これはもう濃い映画ですなあ。我等日本人たちには血の色まで違うのかなあとまで思わせる韓国映画の凄まじさであります。何が凄まじいかって?
徐々に、ひたひた押し寄せてきた波がファン・ジョンミンが出てすぐこの映画の鼓動が変わる。それはまるで津波のごとく。
冒頭にキリスト教のルカ伝を出しておいてこの映画はキリストを描いているんですよと観客に告げる。そして一連の猟奇事件の描写が続き、いよいよ國村が出現。
なるほど、キリストも村から村へと流れ渡り歩いたんだから、実際のところこんなものだったのかもしれない。村民の目線からはいかがわしいよそ者だったのだろう。
一方、文明的な解釈上の毒キノコがこの忌まわしい事件の原因であるともされる。
そして、國村とつるんでいるファン・ジョンミンもオカルトっぽい悪霊祈祷師と描かれているが、初期キリスト教のヨハネと見なしてもいいかもしれない。
分からないのがあの女性悪霊だろう。村の守り神のような存在で、キリストもヨハネをも見続け、しかも彼らより高みの位置にいる。単なる地の山の神と見ていいのだろうか、、。
面白いのは、これら神の存在でもある彼らが悪でもあるということなのだ。これはもう僕はぶっ飛びましたね。あのキリストである 國村が悪霊に変化(へんげ)するのだから。
凄惨な殺戮事件の真相は結局誰にもわからないし、解決されない。それはこの映画を見終わる観客でさえ同じである。我らの中にある神とは、宗教とは、家族愛とは、、。
それらはひょっとしたら人に芽生える欺瞞そのものなのかもしれない。我らは原始から現代につながる時間の過程で、悪霊という概念の中を真っただ中に生きているのかもしれないのである。そんなことをこの映画を見てふと思った、、。
いやあ、韓国映画、やはり面白いぜ。國村隼の怪演もすごいが、ファン・ジョンミンの役者としてのすごさが目立つ。あの祈祷シーンは観客全員を震え上がらせたぜ。
うーん、まだこの映画の余韻が凄い。
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