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七夜待 (2008/日)(河瀬直美) 75点

2008-11-06 13:41:13 | 映画遍歴
設定場所は奈良からタイに変われど、同テーマである。と、思われる。生きていることの何気ない不安、生きるということの意味、そして過去から現代、未来へ人間はどう繋いできたのか、またはいくのか、、といったものが僕なりにテーマだと思っているが、何作を作っても答えは見つからないようだ、、。

それは、でも現代人が誰もがぼんやりと常に考えているものでもある。僕からすればそれの解答はないと思う。解れば映画なんか作る必要もないのであり、僕らも映画・書物等を手にする必要もないであろう。そんな、茫漠としたテーマを映画で切り取ろうとしている彼女の並々ならぬ情熱、野心は映像を通して十分感じ取れる。

今回、ほとんどセリフは脚本になかったらしいが、こういう作り方は俳優の感性、知性、人生観に左右されることだろう。そしてそれを仰せつかった長谷川京子、セリフがないシーンはそれなりに雰囲気が漂うが、アドリブ的なセリフの内容が日常的過ぎ、興ざめの部分もあった。しかし、それはそれでいいのであろう。この映画は俳優が人間として目覚めるときを切り取ろうとしているものだから、彼女のほとばしりが映像に出現すれば意図は達したといえるのである。

言葉の通じない場所に来た主人公。タイ語、日本語、フランス語の言葉の壁。しかし安息の場所を得て、言語を超えた人間との結びつき、自然との調和、宗教への導き。人間は目を背けたい現実から逃れることが出来るのだろうか、または飛翔できるのだろうか、、。

90分、いかにも通常の映画を見慣れた観客からはそっぽを向かれそうな映像の連続。でも、俳優たちを通して今自分が在ることの意味を強く感じさせるためにはこういう映画手法も必要かな、と思ってしまう。すなわち、映画を作っていく過程でテーマに対する解答が生まれてくるのである。それを読者である我々観客も河瀬直美とともに探求していくのである。だからこの映画には終わりはない。ラストのように人間が生れ落ちたその世界へ戻っていくかのようである。

まだまだ作品を通じて河瀬の探求は続く。僕たち観客も彼女と一緒に旅をしなければならなくなる。そんな映画である。こんな映画もあっていいのだと僕は思う。ほとんどの人は「退屈」の一言で片付けられる映画ではあるかもしれないが、、。この映画には確かなチカラがある。

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