もう終わってしまっている夫婦の話であります。男と女、もしくは人間同士、結局は愛だとか何とか言ってるけれど、本当に相通じることができるのだろうか、理解することなんてできるのだろうか、本来は一体の個として通じ合うことがあるという幻想を持っているだけなのではないか、という諦観さえ覚える映画です。
つまり、人を愛することはそもそも人間はできるのだろうか、という人類が常に命題として持っている究極のテーマがこの作品にあります。例えば、それは、男と女のセックスという欲望を介したものにはなくても、親子の間にはひょっとしたら存在するのではないか、といったテーゼが、しつこく語られることになります。
子供を必要としなかった男が急に思いついたように(興味半分から)始めた疑似の子育てごっこが延々と叙述されることになります。これが僕にはかなり退屈だった。西川氏にはかなり不謹慎ですね(ゴメンナサイ)。つまりこの試みは僕の関心外のことというだけなのですが、、。
親子という血はやはり本能的に存在論的にエゴとして濃いのであります。
男からすると、今までの40数年間の人生は実に空虚であった。でもそれも本当の空虚を知り得たという意味において、実は果実があったのかもしれません。少なくとも空虚を真実だ(幸せだと)と錯覚している吾人よりは、、。
醒めた映画ですね。ちょっとベルイマン的です。むしろベルイマンより乾いていて男性的ですが、、。
映画を見て一週間ほど経って映画観がかなり変わった映画です。じわじわ面白くなってきました。秀作だと思います。
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