いつも通り何気ない会話から人生の真実をえぐり出す【マイク・リー】の新作。今回は本当に普通の人々のある日常を描き秀逸そのものだ。それは僕たちの身の回りにどこにでも転がっていそうな人生である。
この映画の主人公夫婦。老境に達しそうだが、それぞれ仕事を持っていて休日には市民菜園で収穫を図っている。そんなある意味理想的な夫婦の家に集う春夏秋冬織りなす人間劇である。
冒頭、不眠症でやけに薬だけを欲しがる老主婦が思いつめたような表情で僕たちに迫る。カウンセリングを受けるもあまり協力的ではない。彼女には一応家族はいるのであるが、不幸であると思っている。
50は過ぎているはずなのに二十歳そこらの精神構造を有するメアリー。すべて自分中心型行動体系で周囲の配慮等が全く見えない今流行りのKY人間だ。彼女に合った年齢相当の男がすり寄って来ても厭がり(それは仕方がないことなのだが)結構我がまま風。
こともあろうに彼女はこの老夫婦の息子にモーションをかける。両親からいい育て方を受けた息子はこの実をむげにすることはないが、ジコチュー彼女はそれ以降一層自分の行動がエスカレートしていることに気づかなくなってくる。
親友の息子に色目を使う常識知らずの女って、もうそれだけで許せない気もするが、映画では歳は取っていても気持ちが若いまま(というか成長していないということでもあるが)のある意味可愛い女であるような撮り方である。厭だが、不快感までには達しない。この辺りの演技は特筆もの。
しかし、そんな女にも、息子が恋人を連れて来た時恋人に不快感を示す態度を取ることなど(この時の演技は秀逸)から、老夫婦は我慢はしていた堪忍袋の緒が切れることになる。しかし、不幸を迎えた兄が同居し、息子と内輪だけの食卓の場に約束もせず不意に闖入していたメアリーを見るにつけ、彼女になじらずにはいられなくなる。
そして、家族の食卓としての居場所がないのに居座るメアリー。彼女の重い孤独が奈落に落ちそうな恐いシーンでこの映画は終わる。
この映画、確かに恐い。しかし、僕たちの周りの卑近な日常を切り取った映画でもあるのだ。こういう風景はどこの家でもあり、だいたい僕たちの交遊関係もこの映画と似たり寄ったりであろう。
この理想的に見える夫婦は映画的には人生を映す鏡としての役割を持っており、だからこそメアリーの老残と人としての不足がクローズアップされることになるのだ。
でも、ラストシーン。こういう終わり方だと家族を持てない人々、家族と断線している人たちには暗い闇しかないような印象も受けるが、そうではなく、メアリー自身が生きた人生はメアリーにそのまま降りかかってくるということを表しているんだよね。
冒頭で家族がいるにもかかわらず深刻な悩みを持っている主婦もいれば、家族を持たず一人で人生を満喫している人もいるはずだ。どういう人生を送っても結局は最後、すべて自分に降りかかってくるのだ。
俳優陣がみんなベストの素晴らしい演技だったので、さらりと、そして深く人生の四季を感じ取ることができました。秀作です。
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