海と空と人間が、そして宇宙までもが粒子となり混然と溶け合うターナーの絵。大気と光、そのダイナミズムを通して人間を描く。その素晴らしさに眩暈を感じるほど好きな画家である。その彼の生涯をかのマイク・リーが描く。
そして期待を十分裏切らないリーの会心作である。
どちらかというと、脚本も自由であり、映像もそれほど決めたがらなかった(「ヴェラ・ドレイク」はそうでもないが)リーがどういう心境の変化か、今までの彼の得て来たものをすべて盛り込み、構築した濃密な映画である。
一つ一つのシークエンス時間もほとんど全編同じ。同リズムでターナーの生涯を淡々と描く。それを150分につなげていくという構成。映像も全編飽きさせない。凝っている。美しい。
特にロケではターナーの絵とまがうがごとく、ため息が出るほどの美しい自然撮影である。すごいです。今時珍しい豊富なエキストラを擁する時代考証。いやあ、映画ファンならもう目が点になります。
冒頭、ターナーと対峙する下女のハンナの、おどおどした作ったような演技が目立つ。いびつな眉。恐らく体に変調があるのだろう歩き方、姿勢にどこか乱れのある悲しそうでいたいけな女性。(まさかその時には彼女の存在が映画の中でこれほど大きいとは僕たちは気づかない。)
映画はじっくりとターナーの芸術の世界に入り込んでゆく。生きる苦しみ、悲しみ、諦観それらは自然とともに昇華し、宇宙の粒子ともなり絵画として創生される。
彼の芸術を分り得たのは、絵描き仲間でも絵画商でもなく、ましてや国王たる女王でもない。生きる苦悩・悲しみを分かち合える普通の人たちだったのである。
だからビクトリア女王が「こんな書きなぶったような汚い絵」と誹謗しても、彼は膨大な数の絵を国への寄付という行為を通して、市井の人たちに見てもらうことを選択する。
彼を、彼の絵を、本質的に一番理解していたのは下女たるハンナだったということが観客に伝わってくる。面白い解釈である。この映画の深みとなるところである。でもターナーはそのことに気付きながらも、絵を描き続ける。身内の葬式にも出ない男は人並みの生活は享受できないのだ。
リーの映画ではおなじみの役者たち、撮影監督、その他スタッフ。リーだけでなく彼らの集大成となった映画である。恐らく本年のベスト3に入るべき映画だと思われる。
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