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レオニー (2010/日=米)(松井久子) 75点

2011-01-01 20:23:54 | 映画遍歴
レオニー役の【エミリー・モーティマー】はどちらかというと色香もいまいちの地味目の女優である。しかし、生活感漂う役柄はすこぶる絶品で、今まで数々の難役を演じてきている。

そして本作ではアメリカでも高等教育を受け、自立を目指すプライドが高い女性なのに、一人の男と恋愛をしたがために男を追いかけて蛮国に来日すると、何と妾の存在になってしまっていたという屈辱を初めて味わう役柄を演じている。

家柄がどうであれ、日本に来ると当時の日本ではアメリカ人は毛唐の人なのであり、差別されるのである。アメリカではわが子が日本人とのハーフというだけで差別されアメリカに居づらい状態だったのに、愛する男の国に来ても結局は同じような差別を受けるのだった。

それは津田梅子女史についても、同じくそうだった。日本初の女子大創設を目指していた彼女にとっては、いくら教養が高い女性であっても、レオニーが妾の存在ということで忌み嫌うのであった。家柄のいい学生に悪影響を与えるというのが彼女の言い分であった。

レオニーは夫の冷たさとともに(妾の存在を強いる男への憎悪)、蛮国なのに西洋人を因習に虐げるその社会の仕組みに憎悪を感じ始めることになる。だから数年日本にいても日本語を覚えようとはしない。それは彼女一流のプライドでもあったのだ。

でも子供たちが成年後、娘から父親を尋ねられても彼女はあやふやなことしか娘に伝えられない。これはズルいと僕は思う。一本気の彼女の人生の中ではある意味唯一の弱みであったのかもしれないのだ。そう、彼女は制度と社会に逆らったが、自分の女の部分に対しては普通の女でしかなかったのだ。

【松井久子】がこの映画を撮りたかったところは、ある女の一代記ではなく、超一流国の高等教育を受けた女でさえ、蛮国の社会制度の下では戸籍的にただの卑下される女性でしかなかったということなのではないだろうか。そういう過酷な環境でもレオニーは生き抜き、見事子供たちを育て上げ、そして息子は世界的な芸術家になった。

でもそれが何なんだろう。娘の母親への懐疑心は一生ぬぐえ切れない。彼女も人の子であり、やはりオンナであったのだ。【中村雅俊】が着物を着せるシーンは影だけのロングショットだがとても印象に残る。敢えて言えば少々猥褻でもあった。 僕にはイサム・ノグチのことより、娘の悲しみの方が映画を見た後強く残ってしまったのである。

演技陣は適役の【中村獅童】しかり、全員力演。撮影も秀逸。でも僕が男だからか、『ユキエ』『折り梅』のような感動は生じなかった。意外と凛としたところをレオニーに感じなかったからだ。でも秀作ではある、と思う。

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