予告編から全体は想定できた。そしてまさにその通りの映画であった。一人の男の魂の遠吠え。がなりたてるアリランの唄。でもそれはやはり映画であった。映画そのものであった。そしてまさに虚構の世界であった。
「春夏秋冬そして春」でむきむきの肉体を披露したギドク。出したがり、出たがりの彼にカメラの前に立つのは正真正銘のギドクだ。いくら叫んでも、いくらわめいても本当のギドクを出すことはないギドク。
人間、生きていて孤独にさい悩まされる日はないと、、。そんな当たり前の恥ずかしいことを言ってのけるギドクは可愛いギドクだ。演技してる。どう考えても露出過剰のギドクがチラつく。
でもあくまでこの映画はギドクの映画だ。何を作っても表現してももちろん構わない。カメラの前で、観客の前で泣いて鼻汁が垂れようが、ギドクの映画をずっと見続けてきた僕は、もうそこにいつもの虚構ギドクが居座っていることに気づいている。
それより驚くのはカメラが本当にギドク本人独りで撮っていたのかということだ。固定カメラでも完全固定ではない気もするし、あんな決まった構図をしゃきっと撮ることができるのだろうか、、。カメラの構図は色彩はないもののいつものギドク映画だったからだ。不思議である。
ギドクよ。早くこちらに戻っておいで。
途中で過去の作品スティール写真が映し続けるシーンがあったが、やはりこのギドク映画においては写真でさえ美しい美術品だ。色彩が映える瞬間である。僕はますますギドクが見たくなってきた。
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