
この何かしら洒脱な題名に惹かれて鑑賞。通常ドキュメンタリーは見ないのだが、久々の第七芸術劇場へ向かう。最初は無理に作ったかのような人工劇。不思議な出だしである。そして本編、あるシンガーの閉ざされた世界を僕たちは垣間見ることになる。
若いときに賞を貰ったのがきっかけで音楽の道を志すことになる壮太。彼には後輩のキーボードを担当する蔵人がいた。僕たちは二人の、音楽を目指す厳しく真摯な青春ロードを見続けていくことになる。
苦しい。そう音楽の道は甘くない。今や路上で多数のシンガーが日夜、歌を歌っているが、恐らく共通するものがあるのではないか。音楽だけではない。演劇を志すもの、自分の一番好きなものを単なる趣味で終わらせたくないと思っている人々は、我々人間たちの通常の営みであろう。職業と趣味が近いことは理想ではあるが、そうは問屋が卸さない。そういう意味で映像の二人は僕たちの青春の姿でもある。
壮太と蔵人はその中の一人である。そして挫折した二人は一人は普通の社会人となり子供をもうけ、人並みの幸せを感じ取ってゆく。しかし自分の夢に諦めきれず挫折感が人より強かった壮太は死を選んでしまう。
そんな彼らを見ている自分自身はきつい、他人事なんて思えやしない、と感じる。誰でも一度は青春時代を経験する中で通り過ぎる出来事なのだと言い切ることは簡単だ。通過できる人と看過できない人、、。
息子に死なれた母親は言う。「何か子供に先立たれるような予感があったんですよ。」分かっていても何もできなかった両親。そうなんだ。もう立派に成人した人間に大人が何をできるか。つらい時間である。見ている観客もきつい。
苦しい青春時代はみんなあるはず。だから文学が生まれ音楽が生まれている。けれど壮太の若過ぎる死について僕たちが何を言えようか。死を選ぶことも自由なりき。
映画としては壮太もさることながら、蔵人の普通の生き方に何かしらほっとするものを感じるネ。それは怠惰で普通の生き方をしている僕たちだからこそ感じるものだろうか、、。一年の暮れに見る映画としては実に暗いデス。
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