映画作家としての貫禄を十分見せつけたイ・チャンドンのみずみずしく才気あふれる作品となった。
冒頭の路頭の行き交う人の言葉に日本語が介在する。春樹へのオマージュ。
そこで邂逅した女がパントマイムが好きだという。
女とのセックスで男は部屋の壁を眺めたり、窓から外の風景を見て虚ろだ。繰り返し描かれる自涜状態の方が彼にとっては本当のセックスのようだ。
女が幼少期に井戸に閉じ込められ男が救出した話。
そして核となる男の等身大に見えるブルジョア男。パーティの合間にはいつも欠伸をしている。自分を照らしている。
そして女の失踪に焦燥し、男を殺害し、男が放火していたと同じく、高級車ごと男をガソリンで焼き尽くす。殺害シーンは自涜のようでもあった。
事実は男が小説家だということ、父親が傷害で裁判中だということだろう。30ページの村上春樹の短編から、湧き出る想いをスケッチのように映像に書きなぶっていく。その作業はとても楽しく、やりがいのある仕事だったことだろう。
こういうタッチは西洋映画のようなイメージさえ受ける。例えばアントニオーニの「欲望」なんかをすぐ連想しました。イメージが豊穣で久々にイ・チャンドンを堪能しました。
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