をする。実はかなり個性的だとおもう。Aレンズと光学系は同じらしい。

何でも撮れそうで、MZ-3に付けて出張や旅行によく持っていったのだが、中国で突然MZ-3が壊れた。あまりマニュアルフォーカス時のトルク感が良くないため、最近は以前ほど使っていない。ペンタックスから良い銀塩AF機が出れば嬉しいのだが・・・。


インド・ジャムシェドプール(1) PENTAX MZ-3、FA 50mm/f1.4、TRI-X、Gekko(3号)


インド・ジャムシェドプール(2) PENTAX MZ-3、FA 50mm/f1.4、TRI-X、Gekko(3号)


インド・デリー ミナレットの上で PENTAX MZ-3、FA 50mm/f1.4、シンビ200


タイのアルミ工場 PENTAX MZ-3、FA 50mm/f1.4、TRI-X、フィルムスキャン


おかしな男 渥美清

2007-02-24 23:10:21 | 思想・文学
『おかしな男 渥美清』(小林信彦著、新潮文庫)を夢中になって読んだ。

小林信彦には『日本の喜劇人』(新潮文庫)や、多種多様なエンタテインメントに関するコラム集があり、それらも読んではいるが、土着的・人情的な「寅さん」と都会的な「小林信彦」とのイメージはダブらない。
実際にこの本も、『男はつらいよ』がヒットするまでの渥美清のエピソードに力が注がれている。

著者の見出していた渥美清の魅力は、「その道」の過去がなせる迫力と異形、それらとつり合わない美声などにあって、『男はつらいよ』では魅力の半分も出していないのだとする。つまり、枠にはまらない「おかしな男」ということだ。

それはそうかも知れない。『男はつらいよ』の最初の数作品で渥美清が見せていたような野蛮さ、乱暴さは次第に影を潜めていく。テレビで見るこちらにとっては、そんな粗暴な姿は不快なものだった。しかし、ほとんど『男はつらいよ』でしか渥美清を知らないわけで、本来のアナーキーな姿を見てみたい気もする。

最近、『男はつらいよ』での浅丘ルリ子との共演作(『寅次郎忘れな草』、『寅次郎相合い傘』、『寅次郎ハイビスカスの花』、『寅次郎紅の花』)を、この数年間のNHKでの放送で見て、本当に良いなあなどと感じている。これを、日本人に受ける情緒的な路線とされてしまうと、情緒的でもベタベタでもいいじゃないかと言いたくもなる。

ずっと疑問に思っていたことが解消した。『八つ墓村』(野村芳太郎)で、渥美清が金田一耕助を演じているが、「寅さん」しか知らない目には違和感しかなかった。実は、渥美清がほかの路線の可能性を模索していたこと、それから松竹と角川書店との衝突により渥美金田一は一作のみに終わること、が明らかにされる。改めて想像してみると、渥美金田一も悪くはないのではないかと思える。

渥美清は、共演を重ね、「ごぜん様」こと笠智衆の人格を尊敬するようになっていたとのことだ。それから、三國連太郎は渥美清の弔辞で、次のように語っている。

「(略)いくら笑っておられても目だけは冷厳に一人一人を見つめておった。そのことが私のように気弱な精神の持ち主にとっては耐えられなくなりました。(中略)私の方で、実はあなたに見透かされないように逃げて歩いたというのが正直な告白だったんです。」

冷たい風の中で屹っと立っていそうな三國、一本筋の入った人格者・笠、そしておかしな男。役と商売と実生活はぜんぜん違うのだろうが、まるで違う世界に居そうなこの3人の姿を想像するだけで面白い。あらためて、三國の写真集『Cigar』(沢渡朔、パルコ)や笠智衆の写真集『おじいさん』(小沢忠恭、朝日新聞社)を出してきて眺めたりしている。とくに『Cigar』は、沢渡朔がPENTAX LXで「個人的に向き合って」撮った作品であり、三國の精神妖怪ぶりが表現されている。







匿名

2007-02-23 02:00:09 | 環境・自然
数日前、『週刊S潮』の電話取材があった。
海外の排出権ビジネスを展開している企業についての記事を書きたいとのことだったが、ずいぶん危なっかしいし、どんな記事になるのか甚だ不安なので、名前を出さないでもらうようにした。
きょう到着した最新号をめくってみると、「アナリスト氏」という表現になっていた。誰が「アナリスト氏」か。

スリランカの映像(2) リゾートの島へ

2007-02-22 00:14:56 | 南アジア

NHK BS1で放送されたドキュメンタリー『大津波 復興の現場で』(From Dust)(2006年、UAE制作)。

2004年末のインド洋大津波による被害と、それに便乗したスリランカ南岸のリゾート化をルポしている。場所は南西部のゴールやマータラである。

復旧時に、スリランカ当局は「海岸から100m以内は何も建てては駄目」との通達を出す。当初の建前は、「また津波がやってきたら危険だから」だったが、実際には津波が襲ってくる地域はもっと広いのであって、100mに何の根拠もないことが明らかになっていく。実は、これをきっかけに海岸地域を海外大手資本に売り渡し、大型ホテルや商業施設などの誘致を進めるための戦略であることがはっきりする。

いかにもありそうな話だ。これをきっかけに、スリランカ南部は人工的なリゾート地域となっていくのだろうか(もうなっているのだろうか)。このような施設を歓迎する観光客はいるし、それによって地元の経済が潤い雇用も促進されるのかもしれない。しかし、すでに、「ハコものは土建屋と政治家と一部大規模資本だけのためのもの」という面は、あちこちで実証されている。スリランカではどうなのだろうか。

私が97年頃に訪れたマータラの宿は、裏庭の扉を開いたらそこがインド洋だった。たぶんあの宿はもう無いのだろう。商業ビルがない光景も少なくなっていくのかと思うと、これでいいのだろうかと感じる。

ところで、欧州のセメント企業ホルシムのマークがよく目についた。調べてみると、ゴールに工場があり、復興にも協力しているようだ。ドキュメンタリーのスポンサーシップでなくても、企業の社会貢献として大きなアピールとなることだろう。

このドキュメンタリーは、ウェブで全編(1時間弱)見ることができる。シンハラ語は英語字幕となっている。

http://link.brightcove.com/services/player/bcpid330512738?bclid=331394380&bctid=372181144


マータラの海岸(1) PENTAX ME-SUPER, FA28mm/f2.8, Provia 100


マータラの海岸(2) PENTAX ME-SUPER, FA28mm/f2.8, Provia 100


スリランカの映像(1) スリランカの自爆テロ

2007-02-20 22:35:23 | 南アジア

NHK BS1で、『自爆テロ・女性工作員の素顔』(My Daughter The Terrorist)が放送された。制作はノルウェーのSnitt Film。現在もスリランカ北部・東部で活動を続ける反政府組織「タミル・イーラム開放のトラ」(LTTE)。そのなかでも精鋭部隊とされる「ブラック・タイガー」に所属する2人の若い女性兵士をルポしたドキュメンタリーである。

ノルウェーには、スリランカから移住した多数のタミル人が住んでいる。そして、すでにスリランカや米国だけでなく、タミル人の多い英国や豪州もLTTEをテロ組織として指定している一方、ノルウェーはスリランカ内戦の和平役を買って出ている。ノルウェーの番組制作会社が、一見「テロ組織寄り」の番組を作った背景もそこにあるのかもしれない。

主役の女性たちを描く視線は、一貫して同情的である。勿論、テロによる無差別殺人は許されるものではない。しかし、誰にでもわかるであろう、その大前提のもと、このような番組を作るということは、あえて言えば称賛されても良いのではないか。この背景にあるタミル人抑圧の歴史には目をつぶるべきではない。逆に、シンハラ人兵士の家族の悲劇を描いた映画『満月の夜の死』(プラサンナ・ウィタナゲ)を観るときと同様の心のありようが問われているように思える。

私が以前にスリランカで居候を決め込んだラル君のもとにも、たまたま帰省していた政府軍兵士が遊びにきた。気さくな人だったが、あとでラル君にきかされたところでは、「前線から『怖い、帰りたい』と手紙が何度も来た」とのことだった。戦争を、組織の論理でなく個人の関わることとしてみれば、ことをばっさりと斬ることはできないだろう。

たとえば、あさま山荘事件やそれに先立つリンチ事件を起こした連合赤軍。当然ながら犯罪であり、罰せられるべきだったとしか言えない。しかし、連合赤軍を「理解できない狂人の集団」としか見ることのできなかった、「連合赤軍『あさま山荘』事件」(佐々淳行著、文芸春秋)を読んだとき、なんとも言えない「嫌な感じ」があった。これに対し、パトリシア・スタインホフ「死へのイデオロギー・日本赤軍派」(岩波現代文庫)で描いたような、「間違ってはいたが、真摯に社会にぶつかった人々」への視線のほうを、持つべきなのだと思う。当然、佐々氏原作の映画のメンタリティは、この番組の水準には及ばない。

「自爆テロ」は、言うまでもなく、異常な手段である。「9.11」で世界を震撼させた方法だが、じつは、この20年間をみれば過半数はスリランカで起きている。それほどに歪んだ背景が、スリランカという土地のなかにあったのだということが重要なのだろう。


1980~2000年2月の自爆攻撃件数 「自爆攻撃―私を襲った32発の榴弾」(広瀬公巳著、NHK出版)より作成

「自爆攻撃―私を襲った32発の榴弾」(広瀬公巳著、NHK出版)によると、LTTE顧問のバラシンハムは、「われわれは、どんな命も犠牲にしていません。(略)その過程で、不幸なことに多くの若者が命を落としました」と発言している。一方、この番組での女性兵士は、「自分たちの死に時はリーダーによって決められ、それは絶対だ」と言う。明らかにLTTEでも組織の論理と個人との関係が乖離しているように思える(そうでなければ、このような異常なテロ組織は存続しないのだろうか?)。

穏健派として知られたバラシンハムは、昨年亡くなり、和平に影をさしたとのことだ。また、この女性兵士2人は、2006年9月現在、所在も生存もわからないとのことだ(番組ウェブサイトによる)。

エディリヴィーラ・サラッチャンドラ、『明日はそんなに暗くない』(南雲堂)で1971年のシンハラ人民解放戦線による反乱を舞台に描いた「憎しみの連鎖」。これに対してジャヤワルダナ元大統領のことばを続けるのはたやすいことだが。

■ 『自爆テロ・女性工作員の素顔』(My Daughter The Terrorist)ウェブサイト(予告編やニュースを見ることができる): http://www.snitt.no/mdtt/index.htm


浦安・行徳の神社(3)

2007-02-20 01:20:36 | 関東

2ちゃんねるで知った。毎日新聞の他にニュースソースが見当たらない。
妙に「神明神社」の検索が多いので何だろうと思っていた。

■神明神社 (市川市本行徳)
2月18日午前3時10分ごろ、市川市本行徳1の「本行徳1丁目神明社」の拝殿から出火、拝殿と本殿約60平方メートルを全焼。通行人が発見し、110番通報した。けが人はなかった。放火の可能性が高いとみている。(行徳署)
毎日新聞2月19日朝刊(一部改変)


浅川マキ DARKNESS完結

2007-02-18 02:00:15 | アヴァンギャルド・ジャズ
浅川マキのベストアルバム、『DARKNESS IV』が出た。
2枚物の第4弾、前回の『III』から10年ぶりだ。



あらためて、マキさんのエッセイ『こんな風に過ぎて行くのなら』(石風社)を読んでいて気が付いた。このアルバムにも収録された「」の歌詞、私はずっと「かすかに犬の臭いがしている」だと思い込んでいたのだが、本当は「かすかに犬の行くのがわかる」だった。しかし、マキさんのイメージは、汚くて猥雑な夜の新宿の街とともにあるので、まあどっちでもいいのだ。

なお、「夜」が収録されていたアルバムは『マイ・マン』(1982年)だが、以前CD化されたときに、マキさん自身がその音に不満を抱いて、すぐ廃盤になった経緯がある。そのため中古市場でも異常な高値が付いているという皮肉なことになっているが、『DARKNESS』では音がずいぶん豊かになっている。

マキさんをはじめて聴いたのは、たぶん1995年、新宿ピットインだった。渋谷毅、川端民生、セシル・モンローと組んでいて、音のうねりとあまりの自由さに圧倒された。自分が求めていたものだと感じた。その後、新宿ピットインや文芸座ル・ピリエに何度も聴きに行った。そのル・ピリエも今は無い。

『DARKNESS IV』には、マキさんの新宿蠍座でのデビューライブ録音(1968年)が入っている。少し手探りで歌っているようだが、もう「老成」しているのがわかる。このころ20代に違いないのに。

ほかの聴きどころは、『寂しい日々』(1978年)に収録されていた「ナイロン・カバーリング」。川端民生のベース、それから山下洋輔のピアノをバックに歌うこの曲は、娼婦の歌である。ナイロン・カバーリングはコンドームだという人がいるが、私はストッキングではないかと思う。私がマキさんを聴き始めて2年くらい経ったころ、ずいぶん昔からのファンだというUさんと知り合った。それが縁で、何枚ものLPをダビングしてもらった、その中に入っていた。それもあって、CDで聴けるのはとても嬉しい。Uさんはマキさんのライヴでもなかなか見かけなくなったが、元気だろうか。

それから、『黒い空間』(1994年)から、大好きな「あの人は行った」が収録されている。マキさんの魅力は、冗談みたいだが、(暗い)ライヴが終わったときの、感極まったメンバー紹介や観客への呼びかけにもある。この曲でも、渋谷毅を紹介したあと、「またね」と叫ぶ。編集物とはいえ、最新のアルバムの最後のほうにこの曲を入れたことは、まだまだライヴを続けるという意思だととらえたいと思う。

マキさんの昔のエッセイ『幻の男たち』(講談社)には、吉田拓郎が「年下のくせに」といいつつも、マキさんの歌う「夜が明けたら」を聴きにきていたとのエピソードがある。実際には年上で、たぶんもう60代も半ばだろう。

今でも毎年、新宿ピットインで何日も続けてライヴ公演を演っているのだけど、ここ何年もマキさんを聴きに行っていない。次は絶対に駆けつけよう。

ところで、天才アケタこと明田川荘之の怪書『ああ良心様、ポン!』(情報センター出版局)に、変なことが書いてあった。マキさんの本名は「虎野まき」。本当だろうか、冗談だろうか。



シネカメラ憧憬

2007-02-15 23:59:46 | 小型映画

椎名誠は昔から結構好きで、いろいろ読んだ。真っ直ぐで素朴な気持ちの表現は、本当にうまいと思う。しかし、軽いので、どれがどれだかはっきりとは覚えていない。

『まわれ映写機』(幻冬舎文庫)も、電車の行き帰りですぐに読んでしまった。

映画好きで、自身でも8ミリからはじめて撮り続けているということは知っているが、ここまでシネカメラへの憧れを書かれてしまうと、こちらの頭も溶けてしまう。カメラフェチだ。

アリフレックス。ボリュー。ボレックス。エルモ。キヤノン。アトーン。フジカ。 ただ、8ミリではなく16ミリとなると、よほどでないと家庭人失格となる。カメラもさることながら、フィルムや現像代が8ミリとは比べ物にならないくらい高いのだ。

それで、私は、愛用のカメラバッグにボリューのピンバッジをつけて我慢している。ボリューには8ミリもあるから、実は半分現実的な憧れの対象でもある(実はピンバッジは16ミリではなく8ミリの「5008」という機種で、8ミリのくせに高いから、同じようなものだ)。それから、アリフレックスの野球帽も使っている。バカみたいだ。

8ミリを1年以上ほったらかしている間に、35ミリ用に先立って、8ミリ(スーパー8)のコダクロームは姿を消してしまった。この本でわりと気分が高揚したので、また8ミリをまわそうと思っている。


PENTAX ESPIO MINI で北京を散歩

2007-02-14 01:24:04 | 中国・台湾

ペンタックスが、1994年に「創業75周年記念」として出した単焦点コンパクトカメラ、エスピオミニ。

32mm/f3.5のレンズは、線が細く、マゼンタがかっている。シルバーとブラックがある。輸出版は「UC-1」という名前なので、ebayなどではそのほうがヒットする。描写に不満はないが、小さすぎて指が写る失敗があった。


天安門, PENTAX ESPIO mini, シンビ200


北京の土産, PENTAX ESPIO mini, シンビ200


6年目の味噌作り

2007-02-12 14:19:28 | 食べ物飲み物
妻と子供が今年の味噌を仕込んでいた。私は見ているだけ。

茹で大豆をつぶすために昔の餅つき器を借りてきたらしい。
糀を入れて、またこねて、空気を抜いて、出来上がり。
1年後が楽しみだ。いま食べているのは2年ものだと言われた。


いただき物のデジカメで撮影してつなぎ合わせた

ハヌマーン(1) スリランカの重力

2007-02-11 23:40:13 | 南アジア
ハヌマーンは、古代インドの物語『ラーマーヤナ』に登場する猿の神である。

妻を魔王ラーヴァナに拉致され、ランカー島(スリランカ)に軟禁されてしまったインドの王子ラーマは、猿王スグリーヴァと同盟を組んで、猿と熊の軍勢を提供してもらう。この軍勢の総大将が、風神ヴァーユの息子で怪力の猿ハヌマーンだった。ハヌマーンは空を飛んでランカー島に赴き、尻尾につけた火であたりを焼き払う。さらに一旦インドに戻り、ラーマと合流し、攻撃に大活躍する。(『ヒンドゥー教』M.B.ワング著、青土社)

メキシコの作家オクタビオ・パスの大傑作『大いなる文法学者の猿』(新潮社)では、このように語る。

(略)そしてその空白の領域の中心にある暗い巨大な形(フォルム)。それは山が噴出した一個の隕石だ。大海原の上に強力な物体が宙吊りになっている。太陽ではない。まるで猿どもの間に紛れ込んだ象だ!猿の中の獅子だ、牡牛だ!巨大な蛙のように天空(エーテル)の中で後肢を屈伸させ、前肢もそれに合せて力強く泳いでいく。前へ突き出した頭は風をつんざき、さながら嵐のなかを突き進む舳先だ。双眸は旋風を射抜き、石のように張りつめた空間を貫く前照灯(ヘッド・ライト)だ。赤い歯茎と暗紫色の唇の間から真白な歯がのぞく。今にも喰いつきそうな研ぎすまされたやすりだ。硬直して上を向いた尾は、恐るべき伝馬船のマストになる。身体全体が燃えしきる炎のように彩られ、あたかも海上を飛翔していく活力(エネルギー)の溶鉱炉、煮えたぎった銅でできた山塊だ。身体中を伝って流れる汗の雫は、海と大地の子宮に降りそそぐ豪雨だ(明日にも怪物や素晴らしい獲物がとれるだろう)。(略)

何とも猛々しい表現だが、ハヌマーンは文法学者でもあった。『ラーマーヤナ』の作者とされるバールミーキの友人、助言者、霊感を与える者としても描かれている。そしてハヌマーンが『ラーマーヤナ』を踏襲して岩に書いた戯曲『マハー・ナータカ』を、バールミーキは保身のため恐れ、猿はその岩を山ごと大海に投げ捨てる

作者と作品とが混じりあうメタ・フィクションのようになってくるが、『ラーマーヤナ』では、ハヌマーンはインドからランカー島に薬草を運ぶ際に、山ごと薬をもってきて、そこから欠けた一片が海に落ちることになっている。

アーサー・C・クラークは、これを、隕石が落ちた実話からくるに違いないこと、さらにスリランカ近海に世界最大の重力特異点があることがその証拠だと主張している(『スリランカから世界を眺めて』アーサー・C・クラーク著、サンリオSF文庫)。さらに彼は、そのアイデアから、SF『楽園の泉』(ハヤカワ文庫)を書いてさえいるのだ。

つまり隕石が、地下・海面下の密度を変えてしまい、その近くでの重力を弱くしているというわけだ。地面から下は均一ではないから、海抜高度は実際にはでこぼこになる(重力が強ければ、このジオイド面は盛り上がる)。実際に現在のモニタリング結果でも、スリランカ近辺にジオイドの特異点があることがわかっている。ジオイド面が凹んでいるところである。

クラークが考えたのは「宇宙エレベーター」、つまり、スリランカから垂直に宇宙までつながるエレベーターを建設することだった。実際に使用済みの人工衛星は重力の関係からインド洋上空に引き寄せられている。ここを選ぶと、エレベーターも安定ということだ。

隕石説には疑問(そんな大きな隕石が地球に衝突したらタダではすまなかった気がする)だが、科学的には、宇宙エレベーターは不可能ではないようだ(『軌道エレベータ―宇宙へ架ける橋―』石原藤夫・金子隆一著、裳華房)。

ところで、魔王の巣窟として描かれたスリランカでは、あまり『ラーマーヤナ』は受け容れられていないらしい。仏教から「浅薄で取るに足らない物語」とされたようだが(『ラーマーヤナの宇宙』金子量重・坂田貞二・鈴木正祟著、春秋社)、それ以上に、自国がそんな舞台の話は受け容れる気にならないのではないか。

オクタビオ・パス、アーサー・C・クラークともにスリランカ関連書として、旅の前にもイメージが膨らむものとしてとても良い書籍だが、入手困難になって久しい。筑摩書房や早川書房など、どこかが再発すべきだ。


ジオイド図 みごとにスリランカの重力特異点が示されている (ドイツ国立地球科学研究センター)


インド・オールドデリーの市場で買ってきたハヌマーン 手には山がある

薄っぺらい本、何かありそうに見せているだけタチが悪い

2007-02-11 00:28:29 | 関東

ブックオフで、『アースダイバー』(中沢新一著、講談社)が半額だった。わりと話題になっていたし気にもなっていたので読んだ。

じつはこの人の本を読むのははじめてだ。学生時代に講演を聞いたことはあるが。

コンセプトは、東京の自然史(凸凹の持つ地学的意味)と、神社・寺や遺跡を結びつけること。

縄文海進の時代に、高台やそのエッジに神社・寺や遺跡が作られた。それは、まあ、常識である。

これを地図により示し、そこから歴史や都市伝説や感覚についての話を展開している。そのアイデアはわりに新鮮であり、結構楽しくも読めた。しかし、それだけである。

むしろ、ものものしい言い方や強引な一般化ばかりが鼻についてしまう。やっぱり、以前からの印象通り、消費社会の徒花に過ぎないのだろうと思った。

こんなものより、『東京の自然史』(貝塚爽平著、紀伊国屋書店)をじっくり読み、東京を歩いてみるほうが知的好奇心を満足させてくれるはずだ。中沢氏も本書を参考文献に含めている(当たり前だ)。しかし一方、「東京は中心に皇居があるため円環構造」ということを執筆中に、確実に意識していたはずの『表徴の帝国』(ロラン・バルト著、ちくま学芸文庫)が記載されていない。あまりにもあからさまだから、書くのも恥じたのだろうか。

といいつつ、地図はよくできているので、東京を散歩する前にはチェックしようと思う(笑)。私が学生のときに東京の白地図上に色鉛筆で書いたものよりは数段よい。「地学+文化」というコンセプトと、コンピュータのおかげである。

まあこんなことを言っても、多くの批判にかき消されてしまうのだろうが。


PENTAX LX のアカシア製グリップ

2007-02-08 20:50:38 | 写真
私のLXには、オーストラリアのアカシアで作られたグリップをつけている。大ぶりで触り心地も使い勝手も良い。

何年か前に、オーストラリア人からebay経由で購入した。そのとき、「儲からないから、もう作らない」とか言っていた。

予備にもう1個くらい欲しい。何人か欲しい人を集めれば作ってくれないかと思っている。

ところで、MXにも、小さいだけにグリップがあるといいなと思う。以前、ワインダーをグリップ代わりにつけていたが、煩いのではずしてしまった。長谷川工作所さんによると、MXにワインダーをつけると傷むこともあるそうだ。



売り手は、これだ、と、豪州政府のウェブサイトで教えてくれた


レイシーは最後まで前衛だった

2007-02-07 01:51:01 | アヴァンギャルド・ジャズ
2004年に、何度目かの来日直前に亡くなったソプラノサックスの達人、スティーヴ・レイシー。彼の妙な録音が出たというので、本当にわくわくして買った。

New Jazz Meeting Baden-Baden 2002

ベース、ドラムスはいいとして、ターンテーブル、エレクトロニクスと共演している。あのレイシーが

曲によって編成が異なり、十八番のソロもある。レイシーのソロのCDは何枚か持っているが、魔力があって、ぜんぜん飽きないのだ。普通、サックスソロなんて1時間も聴いていれば途中で変えたくなるものだ。
この録音でも、まわりにエレクトロノイズがあろうと、ソロだろうと、レイシーの音が浮き出てくる。そして時間が飛ぶ

レイシーは最後まで凄かったのだと思いつつライナーを読んでいたら、Reinhard Kager氏が「Steve Lacy was a searcher to the very end」と書いていた。

この記録は、というよりレイシーがいたということが、・・・。