急に突拍子もないものが出現したり、いかにも不安定な現代を描き続けている黒沢清が、妙に落ち着いて揺れ動く現代社会を、揺れないでぶれないでしっかり描写した家族ドラマだ。
結構オーソドックスな撮り方に驚く。いつもカメラが不安定感を与えているのに今回はしっかりと腰を据えている。映画の文法のようなものを意識させられる。練られた脚本だと気づく。
庭に向かう戸が若干開いていて雨風が入り込んでいる。この家の主婦が閉めようとするがふと何か考え始めている。印象的な導入部だ。この家庭に起こる状況を暗喩する。西洋ではベルイマン的だが神の闖入ということになるのであろう。そんな、ざわざわしながらも静謐な時の空間が神秘的でさえある。
家長である男が「いただきます」と声をかけなければ食事が始まらない食卓風景。一見、古風ではあるが、会話もなくただ家族がたまたま寄り添っているという日本独特の家族の光景。血縁関係はあるものの、既に心はばらばらでかろうじて持ちこたえている家族ごっこでもある。でもこの光景は大部分の現代社会の典型なのではあるまいか、と思える。
リストラに遭っているのに毎日背広を着て外出する父親、家族を守るために米軍に入ろうとする長男、いずれは知れることなのにピアノをひっそりと習う次男、そして彼らを繋ぎとめる役割の母親、すべてが現代を彷徨う漂泊の人である。現代人である我々の真裸な姿であります。
映画は家族をかろうじて繋ぎとめていた母親の予期せぬ行動から、家族の再生へと向かうわけだが、この描写が黒沢にしては静かなのである。いつものホラーめいた遊離感が薄れている。
予期せぬ行動の原因となる冒頭の開いた戸から闖入する役所広司は神には程遠く、逆に呪縛から逃れようとする母親を神とまがってしまう。静かだ。通常ならばここで大きな音響と共に黒沢お得意のホラーめいたシーンになるはずなのだ。しかし滑稽で哀しいエピソードにしている。神を見たと思っている役所は海に入っていく。
家族の要である母親が家庭に戻り食卓で3人が食事をするシーンはむさぼるような解放感を感じるいいカットである。その後の次男のピアノ演奏シーンはこの上なく神々しいラストだ。あまりに清冽なドビュッシー。やはり人間は希望がなければ生きていけないのだ。死にいたる病_絶望から解き放された人間の柔らかさ、明るさ、希望。やはり黒沢はこのラストを今までと同じくホラーめいて撮っている。黒沢健在だ。
今年は偶然にも主要日本映画のテーマは家族である。「ぐるりのこと。」「歩いても歩いても」そしてこの1品。すべて秀作である。時代が外側からより小さな内側に向かっていることを痛感する。
演技的にはみんな素晴らしい。特に次男役の井之脇海の目の入り方の演技は「誰も知らない」の柳楽優弥を思い出す。しかし、彼と違って優しい目だ。
井之脇海の階段から落ちるシーンがどうも違和感があったんですが、3819695さま、そうですか、小津だったんですね。納得しました。「トウキョウ」ですもんね。黒沢清、こんな仕組んだまとまった映画を作ったらまたそろそろ元の世界に戻るんでしょうか、ね。彼の、変に不安めかせる映像もまたたまらない、と思ってしまう私です。でも、この作品は立派だなあ。ある意味立派過ぎます。
結構オーソドックスな撮り方に驚く。いつもカメラが不安定感を与えているのに今回はしっかりと腰を据えている。映画の文法のようなものを意識させられる。練られた脚本だと気づく。
庭に向かう戸が若干開いていて雨風が入り込んでいる。この家の主婦が閉めようとするがふと何か考え始めている。印象的な導入部だ。この家庭に起こる状況を暗喩する。西洋ではベルイマン的だが神の闖入ということになるのであろう。そんな、ざわざわしながらも静謐な時の空間が神秘的でさえある。
家長である男が「いただきます」と声をかけなければ食事が始まらない食卓風景。一見、古風ではあるが、会話もなくただ家族がたまたま寄り添っているという日本独特の家族の光景。血縁関係はあるものの、既に心はばらばらでかろうじて持ちこたえている家族ごっこでもある。でもこの光景は大部分の現代社会の典型なのではあるまいか、と思える。
リストラに遭っているのに毎日背広を着て外出する父親、家族を守るために米軍に入ろうとする長男、いずれは知れることなのにピアノをひっそりと習う次男、そして彼らを繋ぎとめる役割の母親、すべてが現代を彷徨う漂泊の人である。現代人である我々の真裸な姿であります。
映画は家族をかろうじて繋ぎとめていた母親の予期せぬ行動から、家族の再生へと向かうわけだが、この描写が黒沢にしては静かなのである。いつものホラーめいた遊離感が薄れている。
予期せぬ行動の原因となる冒頭の開いた戸から闖入する役所広司は神には程遠く、逆に呪縛から逃れようとする母親を神とまがってしまう。静かだ。通常ならばここで大きな音響と共に黒沢お得意のホラーめいたシーンになるはずなのだ。しかし滑稽で哀しいエピソードにしている。神を見たと思っている役所は海に入っていく。
家族の要である母親が家庭に戻り食卓で3人が食事をするシーンはむさぼるような解放感を感じるいいカットである。その後の次男のピアノ演奏シーンはこの上なく神々しいラストだ。あまりに清冽なドビュッシー。やはり人間は希望がなければ生きていけないのだ。死にいたる病_絶望から解き放された人間の柔らかさ、明るさ、希望。やはり黒沢はこのラストを今までと同じくホラーめいて撮っている。黒沢健在だ。
今年は偶然にも主要日本映画のテーマは家族である。「ぐるりのこと。」「歩いても歩いても」そしてこの1品。すべて秀作である。時代が外側からより小さな内側に向かっていることを痛感する。
演技的にはみんな素晴らしい。特に次男役の井之脇海の目の入り方の演技は「誰も知らない」の柳楽優弥を思い出す。しかし、彼と違って優しい目だ。
井之脇海の階段から落ちるシーンがどうも違和感があったんですが、3819695さま、そうですか、小津だったんですね。納得しました。「トウキョウ」ですもんね。黒沢清、こんな仕組んだまとまった映画を作ったらまたそろそろ元の世界に戻るんでしょうか、ね。彼の、変に不安めかせる映像もまたたまらない、と思ってしまう私です。でも、この作品は立派だなあ。ある意味立派過ぎます。
ヌートリアさんがおっしゃる通り今年は家族がテーマになっている作品が多いですね。
身近な人間模様が自分と重なる部分に共感を覚えるんでしょうか? トウキョウソナタの小泉今日子のような母親は今の時代、とても多いような気がします。
報われない思いのストレスは、いったん壊してまたゼロから再生する方が上手くいくものですもんねぇ~。
しかし家族皆で沈黙のまま食事をするシーン,,,無言の中の全員のこころの声が、すご~~~く分かるだけに怖いなぁ~と思いましたよ。いるいる、、、、こういう家族。
この映画は黒沢の代表作になるでしょうね。でも、彼のファンがみんな好きな映画かというとそうでもない気もします。
自由な映画が彼の特徴ですから、かなり毛色の変わった映画になっています。でも、立派な映画でしたね。
無言で食べている食卓風景でしたが、父親がいただきますと言わないと食べられない、そんな厳格なルールも存在する面白い食卓だと思いました。
ちょいといいなあと思ってしまっています。
では、また。