見ていて映像から伝わる息遣い、心情、タッチ、ぬくもり、、が、あの秀作「阪急電車」に通じているなあと思っていた。原作はそうだろうとは思っていた。そして帰って調べると何と監督も同じだったのだ。
出だしの15分でその淡い息遣いまで聞こえるようだ。これは素敵な映画の始まりである。しかし一方、冒頭で錦戸亮と堀北真希の現代の身分的断絶も提示される。 (でもあんなに可愛くて、清楚で、おまけに優秀な女性を企業が採用しないはずはないといった単純な難問も残ったが、、)
この部分は何とかほわーンという空気の中でも一番辛辣な切り口ではあった。だから恋心に傾いていく二人にもどうしてもこの最初のブレーキングが伏線となっていることに気づく。ラスト、スタジオで勇気を出す青年の心が分かるのは観客とタキちゃんだけなんだよ(普通の人は、何だ、軽っ過ぎる奴だなんて思うことだろう。ここは面白い。)
錦戸亮のあの、アドリブ的、自分のものしてしまったかのようなセリフ使いはいい。恐らく演出的にも彼にかなり任せたのではないだろうか。これはこの作品の一番いいところである。人間の本源的ほとばしりが自然と出ている。
対する堀北真希は見るだけですでにもう完成の域。いいお嬢さんを演じて100%の出来。映画的にスケール感もある。彼女がいて錦戸亮も引き立っている。
まあこの映画、いろいろ突込みどころあるだろうけれど、目立ったのはやはりラストのスタジオオンエアシーンかな。一番盛り上がるところなんだけど、いくらなんでも流行作家がゲストでメインなのに、作品の成り立ちに大いに関係するとは言っても、錦戸亮だけが大部分しゃべって終わりとういうのはあり得ませんね。
それと、大都会に棲んで、人生の汚れなんかすべて分かっているはずの流行作家が、あんな大正ロマン恋愛模様というのはいくら何でもやり過ぎです。疲れます。あり得ませんです。
とか、いろいろ考えるとさらに出てきそうでもうやめときましょう。
この作品の底に流れているのは「阪急電車」と同様、清らかな川の水の流れです。阪急電車が仁川だとしたらこの映画は四万十川です(あまり出てきませんでしたが)。無理っぽいでしょうか。
映画館でほんのり現実から離れるには実にいい映画じゃないですか。好きですよ、僕はこの映画。是非カップルでどうぞ。
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