これが今の地方都市の現実だなんて言われても、特に驚かないが、外国人労働者と不法滞在者たちの渦巻く甲府を見るにつけて、え、いつからこんなことになっていたんだっけとやはり自分の目を疑ってしまう。
駅前商店街のシャッターが締まりまくるというのは全国見飽きているせいか驚かないが、ラッパーホールでのあの人種差別的混乱はちょっときな臭く、でもある意味ここだけが映画的でもある。
その他、下請け土木業者の悲壮感と開き直り、悪徳商法なる飲料水や政治屋さんの登場など我らの身の回りにある現実そのものが描かれるが、それを上梓してこれが現代でござい、と言われても別に僕は何とも思わない。
フィクションとは言いながら、やはり全体的にドキュメンタリーでもある映画なのだ。そう言えばこの映画に出てくる登場人物は日本人にせよ、ブラジル人にせよ、みんな逃避性向が強い。タイに行って何とかなるなら、わざわざタイから不法滞在してまで日本に来る人っていないって。そのあたりはハーフの女の子の方が現実的だ。
で、僕はこの3時間弱の映画時間を、実は眺めてしまっていたのでした。まるで日常の新聞を読んでいるかのように。ラストだけはフィクションを意識した終わり方だったけれど、この映画はつまり演技をさせたドキュメンタリーなのではないか。(ドキュメンタリータッチとは敢えて言わない)シナリオもかなり自由だったのではないか。
眺めていたという表現は失礼かもしれないが、僕にはラッパーホールでの人種対立も、音楽的な意味合いから考えれば、ラップにそれほど内容が必要なのかどうか必然性を感じない僕からすれば、あの傷害事件に至る心理は皆目理解不能なので、この映画の唯一のフィクション部分すら理解出来ていなかったことを告白せざるを得ません。
たまにはこういう、自分に響かない映画もあります。申し訳ないです。
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