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フロスト×ニクソン (2008/米)(ロン・ハワード) 75点

2009-04-03 13:10:23 | 映画遍歴
想像していたより快活なドラマであり、政治映画にありがちな、観客に政治的感覚を要求させるような映画では決してない。むしろボクシングの4回バトル戦を見ているような、ある意味スポーツ感覚で見られる映画とも言える。

とはいえ、ニクソンがアメリカ大統領では唯一弾劾された人間だということ、そしてその直接の原因がウォーターゲート事件で盗聴を指示していた張本人だったということぐらいは知識で知っておかないと話にならないであろう。

でもその政治映画にありがちな導入部の入りにくさを避けるために、例えば国際便のファーストクラスでいい女にモーションをかけ(華のある女優起用でいい)、しかも大統領のインタビューに彼女をそのまま同席させるなど、ロン・ハワードは娯楽映画としても徹底的に一流であることを貫いている。

この映画の重要なシーンはまず夜中に大統領からフロストにかけられた電話である。それまで3回のインタビューで、テレビのメディア的に全くの徒労に終るような成果しかあげられなかったフロストに、なぜか大統領は慢心していたのか余裕めいた電話をする。フロストはその時大統領の人間の肉声を初めて聞いたように思う。彼の大統領への闘いの火蓋が放たれる。

その後の4回目の対戦シーンは本当にこの映画の白眉だ。疲労満杯、精魂疲れ果てたボクサーよろしく、追い詰められたフロストが大統領の一瞬の隙を狙いカウンターパンチを放つ。その豪快さ。爽やかさ。大統領もいつかは一瞬でも本当の自分に戻るときを希求していたのだろう、真実の言葉で心を融解させ、国民に謝罪する。

それは大統領というより仮面をかぶっていた人間が、真空の人間に一瞬でも戻ることの出来た感動的なシーンである。フロストにより追い込められ仕方なく告白したというのではなく、自らこれからの自分の人生を思いながら決断したという感じであった。

彼はこれ以降、政界に復帰することはなかったけれど、人間的には仮面を捨てた分充実した人生を送ったのではなかったか、という映画的余韻である。

実に明快単純。娯楽映画としても、政治映画としても秀逸。久々に充実した政治映画だ。それはフランク・ランジェラのスケールの大きい演技に負うところが多い。政治家のずるさ、野心、不安、人間性へのほとばしる気持ちを深く陰影たっぷりに表現していた。舌を巻く演技ってこのことを言うのかな。素晴しい。

そして彼にがっぷり四つで受け立ったマイケル・シーンも力演。主役でありながら下手をするといいところを全部フランク・ランジェラにもっていかれそうなところをよく立ちとどまらせていた。 秀作です。

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