
「今時」って、こんな言い方をするのは失礼だろうか。オーソドックスで、演劇の魅力をいやがおうに知りつつ、されど周りに目もかけず、おのれの信じる演劇だけを創作し、演じることに最高の喜びを感じる劇団がここにいる。
そんな感じがします。この劇団は。
小説の朗読から始まる不思議な劇だ。世間から断然感をもって隠遁したはずの主人公。けれど彼女の周囲では不思議なことが続く、、。
面白い。何かわからないが、この主人公の館はこの世から浮遊している感もある。現実感がないのである。それぞれ登場してくる人物たちは挫折した人たちばかりだ。けれどそれほど絶望感はもっていない。というよりあっけらかんと達観しているようでもある。
彼らは、すなわち現代人の我々の姿でもあるのだ。「共謀罪」という言葉が急に飛び交うわけだから、まさに現実の今の我々の姿である。
でも、お遊びのミステリー話が出てきたり、現代版怪談があったり、観客への労りをはせひろいちは忘れはしない。演劇は観客と一緒に考え作ってゆくものであり、観客と共に生きてゆくものであるからだ。
2時間弱の時間を超える豊饒な詩的イメージが全編を覆い、この楽しきスピリチュアルな劇は急に終わる。けれどこの劇には終わりというピリオドのようなものはない。この無限の時間はさらに続いてゆくはずである。
切ないほど楽しい演劇である。秀作。
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