この映画は孤独な少年のまなざしのみを一気に描いた作品ですね。彼を取り巻く父親、環境(施設)、里親、友人(悪人ではあるが)たちの説明はほとんどカットして、あくまで少年の見ている方向だけを描写している。それは正しい。
子供は大人ではない(当たり前だが)。だから僕たち大人が見ている視線で世の中を感じ取っているわけではない。愛情いっぱいにはぐまれて育つのがまず基本線なのだ。花でさえ毎日水をやらなければしおれてしまう。子供はまずそんな存在なのだ。
だからこの映画で少年の取った行動を「悪ガキ」と捉え、ある一定の線を感じたらこの映画の正しい見方は出来ないのではないかと思う。映画の少年は、花に例えれば、水をあげられず、日光も途絶えがちで、それでもかろうじて光を求めて彷徨って生きている花、すなわちそれが少年の生の姿なのである。
途中友人を求めて道をはみ出すことはあるが、それもある意味生きていく上での光でもあるのだ。ラスト、自分のしたことで第三者にまでまた新たな罪を起こさせることの意味を感じ取り、少年はまた新たな気持で自転車に乗りしっかりとペダルをこぎ、自分の家に戻ってゆく。素晴らしいラストだ。最近の【ダルデンヌ】作品では出色の出来だと思う。
でも、自転車にはしっかりと鍵をかけようぜ。
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