映画で小説を読む、そんな映画がありますよね。この映画はまさにそんな感覚です。でも題材は辞書を15年もかけて作る映画である。地味であり、小説と同じく行間から何かを感じるという体裁になっている。
人生も大いに時間だけはことに費消し過ぎた吾輩にとっては、この作品の主人公は実に幸せな御仁と思えます。好きなことに身を投じそれを生涯の仕事に出来、しかもさらに食い扶持までもらえるという、ごくごく希有な人なのである。
でもこの映画のハナシからすると、別に辞書にかかわらず、仕事で何かを考案し苦闘するそこらどこにでもいる1サラリーマンのストーリーとしてもおかしくはない。辞書という15年もの時間は必要とせずとも、世の中にものを産み出しているサラリーマンはゴマンといる。
そういうことからはこの物語は普遍性はあると言える。観客一人一人が自分に振り返り何かを感じる作品でもあるのだろう。けれど、この作品の趣旨は、1篇の小説をいかに映像化し、いかに映画体験できるかということなのだろうと思う。
主人公は別にどこにでもいる普通のサラリーマンである。特別の人ではない。いい仲間に恵まれていい仕事をする。いい人生を送っているようである。
でもそれが本当の人生でないことは我々時を過ごしてきた先輩が知っている。今から本当の人生が始まる。始まっている。ただその予感はこの映画にはないが、、。
松田龍平は俳優冥利に尽きるいい役柄。こんな役がやりたかっただろう、そんなほくそ笑みも感じる。宮崎あおいはまたこんな役を引き受けた。だんだん賞味期限が切れるのでは、と恐れる気持ちもある。
オダギリジョーは優しそうで実は難しいフツーのサラリーマンの役柄。彼の方が人生の痛み、優しさを分かっていそうだ。好演。後半出て来る黒木華はなかなか新鮮で期待できる。いい面してると思う。
相変わらず的確な演技の伊佐山ひろ子も素晴らしいが、またあの役柄の八千草薫も結局は宮崎あおいと同じである。安定基調である。
まあ、いい小説を読んだ読後感は十分にある。一応成功ではないか、と思う。
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