セントの映画・小演劇 150本

観賞数 2024年 映画 94本、 演劇 72本

アイガー北壁 (2008/独=オーストリア=スイス)(フィリップ・シュテルツェル) 85点

2010-03-28 10:16:24 | 映画遍歴
山岳映画には秀作が多い。それは生死を賭けた一瞬が我々に強く人生の意味を教えてくれるからだ。

アイガー北壁に登るまでの二人の男たちと、それを商業ベースに乗せようと画策する新聞社、そしてただ単に興味本位で彼らの登攀を豪華ホテルに滞在しつつ、見物しようとする富豪たち。丹念な演出は濃密な色彩と相まって緊密な映像を我々に提供してくれる。

初登頂がオリンピックの金メダル授与に値すると言われようが、アルピニストにとってはそんなことは本来どうでもいいことだ。彼らにとっては初登頂ということにまさしく意味があるのだ。勿論その後の名誉は当然考えているだろうが、山を前にするとむずむず山に挑戦したくなるのというのが彼らの正直な心情なのであろう。だが、その山は人を拒絶し、挑戦者に牙をむく悪魔の山であった。

まずマスコミの捉え方が小憎く語られる。「記事になるのは栄光か悲劇だ。登頂を断念して無事に下山してもその記事は誰も読まない。」まさにジャーナリズムの本質に関わる重要な論点である。

この映画でとても印象的に思ったのは、豪華ホテルの展望台から生死を賭けた彼らの行動を、ブルジョア連中がまるで見世物を鑑賞するように楽しんでいるということであった。でもこの現象は現代でも起こっている。我々はテレビ、ネット等で事件の報道を実際は映画を見るがごとく興味本位に楽しんでいるのではないか、、。

けれど、何よりこの映画のすごいところは、やはり悪魔のようなアイガー絶壁を当時の簡素な装備で登攀しようとするクライマーたちの闘いの描写であろう。目はくぎ付け。彼らの動作のちょっとしたしぐさに思わず発してしまう自分の声。ピーンと張り詰めた緊張感は館内を覆う。山岳映画の強みの部分だ。ものすごい撮影だ。

強引に割り込んできた別のパーティーに怪我人が出ると登頂を諦めるシーン、そして怪我人を降ろしながら下山しようとする手に汗を握るシーン、また滑り落ちて一本のザイルにぶら下がってしまったがために自らザイルを切るパートナー。それら目を覆いたくなるシーンの連続、実に秀逸な撮影である。もうここまで来ると演出を超えている。

そして最後は事実は小説より奇なり、で思いがけないラスト。(ネタバレです。)

目の前まで、手が届きそうなところまで恋人をやっと確保しながらも、ザイルのちょっとした不運のために、生きながらにして恋人の息絶えるまでの悶絶を見続けなければならなかった女性。こんな残酷なことがあるのだろうか、、。目をそむけたくなる怖いシーンだ。

アイガー北壁はでもその鋭い姿を僕たちに見せる。美しい。確かに美しい。純粋に美しいと思う。でも人を惹きつけるこの山は悪魔の山なのだ。

壮絶な映画である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« リスの窒息(2010 石持 浅海... | トップ | 梅田映画日記(3/22~3/23) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画遍歴」カテゴリの最新記事