そもそも暴力とは何なのか。暴力に対抗する暴力とは結局戦争ごときものしか生まないのではないか。映画は卑近な家庭劇での問題をあぶりだし、いわゆる9・11以降の現代人の生き方を問うているかのようだ。
映画でテーゼされたのは普遍的な学校でのいじめ、非暴力主義の父親に対する息子たちの恐るべき行動、アフリカ難民キャンプでの逸脱した異常暴力への対応、そして夫婦間の不倫さえある意味相手に対する精神的暴力なのではあるまいか、すべてそれら暴力対しては直接暴力を行使するのではなく「赦し」の概念も生じて来る、のではないか、と言っているようである。
映画はストレートにしかもフラットに暴力とそれに伴う「復讐」と人間のみが持つことができる「赦し」を掘り下げていく。
でもこの映画、問い詰めれば問い詰めるほど閉塞的になってくる。当然結論めいたラストは用意されていない。子供の自殺をかろうじてくい止めるエピソードさえ、それではどうするのだろうといった解決策はない。やってしまったことは子供の犯罪だとはいえ、許されるものではないはずだ。
ましてや父親は難民キャンプで最初は医者に徹し極悪人を治療していたにも拘らず、患者の極悪非道ぶりに耐えきれず病人を見捨ててしまい、殺戮を認めてしまうことになってしまうのだ。
問題提起がこの映画のテーマだと言えばそれまでだが、何か丹念に綴られた良識ドラマにしてはラストに至る強いものが感じられない。
でも、それはそれでいいんだろう。人間なんて、小さくて弱い存在なんだ。暴力という大きな課題はこんな家庭劇だけでは捉えることはできないはずなのだから、、。とはいえ、良質の秀作に仕上がっています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます