キム・ギドク、最近の不振ぶりをアッと見直す原点に戻ったような秀作だ。不振って、僕が勝手にそう思っているだけなんだが、2011年の「アリラン」辺りからちょっとついていけなかった。でもそんなこと彼は何とも思っていないのであろうが。
映画は、初期の作品に戻ったように(僕はこの頃が好き)憑かれたようにこの国のことを思う。思っている。それでいいのだ。この北、南朝鮮というのは世界でただ一つ、大国の政治的思惑により二つに引き裂かれたままの国なのである。国民がたまたま北と南にいたという理由で二つの国家に分断された国なのである。
なのに、彼らはいがみ合っているように見える。憎しみ合っているように見える。でも同じ言葉を話す同じ民族なのである。
そんなことがこの映画を見ていてじんわり思い起こされてくる。ただ流されて韓国に流れ着いた男はスパイ容疑で査問を受ける。
なかなか口を割らないので泳がされることになる。初めて見るソウルの雑踏。自由そうに見える喧騒の中で、意外と苦しんでいる人々を垣間見るその瞬間。彼に同情する警備官もいる。でも所詮は違う国の人間だ。
彼は北に戻る。しかし、戻っても、その取り調べは南と全く変わらない。それどころか、親切な南の警備官が用意してくれた金銭さえも着服する始末だ。一人の男の人生はズタズタにされても彼らは私利私欲、上からの命令に従うだけの間ぶりだ。
そこには本当に人間の棲む国家というものは存在しない。彼は、あれほど会いたがっていた家族でさえ、随分疎いものに思われ、また船を出し、本当の自由な国を求め彷徨う。しかし、どこにも彼の求める本当の国はなかったことに気づく。自由を求めてさらに彼は船を進める、、。
鮮烈なラストだ。そこには純真で、一筋の光をやっと見つけたギドクのまなざしをやけに強く感じる。これからギドクはさらにその光を追い続け走ってゆくだろう。そこに僕はギドクの不思議な安定を見るのだ。
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