ある高校生の父親は身障者で旅を回るタップダンサーである。母親はフィリピン人で行方知らずである。住んでる所は不法住宅っぽい二階建て長屋風。学校には通っているも口うるさい教師とどこにでもあるようなクラスメートばかり。
これらをベースに彼の日常が始まっていく。ワンドゥギは2世とはいえ(両親と似ても似つかず)韓国人としても鼻が高くハンサムである。ここがちょっと嘘っぽいのであるが、それを言い始めると映画が成り立たないのでオミットしよう。
口うるさい教師は隣人でもあるが貧乏人だと思えば家はブルジョアであることが分かる。けれど父親とは金銭的に援助はない。どうも底辺の人たちを対象に社会的活動をしているらしい。口うるさくて殺してほしいと神に託すぐらいだが、本当はいい奴だということがそのうち分かって来る。
このようにこの作品は底辺から社会・人間をつぶさに見つめたものであるが、しかしその視線は誠にすがすがしい。それはすべて自分に置かれた境遇を何かのせいにし、ただ怠惰に生きていく若者が多い現代社会と対比させているかのようでもある。
彼と何が違うかというと、彼はすべてをありのまま受け入れている。貧乏を受け入れる。身障者等(父と同僚の男)を受け入れる。国籍の違うアジア人(移民)を受け入れる。
受け入れるということは自分を無色にするということなんだ。そうすることによって周りの色が薄くてもしっかりと見極められる。すなわち自分自身が成長し、大きくなると言うことなんだ。
成長した彼は自分の出来ることを求めてキックボクシングの道を行く。自分自身の恋愛も、教師の恋愛も、あの映画時間内でしっかりと入れてしまい、ホント【イ・ハン】は詰め込み過ぎる展開でありながら、とてもいいハナシを創造する。
ちょっと最近落ち込み気味の僕にはすばらし一滴の水となりました。人のせいにするより、まず自分をどう変えるのかということが重要なんだよね。そこから何かが始まるのだ。実にいい映画だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます