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久々にユトリロ展に行く。

2010-09-25 13:30:11 | 徒然に、、
先日ユトリロ展に行く。美術展は先月神戸まで浮世絵展を見に行ったが、それ以来。
JR京都駅の伊勢丹で催されているので、久々に朝の新快速に乗る。いつも混んでいるのでどうなのかなあと思ったが、何と時間が10時頃だったのでガラスキ。私鉄に較べると料金が少々高い分乗降客も少ないのだろうか。

30分ほどで京都に着く。久しぶりの伊勢丹百貨店。最近あまり百貨店なるものに行かない。本は売っていないし、紳士用品も少なくなっている。ゴルフもしなくなっているのでいよいよ行く機会をなくしている。

ユトリロ展は入って見ると、意外やお年を召したカップルが多い。中に入るとき、携帯の電源を切ってくれと言われたが、いかにも知ってばかりの説明ぶりがカップルの一方から聞こえるので耳障りだ。携帯の電源を切るのなら、館内での私語は静かにと言ってくれないものだろうか、、。

絵に戻ると、個人の絵画を集めたものだそうで、一応全時代揃っていた。
僕はみんなと同様「白の時代」の詫び静かな雰囲気が好きなのだ。彼の絵を良く見てみると、簡単に書いたのもあればじっくり描いたのもある。
どの絵も、女性の後ろ姿の歪曲した腰がどうしても目についてしまうが、これはどうしてなのだろうと思う。女性賛歌とも思えないし、むしろ人間たちが風景がとしていない方がぼくにはすっきりするぐらい。

母親は父親の分からない子供を産む。それがユトリロだ。小さな時から彼は祖母に育てられる。いい扱いをされなかったのか、祖母も育児を面倒くさがって食べ物にアルコール類を混ぜていたという話もある。それらが高じたのか、彼は少年時代には立派なアルコール中毒になる。その治療のために絵を描き始めたという。

彼は少量のワインを求めたがために、一枚の絵をせっせと描いていたのである。母親は彼を絵を描くための機械とさせていた節もある。そして男関係はと言うと、ユトリロの友人と結婚をしてしまうのである。(年齢はユトリロより下だったそうである。)

そんなユトリロのダイジェストを聞いているだけで、彼の絵が何を意味しているのか分かりそうな気がする。恐らく心はずっと晴れることはなかったのだろう。パリの街角の暗い空。暗い壁。そして続く坂道、、。

全体的に明るい絵が多かったが、それでもユトリロの孤独の心は絵を通してじっくり伝わってくる。商業的に彼は絵ハガキからそのままキャンバスに絵を描いていたようだが、それでも彼の心は絵の具を通して我々に強く伝わってくる。作品というものはどういう形であれ自己表現をする。だからこそ彼のその哀しさが今でも我々を惹き付けるのだろう、、。
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