大好きなカウリスマキの映画。観る前からそわそわして、過熱気味。座席も一番前に取った。そして始まった。映像がここ最近の作品と違い、敢えて普通の肌合いに設定し、今までのような光と影を意識しないカメラワークが多用される。いつもと違う。
前半はどちらが主人公か分からない展開だったが、そのうち難民のカーリドに焦点を当ててゆくことが分かってくる。でも、ここでも敢えて、彼の内面には深入りはしない。今回は感情には触れない決意をしたのかもしれない。
全体的に、難民問題とナオナチに関する警鐘が強く、テーマとしてむしろアンチテーゼのような位置を持つことに気づく。
それは分かるけれども、でも今までの彼の映画群からすると、ちょっと軌道を外れた感もある。これほどの強い政治的主張は少々違和感が残るのである。
誰でもが希望を持つことができる。どんな困難な状況下でも、希望さえあれば人は生きてゆくことができる。みんな一丸となって生きてゆくことのすばらしさを、今一度考えようよ、という思想はもちろん分かる。
でも、劇映画的には、このカーリドは主人公たり得ていないと思う。主人公であれば、もっとイギリス映画のようなリアルさが必要ではないか。カーリドの妹の、本名を名乗るという宣言も、ちょっと肩入れし過ぎ感もある。
やはりカウリスマキはでーんと構えていて欲しい、と思うのであります。ひょっとしたら僕は彼にとって、いいファンではないのかもしれません、、。
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