まあ、内容はさておきカット割りなど余韻を持たせる演出は安心できる。微風がこの不思議な町を駆け抜けている。その勢いはさわやかでいかにも水の流れのごとし。なんのてらいもなく空っぽにしている頭には心地よく通り過ぎる。
水割りだけのスナック。グラスにまず大きな氷を入れてウイスキーを注ぐ。そして水を入れる前にかき混ぜる。うーん、何か心地よい。そして女バーテンとのちょっとした会話。それは大した内容ではないが、「侏儒の言葉」とも言える会話でもある。けれど、女バーテンと客はお互いの中には入らない。
コーヒーだけの今や珍しい純喫茶。ポツンポツンと来る客にここでもちょっとした会話がある。でも、お互い、相手の中に入ることはない。
もう一つの店は女主人の豆腐屋。ただ買うだけの店から店先に腰掛けを置いて豆腐だけを味わう客たち。ここでは会話はほとんどない。
またほとんど客のいない銭湯もある。まだ赤ん坊のような子供を脱衣所に寝かせ、客の女たちは世話をする。のんびり感がいい。
これらの店を潤滑油のように巡るのはどこか得体のしれない実女。これをまた【もたいまさこ】が演じている。
そうこの映像に見られるのは風のようであり、水の流れのようでもあるかつてどこかにあった原風景だ。しかし、これは現実ではない。僕には死後の世界に映る白昼夢のように思えてしまったから、少々不気味でもあった。
だって、これらの風景はどう考えても商売として成り立たない代物ばかりである。かといって昔を懐かしむかのような甘えもない。通り過ぎる風。ゆるやかに流れる川の水。どこか日本人が持っていた心象風景なのである。決して現代において生活できる空間ではないが、それだからこそ、この空間、時間が現代人にとってはとてもいとおしいものになるのであろう。
結構この映画好きです。何も考えず空っぽにした頭にどことなく入り込んでくる風を感じます。映画を見ることの多様性まで感じます。
水割りだけのスナック。グラスにまず大きな氷を入れてウイスキーを注ぐ。そして水を入れる前にかき混ぜる。うーん、何か心地よい。そして女バーテンとのちょっとした会話。それは大した内容ではないが、「侏儒の言葉」とも言える会話でもある。けれど、女バーテンと客はお互いの中には入らない。
コーヒーだけの今や珍しい純喫茶。ポツンポツンと来る客にここでもちょっとした会話がある。でも、お互い、相手の中に入ることはない。
もう一つの店は女主人の豆腐屋。ただ買うだけの店から店先に腰掛けを置いて豆腐だけを味わう客たち。ここでは会話はほとんどない。
またほとんど客のいない銭湯もある。まだ赤ん坊のような子供を脱衣所に寝かせ、客の女たちは世話をする。のんびり感がいい。
これらの店を潤滑油のように巡るのはどこか得体のしれない実女。これをまた【もたいまさこ】が演じている。
そうこの映像に見られるのは風のようであり、水の流れのようでもあるかつてどこかにあった原風景だ。しかし、これは現実ではない。僕には死後の世界に映る白昼夢のように思えてしまったから、少々不気味でもあった。
だって、これらの風景はどう考えても商売として成り立たない代物ばかりである。かといって昔を懐かしむかのような甘えもない。通り過ぎる風。ゆるやかに流れる川の水。どこか日本人が持っていた心象風景なのである。決して現代において生活できる空間ではないが、それだからこそ、この空間、時間が現代人にとってはとてもいとおしいものになるのであろう。
結構この映画好きです。何も考えず空っぽにした頭にどことなく入り込んでくる風を感じます。映画を見ることの多様性まで感じます。
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