最近流行りの2部、3部作にしなかったところがまず偉いと思う。随分珍しいインターミッション。昔はこれが多かったなあ。要するに良心的なのである。○○○○少年とは随分違います。
上映時間は長いけれど、疲れることはない。眠くなることもない。それはこの映画の基本スタンスが日航ジャンボ事故の搭乗者の目線で語られているからだろう。観客への気持ちの思い入れが自然と入り込むその脚本と演出の秀逸さ。
それは冒頭から始まる。あ、いやだなあ、と一瞬僕は思った。この、ジャンボ事故の搭乗者にまつわる話は辛すぎて出来たらパスしたいぐらい。僕は昔、搭乗者家族で出版した詩集を身に詰まらせながら読んだことを思い出す。僕もよく乗っていた東京大阪便。彼らが事故に遭われたのはまさに偶然である。
当時としては普通の企業経営方法を恐らく採っていただろう上層部の腑抜けぶりも露骨ではあるが、強烈だ。全部事実ではなかろうが、それにしてもかなり物議をかもしだしそうな描写である。政治家の役名もいかにも誰だと推測できそうな命名ぶり。
まさか恐らくここまで実際ひどいとは思えないが、役員が新任になっても事故責任は前の人に棚上げする無謀ぶり。顧客を顧客と思わない経営陣はいつかしっぺ返しを買うはず。まあ、それが今に通じているのかもしれないが、、。
なぜか海外勤務が左遷の一手法だと言わんばかりの、この露骨な表現はいくら何でもと訝るところは多いが、組合つぶし対策としての報復仕事環境は考えさせられるものがある。
その代表として【香川照之】を登場させているが、もう少し彼の役は掘り下げて欲しい感があった。 彼が唯一、生涯で生き生きしていた時の組合集合写真。写真一枚だけでは彼の自殺を説明できないだろう、、。
むしろ【渡辺謙】は海外赴任となっているが、屈辱的な仕事にはタッチしていないのである。人間剥奪的なイジメ仕事をやっているわけではないのである。そんな、人間として、生きる上での仕事さえもぎ取られた組合員の大勢の気持ちは最後まで【渡辺謙】から語られることはない。
何かこの映画に描写されている企業、○○教育、経営者陣の不正ぶりなど同じ多数の犠牲者を出した○○西○○と共通するものがあるもののように思える。
繰り返すが、この映画の基礎的トーンは理不尽にもこの世から消されてしまった犠牲者たちの鎮魂の思いである。また一方、企業というどえらい生き物はその操縦方法によっては怪物にもなりかねないのである。それはもちろん現代においても不変のことである。
現代という時代においても、貧困が徐々に進行しているという今の社会状況だからこそ意義のある映画ではないかと思うのである。
上映時間は長いけれど、疲れることはない。眠くなることもない。それはこの映画の基本スタンスが日航ジャンボ事故の搭乗者の目線で語られているからだろう。観客への気持ちの思い入れが自然と入り込むその脚本と演出の秀逸さ。
それは冒頭から始まる。あ、いやだなあ、と一瞬僕は思った。この、ジャンボ事故の搭乗者にまつわる話は辛すぎて出来たらパスしたいぐらい。僕は昔、搭乗者家族で出版した詩集を身に詰まらせながら読んだことを思い出す。僕もよく乗っていた東京大阪便。彼らが事故に遭われたのはまさに偶然である。
当時としては普通の企業経営方法を恐らく採っていただろう上層部の腑抜けぶりも露骨ではあるが、強烈だ。全部事実ではなかろうが、それにしてもかなり物議をかもしだしそうな描写である。政治家の役名もいかにも誰だと推測できそうな命名ぶり。
まさか恐らくここまで実際ひどいとは思えないが、役員が新任になっても事故責任は前の人に棚上げする無謀ぶり。顧客を顧客と思わない経営陣はいつかしっぺ返しを買うはず。まあ、それが今に通じているのかもしれないが、、。
なぜか海外勤務が左遷の一手法だと言わんばかりの、この露骨な表現はいくら何でもと訝るところは多いが、組合つぶし対策としての報復仕事環境は考えさせられるものがある。
その代表として【香川照之】を登場させているが、もう少し彼の役は掘り下げて欲しい感があった。 彼が唯一、生涯で生き生きしていた時の組合集合写真。写真一枚だけでは彼の自殺を説明できないだろう、、。
むしろ【渡辺謙】は海外赴任となっているが、屈辱的な仕事にはタッチしていないのである。人間剥奪的なイジメ仕事をやっているわけではないのである。そんな、人間として、生きる上での仕事さえもぎ取られた組合員の大勢の気持ちは最後まで【渡辺謙】から語られることはない。
何かこの映画に描写されている企業、○○教育、経営者陣の不正ぶりなど同じ多数の犠牲者を出した○○西○○と共通するものがあるもののように思える。
繰り返すが、この映画の基礎的トーンは理不尽にもこの世から消されてしまった犠牲者たちの鎮魂の思いである。また一方、企業というどえらい生き物はその操縦方法によっては怪物にもなりかねないのである。それはもちろん現代においても不変のことである。
現代という時代においても、貧困が徐々に進行しているという今の社会状況だからこそ意義のある映画ではないかと思うのである。
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