悲しい話である。むごい話である。文化大革命の10年は人々にとってはむしろ戦争ではなかったのか。歴史が人間に対して与える試練は一人一人の個人生活を牢獄にしてしまうこともある。
冒頭の荒くて動的な映像からは考えられないほど、夫が帰還してからのこの家族の営みは一転して緩やかに一つの家族の現実を描いてゆく。
どんなに夫が過去を思い起こさせようとしても、病状が進んでいる妻にはほとんど効果は表れない。一番愛している夫の顔が(娘が写真の中からすべて夫の顔だけをくり抜いているということも原因にあるが)一番嫌悪する男の顔にスライドされてしまっている事実。これは悲劇を通り超えてむごすぎる。
記憶障害と言っても、認知症の症状も見えているのでこの妻の病状はこれからもおそらく回復することはないのであろう。けれど夫は今でも自分の帰還を待っている妻のために、ある親切な人という役割を永遠に持ち続けることを決心する。
悲しい終りである。けれど美しい終りでもある。二人の愛は壊れることなく、じっと育まれていく。何故なら夫は妻が永遠に自分を愛していることを間近に感得できる。この上ない愛の形があろうか、、。
チャン・イーモウはこの映画では文化大革命への政治的怨念は自粛しているようだ。その分、純粋な夫婦愛の昇華に行き着いた。けれどそれで本当に人々は幸せになれるのだろうか、、。愛はあれど時間は戻らず、である。静かに静かにチャン・イーモウは自粛して二人の愛の姿を描く。
中国の人たちは歴史的にも時間というものを多大に犠牲にしてきた。そしてひょっとしたらそれは現代でもまだ続いているのかもしれないのだ。
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