パリ、マレ地区。最近テロのあった地区でもある。今年春にたまたまここに10日間居留した。そしてこの映画。何となく僕には因縁のようなものも感じます。
映像に出てくる街並みはまさにマレである。つい最近のことなのに懐かしい。あの、決してきれいではないセーヌ川を何度訪れたことか、、。映画に戻ります。
ここでは聞き慣れないヴィアジェという不動産取引用語が前半の中心話題となる。何億という遺産を期待した初老の男がヴィアジェの制度のため、この屋敷に住む老女の死を迎えるまで実質的に動産(カネ)にならないと知る。
なるほど。フランスらしいいわゆる年金制度のようなものですネ。
そしてこの女性が父親とダブル不倫をしていたことにそのうち気づく。彼の母親は自分の目の前でピストル自殺をしているのだ。60前になっても息子にトラウマは残る。そのうち、この家に住む娘も自分と兄妹ではあるまいか、と疑い始める、、。
マギー・スミスの演技が鋭すぎて的確で、表情ひとつで、もう瞬時に彼女が何を考えているのかつぶさに分かってしまう。これはどう言ったらいいのだろう、ある意味面白くないのだ。演出の難しさですね。
この映画って、舞台がパリでフランス映画風だけど、言語がイギリス語でイギリス風、そこにケビン・クラインがアメリカ人なのでアメリカ風の文化も交じる。何か、すっきりしない得体のしれない色彩と空気が混じり合い、全体を漂っているのです。
娘も(とはいえ、50を十分越えているが)不倫の相手を見限ったあと、即クラインと恋に落ちると言うのも少々あざとい感じもするし、いつものフランス映画、イギリス映画から自然と感じ取る人生というものが、今回は稀薄でした。
ただ、ダブル不倫の子供側から見たトラウマ映画というのは初めてで、何となく悲しかったね。でもこの映画、それほど不倫を否定しているわけでもなく、(恋に生きるフランスの国民性をより前面に出していた気もする。)一体全体どうしたいねん。
少々ぼく的には欲求不満の残る映画でした。
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