NHKで撮影風景を見ていたからかなあ、映像的にぎょっとさせるシーン(例えば若嫁が防御服を着て夫を見るシーン)なんかはホラーっぽい印象が湧くはずなんだけれどそれがない。ごくすべて自然に映像が流れる。
監督は言う。事実を映像に残しておくことが我らの使命である、と。けれど彼は劇映画の方法を採った。何故劇映画でなければならないのか。ドキュメンタリーでは何故だめなのか。(ただ、ドキュメンタリーは僕らがテレビで厭程見てはいるが、、)
とこんなことを言うのは、この一家族がとても演技っぽかったからだ。特にこの老夫婦は演技をしているように思えた。園のいつもの自由さは奪われているかのごとく窮屈だった。
一方、息子夫婦は逆にもっと人工的な演技でもよかったような気もする。普通の夫婦である。あの展開だったら、東北を離れ関西でも行けばそれで解決するんではないの?と誤った解釈にでも導かされそうな印象である。
いやあ、こういう真摯な映画に、かの、昔から追っていた園作品に批判めいたことは書きたくない。彼はいつものエネルギーを抑えてただ原発の事実を前にして考えたことのみを抽出したのだろう。その姿勢はいい。立派だ。
でも僕たちはすでに1年半を経てこの災害の事実の重みをドキュメンタリーを通して見ている。その事実の前にはこのフィクションは弱いと思うのだ。事実を残しておくことが主眼であったなら、しつこいようだが敢えてドキュメンタリーでもよかったのではないか、と考えるのである。フィクションはやはり今この国では描きにくかったのではないか、と思ってしまうのである。
もちろん、震災に遭い、故郷を離れなければならなくった人たちの苦渋の決断を迫られる姿を描いた話としては良くできているんです。
でもこれが福島の原発事故が遠い過去となった近未来ならともかく、割と記憶に新しい時代背景での話だということを考慮すると、原発事故に対する人々の描写や政府・マスコミの描写がリアリティを追及するとなんか乏しい気がするんですよね。
特に原発事故後の経緯の様子は実際にニュースで見ていると、抗議活動やら原発に対する批判の声も結構見られたので、そういった描写が無かったことが、違和感を感じさせているのかもしれません。
息子夫婦の嫁の過激なまでの放射能への防御行動も、街の人々が変人扱いして終わりというのじゃなく、徐々に街の人々も同様に感化されてもおかしくなさそうだし(放射能の影響は同じように経験しているはずだし)、対照的に不安を煽っている嫁に対して罵声を浴びせる人がいてもいいかなとも思うんですが・・・。
ただ夏八木勲演じる父親の味のある演技はとても良かったです。この辺は園監督の作品はキャラの個性と役者の演技を合わせるのが上手いなと思いました。
そうですね、この映画、園が生涯で一番真面目になって撮った映画ではないでしょうか。そのためか、少々いつもの自由さが控えめでしたね。
わっこさまのご意見も分かります。
一方、彼は撮らなくてはいけないと思いと撮った映画なんでしょうね。彼自身は全然胸張っていると思います。
秋深くなりました。お風邪など召しませんように。
それでは、また。
失礼します。