もう数十年前に読んだ原作だ。いまだふつふつと覚えている。それは夏の熱気である。不倫相手の男に会うために家を訪ねる。もがく女は道路に倒れる。そんなイメージがまだ残像として残っている。土の熱気がいまだ冷めやらぬ。
原作とは少し違い、映画は二人の男を行き交う女の生理を醒めて見つめているかのようだ。女は悶々としているが自制しているように見える。恋はまさに病だ。薬がないのだから何をやっても治るわけがなく、ただのた打ち回るだけだ。解決方法はない。ましてやそれが八年続く不倫であるのなら、、。
衣装、街中の風情から昭和三〇年代への回顧が目立つ。女は日常的に着物を着ていた時代である。掃除をするにも着物をたくし上げて箒を使っていた。そんなイメージが映像を覆っている。
男が二人の女の家をきっちりと計算し泊まり歩くなど、考えたら平安時代の妻問婚風でもある。当時の女性たちも同じくこういう苦悶を持ちながら日夜明け暮れていたのであろう。
寂聴も平安の小説に興味を持っているのは実はこういう経験が原体験にあるのかもしれない。けれど、女に手に職がある昭和の時代では平安とは違い、映画ではじっくり女が男の値踏みをしている風でもあった。この視点が大変面白かった。
それほど新しい映画とも思えなかったが、しかし一方テーマ的には現代に取り込めなかった感もするなあ。何しろ不倫を含む三角関係を描いてセックスシーンのひとかけらもないという稀有な映画である。熊切一流の醒め方はこの映画ではどう評価されるのであろうか。
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