【新藤】の最後の作品というファンには見逃せない映画だ。全体に強い基調は持続している。そしてユーモアが所々存在する。ピリリと辛い上等の映画に仕上がった。
一枚のハガキを託されいわば遺書配達人である【豊川悦司】は自分自身、徴兵中一枚のハガキも出さなかったために戦死したと思われ、妻と父親に逃げられた戦争被害者でもあった。そんな彼が潜水艦で戦うことなく沈没させられ戦死した戦友の妻【大竹しのぶ】 に一枚のハガキを届けるのだ。
【大竹しのぶ】 から「あんたはなぜ生きてるのじゃ 」とののしられる。彼は自身の妻から何故死ななかったのか、と責められた夫でもあったのだ。この生死の逆説と一枚のハガキの意味が重層し、観客に固唾を飲ませる出色のシーン。キーンと強い。
ところが人生を知りすぎている新藤は戦争に対する怨念だけを描くのではなく、人間にとって和らぎとでも言うべきコミカルな描写も同等に挿入する。【大杉漣】の団長の横恋慕はこの映画のオアシスでも言うべき人間味いっぱいの貴重なシーンである。人生賛歌でもある。
女の夫は戦死し、弟がとって代わって姉さと再婚する。ほとんど強姦っぽい再婚の初夜のシーンは哀しく、しかし現実的だ。それでも人間は生きていく。その弟もすぐ戦死し、舅も病死し、姑も自死する。何と不幸な呪われた家であろうか、、。
『黒い雨』で【今村昌平】が原爆症で次から次へと村の衆人が死んでゆく描写とある意味似ているが、【今村】は芸術的に凝った描写をしていたが、【新藤】はあくまで気さくというか日常的でフラットな撮り方をしており、厳粛感というよりむしろ瞬時には憤りさえ感じないさらりとした撮り方に徹している。それは戦争の悲劇を日常化することに成功しているのである。
その呪われた家も複数の遺影とともに焼け落ちて二人は何とその地に麦を植え付ける。(麦と言えば何故か聖書を思い出すが、関係あるのだろうか)そして秋には実る。その黄金色でみなぎる穂の描写。
水を川から二人して汲み上げて運び(このシーンは『裸の島』の有名なシーンの焼き直しですね)一歩ずつ彼らは新しい生活を築き始める。人間はどんな苦悩に遭遇しようと希望さえあれば明日を生きていくことができるのだ。そんな【新藤】の最後の言葉である。
【新藤】が対談で言っていたが天皇陛下がこの映画をご覧になり、「最後の水汲みのところで救われました。」と仰られたと言っていた。感慨深いものがあります。
新藤監督、99歳とは思えぬ作品でしたね。
わたしは1週間にわたりBSで放映された「人間の条件」を録画し、日にちをかけて見直しております。
今はなき「梅田グランド」でリバイバル一挙上映を見たのは随分と前のことです。
途中で1時間の休憩があり、昼食に劇場外へ出ることが出来ました。
なつかしい想い出です。
また暑くなりそうですが、負けずに頑張ります。
ではまた。
お孫さんが来ていらっしゃるとのこと、賑やかでいいですね。
私も二人いますが、とても可愛いです。何か、自分の子供が幼児の時とはまた違う可愛さのような気もします。不思議です。
「人間の条件」は昔しっかりと録画しているのですが、なかなか見る時間がありません。とにかく持っているDVDもかなりの枚数です。
映画館に行く機会を減らせば見られるんでしょうが、、。なかなか。
またお越し下さいませ。それでは。
この映画は是非観たいと思っていますが、拝読していて、ヌートリアEさんの熱気が伝わるようでした。新藤監督の対談は、私も聞きました。なかなか興味深かったです。
暑さがぶり返している昨今です。ご自愛下さい。
では、また。
そうですか、天皇陛下の対談をご覧になられましたか。
昭和天皇のご子息とはいいつつ、やはり天皇の戦争責任等を常に考えれられているのではないか、と思料しました。
この映画は突き抜けて(意外と)明るかったです。責任追及したところで明日への希望は見いだせない、という諦観もあった感がしますね。
やはり希望がなければ人間は生きていくことができない。そういう意味では現代に生きるどの世代も今は厳しい時代なのではないでしょうか、、。
それをふっ切ってこの映画を作った新藤、、。
新藤はちょっと逃げた、僕は実はそう思っているのです。
それでは、また。
セント様には益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます。
さて、私の念願だった「一枚のハガキ」を、約1年遅れで、やっと見る事が出来ました。私の感想をTBさせていただきました。ご笑読賜れば幸甚です。
セント様も相当高評価されていると承りました。ご同慶の極みです。
新藤監督はこの作品では、出征や無言の帰還の場面などを通じて、今迄にない簡潔な演出も試みられたような気がしました。
寒さ厳しき折りから、御身御大切に。
では、失礼します。
この作品が新藤監督の最後の作品。それは彼も感じていたようですが、それでももう1本ぐらいはと欲が出て101本目の作品構想もあったようですね。
いい監督を失いました。
100歳の脳裏にある映像という世界的にも珍しい現象は人間観察的にも興味のあるところです。
最後まで若かった人でしたね。
この映画に関しては無宗教だと思っていた新藤がキリスト教を引用していたのには少なからず驚きました。人間を見続けていると人は平たくなるのでしょうか、、。
それでは、また。