なるほど。グレン・クローズがこの映画に惚れている様子は分かった。そりゃあ、女優冥利に尽きる役柄だね。女性が男性として生きる一生。眠っていても心の鎧が溶けることはない。そんな人生。けれどもそれも人生、、。
19世紀のダブリン。身分の差が激しく、庶民は重労働が主で、ましてや女性一人で生きることは困難な時代だ。若い男たちはアメリカを求めて旅立っていく。そういえば現代のアメリカで重要な地位についている人たちにアイルランド出身の人たちが多かったことを思い出す。
14歳の時に男たちに輪姦された少女は身を守るため、そして身を立てるため敢えて女を捨て男として生きることを実践する。性を捨てるということはすべて自分自身を秘密の社に立て篭もらせるということであり、それは自由を捨てるということに他ならない。当然他人との交流は一切禁物である。
そんな女性が同じ生き方をしている女性を発見し、しかも彼女が結婚までしていることを知り、そこから誘発されて新しいエネルギーを得、初めて人間として人と接し、そして新たな世界へと歩もうとする。30年以上人間を捨てていた人が人間として融解するのだ。だがその方法は性急だった。
女は結婚に拘泥したため(本当の結婚の意味を分かっているのかどうか不明だったが)自ら思いがけない人生の最後を迎えてしまう。何とあっけないひとの人生であることか。人間として生きたのは目覚めてからたった数カ月のことである。その数カ月も決して夢多き時間ばかりでなかったはず。
彼女は人生を生きようとした時、本来の性としての女性に戻らなかった。あくまでも男としての自分の将来に賭けようとした。恐らく何十年も男として生きて来た彼女に女の部分は残されていなかったのだろう。嘘の世界を続けて行けばいくほど嘘が本当の世界になり変わって行く。虚像が実像に変貌する。
こういう時代を経て現代において今や同姓婚が取り沙汰されている。なるほどそういう時代背景、政治的意味もこの映画にはあるんだね。
じっくりと極限の労働者から支配者を見る視線が冒頭のホテルの食事シーンに溢れてしかも鋭く、ロドリゴ・ガルシアの反社会的眼差しも秀逸だ。また出演する俳優陣が皆これ以上ない最高の演技を示し実に映画的で素晴らしい映像を僕らに提供してくれている。これぞ名品の味である。
グレン・クローズ 渾身の演技はさておき、ミア・ワシコウスカ の初々しい女性の人間性がこの映画の唯一の光であった。ミアは出る映画すべて違う色を見い出し、この女優はとてつもなく大きなものを持っている。楽しみな女優である。
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